続・御殿場線1967年8月(1) [国鉄1960年代]
今回から、少しの間、国鉄御殿場線のお話をしましょう。
以前、このブログで「1967年の御殿場線」を二回に分けて出したんですが、その写真は、その前に、もう一本のフィルムが有りそうな感じでした。探しておりましたら出てきましたので、数回に分けてご覧頂こうという訳です。
1967年・昭和42年8月12日(土曜日)、鉄道大好きの友人たちと、電化間近な、御殿場線の撮影に行きました。その辺りの事情・経過をすっかり忘れておりますので、友人たちと、何処で待ち合わせたか、綺麗サッパリわかりません。ま、フィルムを見ながら、書いてゆきましょう。
カメラは、ミノルタSR-1で、レンズはロッコールF1.8/55mmと、F4/100mmだった筈です。フィルムはフジのネオパンSS36exでした。
このブログを書くにあたって、友人はーさんから、昭和42年1月10日訂補の時刻表のご提供を頂きました。お陰様で、記憶の幾らかが蘇って、安心して書いてゆけます。有難う御座いました。
■ 続・御殿場線1967年8月(1) ■
フィルムは、いきなり松田駅のシーンから始まっています。ここから、蒸気機関車牽引の、沼津始発国府津経由小田原行に乗ります。この924列車、松田発が7時28分なので、随分、早く家を出て、小田急で此処まで来たようです。
(1) 私の乗る924列車は7時28発、ここで交換する7時29分発の沼津行623Dが到着しました。キハ51の様です。二両目は大型車体で、多分、キハ55。その後ろはキハ51だと思います。
(2) 来ました!D52の牽く924列車小田原行が入ってきました。
(3) 牽引機はD52101でした。
(4) お客さんが、降りてきます。サボに小田原行の文字。オハフ33、リベットが素敵です。
(5) タブレットの交換も終わり、出発信号機(柱の陰)の腕木も下りて、発車を待つ924列車。
(6) 列車は下曽我駅に到着しました。7時41分のはずです。
(7) 発車間際の牽機D52101。
(8) この白く写っている蒸気は発車の汽笛でしょうか・・・出発信号機は進行表示、いよいよ出発です。
(9) 黒煙が上がり、列車は国府津に向かいます。
・・・・・で、次回(国府津)へ続きます。
(4)(5)で第一生命ビルが見えますね。
http://www.kei-zu.com/main/matsudaFiles/matsudayama.html
↑は2MBの大ファイルですが、現在の第一生命ビルと松田駅の景観写真です。
(7)でテンダー水槽の下から1/5に濃淡の境目が見えますが、この境界線が水位で下は結露してるように見えます。
by 鈴木光太郎 (2008-09-11 12:05)
初めまして!御殿場線、今は電化されてますよね?
by あーちゃん&父 (2008-09-11 19:44)
この小田原行きのスジ、73系になってもありましたね。電車なら方向転換が容易ですが、機関車は付け替えだったのやら(次回のお楽しみですね)。
客車はおそらく沼津の車でしょうか。32系、35系ばかりですね。湘南列車の残党でしょう。
(1)の2両目、他車より大きく見えるので、キハ55のようですが、この頃、盛岡に準急色のキハ51があって急行にも使われていたようです。
by なにわ (2008-09-11 20:26)
■ 鈴木光太郎様: お教え下さったURLから見に行きました。スケールの大きい写真ですね。地名、駅名などもFlashで点滅し、楽しく見ることが出来ました。
東京から遥か離れた場所に本社機能を移転するという壮大な話に驚いた思い出があります。
そうですね、結露ですね。沼津から通しでくると、この位、消費してしまうのでしょうか。
■ あーちゃん&父様: 御殿場線は東海道本線だったのですが、丹那トンネルが昭和9年に開通し、それまでの熱海線が東海道本線となりました。で、御殿場線は支線となってしまいました。昭和18年には戦時の不要不急線区ということで単線となりました。
そして、気動車と蒸気機関車牽引の客車が運行していました。それが、電化されたのは昭和43年7月の事でした。
いまは、電化されており、JR東海の電車が走っており、小田急ロマンスカーが新宿から沼津まで乗り入れています。
■ なにわ様: 電化後の御殿場線はモハ73などが走り、いきなり魅力半減となりました。その所為か、写真が一枚もないのです。(惜しかった!)
