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京浜急行デハ230 [京浜急行]


 お早う御座います。む~さんは、今日もお話のネタがありません。・・・・・で、昔噺を致しましょう。

 京浜急行デハ230形1959年1960年 

 京浜急行は私が高校に入っての夏休み、兄がオリンパス35-Ⅳを買って、それを貸してもらったときに始まります。1953年・昭和28年ですか・・・・29年だったかな?少しボケが入っているようですが(笑)。
 当時の急行電車は、表題のデハ230+クハ140+デハ230の三連か、デハ500+クハ550の二連(または『×2』)でした。私は、クロスシートの、それも顔・目がすっきりしたクハ550が好きだったのです。でも、残っている写真は圧倒的に、230の方が多いのです。心の底では好きだったんですね、きっと。
 ・・・・な~んて言ってますが、そんなに多くは写していないところが、「てきと~鉄道ファン」の面目躍如というところで、まあ、笑ってやってくださいませ。

 今日は、そのデハ230の写真を少々・・・・・・・。


 デハ230形は、1930年・昭和5年、湘南電鉄のデ1形に始まります。ついで、京浜電鉄デ71(1932年)、デ83(1936年)、そして湘南電鉄デ26(1940年)と増備されてゆき、最終的には55両もあったとの事。戦時の大東急時代には5230形として統合され、戦後、京浜急行が復活したときに、デハ230形と呼ばれるようになったのだそうです。
 車体全長15,440mm、幅2,610mm、窓配置:d-1-D-8-D-3。
 これは、私、愛用の参考書『私鉄電車プロファイル(機芸出版社)』に拠るものです。

 (1) 1959年・昭和34年の1月、私は川崎に居ました。電留線に居るデハ230形264以下、いつもの組み合わせ。そして、左側の本線を多摩川というか、六郷川の鉄橋から駆け下りてくる、デハ700or730(床下真っ黒で台車の識別も不能)の2ユニット、4連の特急パルラータ


 年は変わって1960年・昭和35年2月、もう少しで大学も卒業のころ、川崎に行っています。

(2) 大師線側の電留線で休むデハ285。私はこれ以前の『赤』というか『バーミリオン』時代を知りませんので、京浜急行といえば、この色。下が朱の赤、上が黄色。美しいこのスタイルに魅せられてしまった私、未だに、関東の電車のトップランクです。
 高さが1,080mmあったという、大きな窓で室内は開放的雰囲気で明るかったですね。前面、左右に延びたアンチクライマも、表情を引き締めています。外付けの尾灯・急行灯、ウエスティングハウスの密連も素敵。

(3) デハ285の横顔。ウインドウシルの切れたところなんか、痺れますね~!!

(4) デハ285の室内です。いまの電車にはなくなってしまった、客室ドアを入ったところに立っていた掴み棒があります。例外はあるでしょうが、当時の電車には、こんな『柱』が、みんな有りましたね。これが無いと『走らない』なんてギャグが今ではチンプンカンプンで・・・・・。

(5) 網棚というか、板棚。この棚とつり革のバーを保持する金具が優美な形です。

(6) 灯具です。この形、いいでしょう??!!素敵でしょう??!!白熱灯の色も懐かしい。そして、私は体験していませんが、昔は、夏になると青硝子の白熱灯に変えて、涼しさを演出したとの事。いいお話ですね。これは、友人KKさんに教えていただきました。

(7) 日付は変わって同じ年1960年・昭和35年の3月、また、京浜川崎です。269です。

 こんなのが、この頃まで、あのカーブの多い、踏切の多い、京浜間とその先、三浦半島へ、グワ~ッとぶっ飛ばしていたのですよ。前面の窓全開で、風を真正面から浴びて、それはそれは素晴らしい体験でした。そんな事の出来た私は幸せもんだなあと思っています。


 残念ながら、これらのフィルムは、スキャン後、7年経過した今、カーリングが激しく、スキャナに掛けられないというか、平らに延ばす事も不可能となっています。皆様、フィルムの、品種選定、現像処理、保管には充分に気をつけましょうね。 

 私のホームページ『む~さんの鉄道風景』に京浜急行デハ230のページがあります。ダイヤルアップ接続時代に作ったので、写真は小さいのですが、お時間が御座いましたら、御覧下さい。URLは下記です・・・・。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link104-khk230.html

