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東京駅乗車口と銀座1953年 [むかし噺(1)]

icon_mukashibanashi.gif
pencil-red.gif お早う御座います。やっと暖かい日が戻ってきたようです。5月になって、暖房機器を仕舞っちゃったのが悔やまれるなんて思っても見ませんでした。そのくらい、『寒い数日』でした。

pencil-green.gif 今朝のお話は、かなり古い・・・・1958年1953年・昭和28年12月の話です。フィルムホルダには5312の数字・・・・1953年12月という事なんですが、兄の撮ったものと私の撮影したものが混ざっています。で、どっちがどっちか判らないものもある。今朝の画像は、その「撮影者不明」の三駒分。東京駅乗車口と銀座4丁目・尾張町。どうやら、同じ日のようです。

 東京駅と銀座・・・・夕景 

(1) 東京駅乗車口、のちに東京駅丸の内南口と呼ばれるようになるわけですが、昔は右書きで「口車乗」と書いてあったとの事。「東京駅は口車に乗せる」という一節が、内田百閒著「贋作 我輩は猫である」にありますね。
 このときより以前、うちにまともに動作するカメラが無かった頃、戦後まもなくだったと思うけれど「RTO」・・・・Rail Transportation Officeか・・・・ってネオンサインの表示が有った気がします。進駐軍のJTBみたいな施設だったようです。私は、だいたい東京駅から家に帰るときは、ここ、中央郵便局前のバスターミナルから、東急か都営のバスに乗って帰りました。
 東京駅には灯が入ってますね。駅の時計は16時35分。真中に都電。都庁前へ続く、28系統(錦糸町駅前)か31系統(三ノ輪橋)でしょう。
5312tokyo002.jpg

(2) フィルムの次の駒には電車は居ませんが、タクシーでしょうか・・・車が一杯。部分拡大してみましたが、私には、車種の特定などとても出来ません。なにしろトヨペットクラウンが1955年だそうですから・・・・・。一見会社員風の方はソフトを頭に載せている方もいっらしゃいます。
5312tokyo003.jpg

(3) 東京駅からバスで銀座に来たようです。このアングルですと、バスの車内からのショットと思われます。なにしろワンマンじゃあない。車掌さんのお姉さんが切符を切りに来ます。たぶん、ロングシートの一番前、特等席。カメラブレも無く綺麗に写っています。こんなタイミングに写真を撮るなんて・・・・この三駒のネガ、たぶん、私の撮影のように思われます。
 都電が三両、一番前が、6000かな?(3000、4000もあるかも)、そして真中は、都電に詳しい友人、TSさん、HHさんにお教え頂いたのですが、神明町車庫の1200形・・・・40系統「神明町車庫前~銀座7丁目」です。
 それにしても、17時前の大混雑。もう、このころから、交通渋滞(そんなコトバは聞かなかった気もするが)。
5312tokyo001.jpg

pencil-blue.gif ・・・・・で、バスは、そのまま走って、国道一号線を、新橋~大門~浜松町一丁目~札の辻~品川、そして御殿山~五反田~大崎のロータリーから中原街道~平塚橋~洗足池~雪ヶ谷まで走るのでした。路線の道路全線が広く、トレーラーバスも混じる路線でした。都バスと東急バスが走っていましたが、両方ともトレーラーバスが混じりました。乗り心地が悪く、酔い易い私は嫌いでした。都バスのトレーラーバスには部分的にクロスシートになっているのがありましたっけ。
 こんな混雑の箇所があっても、東京駅~山手線~五反田~東急池上線~雪ケ谷大塚のルートと、そんなに差はなかった気がします。道路の空いていた時代でありました。


coffee.gif これで、本日はお仕舞いで、次の更新は、たぶん明後日の日曜あたりでしょうか・・・・・。


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モリタ

東京駅の屋根は元海軍の技術者が資材持込で請け負って今の形に直したそうですね。
当時は20年もてばよいから、その間に元の形に復元するという計画でいたそうですから、結果的にはずいぶんともったものです。
以前に私が本で読んだ記憶ですのでイマイチ信憑性が疑われますが(笑)
最近やっと復元にむけての事業が行われているようですね。

