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小田急新原町田1963年(2終) [小田急・江ノ電・箱根登山]

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 お早う御座います。改修された『So-net Blog』ですが、未だに、何となく不調、早く正常動作をするようにして欲しいです。特に、改行が変なのと、動作が遅くなった事の二つが気になる。

 
 1963年・昭和38年小田急新原町田駅付近の様子の続きです。
 
 小田急新原町田1963年(2終) 

 1963年・昭和38年の、たぶん5~6月の頃、横浜から小田急を見に行きました。自宅~横浜市バス~国鉄横浜線中山駅~横浜線~原町田駅のルートで、町田市に行ったわけです。私は25歳、若かったね~、青二才ですよ、ホントに。
 
 小田急と国鉄横浜線の交点辺りで、小田急と横浜線を撮影しました。何故か遠景ばっかりで、車両写真ってのがありません。鉄道がらみの風景写真を狙っていたのでしょう。

(1) 前々回のキハ5000と1800系の写真と同じ場所です。高圧線が木柱で何となくあったかな感じがします。こういう高圧線って好きなんですよ。なんだか、一生懸命電気を送って支えているってのが・・・・・。

 ローカル風雰囲気ですね~、小田急の貨物列車。今では想像も出来ません。機関車はED1020・・・・川崎車両製で、丸窓がポイント、会社の前身が川崎造船で、船舶用の窓だったと言う噂話もあります。本当に船舶用だったら愉快なお話です。小田急の緩急車というと、砂利トム列車のトフ100を思い出しますが、こう言うのも居たのです。
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(2) (1)から視線を左へ振りますと、横浜線が見えています。手前の白線は境川の護岸で、ガードレールも金網のフェンスもありません。これが、当時の流儀でした。左の方向へ更に視線を回せば、団地も入ってくるのですが、あえて写さなかったのでしょう。

 電車は左からクモハ60~サハ17~モハ72~クハ79・・・・・ではないか?と思われます。スライドを必死になって25Xのルーペで見たんですが、電車のイメージが小さくて、こんなあたりで・・・・・。バックのスカイラインも低くて平らですね。
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(3) 2008年2月25日の写真です。境川の川べりからの写真ですので厳密には定点といえないのでしょうが、ご勘弁ください。背後は駐車場で自動車が一杯でした。よくよく見ると、横浜線の205がいますね。小田急百貨店の8Fと9Fに日除けが降りてますが、8階の喫茶室と美容室が改装中でした。はたして、あの小田急電車鑑賞に最適の喫茶室『Tea Cup』は再開するのでしょうか?しても、眺めのいい席は復活できるのでしょうか?
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(4) これは、境川の護岸の上からの横浜線です。C58のバック運転の貨物列車が、八王子へ向かいます。原町田は、このあたりの貨物の集積駅でしたから、列車もかなりの長さがありました。
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11621349.gif 電車鑑賞、撮影を終え帰宅するのですが、確か商店街でヤキソバを食べた気がします。他の日の事だったかも知れません。そんな、昔のお話でした。
 此処へ、来る途中、我が家の近くからバスで、横浜線の中山駅に向かったわけですが、途中、小机~中山間(当時、鴨居駅はありませんでした)の踏み切り(いまは、立体化)で、貨物列車に遭遇しました。列車は、小机行だったのでしょうか、菊名行だったのでしょうか、たぶん菊名行でしょう。東急東横線菊名駅の渋谷よりに貨物ホームがありました。 
 
(5) 貨物列車の機関車はC58177
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(6) 見難いので拡大しました。ピンも甘いし、ブレても居そうですが、スキャナの問題もありそうです。貨物列車は八王子側から菊名までで、東神奈川からは入らなかった気がします。
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11493065.gif これで、二回にわたってお送りした『小田急新原町田1963年』を終わります。もう、ネタ切れで頭を抱えています。何とかせねばと、昔のフィルムをスキャン中ですので、近々、ご覧頂けそうです。テーマは、東武鉄道日光軌道線1961年。
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コメント 18

モハメイドペーパー楠居

 昭和38年の横浜線というと、昼間にはまだ2両編成も走っていたと思います。C58が牽く貨物列車も首都圏ではかなり遅くまで残っていましたが、C58のせいか、人気はいまひとつでしたね。
by モハメイドペーパー楠居 (2008-02-29 10:53) 

