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続・御殿場線1967年8月(3) [国鉄1960年代]

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は、国府津駅でのD52をお目に掛けましたが、今日は、気動車に乗って、山北駅の一つ手前、東山北駅に向かいました。1967年・昭和42年年8月12日・土曜日の国鉄御殿場線撮影行です。翌、1968年・昭和43年には全線電化される予定で、すでに柱も建った区間もありました。このフィルムを見たところでは、国府津駅~山北駅間には建っておりました。

 続・御殿場線1967年8月(3) 

(1) 国府津発・629D・御殿場行の気動車から東山北駅で下車した私たち・・・・同行の鉄道仲間と、国府津で一緒になったようです・・・・は、撮影地に向かいました。東山北駅の先から、左に大きくカーブしたあたりで撮影しようというのです。
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(2) 先ずやってきたのは、松田駅から御殿場線に入ってきた「新宿発・小田急経由の御殿場行・銀嶺」で、御殿場線内では「準急」になっています。
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(3) 近づいてきた「銀嶺」キハ5102+5002で、新宿を7時30分に出てきました。
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(4) 上り・沼津発国府津行の632D。先頭はキハ5116で、総勢9両の長大編成です。最初から9両だったか、途中で増結されたのか、よく判りません。
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(5) 632D・9両編成の威容背後の山の看板は、ルーペでフィルムを見ると「東名高速道路山北工事・企業者 日本道路公団・施工者 XX工業・・・・・・(木の陰)」とあります。
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(6) 632Dが遠ざかってゆきます。このプレハブの建物は、東名高速道路関係なのでしょうか・・・・・。
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(7) やがて下りの8時36分・国府津発・山北行925列車が近づいてきました。
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(8) 925列車は、どんどん近づいてきます。
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(9) 牽引機はD52236。9時11分に山北駅に到着します。
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coffee.gif ここから、山北駅までは、1.5kmほどです。次回は、山北駅です。


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コメント 13

Cedar  

お久しぶりです。御殿場線、興味深く拝見しました。
電化開通は東名開通の前だったんですね。なんだか順序が逆に思っていました(笑)。
当時は電化開業!→ロングシート電車投入!→トイレ無いサービス低下!っていう図式が多かったですね。
御殿場線も電化後73系が入っちゃったんですよね。
by Cedar   (2008-09-14 08:37) 

む〜さん

■ Cedar様: お久しぶりのコメントに嬉しい、む~さんです。
 確かに、キハ51から、いきなりの73系・・・・たしかスカ色・・・・では落差が大きい。子育ての時期にかかり、その後の御殿場線73系の撮影行はなく、写真は一枚もありません。いくら、好きでない形式も、年月が経てば、懐かしくなるもので、撮りに行って居ればよかったなんて、後悔ばっかりの私。
 このシリーズは、あと二回分の画像を用意してあります。
by む〜さん (2008-09-14 08:46) 

野良猫次郎

小田急の連絡急行は重連もあったのですね。私は単行だけかと勝手に思っていました。電車の会社がよく気動車まで用意して乗り入れをしましたね。そんなに需要があるとは思えないのですが。

SLのことはよくわからないのですが、DタイプのSLは動輪が小さいから貨物用と教わったのですが、御殿場線のような起伏の激しいところだからD52が使われてのでしょうか?

(9)は特にいい写真ですね。
by 野良猫次郎 (2008-09-14 08:48) 

mymeな大家

こんにちは。
SLとDCが並ぶと、どうしてもDCに目がいってしまいます。客車自体は大好きなのですけれど・・・。やはりD52は男性的ですね。
それにしても、昭和40年代前半は激動ですね。路面電車はつぎつぎと消え、各地の電化も進み。蒸気は消えていってますものね。
では、失礼します。
by mymeな大家 (2008-09-14 13:19) 

のびた

毎度ながら、ため息の連続です。mymeな大家様同様、私も気動車に目がゆきます。小田急の気動車は見た事がありませんし、一般型気動車の9連…凄い編成ですね。
ナナサンを撮りにわざわざ広島まで出かけた私なんぞは、笑われてしまいそうです。
by のびた (2008-09-14 17:43) 

じろっち

小田急に気動車が有ったなんて、信じがたいですね。(知ってはいましたけど)

電車のロマンスカーに対して、普通の車両となった理由は、近い将来に電化されるというアナウンスが有ったということでしょうか?