そういえば昔、ゴールデンウィークで都内が空いているときに東京ステーションホテルへ飛び込みで宿泊したことがあります。
古い部屋に興味があって泊まってみたのです。
ホームの真ん前の部屋だったのですが、すでにレンガ塀が出来ていて電車は見えませんでした~音はスゴかったです。
by モリタ (2008-05-16 10:37) 

HIRO

東京駅、都電光景、なにから何まで懐かしづくめです。
駅舎建物は今でもほぼ変わっていませんが、タクシー、自動車が時の流れを感じさせます。

銀座の建物も広く夕暮れの空が今から見ると限りなく広いですね。
都電がじゅずつなぎ、大都会の光景で僕は好きでした。
昔、まだ新幹線がない頃、京浜線・山手線(その頃複線で同一電車が走っていた)の窓ガラス越しに数寄屋橋から銀座にかけて夕暮れを都電が走ってる光景、今でも忘れられません。
路面電車のある夕暮れ光景、大都会的です。
今では広島・紙屋町でその光景眺められますね。

ところで季節はずれの低温でゼンソク気味
ブログ更新思うに任せませんが昨年7時間もいた鉄道博物館めぐり日がわりメニュで詳しい解説もつけていますのでどうぞご覧くださいね。

by HIRO (2008-05-16 12:58) 

HIRO

ごめんなさい
URLつけないうちに送信されてしまいました。ごめんなさい
by HIRO (2008-05-16 13:01) 

はーさん

銀座通りを走る都電のうち、1系統(品川駅ー上野駅)は後にPCC5500も走った都電の顔でしたが、4系統(五反田駅ー銀座二)は小型の1100(or1000)が走って居ました。40系統(神明町車庫ー銀座七)も小型車が走っていたと思っていましたが、1200が走っていたのですね。
この銀座の都電も、他に先駆けて、昭和42年(1967年)12月9日に廃止になりました。
この時の様子を幣HPにアップロードしています。
 http://6.fan-site.net/~haasan55/sekibetsu.htm
一寸、ご覧頂ければ、と思います。



by はーさん (2008-05-16 14:29) 

飛騨の忍者 ぼぼ影

大変趣のある写真ですね。

by 飛騨の忍者 ぼぼ影 (2008-05-16 15:32) 

じろっち

1958年当時もトレーラーバスが存在したんですか!
(このバスはディディエフという会社が鉄道模型に利用できるミニカーとして販売しています)
陸軍のトラックの荷台を客室に換えたバスもあったようですね。

あしたは静岡ホビーショーに行ってきます。
往復とも各駅の予定です。
面白そうな鉄道系があったら報告します。
by じろっち (2008-05-16 23:15) 

鈴木光太郎

今日は。いきなり上げ足御容赦ですが、下記↓
「かなり古い・・・・1958年・昭和28年12月」
は昭和33年(1958年)12月の話でしょうか?
で、いつ頃まで都内にトレーラーバスが未だ走っていたか?
につきまして、
"写真が語る自動車の戦後"五十嵐平達著、P66には
1955年、国電大井町の三又商店街を走る東急のトレーラーバス(池上行き)の写真があるので、
1958年に残存してる可能性は大きいです。
なお、同書には1954年、中原街道洗足池付近の片側一車線、歩道無しの時代の写真があります。

RTOは貨物扱いや車両工場関係や旅客輸送の部門があったようで、
旅客に関しては、駅の進駐軍関係者専用待合室などがあったようです。
水洗トイレ、通訳配置、などの規定があったようです。
関東では主要駅の他、立川、箱根強羅(私鉄)にあったと
"連合軍専用列車の時代"河原著にあります。
by 鈴木光太郎 (2008-05-17 03:53) 