 デハ230につきましては、他にも色々お話したい雑談はありますが、今日のところは、これでお仕舞いと致します。

 さあ、次回は何に致しましょう・・・・・・・。


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コメント 8

アルファ

デハ230形は鈍重なスタイルの車両が一般的だった昭和初期の車両とは思えない窓の大きな軽快な電車でしたね。京急の現役時代は見ることが出来ませんでしたが、譲渡された琴電では実物のデハ230形を見ることが出来ました。残念ながら今年の7月で最後まで残っていた1編成が廃車になってしまいましたが、登場以来京急・琴電併せて80年近くも走っていたデハ230形は天寿を全うした幸せな電車だったと思いますね。
by アルファ (2007-12-17 15:12) 

no

こんにちは。
上が黄色で下が朱なのですか。
ということは、川口の保存車両ともだいぶ違うのですね。
それにしても、なんて凝ったデザインなのでしょうねえ、内装の隅々まで気を配っています。
設計する優が勇躍して技量を発揮して、造る人もそれに応えた時代だったのでしょうね。
温かいなあ、と思います。
by no (2007-12-17 20:57) 

のり

車内の室内灯には、各社凝ったデザインのものがあったようですね。この京浜急行のものもとても素敵です。夏に色を変えるというのも、とても素敵なお話です。
私も、あと10年写真を撮り始めるのが早ければ、南海の室内灯を記録することが出来たのですが・・・・・大阪軌道線にも、大変凝ったデザインの鈴蘭型の室内灯があったのです。特に「モ101形」のものは、木製基台に美しい彫刻があって、シャンデリアのような美しさでした。特に夜は、透明の白熱灯が輝いて、とても美しかった。
各車ともパンタ化とともに蛍光灯になりました。現在では、それを偲ぶ手だてがほとんどありません。むーさん様のお写真を拝見すると、とてもうらやましいです。
by のり (2007-12-17 21:19) 

mymeな大家

こんばんは。
今日は用事で休暇をとり、その後都内でお買い物。
自宅のある横浜への帰りは、品川で2100系快速特急京急久里浜行きに乗り換えました。山手線内の比較的北部から帰るときは、よほど疲れていない限りこのルートです。60~90円も安く帰ることができます。品川で区切ると安くなるパターンが多いですね。
先頭車に座ったのですが、席が空いているのに立って先頭を見ている人が多いのにはちょっとびっくりしました。気持ちは十分分かりますが・・・。しかし、あの加速感とカーブの疾走感は、標準軌のなせるわざでしょうか。クセになりますね。
もっと早く生まれていたら、230でそれを感じることができたのに思います。 
では、失礼します。
by mymeな大家 (2007-12-17 22:46) 

manamana

電車らしい電車といいますか、
私鉄らしい電車といいますか、
本当に愛着のわく電車です。
窓が大きく明るいのがいいのでしょうね。
by manamana (2007-12-17 23:52) 

TH

私、生まれてからずっと京急沿線の住人ですので京急には愛着があります。230は私が生まれた年に廃車になりましたので残念ながら現役時代は知りません。
私の記憶に残っているのは400形(湘南タイプのやつです)からです。
京急の電車は600形(二代目)以降アンチクライマーが付いていませんが、小さい頃から1000形などを見てきたからでしょうかアンチクライマーが付いている電車のほうがより高速タイプのイメージがあります。
因みに朱と黄のツートンカラーの時代は私の父が子供の頃の時代で種別に準急があった話も聞きました。
by TH (2007-12-18 00:22) 

じろっち

「大島へ」って広告が良いですね。
当時は横浜・久里浜・江の島などから船が出ていたようです。
南関東の住民にとっては格好の保養地だったようです。
小田急沿線住民は「えのしま号」から水中翼船に乗り換えて大島へっていう経路がかっこいいとされえていたそうです。

水中翼船、陸に揚げられてしまったものも含めて現存船が少ないですねえ。 ジェットフォイルと勘違いしている人もいるんじゃないkな。
by じろっち (2007-12-18 23:16) 

む〜さん

■ アルファ様、no様、のり様、mymeな大家様、manamana様、TH様、じろっち様:
 京浜急行電鉄デハ230形に関し、書き込み有難う御座います。みなさん、デハ230がお好きなのですね。本当にいい電車でした。短い車長、浅い屋根、低い腰板、そして大きな窓!軽快を絵に描いたような、快速電車でありました。
 その電車が古典的なクハ140を挟んで三連で、カーブのきつい、踏切の多い線路を、快速でぶっ飛ばします。前面の窓は精一杯開かれ、風が吹き込み、夏でも涼しかった。この快速ぶりは、信ずべき筋の情報によれば、100km/hあたりまで出ていたとの事です。
 車体幅一杯のアンチクライマはホントに格好よかった。そして、ウエスティングハウスの電気栓つき密連。
 京浜急行は、電動車を最前部に配置するという、ポリシィがあったと聞きます。安全の為だそうで、これは、お客さん第一の現れですね。
 (1)の写真の週末特急浦賀行きは、浦賀から房総、大島行きの船に連絡しており、品川発12:40のラメール号、13:40発のパルラータ(イタリア語の「語らい」の意)があったとの事です。
by む〜さん (2007-12-18 23:59) 

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