当分の間、現状のままだったら、国鉄キハ80系みたいなのが出ていたのかな?
by じろっち (2008-09-14 21:42) 

む〜さん

■ 野良猫次郎様: 乗り入れ専用の気動車を4両も作ったんですから、小田急もかなり気合が入っておりましたね。箱根・富士方面への観光客を狙ったのでしょう。営業成績については解りませんが、鉄道ファン的には、嬉しいことですね。
友人間の噂では、御殿場線は熱海廻りが不通になったときにバイパス的な役割があり、当時は高速道路もなく、一般国道も、いまより悪かったので、貨物・旅客輸送を御殿場線でまかなわねばならないという事情があり、それに備えての強力機関車がD52だとの事でした。事実かどうかは、わかりません。
■ mymeな大家様: 当時の御殿場線、勾配区間用2エンジン気動車に、強力蒸気機関車と、じつに楽しい路線でした。沿線に今ほど、人家、工場も少なく、貨物輸送もあって、生き生きしてましたね。
■ のびた様: 73で広島ですか・・・・可部線ですか?凄い行動力ですね。私は、これで結構、腰が重く、『そのうち、その内』で、結局は『撮りに行けない』ということが多かったんです。『後悔連続の鉄道趣味人生』な~んて反省したりしますが、消えた、鉄道・車輌は戻りません。嗚呼!!
■ じろっち様: 最初にキハ5000の二両が入り、さらにキハ5100が二両増備されていますから、結構、利用客は多かったんでしょうね。なにしろ、観光客は汽車電車バスしか交通機関が無かったんですから・・・・。交通機関は、この50年、驚天動地の変わりようですね。
気動車は特急というよりも、急行の想定だったのでしょう。たしかに、名鉄の高山本線乗り入れ車、キハ8000、キハ8500みたいな仕様になって居たかもしれません。
by む〜さん (2008-09-15 06:02) 

なにわ

書き忘れていたんですね。(8)にスハニ31、しかも二重屋根が連結されていることを。60年代前半に多くがマニ35に改造されているのですから。いや二重屋根ゆえに、残っていたのでしょうか。

>じろっちさん
この当時はキハ55のように準急型がデフォルトだったのです。電化がもっと遅れたら、キハ82みたいになるか・・・南海みたいに80年代に入ってもそのままだったかもしれません。
by なにわ (2008-09-16 18:13) 

HIROOJI

沼津発国府津行きのDC9連なんともかっこいいですね。当時は
普通列車でも9両編成とか長かったですね。
小田急新宿発DC2両は当時としては御殿場線乗り入れで得意な存在でした。
僕は小田急新宿駅に停車中の2両編成観たことがあります。国府津発山北行き普通列車も9両編成でかっこいいですがそんなに連結して乗車客は多かったのでしょうか。
カーブを曲がるDC・普通列車いずれも絵になりますね。
御殿場線といえば昔、キングレコードがまだCDがない頃小サイズで鉄道シリーズを出して御殿場線の山北ー谷峨間のSL運転室で収録した音は迫力がありました。
by HIROOJI (2008-09-16 23:31) 

む〜さん

■ なにわ様: (8)の三両目はスハニ31ですか、20mの二重屋根、貫禄ですね。御殿場線には60系客車が無く(あったかも知れないけれど・・・)、機関車だけでなく、客車にも幹線の雰囲気がありました。
■ HIROOJI様: 気動車9連は長く感じますが、考えてみると客車列車だって9両なのですから不自然ではないですね。
客車も気動車も9連は長いけれど、通勤時間帯の編成の名残なのかもしれません。
あの17cmLPレコードのシリーズは、十数枚買ったのですが、みんな趣味的にも面白い出来でした。花輪線の8620とか、奥中山のD51、近鉄モ2200など、傑作だと思います。
by む〜さん (2008-09-17 14:14) 

なにわ

ピクの60系特集によると、沼津には60系が全く入らなかったそうです。
by なにわ (2008-09-18 00:08) 

む〜さん

■ なにわ様: たしかに東海道本線の東京近辺では、オハ60のファミリーは見かけませんでした。と、言う事は、東海道筋の客車列車には、60系は無かった(または、僅少だった)のかもしれませんね。
by む〜さん (2008-09-18 09:48) 

青木一郎

懐かしい写真をありがとうございました。山北行きの客車列車の写真、この位置で私も何度か撮りました。この列車については推測ですが国府津に夕方まで滞留させるスペースがないための”疎開”であろうと思っております。乗客は少なくいつもガラガラでした。山北への疎開とフリークエントサービス(と、いうには少々つらいですが)とのマッチングであろうと思っていました。
by 青木一郎 (2008-10-08 22:24) 

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