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南海難波駅1956年 [昔写真関西]

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pen-pc.gif 今日、2009年・平成21年3月11日・水曜日、朝、9時過ぎに家を出、神奈中バスで町田の市街地に出ました。確定申告です。申告と納期は、この16日までなのですが、今までで、一番遅い提出となりました。原因は・・・要するに、愚図だから。(笑) 確定申告相談提出の大規模な税務署出店が市街地に出ているので便利。計算したり、書類を書いたり、係員に見てもらったり、結局、2時間掛かってしまいました。

 今回は、前々回に引き続き、関西私鉄ネタです。

 南海難波駅1956年 

 1956年・昭和31年7月、前々回の近鉄写真と同じとき、大学一年の夏休み、四国、高知へ行き、帰り道、関西の私鉄を回ったときの写真。場所は、南海電車の難波駅。例によって、ふた駒のネガから、水増しの8枚

(1) 妙に気取った写真を撮ったものです。我ながら如何かと思ってしまいます。なんとなく、西洋風のターミナル駅の風情。右は、1954年登場で、まだまだ、新鮮だった、2ドア、転換クロスシートの11000
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(2) ホームの先端部が見えるように拡大。
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(3) 左側の電車を拡大してみました。2000でしょうか、よくわかりませんが、はたまた・・・・・・。
 「くず入」「羽車ソース」の文字と、南海のマークと同じ様な、羽車ソースのマーク

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(4) ふた駒目の写真は、ちょっとカメラを右に振って、大阪球場も入れる。
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(5) 沢山の南海の電車たちが写っています。私には形式同定はとうてい不可能!
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(6) 大阪球場・・・・カルピス~江口証券~日本石油~○○○○・・・読めない。
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(7) カラーは確か、緑がちょっぴり入った白い車体にグリーンのベルトだった気がします。このタイプの車体を持つ電車、いくつかの形式がありましたが、カルダン、釣りかけ、前面貫通、湘南形・・・・・私は貫通型のほうが好き。たしかこの11000もカルダンで貫通だったと記憶します。
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(8) ガラス窓をバックに時計と番線表示。時計は14時50分を回っております。このあと、梅田に出て、阪急で神戸に行っています。番線表示はたしか「ネオン管」じゃあ無かったかと思うのですが、ご記憶の方、コメント頂きたく、お願い致します。
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pen-para.gif では、今回はこれで・・・・・・。


タグ:南海
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デトニ2300

 懐かしい旧難波駅の写真ですね。私は南海線は縁がなかったのですが、帝塚山のお屋敷に住んでいる友達がいたので、遊びに行くときに時々乗りました。また、林間学校で高野山に毎年行っておりましたので、そのときも難波から小型の1250系(だったと思いますが)15m車で高野山に向かいました。南海は2000系、1200系、1250系共に同じ型式でも製造時期によってデザインの異なる車両がありました。2段上昇あり、1段下降あり、小窓あり大形窓あり、正面ベンチレータあり、おまけに旧クイシニ一統の木造車(私の知る頃にはもう丸屋根化されていました)もまだ健在だったり、旧高野鉄道系小型車も走っていたりしてバラエティに富んでおり、沿線住民でなかった私はあまり判別が出来ませんがとても楽しい列車群でした。中には600V63系1500の間に挟まった木造車もありで、雑然としたところがまた南海の魅力でした。1900が先頭の旧々こうや号も覚えています。高性能カルダン車に混じって車体だけ同じのもどきが本線にも高野線にもいましたが、これはあの頃は他社も同様でしたね。とても楽しい思い出をありがとうございました。
by デトニ2300 (2009-03-12 12:34) 

hirorail2010

1956年と言うと僕が大学を出て企業に就職、父は相変わらず豊中の社宅で僕は大阪の女の子と長距離恋愛兼家に寄ったりで楽しく過ごしていました。
もちろん東京にない私鉄大ターミナルにひきつけられて何度一人で行ったでしょうか。

地元に居ながらなのに見ただけで写真撮っていない、ここがむ~さまと根本的に違います。大切な私鉄の歴史の一ページを残すことをしないで残念です。
今書店でこの頃の各私鉄の写真集が並んでいます。
南海電車、濃い緑色一色でした。
南海のマークがくず入れに歯車ソースと書いておられて想い出しました。写真があれば記憶想い出しますが撮ってないので電車の形式すら覚えていません。
東京にはこのような行き止まり式の大ターミナルがないので大阪で思い切ってこの空気を吸っていつまでも飽きずに眺めていました。
本線、高野線とも形式があまりなかったことを覚えています。
by hirorail2010 (2009-03-12 12:52) 

なにわ

「同定できめえ」と言われたので、やってみます。
手前が本線、奥が高野線ですので、手前は1201、まず出力増強の1551ではないでしょう。奥2本は1251か1321でしょう。

反位で分岐やカーブポイントの多用など、フランスっぽいのですが、ガラスからするとドイツっぽいです。

11001~11008までが貫通、11009以降が2枚窓です。1985年まで残っていたのは2枚窓のみです。貫通型は2両と部品取りの1両が京福に行きましたが、もういません。

江口証券→三洋証券ですが、ここもなくなってしまいました。

ソース屋というのは小規模企業が割拠しているので割合小企業が生き残っており、歯車ソースも南海のマークが2度変わりながら、現在も盛業です。
by なにわ (2009-03-12 18:04) 

hankyu8200

旧難波駅…。
なるほど、バラエティに富んだ車輌群が出入りしていたんでしょうなぁ〜。
興味深いところですね(^ー^)。
by hankyu8200 (2009-03-12 19:46) 

じろっち

大阪球場はホームランで出易いので有名でしたが、無くなってしまいましたねえ。

川崎球場も無くなりました。 そういえば、広島市民球場も・・・

観客席が少ないと、利益が出ないんでしょうか?

