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1980年代中ごろの上田交通 [むかし噺(1)]

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pencil-red.gif 1985年ごろのお話ですが、一応、『むかし噺』のカテゴリーに入れましょう。取り敢えずは、ふた昔半は経っておりますから(笑)。

pencil-green.gif でも、これは最新のニュースです。今年、2008年4月ごろから、東急池上線に居たデハ1000系ステンレスカーのインバーター電車が、上田電鉄に移籍しました。私が4月に訪問したときは、受け入れの儀式の紙ふぶきが、車庫の床に残っていましたっけ・・・・。その後、未だに、営業運転に就いていないとの話もあって、ローカル私鉄にインバーターは、『回生の相手』の問題もあり、心配していました。
 ・・・・が、友人のKKさんからメールを頂戴し、いよいよ、8月1日(今日です!)から営業運転に入るとのこと、これは、嬉しいニュースです。

pencil-blue.gif ・・・・・で、今回は上田電鉄のお話。とは、云っても、フィルムの整理がテキト~なので、4本ほどあったと思われるフィルムが出てきません。絶対にあるのですが、ま、その内にホームページ化の予定なのですけれど、今日は、以前スキャンしたもので、ブログを作ってみました。
 そして、この画像は、以前、「某SNS」で発表済みのものも含まれて居ます。


 

 上田電鉄:昔と今 

 今年の4月に、信州旅行の帰り道、上田電鉄に立ち寄りました。2001年10月14日以来の訪問なのですが、当時は、社名が上田交通・・・・何時の間に、と思ったら2005年10月からだそうで、上田丸子電鉄なんて呼ばれていたときもあったり、1921年の開業以来、ずいぶん社名が変わりました。合併とか、色々有ったようですが、ま、それは今日は触れません。(ホントは良く解らないからなのですが・・・・)

(1) さて、今年の2008年4月14日に上田電鉄を訪問。電車についていた社章。上田から乗った7200に付いていたものです。車輌につけるにしては、少々、大袈裟だなあと思いました。
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(2) 上田から電車で、下之郷駅に降り、車庫を訪問。庫のなかで休憩中の、元・東急デハ1000系。1001+1101と、1002+1102の二本居ました。試運転の方向幕でした。
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 その後、営業運転に出たという話を聞かないので、少々、心配しておりましたら、愈々、8月1日・・・・今日ですが・・・・から営業に入るとの事。いろいろと有ったと思われる『問題も解決』し『運転の習熟も終わり』、お客さんを乗せる段階に至ったというわけでしょう。先ずは、お目出度い話です。


pen-para.gif で、少々、お古い写真を・・・・・・架線電圧が750ボルトで、まだ、丸窓の電車が活躍していたころ、二度ほど、訪問しています。と、云う事は昇圧が1986年10月だそうですから、それ以前。実際に「ところ、何年だったんだろうと、途方に暮れてしまう私。
 特急白山の食堂車で食事をしながら行った記憶もあるけれど、白山の食堂車廃止は1985年だそうですので、まあ、そんな頃の事だったのでしょう。そのあたりは、フィルムを全部探し出し、もっと、記憶をこねくり回して、同行してくださった友人の話も聞きまして、マシな記事が書けるようになってから、ホームページに発表したいと、思うのですが・・・・・・。