む〜さん

◎ 鈴木幸次郎様: ミスのご指摘、有難う御座います。真っ先のご返事を差し上げます。一寸、筆が滑りました。『昭和28年』が正しい『年』でして、『西暦は1953年』となります。私が高校一年生の時のお話です。早速、本文を『訂正』いたしました。
 レスの続きはまた後ほどに・・・。
by む〜さん (2008-05-17 05:32) 

ファジー

昔、大阪市内にも僅かながらクロスシートの市バスが走っていました。
進行方向に向って後ろ向きに座る違和感がなんとも不快で、大嫌いな車両でした。
鉄道なら後ろ向きでも大丈夫なのに、バスだとなぜ不快になるのでしょう。アクセル・ブレーキの急なるが故の影響でしょうか?
by ファジー (2008-05-17 07:08) 

のりさん

 素晴らしい写真ですね。人の流れがよく伝わってきます。
 (3)の写真では、都電が人々の重要な足であったことが、本当によく分かります。居並ぶ車のま~るい形が、時代を感じさせます。
 東京駅は、いつ頃建て替わるのでしょう。今の姿も、もう一度見ておきたいですね。(と、遥か大阪の地から思っております)
by のりさん (2008-05-17 07:33) 

Cedar

1958年といえば私はほんのジャリんこの電車好きでした、家の近くを走っていたのが写真に出てくる40系統と20系統(須田町~江戸川橋)でした。家の近くには両系統の車庫があってよく電車を見に行きました。
6000(3000かも)の他に1000や1100がいたのはもう少し後の時代の記憶ですが、(ちなみに神明町車庫にはナンバー1111が所属していてコレに乗るのが楽しみでした)この当時は1200もいたんですねえ、ちょっと驚きです。
関西私鉄の写真も楽しませていただいておりますが、東京の電車風景も素晴らしいですね。黄昏時の東京の街・・・しみじみ拝見させていただきました(涙)。

by Cedar (2008-05-17 08:48) 

服部光之

昭和42年ごろでしたか、長野市を走る川中島自動車にはクロスシートのバスがありました。
初めて乗ったときには、なんともいえない異空間を感じたものです。
電車と違って、車長そのものが短いですから、のんびりというわけには行かなかったですね。

by 服部光之 (2008-05-17 09:17) 

む〜さん

■ モリタ様: 戦災で焼ける前の東京駅の記憶は全くありません。三角屋根になったあとの記憶だけです。駅前に有った、オリジナルの交番が覚えています。この交番は現在、明治村。
 ステーションホテルにお泊りになったとは、羨ましい。私は、レストランで、カレーか何かを食べただけです。
■ HIRO様: 山手線からの都心の都電風景は、各所で眺められ、楽しいものでしたね。若い頃は、それを写真で記録しようなんて、熱心に思わず、ちょっぴりしか、写して居らず残念です。
■ はーさん様: コメント中のURLで見る『銀座通り都電最終日』は、綺麗な夜景写真で素晴らしいものです。銀座は、6000の大型、1000の小型など、バラエティに富んでいました。しかも、11系統の晴海通りには、新宿から5000も来てましたし、銀座四丁目は、凄い場所でしたね。
■ 飛騨の忍者 ぼぼ影様: いつもご覧下さって有難う御座います。私も、飛騨の風景風物のブログ、拝見しています。未だ、未体験の飛騨・・・・NHKの朝のドラマでしか知らない世界なんです。行って見たい土地の一つです。
■ じろっち様: 1958年、トレーラーバス、居たんです。これが来ると、ハズレ!と思ったものです。なにしろ、私は車酔いになっちゃう。
 米軍トラック改造のバスの記憶は有ります。昭和20年代前半ごろでしょうか、車体が角ばってるので、近所の子供仲間では、『四角バス』って言ってました。
■ ファジー様: 大阪市営バスの後ろ向きシートは、座った事はありませんが、車外から眺めた事はあります。私は、やっぱり前向きシートの方が良いですね。窓側は良いんですが、バスの席は狭いので、途中で降りるときは不便ですけれど。
■ のりさん様: 東京駅の復元工事は、なにかやってるみたいですが、よく判りません。一度、三角屋根を見にお出でになりませんか?
 しかし、乗車口と降車口を分けるような完全復原はしないでしょうね。昔風の木製キャビネットに、FMラジオを組み込むみたいになるのでしょうか・・・・・変なたとえですみません。昔、骨董屋さんで買って来た、戦前のラジオにFMラジオを入れようとしたことがあるので。
■ Cedar様: 神明町に『1111』が居たんですか・・・・。1200形には1234が有ったのでしょうか?
 都電は3000、4000、6000と同じような車体の電車が多く、ついつい、写してません。先だって、このブログで出した、五反田~清正公前~目黒の都電シーンは私としては珍しい撮影行でした。
 あのたそがれ写真は、偶然の産物ですが、上の、はーさん様のコメントのURLからご覧になれる、『銀座通り都電最終日』の夜景は素晴らしいですよ。是非、ご覧下さい。
■ 服部光之様: 服部様の仰るクロスシートとは、向かい合わせ席のことでしょうか?昭和42年にあったとすると、凄いですね。後ろ向きの席で、本なんか読んだら、若い頃の私なら完璧に車酔いです。(笑)
by む〜さん (2008-05-17 17:38) 

