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東武日光軌道線1961(1) [昔写真関東]

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 こんばんわ!今日はいろいろあって疲れました。確定申告書類の提出とか・・・・・。
 今日から、ブログの書き込みが、なんだかスムーズになったみたいな気がする。改行もメンテナンス前のようになったみたいだし・・・・・でも、仕切り線に色が付けられないのは、相変わらずです。

 さて、今日の話題は、東武鉄道日光軌道線です。

 東武鉄道日光軌道線1961年 

 私が、東武鉄道の日光軌道線を訪問したのは、今から47年の昔、1961年・昭和36年の5月14日の事でした。会社の社員旅行で日光・鬼怒川への一泊旅行。いろいろあって、会社の皆さんと離れて、東武の軌道線を楽しませていただきました。話の判る、総務課長さんでした。感謝。

 私のホームページ「む~さんの鉄道風景」に、その時の旅行記がアップロードしてありますので、お時間が御座いましたらご覧下さい。URLは下記です。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link128.html
 ハーフ判カメラのオリンパスペンで撮った写真を並べてあります。実はこの時に、ブローニーのセミ判カメラ『ミノルタセミ-P』で取ったフィルムが二本分あったのですが、スキャナが無くて公開できませんでした。

 今回は、そのセミ判カメラで撮った写真を並べて、連載したいと思うのです。今日は、その一回目です。
 なお、参考文献は鉄道ピクトリアル1962年8月増刊号、私鉄車両めぐり(3)と、Wikipediaです。

 東武鉄道日光軌道線は、全線10.6km、1,067mm軌間、直流600V電化、1910年8月に開通し、1968年2月に廃止されました。電車は、100形が10両、連接の200形が3本だそうな・・・・。

(1) 中禅寺湖観光を終え、いろは坂を下って、東武鉄道日光軌道線の終点「馬返駅」で、都内某商社の皆さんの観光バスから、ひとり降り立ったむ~さんは、東武の日光軌道線の電車に乗りまして、清滝駅で下車。ここから、線路に沿って歩く。ここは、何処でしょう?向こうの坂の麓には、交換施設みたいな線形が見え、道路を横断している線路も見える。たぶん、おそらく・・・・自信が全然無い・・・・「古河アルミ前」では無かろうかと思うのですが、何方かお心当たりの方がいらっしゃいましたら、お教えください。
 電車は104で、日光行きのようです。
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(2) (1)に見えている坂を登ってゆきます。当時はわかったから、ヘッチャラでしたが、今なら、とてもそんな事はしませんね。馬返行の電車が来ました。ナンバーは読み取れません。
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(3) 連接車の204で、日光行きです。
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(4) やがて、電車車庫前の停留所です。ここには、車庫「東武鉄道・日光車輌区」があって電車基地になっています。広い、綺麗な構内では古い電車の解体とかも行われており、今は、大宮の鉄道博物館入りをした、元国鉄のED40も寝て居りました。単車の電車も一両だけですが、居ました。これは、テト40形・・・・いやもう、この旅で見た最高傑作電車、華のゲテもの電車でありました。
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(5) 番号はありませんが、どうやらトレーラーのハ50形らしい。もう、解体寸前でした。
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 続きは又、次回という事に致します。


icon_diary.gif 今日の日記を・・・・・。
 ぐずぐずと、延ばしに延ばしていた、確定申告だけど、やっとのことで資料をそろえて、町田市の中心部にある説明会場まで出しに行ったのです。会場のビルは『ぽっぽ町田』なんて、おかしな名前がついている。汽車のイメージからのネーミングらしいのですが、少々、気に入らない。まあ、いいですが・・・・。
 約1時間、立ちっぱなしで、書類を書いて提出。昨日、運動を少々やりすぎたようで、その後遺症?か、かなり疲れてしまいました。昼すぎには終わりましたので、何時もの韓国料理屋『一楽』で、ユッケジャン定食714円
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 帰宅後、一服した後、近所の家電量販店Nojimaまで、電気掃除機を買いに行った。前の掃除機が、いきなりビニールの焼ける匂いとともにダウンしたので、やむを得ない。ついでに、そのそばにある「寒緋桜の並木」を覗いてきました。前に写真を出しましたが、その時よりも、全体的に赤くなり、開いた花も多い。町田市も、このあたりから、春がひろがってくるみたいに見えました。
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 家に帰って、駐車場で車を降りたら、足元に、かなり遅い水仙の花が開いて居りました。
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coffee.gif では、また!!!おそらく、明日の更新はお休みさせて頂き、次回の更新は3月12日(水)になると思われます。よろしく御願い致します。


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コメント 16

京葉帝都

コンパクトにまとまったデザインの路面電車が急勾配を登る姿はとても絵になります。貨物列車も慎重に走っていたことでしょう。テト40形の台車などのルーツは相当古いのではないでしょうか。
by 京葉帝都 (2008-03-10 22:29) 