(3) 終点の別所温泉駅の少し手前辺りだったと思われますが、電動車が、気動車改造を思われるトレーラーを引いています。野山の眺めから見ると、11月~3月というところでしょうか。
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(4) これも場所は判りません。途中の、とある、駅員さんも居ない停留所って感じの駅のそばの架線柱この形が好きで、撮って来ました。まず、柱がいい。高圧線も、通信線も、素朴な、私の幼少時の東急池上線で見たような感じ。架線のピン形の碍子も痺れます。
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(5) その、名も忘れてしまった、駅の待合室に有った、広告コエダ時計店「電蓄」には当時でも泣いてしまいましたね。ま、昭和20年代の呼称でしょう。私が、中学時代(昭和25年ごろ)作ったのが、電蓄。高校時代はレコードプレーヤー+ラジオ or アンプ。
 このコエダさんは、昨夜もネットで調べてみましたら、上田の駅付近で盛業中らしく、しかも、音楽ソフトも扱っているようです。電話番号だって、局番はつきましたが、変わっていません。こう云うのって、結構、嬉しかったりします。
 広告の下には、空き缶の灰皿。これも、いい感じですね。
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(6) これは、訪問した季節が違うようです。上田の次の駅・・・・城下駅。ホームの照明用の電灯です。いい感じでしょう?途中でぶった切ったような電柱もまた良し。
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(7) 電灯の部分を拡大してみました。配線を良くご覧下さい。左右から一本ずつ電線がきています。当時、実物を見ていますが、これは、多分、架線の直流で、電球を何個か・・・・7個かな?・・・・直列にして点灯していたのでしょう。
 幼い日に乗っていた、東急池上線も600V時代には車内の電球も、直列方式で点灯していたので、この『街灯』も、きっとその様な仕組みなのでしょう。従業員さんに聞いたわけではないのですが・・・・・。
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(8) この駅、つい先日まで、当時、車庫のあった上田原駅だと思って居ましたが、今年の4月に訪問したとき、どうやら、上田から千曲川を渡って、次の駅「城下」だと、解りました。バックのこんな感じが残って居りましたから・・・・・。
 駅名標が写って居りましたが、木の葉に隠されています。「しろした」の「た」と、「SHIROSHITA」の「S」の文字が見える気がします。
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coffee.gif ・・・・と、いうところで、少々、半端ですが、今日のところはお終いです。


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コメント 11

サットン

長い昼寝でしたが、いよいよ上田電鉄にインバータ音が響くことになったんですね。活躍が楽しみです。
社名の変更(分社化)は公的補助を受けるに際して事業範囲を明確化する目的があるようです。
by サットン (2008-08-01 09:32) 

うたに

ええっ!? 上田電鉄に東急1000系が!!
以前、目蒲線で通勤していた時、1000系が来るとうれしかったなぁ~。。
それが早くも中古車として他社線デビューとは・・・ただ驚くばかりです。
by うたに (2008-08-01 12:57) 

HIRO

ローカルカラー豊かな上田電鉄もついに東急1000系の運用で近代化ですか。
古い上田電鉄の写真懐かしいです。
幾分勾配があるように感じるのですが。
僕は実際に乗ったことはないのですが、以前発売された運転シュミレーションで運転しましたが得期間距離が短く駅ホームの長さも
短く勾配もあって運転しにくかったです。
98時代の産物なのでVISTAは受け付けてくれません
by HIRO (2008-08-01 17:27) 

ファジー

関西からだとホントに遠いんですよ。小諸とか上田とかは・・・・。
大坂夏の陣の真田幸村の活躍は有名なんですが・・・。
ついに訪れることが出来ないままに丸窓電車が姿を消してしまいました。一度は乗ってみたかったです。
by ファジー (2008-08-01 17:46) 

む〜さん

■ サットン様: 実に長い間営業に出なかったので心配していました。今日から、営業に入る・・・・ったのでしょうね?・・・・との話を聞きまして一安心。
社名変更は、そういう意図があるんですね。私の中では、未だに上田丸子電鉄でして・・・・。
■ うたに様: そうなんですよ。ついに上田にもインバーター電車です。押し出された7200が豊橋鉄道に行くそうです。ステンレス電車は長寿命ですね。
■ HIRO様: 上田電鉄の沿線は、両側が山の、田圃の中を、なだらかな登り勾配で行き、最後は、がーっと登って終点の別所温泉です。先日、乗りに行きましたが、下之郷(車庫がある)までしか行きませんでした。
■ ファジー様: 確かに遠いかもしれませんね。新幹線で東京、更に長野新幹線で行かねばなりません。丸窓電車5250は、別所温泉駅に保存展示されているそうですが、屋根は無く、この先が心配されます。
by む〜さん (2008-08-01 22:46) 

manamana

もう、都会と全く同じ電車ですね。
丸窓電車からすごい隔たりを感じます。
by manamana (2008-08-02 06:50) 