で、大変申し訳ないのですが、機関車の写真(おそらく、東京区の電気機関車でしょうか・・・)も、付け替え作業の写真も撮っていないのです。
(5)の写真の、機関車次位のオハフ33のドア脇をルーペで見ましたら、仰る通り『静 ヌマ』の文字がありました。(フィルムおカーリングでスキャナのピントが甘いので)
思えば、この頃、関東地方の方々で気動車に会うことが出来ました。客車列車だってかなりあったのですね。
ブログを書きながら懐かしさに浸っております。
by む〜さん (2008-09-11 21:05)
自分の生まれた年です。
現役のSLの写真はいいですね。
写真集ではどうしても、景色のいい場所や形式写真になってしまいますが、
こういった日常の写真が一番絵になりますね。
by しおつ (2008-09-11 21:17)
私はこの年、4才です。非電化の御殿場線はさすがに記憶ありません。私的な御殿場線のイメージはスカ色のナナサンです。
そのあとの115系も既に過去のものになってしまいました。
しかしながら後継のJR東海313系は、乗り心地もデザインも実に結構ですね。
by のびた (2008-09-11 21:50)
知り合いの方が、下曽我か駅ら松田駅までSLで通勤していたと言ってました。昭和40年代までSLが走っているとは。
by さちこ (2008-09-11 23:04)
こんにちは。
松田駅構内、地元の方には失礼ですが、考えていたより何だか開けているんですね。
客車のリベットの美しいこと。
私が生まれたのもこの昭和42年です。
では、失礼します。
追伸
デジタル化、お約束していた分も無事に済みました。週末にはお送りします。音質はあまりよくないかもしれません。
by mymeな大家 (2008-09-12 00:04)
■ しおつ様: 我が家の長男は、貴方様と、あまり歳が違わないのですが、息子は幼い頃、頻繁に旅に連れて行ったのに・・・・しおつ様のような鉄道ファンにはなりませんでした。一応、好きですけどね。次男も同じコースになりました。鉄道ファンの二代目が欲しかったけれど、趣味の世界は、そう上手くは行きませんね(笑)
形式写真は何十年も経つと撮っておけばよかったと思うことがあります。(私の経験)
駅で乗客さん、駅員さんの写っている写真は、思い出の記録としては、いいものです。何十年も昔の街並み、自動車、ファッションなどの写っている写真も同様です。
■ のびた様: 73は、何処を走っていても、日常過ぎて好きになれませんでした。最終バージョンは、チョコレート色のものはちょっと好きですが。そんなわけで、御殿場線の73の写真はありません。でも、ちょっと、惜しい気もします。
JR東海の313系は、じつに格好いいですね。乗りたくなる電車です。
■ さちこ様: そ~なんですよ、ご覧の通り、蒸気機関車が客車を引く姿が見られました。もっと、昔・・・昭和30年代前半頃には、東京へ直通する客車列車もありました。
■ mymeな大家様: 何と言っても、東海道本線。御殿場線は明治22年ですが、そのときからあった、大きな駅でした。構内は広く、駅前広場もあって、地方の大駅って感じです。
当時は、まだまだ、オハ35、スハ33が健在でした。車体の両端が絞られ、シングルルーフの車端部のカーブも優美な客車でした。オハ35には、いろいろとバリエーションがあり、切妻みたいなのもありました。
お手数をお掛けして申し訳ありません。楽しみに待っています。感謝です。
by む〜さん (2008-09-12 00:28)
自分が駅にいるような臨場感たっぷりの写真。
しばし、むかしの御殿場線に思いを馳せました。
by manamana (2008-09-12 06:52)
沼津初国府津経由小田原行きなんて、どんな人が乗ったんでしょうか?
2~3区間乗車が多かったのかな?
