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小田急新松田付近1963年(3終) [小田急・江ノ電・箱根登山]


 お早う御座います。2007年も、今日を含めて、あと二日になってしまいました。今年中の宿題も沢山残っているし・・・・・参ったなあ!!
 今回は、連載三回の最終回、1963年・昭和38年1月小田急新松田駅付近です。陽は既に西に傾き、箱根の山にかなり接近しておりました。たぶん、15時台だったと思います。

 小田急の新松田駅から、渋沢方面に約2km、川音川の鉄橋付近での小田急電車、今回は、「特急編」です。まだ、NSE3100登場前のSE車全盛時代のお話です。

 小田急:新松田付近:1963年(3終) 

 今回は「特急特集」って訳で・・・・・写真は6コマしか有りませんけど。

 1963年当時は、前面展望室の特急NSE3100の営業開始を、この年の4月に控え、特急はSE車3000の全盛時代でありました。種々の愛称が付いた特急が走り回っていたのです。御殿場線連絡の特急は、御殿場線がまだ電化されていなかったので、小田急では乗り入れ用の気動車を新製して、御殿場まで乗り入れ、国鉄線内では、準急扱いで、特別準急と呼ばれておりました。

(1) 逆光の箱根の山と富士山をバックに新宿行きの特急がやってきます。御殿場線乗り入れで5両化される前の八両編成時代のSE車3000です。車体のRに合わせた特急のヘッドマークをつけて、颯爽とした姿です。ヘッドマークの文字は、「湯坂」。たしか、湯本の上の方の山の名前です。

(2) 川音川の鉄橋を、カーブで渡って行きます。現在、この風景には東名高速道路が覆い被さっているのでしょう。あと、3ヶ月で、NSEが、ここを走る事になるのです。もう、この頃には3100の試運転は始まっていたのでしょうか・・・・・。

(3) 上と同じ、特急湯坂

(4) 今度は、気動車です。御殿場線に乗り入れ専用の気動車は、20m級の車体に180HPのディーゼル機関を2台積んでの強力型。キハ5000と、キハ5100の二形式が有りましたが、側面の窓が、
「d-13-D-d」
なので、キハ5000形ですね。窓と対向式クロスシートが合ってなかったと思います。
 列車の愛称は何だったでしょうか?芙蓉、銀嶺、朝霧、長尾?・・・・この時間帯だったら新宿発14:31、御殿場着16:24の「長尾」と推測されます。

(5) 特別準急長尾キハ5000は、富士山に向かって走り去ってゆきました。

(6) こんどは、箱根湯本行特急「乙女」・・・・現在の箱根湯本行特急「はこねXX号」みたいな名前でなく、箱根の山の名に因んで、いろいろと種類がありました。調べれば判るでしょうが、殆ど忘れました。あしのこ、金時、なんてのも有った気がする。箱根の『有名地名』で間に合うくらいしか特急が無かったと言う事なのでしょう。まあ、たしかに『はこね25号』とかは、覚えやすいけれど、『味』が無い気が致します。


 これで、このときのフィルムに写っている小田急画像の殆どを御覧頂きました。写真をリタッチし、ブログを書くための、参考書(鉄道ピクトリアル誌等)や、ネット調べ(Wikipedia、小田急HP)をしていても、懐かしさに一杯でありました。

 明日の今年の最終日は、何にしようかと、首をひねる時間が無さそうです。今日明日は、いろいろ雑用も入ってくるでしょうし・・・・・。まあ、なんとか、辻褄は合わせましょう。では、今日はこれまでです。また次回!!


