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東武日光軌道線1961(2) [昔写真関東]

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 こんばんわ!一日休む筈が、まあ、色々ありまして、二日抜けてしまいました。今回は、前回に引き続き、東武鉄道日光軌道線1961年・昭和36年5月14日に訪問した時のお話の第二回です。

 東武鉄道日光軌道線1961年(2) 

 社会人になって二年目の5月、社員旅行で鬼怒川・日光一泊二日の旅の途中、上司の粋な計らいで、ひとり、東武鉄道の日光軌道線を訪問出来ました。馬返駅で観光バスから降りまして、皆と別れ、早速、軌道線の電車で、清滝駅で下車、ここから、軌道線の線路伝いに歩き、~丹勢下~古河アルミ~電車車庫前。ここで電車車庫を見学したのは、前回の第一回に書いたとおりです。

 車庫見学後、電車車庫前から電車に乗ります。したがって、撮影名所の安良沢橋梁での撮影は出来ませんでした。電車の最前部からの眺めを楽しみながら、たぶん、神橋で下車したのでしょう。会社の皆さんとは東照宮で落ち合う事になっていましたので・・・・。

(1) 神橋から馬返方面に少し戻った辺り、いまの地図だと安川町辺りになるでしょうか、馬返行のNo.103です。遥か向こうの方に見えるのは、日光金谷ホテルでしょう。
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(2) (1)の電車の右下に白く見えるのは道路から一段下の駐車場のバス。その駐車場から写した、ED611牽引の貨物列車です。清滝の古河電工へ貨物を運ぶのでしょう。(古河アルミかもしれませんが)
 こんな列車が、日光の市街の真ん中を、ゴロゴロと往来するわけで、良い眺めですね。いまなら、トラック輸送でしょうが、こういう方式をとっていた、のどかな、いい時代のお話なのです。もっとも、これより更に前には、国鉄碓氷峠から来たED40が貨物を引いていたのです。
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(3) 右の奥に見えるのは神橋。電車は馬返行105です。東武のバスが二台、すれ違ってゆきます。非常口が後方にある懐かしいスタイルです。
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(4) (3)の電車とバスの部分だけ拡大してみました。
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(5) 大谷川の河原に下りてみました。なんとなく、ケッサクが撮れるんじゃあないかと思ったのでしょう。いきなり、カメラぶれ失敗写真。ビューゲルが二本見えて、日光駅行200形のようです。
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(6) 馬返行の200形、ナンバーは読めません。
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(7) (6)の電車の部分だけ拡大しました。
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(8) 100形の日光駅行です。上の黒い部分が神橋
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 私の友人、はーさんのホームページ「40年前の鉄道風景・はーさんの鉄道・旅・よしなし草」東武鉄道日光軌道線の、カラー写真も入った素敵なページがあります。是非、ご覧下さい。下記のURLをクリックすればご覧いただけます。
http://6.fan-site.net/~haasan55/TobuNikko.htm


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 今夜は、ここまででお仕舞いです。次回は、東武日光駅に移動いたします。


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manamana

路面電車が風光明媚なところを走るのっていいなぁ。
いい時代だったんですね、のんびりして。
by manamana (2008-03-14 06:22) 

む〜さん

■ manamana様: 昭和30年代中頃といえば、流通も、普通には、『メーカー~問屋~小売業』で、街の地域地域の小規模商店街が、周囲の住民たちと、小ぢんまりとやって居りました。大型SCなど無く、もちろん歩き中心の生活。のんびりとした時代でありました。何時の間にか、右肩上がりが正義、お金儲けが正義の、レースの勝つことが正義の世の中になってしまいましたが、はたして、人間の生き方として、正しいのでしょうか?な~んて言いながら、その判定も出来ない私なのです。
by む〜さん (2008-03-14 08:57) 

quatre-l

おそらく今、日光に行っても、これらの写真がどこで撮られたのか、おおよその見当がつくのではないでしょうか。
自分の知っている日光は、クルマの通行量こそ多いものの写真の頃とそれほど変わってません。

それにしても日光にこんな軌道が走っていたなんて、む~さんのホームページを拝見するまで知りませんでした。
素晴らしい光景ですね。
by quatre-l (2008-03-14 09:35) 

はーさん

幣ホームページの「東武日光軌道線」ご紹介頂きありがとうございます。
100,200形のスタイルはあまり好きでありませんでしたが、沿線は変化に富んでいましたね。
日本で最高所を走る路面電車とのことで、急勾配もあったようですが実際に乗った時はそんなに目立ちませんでした。
都電33系統の飯倉片町、13系統の牛込柳町の坂の方が勾配としては急であったと思います。
都電はこのような急坂の上では、一旦停止して、ブレーキの作動を確認して、降りたことを覚えています。
むーさんの写真は、小生のに対し、約2年早いのですが、系統番号のような番号板が付いていますね。系統があるはずはないので、運行番号等でしょうね。
小生の写真の電車にはこの番号板の取り付け座見たいなものが
見受けられますが、番号はありません。
紛らわしいので止めたのでしょう。
by はーさん (2008-03-14 11:27) 

む〜さん

■ quatre-l様: JR、東武、両日光駅近辺にはまだ杉並木もあって、流石は日光です。日光そのものの観光には、ここ何年もご無沙汰です。
ブログ『日光を漂う』に沿線の新旧風景がありますが、いまでも、当時の面影はあるようです。ご覧になってみてください。
http://dendo-annai.blog.ocn.ne.jp/nikko/cat1036380/index.html

じつは、高崎から渋川、伊香保に至る電車があったのです。もう、登山電車のノリだったようですが、昭和31年には廃止となっています。乗りたかったのですが、今度、今度で行かないままになりました。この『今度、今度』が私の欠点です。(笑)

■ はーさん様: そうですね、100と200は当時の路面電車としてはスタンダードなスタイルですが、私の好みから言いますと、これより一世代前、二世代前の、二軸単車がボギー客車を引く時代が好きなのです。好きなんていいながら、乗りに行かないままに100、200になってしまいました。
考えてみれば、東京の市街って、結構、勾配区間がありました。たしかに飯倉の坂なんか、運転台から見下ろすとちょっと怖かった。
番号は、2、3、4、9、8、17などが写っており、運行番号なのでしょうね。付いてないのもあったりしましたっけ。
草軽に、ここから行った客車が居ました。
by む〜さん (2008-03-14 19:55) 

G20

HOゲージの、入門セットの様な電機機関車が、走っていたのですね。
by G20 (2008-03-14 20:40) 

じろっち

こうゆう路線が過去には存在してたってことは、日本の文化力を示した好例ですね。
自動車の普及に併せて消えていったということですね。
でも、時代が過去に戻りつつある。
さいきん流行の連接バスが同線に登場するかもしれませんよ。
by じろっち (2008-03-14 21:17) 

む〜さん

■ G20様: ED611、車体の下端が丸まっていて、小さくって可愛いですね。全長11,050mm、80kw×4、35t、本線の電気機関車と同じくらいの大きさがありました。
■ じろっち様: 連接バスは日本では少ないですね。車体が長いので道路などの規制があるのでしょう。身近なところでは、神奈川中央交通で、小田急の湘南台駅前から、独逸ネオプラン製のが4両、こっちも小田急・本厚木駅から、ベンツ製のが4両、運行されてますね。ネオプランのには乗っちゃったので、厚木のベンツのに乗りに行こうと、思っています。
by む〜さん (2008-03-14 23:24) 

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