#248:流山から野田へ(3) [お出かけ通信201~250]
2008年・平成20年11月30日・日曜日、千葉県野田市まで行く途中、流山市にちょっと寄り道。今回は、流山市立総合運動公園に静態保存されていると聞く、元・流山鉄道の気動車を訪ねたお話です。お天気は晴れ、気持ちの良い日でありました。
■ お出かけ通信(248) ■
■ 流山から野田市(3)・・・・公園の気動車 ■
流鉄の電車、元・西武の101系だった流星号3000系電車で馬橋から流山駅に到着した私は、駅構内を一寸だけ見物して、駅前からタクシーに乗りました。距離にして約1.7kmの流山市運動公園、つくばエクスプレスの『流山セントラルパーク駅』から直ぐなのですが、今日はこのルート。
710円だったタクシーを降り、右手にテニスコートを見ながら公園を歩いてゆく。
(1) いま、旬の、テレビでライブ中継するような、名所の紅葉には及びも付かないのでしょうが、部分だけ見れば、中々結構な眺めです。
(2) 斜面を登ると、檻がありました。そのなかに、蒸気機関車と気動車が居ました。
(3) ホームを挟んで、国鉄蒸気機関車D51 14と、流山鉄道のガソリンカーのキハ31が居るのです。
(4) 気動車とはいえ、最後の頃は、機関を降ろしてトレーラーになって居たそうで、床下には何もありません。
(5) サイドの社章も少々歪んでいるのです。
(6) 足回りがこれ・・・・オリジナルだったのか如何かは、わかりません。
(7) 説明文が着いて居りました。昭和10年ごろの、私の父の月給が、本人から聞いたわけじゃあないけれど、100円前後だったらしい・・・・・・7年分なんだ、8,650円って・・・・。
さて、お隣に展示されているD5114です。私は、数あるD51の中でも、このタイプが一番スマートだと思っているタイプ。煙突から、横置きにした給水暖め器、砂箱、蒸気溜めを覆うドームは、実に良いデザインです。
(8) 次の(9)も含めて、色々なアングルからの画像を並べて見ました。
(9) 説明書きによれば、1936年・昭和11年、汽車会社製で、引退が1973年・昭和48年。最後の所属が名寄だそうな・・・・。
(10) 成る程、こういう経緯で、もう、三年も前から檻の中に閉じ込められているんですね・・・・・少々惜しい。
30分足らずで引き上げる事に・・・・・つくばエクスプレスの流山セントラルパーク駅は、きょろきょろ辺りを見回しつつのんびり歩いて約10分程度のところです。
これから、TX~東武野田線と乗り継いで、野田市駅に向かいます。
では、次回!!!!
やっぱり蒸気機関車は、力強くてかっこいいですね。
by 飛騨の忍者 ぼぼ影 (2008-12-05 11:16)
流山にこういった車両が展示されているとは、初めて知りました。
キハ31の台車、何だかすごい華奢ですね(^^;)
もっとそばで見たいけれど、柵があれば車両にイタズラされたりすることも少ないでしょうから、これでいいのかも知れませんね。。
by うたに (2008-12-05 12:43)
■ 飛騨の忍者_ぼぼ影様: お久しぶりです。お元気でいらっしゃいますでしょうか?飛騨は、もう寒いんでしょうね。
■ うたに様: ネットで検索していたときに、これを見つけて吃驚しました。地元の鉄道車両を保存展示するのは、非常に意義ある事と思います。
最近は、悪戯書きとか、部品を盗むとか、心無い人も居るので、アスベストがらみもあり、これしかないのでしょう。
by む〜さん (2008-12-05 13:53)
流山鉄道のキハ・・・よく残ってましたね。当時の色合いはこのようなものだったのでしょうか?今の流山電鉄のボディカラーからは想像しがたいです。
しかし汽車会社というところは、大きなものからこんなものまでイロイロ製造していたんですねえ。
by ファジー (2008-12-05 18:14)
D51のご感想、
日常生活のごくありふれた光景として蒸気機関車を
ご存知なだけにむーさんの一言一句に重みを感じます。
模型ではとても小さいC11を大井川鉄道で初めて見た時、
とても巨大に感じられ、音、鼓動に圧倒され
SLを知らない世代の者としてSLファンの気持ちが少しでも
分かったような気がしました。
思えば静態保存のD51やD52もそれ以前に何度も
見たことありますがあんなに驚かされたのは初めてでした。
by べる (2008-12-05 22:13)
■ ファジー様: 流山の気動車の静態保存車は、11月23日付のブログ『流山・・・・今昔』を書くために検索していて発見しました。丁度、今回、野田へ行く事になり、ついでに、『流鉄に乗ろう!キハ31を見よう!』という事になりました。
汽車会社の名は1972年、川崎重工に合併して消えました。私にとって実に懐かしい響きです。
■ べる様: 幼い日、昭和20年代前半、機関車といえば、蒸気機関車が圧倒的優位でした。家の近くの品鶴線(品川~鶴見・現在横須賀線が使っている)で、貨物列車を眺めていた私には、もう当たり前だったのです。電気機関車が来ると大喜びでした。
1970年ごろ、当時の横浜線の貨物列車はC58が引いていましたが、小さな息子に蒸気機関車をそばで見せようと、なんども原町田駅や橋本駅に通ったものです。そんな息子も40を越し、現役の蒸気機関車も、昔話になっています。
駅の側線で、休んでいる蒸気機関車・・・・蒸気の漏れる音、発電機のタービンの音、コンプレッサの音・・・・生きてるなあと思ったものです。
by む〜さん (2008-12-06 06:00)
こんなところに、アスベストの影響が・・・。
by manamana (2008-12-06 07:05)
■ manamana様: ホントに意外でした。意外というのは、アスベストが、ここにも有ったということ。言われてみれば、当然かも知れません。市としては少しでも危険と思われる公開は避けたいでしょうから・・・・。
by む〜さん (2008-12-06 08:48)
EF55が、引退です。(読売夕刊より)
by G20 (2008-12-06 21:07)
■ G20様: 流線型電気機関車EF551は、1936年生まれとのことで、私より2歳も年上、よくぞ、ここまで頑張ってくれたと思います。あんまり洗練されたスタイルとは思えませんでしたが・・・・・。
72年という歳月を頑張ってくれた影には、技術の方々の並々ならぬご苦労が有ったと思います。ここ「頃」には、C53、C55、モハ52、キハ43000など、流線型の車輌が生まれていますね。
下記URL(昨年7月1日付・当ブログ)に写真があります。
http://mu3rail.blog.so-net.ne.jp/2007-07-01
by む〜さん (2008-12-06 22:36)