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manamana

ロマンスカー、流線型で美しい車体です。
当時の標準的な車両と比較すれば、
どんなに意欲的だったかわかります。
1両さびしく富士の見える原っぱを行くDCの図、
いいですね。
by manamana (2007-12-30 08:15) 

quatre-l

ロマンスカー、、という名称じゃなかったんですね。
このデザインですから、当時はさぞ未来的な電車だったことでしょう。
乗り心地はどんなだったのかなぁ、、、。

子供の頃のアルバムに保育園でのお遊戯のヒトコマがあって舞台の背景に1963年と大きく書いてあります。毎日のように祖父に連れられて高崎駅に汽車を観に行っていた頃です。
by quatre-l (2007-12-30 09:35) 

のり

「SE車」、素晴らしいですね。「SSE」しか頭に無いものにとって、なんと美しいことでしょう。そのスタイルに当時の方々は、さぞや驚かれたことでしょう。今見ても美しい!
by のり (2007-12-30 12:09) 

HIRO

初代特急SE車、登場かた今日に至るまで人気があります。
デザインが非常に洗練されていて模型を作って書棚に飾りたいぐらいの思いがします。
僕はこの写真の中で特にDC単行の御殿場線乗り入れキハ5000に注目します。
たった1輌のDCキハ5000形で何回か目撃しました。
当時は国鉄御殿場線でしたが1輌でさびしそうでした。
でも、一回乗ってみたかったですね。小田急線内をDCで通るのもなかなか趣があったのではと思っています。
む~さまはお乗りになりましたか。

同様の国鉄乗り入れDCに南海電鉄なんばから国鉄の南紀まで直通していましたが国鉄型と同じ車輌でたしか3輌編成で堂々足るものでした。
今も小田急、JRの特急ロマンスカーが競い合っていて素晴らしいです。
by HIRO (2007-12-30 13:40) 

服部光之

もう20年前でしょうか。子供をつれて、大井川鉄道に行った際に、SE車がカーテンを下ろして、千頭まで行く途中駅に留置されていました。今はどうなっているのでしょうか。
50年ぐらい前に、小田急の御殿場直行のDC特別準急に乗りました。
単車で走り、乗った時には乗客が少なく、車内販売がしつこいくらいにきたことを覚えています。
途中、松田駅から御殿場線に乗り入れて、タブレットを受け取る姿に見とれていました。
今は、そんなことないですね。
その時に、御殿場駅から見た富士山の大きさを今でも忘れることはありません。
by 服部光之 (2007-12-30 15:34) 

京葉帝都

SE車は一度きりの乗車で“あさぎり”で御殿場までした。連接で低重心なので快適な乗りごごちでした。丸みを帯びた先頭部はスイスで走っていたTEE車のようで愛嬌のある優れたデザインです。かつてDCの特別準急が走っていたということは新宿駅にも給油設備があったのでしょう。
by 京葉帝都 (2007-12-30 18:36) 

mymeな大家

こんばんは。
3000、5000最高ですね。
5000はOゲージで再現したく、記事が載っていた1960年代の「模型とラジオ」を入手済みでございます。ただ、部品入手がこれからの課題です。いつか、3000もチャレンジしたいと思います。
鵜の木商店街は、今でも行きます(笑)どなたかが、書いていらっしゃいましたね。安楽座は私の物心がついたときには、あちらの系統の映画館になってしまっていました。
ところで、これから実家に帰りますので大晦日コメントができません。むーさんのホームページに会えて本当に嬉しく思います。また来年も楽しみにしております。どうか、体をお大事になさりいい年をお迎えください。
失礼します。
by mymeな大家 (2007-12-30 18:37) 

