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静岡鉄道駿遠線上新田駅1968年 [軽便鉄道]

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 2009年1月も今日31日土曜日でお仕舞い、明日から2月になる。早いもんだなあと思います・・・・昨日、お正月って感じだったけど・・・・。

 1月のブログ更新も、先ず先ずのインターバル・・・・こんな感じでやって来れました。
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 日々の、皆様のコメントが、随分、愚図な私の背中を押して下さいました。感謝です。

 ・・・・・で、今月最後のネタは・・・・・

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 昭和30年代前半ごろには日本最長の軽便路線として知られていた静岡鉄道駿遠線も、段々と路線が短縮され、1970年・昭和45年の8月末で、最後に残った、新藤枝~高洲~大洲~上新田~大井川の6.3kmが廃止となり、長い歴史に終止符をうちました。
 大井川から先が廃止され、上記の6.3kmになった駿遠線に、1968年・昭和43年9月に乗りに行きました。終点の大井川駅まで、あとひと駅の上新田で写真を撮って帰ってきたのですが、その上新田駅での写真を御覧下さい。

 静岡鉄道駿遠線・上新田駅・1968年 

(1) 新藤枝から気動車の列車に乗って、三つ目の上新田駅に降り立ちました。別に理由は無いのですが、なんとなく、降りたくなって・・・・・。
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(2) キハD18以下二両編成の新藤枝行きが出て行きます。
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(3) 上新田駅は、無人化され、駅舎には駅員さんの姿はありませんでした。
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pen-para.gif icon-tsuika.gif コメント頂いた、駅本屋側面に下げられた箒と、電柱の右脇のポンプを拡大してみました。昔は殆どの家庭にあった、こんなポンプも、なかなか見られなくなりました。(2009. 2. 1 追加)
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(4) 私が訪問した一ヶ月前に、大井川駅~堀野新田駅間が廃止になっていました。その公示が残っておりました。
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(5) 駅舎の裏の家では、製作途上の達磨さんが干してありました。近所に、達磨市の開かれるお寺でもあるのでしょう。
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(6) この駅での列車交換は無い様で、新藤枝方面行きの列車は、もう、このホームには入ってこないと思われました。
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(7) 場内信号機の腕には、バッテンが取り付けられ、使用していないことを示していました。
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(8) 信号機の梃子・・・・裏表がセットになっています。
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(9) ホーム上にあるトイレ・・・・この佇まい、ご不浄とか、もっとストレートに便所と云った方が似合いそうです。
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(10) 手洗い器は、金属製だったか、合成樹脂だったか忘れました。見たところ、プラスティックですね。「大」の方の扉には「木片」を回転させる「止め具」が付いています。何処ででも見られた方式です。
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(11) 新藤枝行の4両編成の列車が来ました。先頭はキハD19、二両のトレーラーを挟んで、最後尾は気動車。
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pen-pc.gif この日の旅の記録、他のときの記録、静岡鉄道駿遠線の各種資料は、私のホームページ「む~さんの鉄道風景」の「静岡鉄道駿遠線」に、大量にありますので、お暇なときにでも、ご覧になって見てください。
 URLは下記。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link23-shizuindex.html

coffee.gif では、今回はこれでお仕舞いと致します。また、次回、来月に、お目に掛かりましょう!


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コメント 13

Cedar

こんばんは。
名鉄に続いてお邪魔いたしますです。
いつもながら<鉄道とその周辺>にバランスよく目を配られているのに感心いたします。ダルマさんのカットに痺れてしまいます。

昔は鉄道と人の暮らしの距離が近いというか、生活に溶け込んだ鉄道風景がありました。私もその記憶はあるのですが、残念ながらそういう写真はあまり撮っていないのです・・・・