じろっち

今日は東海道線各駅停車で静岡往復しました。
ただ座っているだけですが、往復約5時間・・・
やはり身体は疲れるみたいですね。

東海道線の乗り継ぎですが、JR東海管内だと着いたホームの反対側なんですが、熱海では隣りのホームなんですね・・・

会社が違うから仕方ないのかもしれませんが、利用者には無関係な対抗意識は止めてもらいたいですね。
Suica・Toicaも連携させてほしいです。
by じろっち (2008-05-17 21:55) 

む〜さん

■ じろっち様: 遠路、お疲れ様でした。静岡ホビーショウ、如何でしたか?私は最近、体力が落ちちゃったので、静岡あたりでも新幹線になってしまいます。そして新幹線は高いので敬遠・・・・結局、遠出はせずに近所のお出かけで誤魔化しています。静岡、藤枝、袋井、浜松・・・東海地域は、行きたいんですけどね・・・なかなか思うようにならんもんです。
 乗り継ぎは、現代では仕方が無いと思います。でも、お客さんに苦労させてはいけません。
by む〜さん (2008-05-17 22:05) 

じろっち

JR東海にもホリデーパス相当の企画切符がありますよ。
「休日乗り放題きっぷ」といいます、おとな¥2,600-です。

東京直近駅では熱海で購入可能です。
熱海まで踊り子かこだまで行っていったん駅外に出て食事でもして、前記のきっぷを購入して東海道線に乗車!というのはどうでしょう?
御殿場線全区間・身延線全区間・東海道線熱海~豊橋が適用区間です。
新幹線・寝台特急以外の優等列車も、特別券購入で乗車可能です。

三島の新幹線整備工場等は見学可能なんですかね?
ここは元々整備・保守だけで、駅設置は考えていなかったとか。
だから、熱海・三島と細かく停まるんですかね?

私はバンダイのBトレインショーティが好きなんですが、しばらくリリースが停まっていた新幹線モノが再開です。
700系基本4両セットと増結4両セットが登場します。
(なぜにN700系でないか・・・)
増結を3つ買えば16両実現です。
1両が通常の半分の長さなので、通常のNゲージの8両ぶんの長さで済みますが、動力組み込みが4両ないとまともに走れませんよ・・・

さいきんはアンダー9mmが熱いようです。
家庭事情を表してますね。
by じろっち (2008-05-18 05:12) 

鈴木

む〜さん 様。銀座の自動車渋滞が写ってるので、勝手に1958年、と早合点したのですが、よく読めば1953年でしたね。
道路状態が良くない戦後の日本にトレーラーバスが導入されたのは、陸軍の余ったトレーラーヘッドの再利用が理由なのは間違いないのですが、他に「米軍放出の物も使われた」と聞いた記憶があります。(ソース不明です)
狭い道路でのトレーラーバスの運転は大変だったのでしょうが、
陸軍で運転経験のある人が運転した形跡があります。
陸軍の運転経験者は駐留米軍トレーラートラックの運転もしてたようです。(昔経験者に聞かされました)
私の実見したトレーラーバスは東急だけでしたが、都営もあったそうで、ためになるお話でした。
実見はしてませんが、最近会った小学校(品川区)時代の友人の父親は京急でトレーラーバスの運転をしていた、と聞かされました。
(いつも長文ですいません)
by 鈴木 (2008-05-18 05:31) 

