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1959年・夏・関西~高知(9) [1950年代の旅]

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pen-para.gif 「お出かけ通信」の記事が三回連続し、このシリーズ、ちょっとお休みでしたが、「1958年・夏・関西~高知」の、今回は第9回です。

pencil-red.gif 「1959年・昭和34年7月10日から7月19日までの9日間、東京~四日市~京阪神~高知~大阪~東京」の旅の四日目。前回は、7月13日・月曜日、神戸市内長田の親戚の家で朝を迎え、早起きして山陽本線の兵庫駅から各停で、笠岡駅。井笠鉄道を全線乗ったところまで、お話しましたね。
 今回は、井笠鉄道が国鉄に連絡する駅の一つ、国鉄福塩線・神辺駅から、福山~山陽本線~岡山~宇野線で、今日の第二の目的地、岡山県下に当時は三社あった狭軌鉄道のひとつ・・・・『所謂』軽便鉄道の下津井電鉄を訪問します。

 1959年・夏・関西~高知(9) 

 そう言う訳で、1959年・昭和34年7月13日・月曜日です。国鉄の福塩線・・・・当時、山陽本線連絡の福山から府中までは電化路線だったと思うのですが・・・・の神辺駅です。ここから、福山に向かいます。

(1) 8620形58667の牽引する下りの貨物列車と交換する、私の乗る列車が到着しました。客車列車です。当時の時刻表も無いので調べようもありませんが、塩町あたりから来たのでしょう。
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(2) その列車に乗って福山へ・・・・・。低い山と田圃の中、通信線の電柱。まあ、なんとのどかな事でしょう。牽機は8620形のようです。
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(3) 拡大してみました。オハ35のようですね。その前が、オハ31、そしてオハフ30でしょうか・・・・。機関車は紛れも無い8620形です。
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(4) 福山に着きました。福塩線の電車が居ました。所謂社形という電車のようですが、形式のメモも無く、経歴もわかりません。向こうのパンタを降ろした電動車は。d-1-D-2・2-D-2・2-D-2で、リベットが見えますので、モハ30か、モハ31から更新されたモハ11のファミリーなのでしょう。ここの国電は自連ですね。
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(5) 山陽本線で岡山へ、そして宇野線の列車・・・・客車列車だった筈・・・・で、今日の第二の目的鉄道、下津井電鉄連絡の茶屋町へ向かいます。岡山の次の駅、大元駅で、岡山臨港鉄道に連絡しています。同鉄道の気動車キハ3001が、お客さん満員状態で発車を待っていました。国鉄キハ41XXXで、当時は、かなり方々で見ることが出来ました。折畳まれた尾灯の赤丸が、妙に懐かしいです。
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(6) キハ3000の前面をアップにして見ましたまあ、何と言う大盛況。当時の鉄道って、どこでもこんな感じでしたね。親が、『戦前の鉄道は空いていた』と話すのが不思議でした。
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 ・・・・・そんな訳で、茶屋町到着!!!


pencil-green.gif さあ!!下津井電鉄に乗れるんです。母親の故郷、四国の高知へは数え切れないくらい行っており、当然、茶屋町は通る。その度に、小さな電車(気動車時代の記憶は完璧に有りません)を見てはいたのですが、今日が初めて

(7) 下津井行の電車が停まっています。Mc-T-Tcの編成で、結構勾配もあるのに、このモハ65、きっと力持ちなんでしょう。左から、モハ65-サハ2-クハ8の編成でした。この電車に乗って、下津井に向かいました。
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(8) 終点の下津井駅構内にいた客車二両。左からホハフ32-ホハフ31。このデッキハンドレールもちょっとお洒落。
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(9) 私の乗ってきた電車と入れ替わりに出て行く茶屋町行。お客さんがぞろぞろ乗り込んでゆきます。この地方の主要な交通機関だった事がわかります。車掌さんを入れて記念撮影をしました。プリントをお送りしたかどうか、覚えていないのですが、もしお送りしていなかったら申し訳ないことを致しました。
 ご本人さんにお断りしていませんので、お顔はぼかしました。(記念写真だし、職務中の姿ではないので、こうした方が良いのではないかと思ったのです)
 遠景がボケてますね。絞り開放で撮ったのでしょうね。もう夕暮れが近づいていた筈です。
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signal-blink.gif この時の、下津井電鉄のアルバムが下記URLの、私のホームページ「む~さんの鉄道風景」に掲載されて居ります。クリック頂くとご覧になれます。
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http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link247.html


pen-pc.gif この後、下津井港から、丸亀に向かう船に乗って、夕暮れの瀬戸内海を渡りました。途中の小さな島にも立ち寄る船で、防波堤から艀でお客さんが乗り込んできます。瀬戸の海は、段々暗くなって、夜の丸亀港に着きました。国鉄の駅までは遠かったか近かったかの記憶も有りませんが、たぶん、バスではなく歩いたのだろうと思います。
 丸亀駅から、国鉄の列車に乗って、高松に向かいました。

coffee.gif この続きは、次回にお届けいたします。


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Cedar

今回もまたバラエティ豊かで楽しいですね。
下津井の車掌さんの記念撮影の後ろで電車に乗り込む鄙稀な美少女が気になります。→拡大してみたくなります。
「瀬戸内少年野球団」の美少女を思い出してしまいました。(あの映画の設定は戦後すぐでしたが)