む〜さん

■ 京葉帝都様: 鉄道ピクトリアル誌によれば、テト40は一時は5両もあったらしい。昭和18年の日本車輌製で、台車は日本車輌、電機品は東洋電機、荷重7.5t、自重7.5tだそうです。全長6,472mm、幅1,989mm、高さ3,200mm。実に可愛いですね。ポール集電時代はさらにチャーミングだったと思われます。
もっと、街中を走る姿を撮って置きたかったなあと思っています。
by む〜さん (2008-03-10 22:44) 

manamana

すごい急坂を登ってますね。
それに、こんな森だらけのところを
都会的な路面電車が走るというのが、
何だか新鮮です。
by manamana (2008-03-10 23:54) 

む〜さん

■ manamana様: (1)の写真の真正面に見えている坂道が(3)なのですが、1962年ピク増刊の記事によれば、40パーミルだそうです。他にも50~60パーミルの急勾配は随所にあって、そこを貨物列車も通るわけで・・・・。
もう何年か早く日光を訪問すれば、二軸単車の電車が、小さなボギー付随車を引く場面が見られたのですが、私は、行ってないのですよ。惜しい事でした。
先年、スイスの首都ベルンを訪れましたが、世界遺産の街の街路を、最新鋭の真っ赤な5車体LRVが走る光景も中々でした。
by む〜さん (2008-03-11 08:18) 

HUDSON

日光軌道線、懐かしく拝見しました。
1968年の廃止と言う事ですが、当時私は、SLに夢中で
ここも車で通ったときに垣間見たくらいでした。
やはり、マニアは線路のある所では絶対に写真を
撮っておかなければと思いました。
by HUDSON (2008-03-11 12:37) 

HIRO

日光軌道線、以前拝見しましたが、今日別の写真見て日光駅から馬返(登山電車駅までかなりの傾斜で標高差が激しいことがよくわかります。

修学旅行と会社の慰安旅行で2回行ったのにバスで電車は見ましたがこういう感じなんですね。
軌道線でこれだけの急勾配珍しいですね。
by HIRO (2008-03-11 15:21) 

ぽんた

寒緋桜の濃いピンクがきれいですね!!
水仙もきれい~!
寒い寒いと言ってましたが、確実に春が近づいてますね。
梅や水仙は遅めでしたが、桜の開花はどうなのでしょう、楽しみですよね。
by ぽんた (2008-03-11 16:18) 

じろっち

私は1976年に修学旅行で日光に行きましたが、既に電車は無くなっていました。
マイカー時代の到来で、お役御免になってということでしょうか。
でも、さいきんは「電車が残っていれば・・・」という声が各地から上がっていますね。
by じろっち (2008-03-11 21:31) 

服部光之

日光軌道線、懐かしいですね。
小学校の修学旅行で行ったのが2回目。
最初に行ったのは、その2年前。
キハ55だったかな。薄クリーム色の気動車準急で、超満員で揺られて行きました。
あの時には、国鉄日光駅前で、軌道線はループ線でぐるっと回って、隣の東武日光駅へ向かう形だったですね。
今も、そうですが、JR日光駅というのは結構斜面になっていて、子供心に軌道線がゆっくりと斜めになって広場へ入ってきたことを覚えています。
東照宮から夕方、歩いて帰って来た時に、日光の市街地も結構斜面なのです。今考えれば、この坂道の通りをよくラックレールなしで走っていたものだなあと思います。
東照宮近くの神橋は、軌道線では、道路よりも近くに見えるので決行人気がありました。現在は、有料で橋を渡れますが、当時は禁制でした。
先日、神橋から軌道線の鉄橋の台座を下から見上げるとはっきりと分かりました。
神橋を渡って、太郎杉の前を通って、東照宮でした。
東照宮前の商店街を走り抜けて、旧日光市役所前から、国道を少し入ってすぐに専用線になりました。
しばらく走って、日光田母沢旧御用邸あとでとまり、一路馬返へ。
あの車両の配色は、後の東武熊谷線にもありました。
現在の馬返駅は廃墟となっていますが、明智平へ向かうケーブルカーの鉄橋が谷の反対側に見えるのですが、とても無残な状態に見えます。東武さんはあれを鉄道記念物として整備できないものでしょうかね。新東京タワーを作るくらいなんだから。

by 服部光之 (2008-03-12 07:19) 

HIRO

日光へは2回行きましたが、日光軌道線が走っていたのは修学旅行時代でした。
大勢の高校生だったので、バスの中から電車を眺めましたが途中相当な急勾配で軌道線として珍しいと思いましたが。む~さまのこの写真でそれがよくわかりました。