む〜さん

■ じろっち様: フリーパスを研究して旅のコストダウンを図らねばなりませんね。参考になりました。
 トレインショーティは、小田急の駅売店でも小田急のものを並べて居るところがあります。『おっ!』と思うんですが、置き場所を考えると、手が引っ込みます。
 アンダー9mmですか・・・・それだけ小さくなると、パーツの問題もあるし、よっぽど手先の器用な方でないと、自作は出来ませんね。不器用な私には無理だなあ。私には、HOが手頃なところです。と、いいますが、社会人になったら、いきなり製作をやめちゃいましたので、48年間、製作していないのです。一応、たった8両ですが作品は保存しています。
■ 鈴木光太郎様: 1953年・昭和28年の12月といえば、私は高校一年でした。この利の月に、兄がオリンパス35-Ⅳを買いましたので、使わせてもらいました。いいカメラでした。大きさも手ごろで、そんな記憶があるので、先に導入したディジタルカメラも、キャノンG9にしたわけです。
 あのトレーラーバスにはそんな誕生秘話があったなんて知りませんでした。牽引車に載せた部分の客室は天井が低く、快適とは言えませんでした。客車部分(正式名称を知りません)にはドアが中部、後部と二箇所あって、車掌さんが二人乗務していました。牽引車の排気管は車体よりも上に伸び、精悍な感じがしました。
 私が中学時代でしたから、昭和25年~26年ごろなのですが、学校の社会科見学で、東京見物をしました。帝産オートのバスでしたが、何台かで行った、内の一台がトレーラーバスだった気がします。観光バスにトレーラバスとは、似合わないし、快適さも無かったでしょうから、私の記憶違いかもしれませんが、いまだに、脳みその片隅に引っ掛かっています。
 長文、結構じゃあありませんか!私こそ、長文です(笑)
by む〜さん (2008-05-18 06:16) 

む〜さん

■ 鈴木光太郎様: 上から八番目の私からコメントで、お名前を書き間違えているのに、たった今、気づきました。
 大変申し訳ありません。お詫び申し上げます。
 なお、コメント欄は、修正が効かず、削除して、再入力するしかありません。そうすると、時系列がくるってしまいます。そんなわけで、そのままにしてありますが、ご了承ください。

by む〜さん (2008-05-18 10:06) 

鈴木光太郎

名前なんかは、大体で「ドノ人」かと解ればいいのだから気にしませんです。
書き間違えて、訂正文を書いたらそれも書き間違えて、さらに訂正文書いても間違いそうで、やんなった、経験があります。
by 鈴木光太郎 (2008-05-19 06:07) 

む〜さん

■ 鈴木光太郎様: 有難う御座います。さて、バスの件ですが、日本軍のものだったか、米軍のものだったか、定かでないのですが、トラック改造のバスがありました。昭和20年代前半だったかな?急ごしらえらしく、車体が角ばっていて、私たちの子供仲間は、『四角バス』って言ってました。スケッチも描けない、おぼろげな記憶ですが、私たちの付けた愛称だけ覚えております。
 バスがワンマン化して、車掌さんが乗務しなくなって、相当経ち、私たちは自然に受け入れてますが、ときどき、あの独特の車掌さんコトバを思いだします。雇用・人件費の問題もあるでしょうが、ワンマンでも走れる道路環境も整ってきたんでしょうね。
 なにしろ、外国の使節団だったかに、日本には道路は無く、道路予定地があるって言われました。腹が立ちましたが、いま、振り返ってみると、うなずけるものがあります。
by む〜さん (2008-05-19 08:23) 

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