む〜さん

■ manamana様: ほんとにいい曲線ですよね。低重心でいかにも早そう。カラーも素敵。東海道本線での高速試験。エアコンは無かったけれど、夢多い電車でありました。デビュー当時、梅雨時の雨の日、小田原~新宿を乗りましたが、感動しましたね。
■ quatre-l様: 毎日、可愛い孫を連れての汽車見物。その甲斐ありましたね。当時の高崎は、電気機関車、蒸気機関車、電車、入り乱れて素晴らしい場所だった事でしょう。ホームで一緒に、鶏飯弁当を食べている姿を想像してしまいました。
■ のり様: 5両編成としたときに、前照灯、ヘッドマーク、などかなり改装が行われ、前頭部の印象がかなり変わりました。まあ、それはそれで、いい姿だと思いますが、ちょっと厚化粧。オリジナルには及びませんでした。一度だけですが、町田から御殿場まで乗ったことがありました。折り返しに時間があったので、御殿場の駅近くの商店を、見ていましたら、魚屋さんにイルカの切身があって食文化の違いを感じました。
■ HIRO様: 残念ながらキハ5000、キハ5100には乗っていないのです。一般的には、クリームに赤帯でしたが、その前は、下がブルー、上が黄色の、デハ1700ロマンスカー、デハ2200通勤車で始まった先代小田急カラーでした。写真は撮ってませんが、良い色でしたよ。
■ 服部光之様: 大井川に行ったSE車はどうなったのかは判りません。里帰りしたと聞いたことは有りますが、確かな話か如何か・・・・。
御殿場線は、たしか通票閉塞でしたが、電化の時に、単線自動閉塞になったと思います。このあたりは、正確な情報ではないので、ごめんなさい。
■ 京葉帝都様: 給油施設は何処にあったのでしょう。新宿ではなさそうですので、経堂だったのでしょうか。
■ mymeな大家様: 懐かしい雑誌ですね。「模型とラジオ」は何処の出版社でしたっけ?誠文堂新光社だったでしょうか。
キハ5000は単車でも二両編成でもキマリますね。個人的希望としては、ボディカラーをデビュー当時の『青・黄』なんて如何でしょうか?
ご実家で充分リラックスしてきてくださいね。
by む〜さん (2007-12-30 20:23) 

モハメイドペーパー楠居

 御殿場準急(ゴテジュンと呼んでいました)は通常1両ですが、土曜の午後の便はよく3両で走っていました。

 新宿駅が2層化された時、地上線が3線になるまでの1年くらいは優等列車が地下ホームから発着していて、3両のゴテジュンが出発した後は、しばらく排気ガスが漂っていました。
by モハメイドペーパー楠居 (2007-12-30 21:33) 

む〜さん

■ モハメイドペーパー楠居様: 特別準急が新宿駅の地下ホームから出ていたことは知りませんでした。あの狭い空間に、三両編成の気動車が入るなんて、残った匂いもかなりのものだった事でしょう。
by む〜さん (2007-12-30 21:50) 

じろっち

SEというかSSEの「えのしま」に一回乗ったことがありますよ。
町田から藤沢だったので、あっという間でした。

むーさん、80系や走り始めたばかりの新幹線乗車記はできませんか?
by じろっち (2007-12-30 22:15) 

む〜さん

■ じろっち様: 夏の夕刻に新宿を出る季節特急、片瀬江ノ島まで往復するビール電車がありましたね。見たことも乗ったこともありませんが、有名だったので名前は知っています。たしか、指定席でビールを飲みつつ片瀬江ノ島、宵の浜辺を散策し、新宿に戻るコースでした。何時の間にか、消えてしまいましたが、夏を感じる季節ニュースでした。
80系と言いますと、湘南電車ですね。う~ん、あんまり写真無いなあ。新幹線は開業後半年位して乗りましたが、家族写真が多く、鉄道主題の写真は少なかった筈です。何処かに入ってるので、こんど探してみましょう。新幹線初乗りの時のスライドがある筈なので・・・・・。あんまり、期待しないで下さいね。
by む〜さん (2007-12-31 06:20) 

じろっち

0系登場期は、まだ固定座席が多かったからか、B編成の試験座席は営業車しか知らない人には信じられない仕様だったんですねえ。
今発売中のレイルマガジン別冊に鴨宮での風景が出てますよ。
光頭部が割れた原因は、モーターカーの暴走衝突だそうです。
by じろっち (2007-12-31 23:36) 

む〜さん

■ じろっち様: あの光前頭の壊れたのは、そんな経過があったんですね。
http://blog.so-net.ne.jp/mu3rail/2007-09-09
見学に行ったら、早速、壊れた車両、前頭部カバーに遭遇し、如何したんだろうと、思っておりました。
システムの立ち上げ時には、いろいろ予測できない事があるんですね。
by む〜さん (2008-01-01 07:10) 

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