駿遠線には遂に乗らずじまいでしたが、静鉄の電車は何度か撮影しました。自社長沼工場製の電車は今回の登場する気動車と良く似た面構えのもありました。
by Cedar (2009-02-01 00:19) 

mymeな大家

こんにちは。
大きな2枚窓に、幅の狭い線路、よくこれでひっくり返らないものだと感心します。でも、格好いいですよね。
むーさん、駿遠線の音は録音されなかったのでしょうか。
では、失礼します。
by mymeな大家 (2009-02-01 02:09) 

じろっち

駿遠線ファンは多いですね。

私は自意識がまだ少なかった頃、新袋井から新横須賀まで何回か乗ったそうです。

横須賀も昔は城下町だったんですよ。
遠江(とうとうみ)という藩でした。
今では地元民も知らないんだろうなあ。

軽便鉄道は、早漕ぎの自転車に毛が生えた程度のスピードで走っていたので、脱線しなかったんですよねえ?

新幹線が誕生するまで日本人はスピードに対する憧れが希薄だった?ので、時速40km/h程度しか出せない鉄道でも経営が成り立ったんでしょうね。
トラック輸送が夜明けの時期だった、という理由もあるかな?
by じろっち (2009-02-01 05:32) 

quatre-l

先週、東名高速を抜け、姫路まで行きました。
途中、藤枝、大井、袋井などといった駿遠線にちなんだ名前が次々現れて、なんともいえない気持ちになりました。

ちなみに昨日、宿泊した「APAホテル大垣駅前」は、養老鉄道養老線のホームに隣接していて、鉄好きな滞在者には答えられないロケーション。ところが、仕事で訪れていた姫路の中学校で強力な風邪のウィルスをいただいてしまい、ダウン。仕事以外は、ベッドから起き上がることも出来ない始末。カメラを取り出すことも出来ませんでした、、、。
by quatre-l (2009-02-01 09:14) 

たらこっち

上新田駅は、実家の最寄り駅だったんですね(笑)
あの駅舎も私の記憶では昭和48年ころまで建っていて、中に藁が積んであったんですよね。

今年の正月、上新田駅のあたりに行きましたが、もうどこに駅があったかわからない状態です。
by たらこっち (2009-02-01 12:28) 

schnitzer

のどかなローカル線は良いですねえ。
信号機、駅舎などとても雰囲気があって素敵です。
40年も前になくなっていたのですか、残念です。
by schnitzer (2009-02-01 14:33) 

hajime

現在、遠州神戸駅跡、上吉田駅跡の駅名板レプリカには、島田信用金庫の広告が書いてあるのですが、駿遠線現役時代の駅名板も島田信用金庫だったんですね。
藤枝は達磨の産地なので、達磨工房が昔はいくつもあったのかもしれませんよ。
by hajime (2009-02-01 20:57) 

のり

軽便鉄道は、普通の鉄道に比べて、住民との距離がグッと近くなるような気がいたします。
(2)(3)に写る駅舎も素敵ですね。窓下につるされている箒(塵取かな)や、電柱の横にあるポンプらしきものも時代を感じます。
使用されなくなった信号機は、見るのがつらいですね。廃止間近の鉄道は、とても寂しい感じがします。
by のり (2009-02-01 20:58) 

じろっち

戦争が終わるまで津田沼に”鉄道連隊”があったんですねえ。
(そうゆう書籍が販売されています)
”演習”鉄道習志野線なんてのもあったんですよ。
軍隊ならではの変則車両もあって、ちょっと興味を持ちました。
現用軍隊にも鉄道部隊ってのは、あるんでしょうか?
by じろっち (2009-02-01 21:24) 

Cedar

旧鉄道連隊、絡みの機関車はその昔に西武鉄道の安比奈という支線の終点に朽ち果てていた機関車を見に行った事があります。
>軍隊ならではの変則車両もあって
安比奈のもコッペル製のEタンクでした。

>演習”鉄道習志野線なんてのもあったんですよ。
この線路の一部が現在の新京成の基になっています。線路敷設の訓練用にわざわざくねくね曲がりくねって敷いたので、今の新京成もくねくねした経路なんだそうで・・・





by Cedar (2009-02-01 22:50) 