む〜さん

■ manamana様: 『都会と全く同じ電車』になりました。1500V昇圧後、営業車は元・東急の電車になりました。その東急出身車は、5000、5200は既に無く、7200は2両編成5本が頑張っています。
ここで、1000二両編成が二本入り、さらに、もう一本入るそうです。
7200のふた編成が転出し、結局、二両編成6本になるようですが、詳しいことは、よく判りません。
これで、『上田電鉄』も『東急池上線・多摩川線』になりました。そういえば、東急池上線・多摩川線に新車7000が、この7月に、二本入ったそうです。

by む〜さん (2008-08-02 08:26) 

なにわ

このあたりは遠いですよね。新幹線乗り継ぎで4時間、長野までなら中央線で4時間、日帰りは無理ですが大阪直通なら5時間、そこから乗り継ぐと5時間半で行けますか。

白山の食堂車は78年9月までに廃止(電動発電機の個数と東北特急増発に必要な食堂車の捻出のため)、82年11月に復活して、85年3月改正を前に再び廃止されています。ということで、83~4年のころではないでしょうか。

しかし、食堂車復活に情熱を燃やす金沢局は、民営化前のどさくさに食堂車を3両キープしていました。
しかし、これを大阪本社に目をつけられて「トワイライト」の食堂車に召し上げられてしまいますが、今度はモハ489を改造し、売店とラウンジを新設して長野新幹線開業まで使うのです。
阪神大震災で「スーパー雷鳥」編成1本が三ノ宮で脱線したときには、「白山」編成が「スーパー雷鳥」に入ったこともありました。
営業はされていませんが、いまでも「能登」に入っています。
by なにわ (2008-08-02 12:47) 

Cedar  

上田にも東急1000系ですか。7600系・7700系では地方私鉄にももはや売り物にならないのでしょうね。
上田には丸窓電車現役時代しか行っていませんが、何とか頑張っていて欲しいものです。
架線柱や<コエダ時計店>の写真はいいですね!こういう写真大好きです。
映画のインサートカットにも似て、鉄道のムードを雄弁に物語っていますね!
by Cedar   (2008-08-02 19:03) 

monpi

ご無沙汰をしております。
ブログほぼ毎日楽しみに拝見しています。
駅ホームの街灯の件ですが、以前蒲原鉄道でも各駅直列に6個ずつ直列に接続されていたと聞いたことがあります。上田交通や池上線!も同じだったんですね。
by monpi (2008-08-02 20:52) 

む〜さん

■ なにわ様: 特急白山の食堂車に乗っておこうってんで、大阪から来た友人と、上野から乗りました。勿論、指定席。大宮かたら食堂車で、豪華に(ウソ!)お食事。高崎~横川~軽井沢~小諸まで食堂車にいました。何のための指定席だったんでしょうね(笑)。
1983~4年だったかもしれません。同行の友人が記録を残している筈ですので聞いて見ましょう。しかし、食堂車って良いですね~。
■ Cedar様: 上田電鉄は、今後は1000と7200で、東急池上線ですね。旅行者としては寂しいお話ですが、地元の毎日、通勤通学でご利用の方には、いい事なのでしょう。
私は、妙なところに好奇心が働いて、一見つまらないものを撮る癖があるようです。このヤマイが顕著になったのは、オリンパスペンを使うようになった、昭和34年の暮れからですね。一齣単価が半額になり、火がつきました。
■ monpi様: 600V電車の車内電灯は直列点灯が普通だったようです。なにしろ、MGなんて無かったんですから。いま、考えると嘘みたいですね。友人が銚子電鉄で同様な『駅照明』を見かけたそうですが、電車が接近すると、電圧変動で、明るさが変わったそうです。
by む〜さん (2008-08-03 10:37) 

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