四国電車めぐりの最後に丸亀から船で下津井へ、児島までの孤立線になっていた頃に一度立ち寄った時には寂れていたけれど、この当時はこんなに元気だったのですね。
by Cedar (2008-05-02 12:45) 

ファジー

どれもこれも貴重な写真ばかりですね。

それにしても8620にオハ31系の組合せがなんと美しいのでしょうか。見ていて、幸せになります。
by ファジー (2008-05-02 14:37) 

そうこばん

おひさしぶりでございます。

福塩線の社形の写真ですが、気になって調べたところ、
クハ5610か5611のどちらかであることがわかりました。
(木南製の豊川鉄道クハ100形)
数年前まで琴電で使われていたようです。

福塩線時代の写真は初めて見ます。
貴重な写真見せていただきましてありがとうございました。



by そうこばん (2008-05-02 16:12) 

じろっち

1965年くらいまでは移動といったら鉄道という感じだったし、その鉄道も80km/h以上出すものは少なかったので、保安のレベルも低かったんでしょうね。
自動車のシートベルトも、運転席以外はオプションで、腰ベルトだけだったでしょ。
側面衝突を受けたらおしゃかだったし・・・
by じろっち (2008-05-02 20:26) 

む〜さん

■ Cedar様: 折角ご期待くださったんですが、夕方だった為、絞りは開放に近く(F4.5 75mm)、かなりのスローシャターだったと思われ、クハ22の車体の近い方の客室ドア辺りまでしかピントがあってないのです。そんなわけで、小学校の5~6年生くらいまでしか判りません。
 やはり、道路が整備されていなかったのでしょう、混雑していましたね。この辺から、昭和40年代前半くらいまでが鉄道の黄金時代だったのでしょう。
■ ファジー様: 8620・・・良いですね~、それにオハ31、ホントにお似合いです。86にデフレクタが無かったら更に美しいですけど。こんな景色の中を、こんな列車が、トコトコやって来たら、泣いちゃいますね。でも、当時は、またハチロクだあ!なんて言ってたわけで、困った む~さんですね。
■ そうこばん様: こちらこそ、お久しぶりです。豊川鉄道でしたか、波乱万丈の一生だったんですね。
 福塩線は、起源は確かナローで、しかも電化してたと本で読んだ記憶があります。
 今後とも、ご贔屓に・・・・。
■ じろっち様: 昭和30年代は、確かに地方には2’6”軌間の所謂ケイベンが活躍してましたし、国鉄だって、私鉄だって、単線だったら、通票閉塞が普通でしたし・・・・。
 国道だって、砂利道が多かったですね。穴ぼこだらけで、雨なんか降ると、メジャーな国道の舗装道路に出ると、泥だらけ車が恥ずかしかったなあ。

by む〜さん (2008-05-02 20:42) 

manamana

地方の鉄道も、とても重要な足だった様子がわかります。
その後道路の完備と、自動車の普及で、
衰退してしまうのも仕方がないですね、残念ですが。

by manamana (2008-05-03 00:31) 

しおつ

下津井には廃止の近づいた頃に、片上とあわせて撮影に行きました。
瀬戸大橋見物の観光を見込んで設備投資をしてましたが、
逆にお客さんを瀬戸大橋にとられ廃止になるとは。
きれいな駅舎や、電車が場違いな感じでした。
む〜さんさんの撮影した時代を見てみたかったです。

by しおつ (2008-05-03 09:40) 

む〜さん

■ manamana様: 何しろ鉄道は『専用の通路』を『自前』で作らねばならないところが辛いですね。道路が出来れば、乗客数の少ないところは、苦しいでしょう。そんな理由か、1970年前後には、地方の小私鉄は、衰退してゆきました。なにしろ、沿線の住人さんが使わないのですから、如何しようもありません。バスの敵ではなく、さらに、バスは自家用車の敵ではない。
・・・・で、高齢者、学生生徒は立つ瀬がありません。
そんな『鉄道』が好きになっちゃった私、現在の若い方々に、昔、私の撮った鉄道写真をご覧頂いて、鉄道の歴史の、ほんの欠片を、知って頂きたく、ホームページ、ブログを製作しているというわけです。
■ しおち様: 下津井さんは、見込みが外れて大変気の毒でした。私の乗った頃は、まだまだ、利用者も多く、勢いが有った気がします。
 私は『片上』に乗っておりませんので、そのうちに、ブログで拝見いたしたく思って居ます。
by む〜さん (2008-05-03 15:36) 

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