横浜スタジアムは関内駅からの近さを活かしていない気がします。
by じろっち (2009-03-12 22:06) 

のり

大変懐かしい旧難波駅の画像、ありがとうございます。11001系の塗色は、大変美しかったですね。ご記憶の通り、ごく淡いグリーンに緑の帯です。二次車の湘南型流線型のものは、昇圧後も後年まで活躍いたしました。
羽車ソース、「一番良い味」なんて書いていますね。現在もあのマークで健在でいらっしゃいます。
(5)、南海独特の架線支柱のオンパレードは、圧巻ですね。旧型車も素晴らしいです。
(8)の番線表示は、おっしゃるとおり、ネオン管だったように記憶しております。ピンク色に近かったでしょうか。夜に見たこの表示、子供心に大変美しかったことを覚えています。
by のり (2009-03-12 22:58) 

津沢

ご無沙汰してました。

1番目の写真は、印象派のモネが描いたサンラザール駅の絵に似ていますね。屋根の形状はドイツのライプツィヒ中央駅に似ています。

現在の南海難波駅は、ホーム上屋に駐車場を乗せた構造で太い柱が多く、ドーム型に比べて見通しはやや劣りますが、高島屋百貨店が入ったターミナルビルの重厚なファサードは健在で、櫛形ホームなどと合わせて、ヨーロッパの大都市のターミナル駅に遜色無いと思います。


by 津沢 (2009-03-13 00:03) 

Cedar

う~ん、すばらしいショットです。
南海難波、阪急梅田、阪和天王寺・・関西私鉄のターミナルは東京っ子にはなんとも羨ましい豪華さでした。高い天井に響く関西アクセントの放送を聞きながら出入りする電車を見るが大好きだったなあ。
夜の難波駅で南紀直通の客車(形式はサハ!)が電車のしんがりに付いてるのを見ました。客車とあのドーム屋根がマッチしてヨーロッパの終着駅そのものの感じでした。
なにわ様の形式の同定もすばらしいですね、当時の南海の電車の形式は<難解>といわれいたと聞いた事があります。
by Cedar (2009-03-13 12:26) 

む〜さん

■ デトニ2300様:南海の難波ターミナルは、東京では見ることの出来ない程の大規模ですばらしい駅でありました。この日、私は、堺までおお服したような記憶がありますが、はっきりしません。天下茶屋から、天王寺までの支線に乗ったのは、この時だったのかしら・・・・。みんな忘れてしまっているのに驚きます。20mの2001、小型の1251、素敵でした。当時の私、一番乗りたかったのは、この11001だったのです。高野山の、小型でごつい電車にはお目に掛かった事がなく、惜しかったです。
■ Hirorail2010様: 南海の緑色は良かったですね。いま、緑のカラーを捨て、ブルーとオレンジ、ちょっと寂しい想いです。
 羽車ソースの南海マークをご記憶なのですね。和歌山のこの会社は健在で、こんど、大阪に行ったら、一瓶買って来たいと思うのです。
■ なにわ様: 形式同定感謝です。大学時代、毎年、関西の私鉄に乗りに行きながら、阪急・阪神・京阪が多く、近鉄も時々で、南海のほうまではあまり行かなかった気がします。その所為で、緑色の2ドア電車が多かったというイメージしかないのです。
 南海は形式が多く、覚え切れませんでした。
 羽車ソースは、検索したら、ホームページがあり、安心しました。そのソース、大阪市内のスーパーで買い求められるのでしょうか?
■ hankyu8200様: 今の私だったら、ホームの先端部で、最低一時間は、ぼや~っと、出入りする電車を見続ける事でしょう。その位、南海の電車はバラエティに富んでおりました。
■ じろっち様: 川崎球場、懐かしい名前ですね。大洋ホエールズ、ライオン丸のシピンが居ました。時代は違うけれど、秋山投手、土井捕手が、東急池上線御嶽山駅近く、品鶴線の近くに住んでいたっけ・・・・。昔のお話ですが。
■ のり様: 11001の車体カラー、やっぱり緑の入った白系でしたか・・・・。ネオンの番線表示、私の記憶は間違いでなかったので、安心しました。
■ 津沢様: 現在の難波駅、地下鉄から階段を上がるとき、今でもロケットはあるのでしょうか?ホーム面にあがると、ずらりと並んだ電車が壮観ですね。当時は、現在の難波駅より、もっと、圧倒的な感じがしました。
■ Cedar様: サハ4801って言いましたっけ・・・スハフ42みたいなの・・・。一度も見ずに終わりました。見てみたかったです。
 南海は、昔は、難解って言われていましたね。形式が複雑で、オマケに台車の振り替えも多かったと聞きます。
by む〜さん (2009-03-13 22:07) 

hirorail2010

南海の色と言えば、いまの前の薄い抹茶にミルクを溶かしたような緑色と恋緑色の2トーンカラー上品でよかったですね。
和歌山市の企業の仕事で南海たびたび利用しましたが、8両編成の前半分4両が座席指定クロスシート、後ろは自由席ロングシート、これだ特急なんばー和歌山市でした。
指定券を買えば自由席から変更もできました。
同じ編成なのに変わってると思いましたね。
by hirorail2010 (2009-03-14 10:26) 

む〜さん

■ Hirorail2010様: 南海の前の色、グリーンの濃淡上下塗り分けは、気品もあり、南海カラーの緑を踏まえ、けっこう好きだったのです。惜しいなあと思っています。南海に乗ったのは2006年の春だったのですが、車種は、ずいぶん変わったことでしょう。
by む〜さん (2009-03-14 11:22) 

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