亀甲デザイン研究所

こんにちは。
ちょうどこの時代、親戚の家がこの辺りにあったので新原町田はよく通いました。とても懐かしいです。
親戚の家にいると、ときどき蒸気機関車の汽笛が聞こえてきましたが、横浜線のC58だったのですね。
キハ5000はソース顔なところが好きでした。
by 亀甲デザイン研究所 (2008-02-29 10:55) 

む〜さん

■ モハメイドペーパー楠居様: 私の記憶だと2両編成は見かけなかった気がします。まあ、しょっちゅう乗ってたわけでないので、断言は出来ません。
 この辺りだと、横浜線のC58、相模線のC11が記憶にあります。
 相模線の貨物列車も、自動車輸送貨車の『ク』で自動車を運んでいた頃が華だった気がします。南橋本のセメントホッパが無くなり、厚木基地の燃料輸送だけになり、それもなくなりました。
 寂しいお話です。
■ 亀甲デザイン研究所様: そうですね、原町田駅のヤードはかなり広く、頻繁にトラックが出入りしていました。汽車の駅って雰囲気がありました。貨物輸送が無くなっても、しばらく日通の営業所があった気がします。
 小田急の御殿場線特別準急のキハ5000は、ベージュに赤帯になる前、ブルーと黄色の頃が素敵でした。もちろん、写真はありません。とほほほ。
by む〜さん (2008-02-29 14:15) 

じろっち

踏み切りにコーションと書いてありますねえ。
今も居るけど、となりの相模原に米軍がたくさん居たので、横浜線を渡ることもあったんでしょうね。
by じろっち (2008-02-29 21:40) 

む〜さん

■ じろっち様: 戦後、進駐軍の指示があったのでしょう、そこら中の踏み切りに『白いバッテンに黒い文字で「RAILROAD CROSSING」』の標識が付けられました。黄色い四角に黒のバッテンもありました。
この、CAUTIONの文字表記も、その『戦後の名残』なのかもしれません。
by む〜さん (2008-02-29 22:11) 

なにわ

メインテナンス以降、初めて書き込みます。
厚木基地への燃料輸送、いまはどうしているのでしょうか。
岩国に母艦艦載機をもってゆくので、完全に不要になってしまうのでしょうか。

踏み切りのCAUTION表示、全国共通ではなかったのではないでしょうか。にもかかわらず、「かもめ」に突っ込んでC624を廃車に追い込んだり、田子の浦では客車5両を焼いたりしています。

最近は駅構内で外国語表示(中国語や韓国語、果てはポルトガル語!)があります。
「お前ら外国に来てるのだから、日本語ぐらい勉強してから来い」とは言えませんよね。
by なにわ (2008-03-01 17:28) 

じろっち

厚木基地への燃料輸送は、何年か前にタンクローリー輸送に変わったそうですよ。
先日廃線になった鹿島鉄道は沿線に航空自衛隊百里基地があったので、燃料輸送を担当していましたが、当初からタンク車使用はなく、油送管使用だったとか。
鉄道会社でも貨車輸送に限定はしていないんですねえ・・・

今日、東急・相鉄に乗りました。
両方とも無くなりつつある「切妻部窓」がありました。
東急の方はボックスシートの進行方向向きに着席したので、運転士気分でしたよ!
by じろっち (2008-03-01 21:51) 

む〜さん

■ なにわ様: じろっち様の書いておられるとおり、厚木基地の燃料輸送は横須賀からタンクローリーで運んでいるようです。相模線の厚木駅は、日産の自動車積み出しがなくなり、燃料輸送も終わり、寂しくなりました。
駅の外国語表示は、その国の形には嬉しいことと思います。と、言いますのは、2000年に韓国でセマウル号に乗りましたら、日本語の車内放送があり、滅茶苦茶嬉しかったものです。また、スイスのツェルマットから乗った登山電車でも日本語があって、助かりました。
韓国語は食堂のメニューとか、駅の表示は何とかなりますが、実はドイツ語、英語は、殆ど???なのです。駅名くらいですか・・・・。
■ じろっち様: 基地へのジェット燃料(灯油系とか聞きます)の輸送は、周囲のものとしては、自動車より鉄道の方が、安心感がありますね。
東急と言えば、大井町線の6000の営業運転開始も、そろそろ始まるらしいですね。
by む〜さん (2008-03-02 01:05) 