む〜さん

■ Cedar様: 静岡鉄道の工場(静岡清水線長沼、駿遠線大手と袋井)は素晴らしい技術を持っていて、蒸気機関車をディーゼル機関車に改造(と、云うか台枠と動輪利用新製)、電車、機関車、ディーゼルカー、客車まで作っておりました。他社に譲られて行った電車もありました。聞くところによると、凄い腕前の職人さんが揃っていたとの事。
 この駿遠線は、沿線住民の生活に密着、いまでも、ケイベンで噺が通じると聞きました。
しかし、早いもので、廃止後、40年近い年月が流れています。
 鉄道連隊の情報、有難う御座居ました。
■ mymeな大家様: 花巻電鉄から見たらかなり広い車体です。線路の良い所では結構飛ばしてましたよ。音はモノラルで録音したんですが、成功とはいえませんでした。音だけでは、ケイベンの雰囲気は表現し難いですね。あの『ゆれ』が体に来ないと・・・・。
■ じろっち様: 並行する国道が整備されてゆくにつれて、段階的に廃線が行なわれていったのです。762mm軌間ですので、輸送量も少なく、バスに敗れたんですね。そのバスも現在は、あんまり良くないらしいと聞きます。
 なにしろ昭和20年代の道路はひどいもので、雨の後など、車は味噌漬け状態になりました。さる外国の調査団が、日本には道路は無く、道路予定地がある・・・・・って感じの報告をしたというので、私たちは、ひどい話だと、大いに憤ったんですが、今考えると、その通りだったんですね。
 鉄道連隊出身らしいEタンク機関車が、昭和30年頃、新鶴見機関区の建物の側に置いてありましたっけ・・・・・。当時は、何だか判りませんでしたが、アレは鉄道連隊のですよ、きっと。
■ quatre-l様: 流感を貰ってしまったんですか・・・・御見舞い申し上げます。せっかく大垣まで行きながら、彼の地の電車が見られなかったとは残念でしたね。その後の経過は如何でしょうか?早い回復を祈っています。
■ たらこっち様: 上新田駅・・・あの辺りのご出身なんですね。もう当時を偲べるものも無いんですか・・・・なんたって40年ですものね。
■ schunitzer様: のどかでしょう?!この駅に暫く居たんですが、某製菓会社の従業員募集の宣伝カーが何回か通ったのを覚えています。そんな音しか聞こえてきませんでした。時間がゆっくり流れ、会社の事も忘れて、その、のどかさに浸っていたものです。
■ hajime様: 島田信用金庫さんは、駿遠線に広告を出してくれていたそうですね。旧沿線のファンの方とお話したときに、話題に出ておりました。
 藤枝は達磨の産地なんですね。この達磨の干してあった家は、一見普通の家だった記憶があります。家内工業的に作られて居たのでしょう。
■ のり様: 写真を拡大して見ますと、綺麗に掃除もされています。箒とポンプ、拡大写真を追加しました。
 路線長が60km以上も有った駿遠線も、このときには10分の1になっていました。今でも、新藤枝駅構内の光景をはっきりと思い出せます。
by む〜さん (2009-02-01 23:57) 

manamana

こんなところにも湘南スタイルが。
信号のバッテンが悲しすぎます。
by manamana (2009-02-03 06:32) 

む〜さん

■ manamana様: 湘南形前面で金太郎さん塗りは全国を風靡しましたね。当鉄道では、昭和34年のキハD14から昭和36年のキハD20(最後の気動車)まで、すべて自社工場で造りました。凄い会社ですよね。気動車につきましては、私のHPの静鉄駿遠線のページに、ご協力頂いているNさんの解説があります。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link230-09c.html


信号機のバッテン、まさに弁慶の立ち往生の図で、寂しい絵になりました。この撮影の二年後の昭和45年夏に、引退していった鉄道でした。
 一両の蒸気機関車が藤枝市立博物館に保存されているのみで、他の車輌、一両も、何処にも、保存されておりません。
by む〜さん (2009-02-03 08:34) 

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