かつての大幹線とはいえ、今はうらびれている御殿場線。
ここに、地方線で流行の観光車両を走らせれば良いのにと思います。
313系に、客車を押したり引いたりする能力は有るのかな?
運転席付きの変則客車で、どうでしょうか。
by じろっち (2008-09-12 06:52)
こんにちは。
このような写真を拝見すると、ネットというインフラの価値がよく判ります。
ありがたいことです。
御殿場線といい呉線といい、ローカル線になってからしか知らぬ私にも、かつての存在意義がよく理解できるのは、まさに超大型蒸気機関車が走っていた事実によってです。
機関車がほぼ消えた現代ではとても想像が及ばないことですね。
by no (2008-09-12 11:01)
関西ではD52は、貨物専用機関車だったようで、このように丸屋根客車を牽引する姿を見たことはありませんでした。
D51と違ったたくましさを持つD52・・・迫力あったでしょうねえ。
by ファジー (2008-09-12 12:44)
D52が旅客列車を牽く姿は大変珍しいですね。
瀬野八は補機で、貨物だけだったと思いますので、多分、御殿場線だけでなかったでしょうか?
D51量産型の親分で、正直、好きなスタイルではありませんが
大きいだけに迫力がありますね。
by はーさん (2008-09-12 16:51)
■ manamana様: 昭和34年の末にオリンパスペンを買いまして、フィルムコストが半分になりました。その頃から、鉄道周辺の『無駄な写真』を撮るようになった様です。緑川洋一さんの瀬戸内海写真とかに影響されたのか、風景に絡めての鉄道の写真を撮りたいと懸命だったようです。でも、これは、才能の欠如という壁がありまして、熱意と裏腹にろくな写真はとれなかったのです。
御殿場線は今でも、昔の東海道本線の面影の残る場所があったりします。
■ じろっち様: 観光列車は面白いと思います。酒匂川に沿って、山裾を行き、山北からは、トンネルの連続、渓谷と山の眺め、そして、御殿場に近づくと富士が見え始め、沼津へは富士山を見ながら坂を下ってゆきます。思い切って、軽快な、窓の大きな電車を造ったら面白そう。しかし、皆さんにウケるかなあ・・・・。
■ no様: 熱海線まわりが災害で普通になったら、九州特急がD52に引かれて箱根を越えるわけで、そんな事があったかどうか知りませんが、興味深いですね。
『腐っても鯛』、線名が御殿場線に、そして単線になっても、元貴族の東海道なんですから・・・・、本線の風格がありますね。
■ ファジー様: たしかに、御殿場線は特異なローカル線でした。この頃以降、あまり写しに行っておりませんが、沿線もだいぶ変わったようです。しかし、航空写真を見ると、まだまだ、緑の多い地域です。ここのところご無沙汰ですので、そろそろ、直通ロマンスカーで沼津の駅弁でも食べに行きたいと思ったりします。
■ はーさん様: D52はボイラーがかなり前に出ており、オマケに太いので、非常に厳つい、力強い姿になっています。迫力充分で、今でも、保存展示されたD52を見ると、圧倒されます。
by む〜さん (2008-09-12 21:32)
いやあ、懐かしいですね。このころ、沼津市の大岡駅近くに住んでしまして、D52と御殿場線に熱中していました。小学校高学年でしたか。日曜bのたびに、9時過ぎのD[52列車で国府津まで行き、12時過ぎのD52列車で帰ってきたり・・・とくに、スハニ31のタブルル-フ車が好きでした(^0^)
by やまはn (2009-03-22 02:18)
■ やまはn様: 沼津駅は、大きな機関区もあり貨物扱いも盛んで、大きな駅でしたね。私の子供時代・・・昭和20年代前半には、ここで、電気機関車から蒸気機関車に代わりました。沼津を出ると一面の田んぼが、愛鷹のふもとまで広がり、機関車の出す煙がたなびきました。
やまはn様は、良い少年時代を過ごされましたね。蒸気機関車が当たり前の時代を体験されたことは、きっと、何時までも想い出に残ることでしょう。
by む〜さん (2009-03-22 09:27)