じろっち

昨年富士スピードウェイで開催されたF1日本GPの会場では観客に向けた案内表示が日本語しかなく、日本語を解さない人は難儀したようです。
今年は諸々発生した問題をクリアすると発表したので、日本に渡航する人が多い国の言語が追加されるでしょう。
今年は日本人初のF1ドライバー中嶋悟氏の長男、一貴選手が勝てる体制で参戦(ウイリアムズトヨタ)するので、楽しみです。
(先日開催された合同テストで最速を記録!)
by じろっち (2008-03-02 04:07) 

じろっち

きのう、高座渋谷駅を利用しました。
新設された西口は再開発の真っ最中で、道路さえ廃道・新道の嵐です。
軌道に接した道があること・特急も減速運転することから人気の撮影地だそうですが、工事中ということもあり、あんまり熱くならないようにお願いします。
田舎の駅風情の東口も再開発があるそうです。
もしかしたら、東海道新幹線新駅はこっちかも!?
駅名は北湘南(きたしょうなん)とか、かな。
by じろっち (2008-03-02 05:20) 

む〜さん

■ じろっち様: 自動車レースはよく分かりませんが、案内表示の多国語化は結構なことだと思います。今年のF1は矢張り富士でしょうか?そして、何時でしょうか?
 江ノ島線高座渋谷駅・・・・最近降りてないし、乗ってても本を読んでるので、如何なっているのか分かりません。こんど、江ノ電に行くときに通過時に見てみます。
 高座渋谷は、昔々大昔、新幹線の通過音を録音に行きました。陸橋上から録音しましたら、マイクがムービングコイル型でしたので、交流電化の架線の誘導で、大きくハムがはいり、聞くに堪えませんでした。昭和40年代のお話です。
by む〜さん (2008-03-02 05:39) 

じろっち

今年の日本GPも富士ですよ。
来年からは鈴鹿・富士と交互開催になります。
開催日はおおむね10から11月です。

先日の書籍の件です。
出版社は学研・ISBN978-4-05-604648-9
書籍名 図説 鉄道車両はこうして生まれる です。
by じろっち (2008-03-02 21:09) 

じろっち


先日紹介した書籍の情報です。
出版社 学研
書籍名 日本の鉄道はこうして生まれる
商品コード:1860464800
ISBN:4056046484
サイズ:258×180
ページ:166頁
創刊日:2007/01/25

by じろっち (2008-03-02 21:24) 

む〜さん

■ じろっち様: 書籍名、有難う御座いました。本屋さんで、立ち読みしてみます。
日本GPは、息子が熱狂してましてね、つられて見て居りました。セナの悲劇の前後でした。見に行きたいと思うほどではなかったですが、あのサウンドだけは、オーディオ装置からではなくナマで聞いてみたかったですね。
by む〜さん (2008-03-03 08:55) 

じろっち

実は、あの年、TI英田で、セナがスタート直後に追突されてリタイヤするのを観ていたんですよ!
開幕前から、今年のセナはだめな気がすると思っていたんですが、母国の開幕戦・次戦の英田でリタイヤ、そして・・・
サンマリノで、あんなことになるとは思いませんでした。
鈴鹿に行くから英田には行かないとしたセナファンが可哀想な年でした。
エンジン音はフェラーリが最高ですよ!
今は参戦していないランボルギーニは、さらに最高でした!
by じろっち (2008-03-03 21:05) 

む〜さん

■ じろっち様: 私はレースのことはよく分かりませんが、じろっち様は、本当にお好きなのですね!
ランボルギーニは、レーサーも、公道を走れる車も、あまり見ておりません。せいぜい、あのスーパーカーのブームの頃、羽田の空港でエスパーダを一回だけ見たのみです。
by む〜さん (2008-03-03 21:11) 

クリン

はじめまして。
現在の横浜線とは大違いですね。
この当時の横浜線に電車を見に行きたくなってしまいました。
きっと、子供も一緒にいけたら大喜びすることでしょう。
by クリン (2008-03-11 22:04) 

む〜さん

■ クリン様: 1960年ごろの横浜線はまさにローカル線で、単線、4両編成のモハ60、モハ73の世界。いまの新横浜だって、何にも無い田圃の中を一本の線路が伸びていたのです。隔世の感がありますね・・・・まあ、50年近く経ってるわけですが。
by む〜さん (2008-03-13 09:23) 

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