ケーブルカー発着地点の馬返まで日光駅からの標高差は相当なものだと思うのですが、いったい何メートルぐらいあるのでしょうか
二回目の会社の旅行時にはもう廃止されていてわずかに走っていた跡が東照宮付近に見られましたね。
いずれにしても超すごい証拠の記録写真です。
by HIRO (2008-03-12 12:13) 

服部光之

日光軌道線もいいのですが、そのまた昔にこんなのがあって、私も学齢期前だったと思うのですが、渋川から伊香保温泉への軌道線があったような気がするのです。
MU3さんはあれには経験ありますか。
by 服部光之 (2008-03-12 13:37) 

しおつ

路面電車というと街中のイメージがあるので、
こういった風景の中を走る姿は新鮮に感じます。
by しおつ (2008-03-12 23:49) 

む〜さん

■ HUDSON様: 私の場合、また今度来たとき、次のチャンスに撮ろうと、撮らずに悔やんだケースは数え切れません。やはり、今が大切ですね。70歳を越した今になってからでは遅いのですが、なるたけ、たとえ条件が悪くても、撮影はすることにしています。まあ、ディジタルカメラだから出来る事ではありますが。
■ HIRO様: 日光軌道線は、日光駅が海抜530m余、馬返駅が840m弱で、9.6kmで、300mの高低差があります。平均勾配が32パーミル(鉄道ピクトリアル1962年8月増刊号)との事です。山岳鉄道ですね。
■ ぽんた様: 凄いでしょう?!この寒緋桜の並木は、未だ若い樹なのですが順調に育っています。約750mに亘って続いています。これから、更に見事になります。
 桜の開花は3月末と予報にありましたね。我が町田市にもソメイヨシノの見事な場所は、かなりありますので、いまから、開花を待っています。
■ じろっち様: JR日光駅~東武日光駅~日光市街地~東照宮のコースで、思いっきり新しい先端的デザインのLRVを運行したらいいかも知れません。バイパスも出来た事だし、実現したら素敵ですね。
■ 服部光之様: 昭和30年代は、まだ、道路の整備も不十分で国鉄と東武とのバトルが見られましたね。国鉄のキハ55、そして157系。東武も5700から、1700、1720と熱心に日光の結構な観光資源を売っていました。高速道路も出来、現在では、東武・JR東の協調で、観光客を誘致しています。日光市外から東照宮あたり、自動車禁制なんて訳には行かないでしょうか?世界の観光遺産ですから、今のままでは、世界中の笑い種になってしまいますね。
 伊香保の電車は東武鉄道ですね。ポール集電の単車が、高崎~渋川~伊香保を結んでいたそうです。気がついたときには無くなってました。写真を見ると、私のお好みのスタイル。まことに、惜しい事でした。
■ しおつ様: 日本ではあまり見られませんが、外国では路面電車が高速鉄道線に乗り入れてぶっ飛ばすシーンもあるようです。日本だと、広電あたりでしょうか・・・・。
 昭和30年代以前ですと、路面電車だか郊外電車だか区分できないような線区が沢山ありました。そういうところは、だいたい、自動車にやられてしまいましたね。昔の写真を見ると、のんびりした、牧歌的なシーンが各所でみられます。鉄道・自動車・歩行者が、仲良く譲り合っていた時代だったのでしょう。
by む〜さん (2008-03-13 09:20) 

HIRO

わざわざお調べいただいて感謝です。
標高差300メートル差を路面電車に使うような電車が登り降りする、すごいですね。廃止はそう考えると惜しまれますが、マイカー
自動車中心の生活では仕方がないことですね。
by HIRO (2008-03-13 11:26) 

日光を漂ふ

 こんにちは、お世話になってます。
 (1)は間違いなく「古河アルミ前」です。ほかの写真もその近辺ですね。
 (2)(3)も日光駅方面からは古河アルミ前の手前、割山(わりやま)と呼ばれている場所です。
 また、よろしくお願いします。
by 日光を漂ふ (2008-03-13 12:02) 

む〜さん

■ HIRO様: 考えてみれば、都電でもしないの急勾配の坂道は各所にあって、別に問題も無く走っていたわけです。この日光軌道線の電車も特にこうバイク慣用の設計でもないらしいです。
 国民の生活様式が変わってしまったので、軌道線の廃止はやむを得ない事なのでしょう。前にも書きましたが、何処かの大駐車場~JR日光~東武日光~日光市街地~東照宮地域を結ぶLRVは、排気汚染の心配なく観光客を運べそうです。勿論、市街地の自動車は禁止です。それとも、電気自動車、トロバスという事になってしまうのでしょうか。
■ 日光を漂ふ様: 撮影場所の同定アドバイス、有難う御座います。写っている道路を横断する線路は、やはり古河アルミの引き込み線ですね。今後とも、アドバイス頂けると嬉しいです。
by む〜さん (2008-03-13 23:35) 

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