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#315:京浜急行(中) [お出かけ通信301~350]

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2009年7月16日・木曜日、晴。鉄道大好きの仲間たちとの飲み会があるので、京浜急行空港線穴守稲荷駅まで、行ってきました。その、穴守稲荷駅までの道中を書いています。今日は、昨日の京急川崎駅の続きで、多摩川を渡ったところの、六郷土手駅のお話。今日も、説明文は簡単に・・・・・。

■■■ お出かけ通信(315) ■■■

■■■ 京浜急行(中) ■■■

 京浜急行・京急川崎駅から、品川行きの普通電車に乗って多摩川を渡ると、「六郷土手駅」です。そこの、品川行きホームの、川崎よりの端っこで、電車を写しましょう。今回は、16時20分から16時40分までの20分間、電車の鑑賞と撮影でありました。

(1) 六郷土手駅です。駅のホームから、いきなり、鉄橋になっています。
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(2) 800形
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(3) 1500形
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(4) 新1000形
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(5) 1000形も来ました。驚くほど色んな電車がやってきます。京急蒲田駅から品川よりの駅だと、他社のものも来るので、もっと、賑やかな筈です。
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(6) 1000が、品川行き普通電車、浦賀行き普通電車で、上下二本並びましたが、レンズが35mmなので、少し苦しい。
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(7) 出発してゆく1000
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(8) 下りの1000も出てゆきます。
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(9) 2100は京浜急行のトップスターです。
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(10) 同じ場所から、JRの鉄橋も見えます。川崎駅付近の摩天楼をバックに、京浜東北のE233を狙いましたが、200mmでは少々、無理のようでした。
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coffee.gif 20分間で、こんなに沢山の電車に会えました。
 さて、これから、京急蒲田駅で乗り換えて、空港線の電車で、穴守稲荷駅までゆくのです。


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pen-pc.gif つばめごう様からお問い合わせのありました件。電灯の写真、昭和29年10月の営団地下鉄丸の内線後楽園駅の本郷三丁目側の写真の部分拡大です。
 ご覧の通りの白熱電球でした。傘すら無いというのも考えてみると凄いです・・・・が、普通に見られました。
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タグ:京浜急行
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TH

おぉ!!1000形の並びに遭遇されたのですね!!
チョッと前までは当たり前の光景だったのですが最近は見る機会が殆んどありません。
六郷土手のホームから鉄橋上で入換を行う川崎折り返しの電車が見えるんですよね。
鉄橋上のポイントも東急の二子玉川が大井町線の延長で無くなったので再び珍しい存在になったのではないでしょうか。


by TH (2009-07-19 02:11) 

む〜さん

■■TH様:見事に並びましたが35mmレンズの悲しさで、これ以上下がりきれず左端が切れました。平日、16時34分でしたが、その時々で運用は変わるでしょうから、狙っては行けないと思われます。
 この六郷川鉄橋も昔はトラスは流れの部分だけでしたが、現在は川幅一杯です。川原も公園風になり、昔の畑と荒地の風景と全く変わりました。下記URLは私のHPですが、昭和29年の風景です。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link102-shitetsutokyo5410.html
 そういえば、二子玉川~溝の口、未だ、乗っても見ても居ません。行かねば・・・・!
by む〜さん (2009-07-19 08:20) 

mymeな大家

こんにちは。
六郷鉄橋といいますと、幼い頃に蒸気機関車のお別れ運転?を見に行った記憶があります。まだ、京浜東北線と東海道本線の間に旧鉄橋の橋桁が残っていました。
京急は川の部分だけしかトラスがなかったのですね。むーさんの写真で気がつきました。1000系も走ってくると「おっ」と思うくらい少なくなりましたね。
TH様が書かれていますが、橋上ポイントは珍しいんですね。小さい頃から二子玉川を通っていて、当たり前のようにみていましたので・・・確かに貴重ですね。あと思いつくのは東武の浅草くらいでしょうか。
ところで、溝の口から大井町線に乗られるときは、各停でも高津、二子新地は通過します。大井町線で止まるのは15分に一本程度とのことです。
長くなってすみません。失礼します。
by mymeな大家 (2009-07-19 09:15) 

つばめごう

いつも楽しく拝見させていただいております。
ご紹介いただきました55年前の六郷鉄橋お写真拝見しました。
この頃の大田区内はまさに郊外というコトバがピッタリだったのでしょうね。
ところでこのリンク先の最後にあります丸ノ内線写真の右端真ん中ちょっと上寄りに電球らしきものが写っているのですが、
これは単に夜間照明用の電球なのでしょうか?
巷で売っております白熱電球と違って透明っぽいので不思議に思った所存です。



by つばめごう (2009-07-19 14:05) 

manamana

青い鉄橋に赤い電車が映えますね。
1000系の並びがとれて、
大喜びとご拝察いたします。
by manamana (2009-07-19 14:11) 

うたに

うちも先日、子供のリクエストで京急2100形の快特に乗ってきました!
六郷川橋梁の上で折り返すなんてあたりは、京急ならではですよね~!
by うたに (2009-07-19 17:02) 

Cedar

六郷鉄橋上のポイントは一時期のダイヤでは逗子系統の急行が折り返しに使用していましたね。
都営浅草線からの急行が前回の写真に写っていた引き上げ線を使って折り返すのと同時に鉄橋上のポイントで折り返すことでダイヤ上は急行が一本に繫がっていたわけです。操車の上手い京急らしく、前回の返信でむ~様も書いてらっしゃいましたが西の阪神と並ぶきめ細かさです。
更に前には正月に運転された品川~川崎大師直通急行もこのポイントを渡っていました。重箱の隅をつつくような話ですみません。
鉄橋上のポイントではやはり東武浅草のダブルクロスが一番凄いですけども・・・
by Cedar (2009-07-19 18:29) 

昭ちゃん

つばめごうさんがお気づきになった電球は、たぶん構内用街灯だと思います。当時の街灯はみな透明電球でした。夜になるともの悲しい灯が電柱にポーッと光っていたものです。いまでもこの電球は手に入ります。普通のすりガラス電球と違った趣が気に入られているようですね。
by 昭ちゃん (2009-07-19 20:32) 

む〜さん

■■mymeな大家様:東海道本線の旧橋桁の写真、撮って置けばよかったなあと思っています。背の低い円弧上のトラスだった気がします。
 橋の上のポイントは、たしかに珍しいですね。
 大井町線の延長部分、是非とも乗らねばという気持ちになりました。決行は何時になるかなあ?!
■■つばめごう様:昭和30年以前の大田区は、田圃こそ少なかったのですが、まだあったのです。石川台の呑川あたり、よくオタマジャクシやザリガニを採りに行きました。
 当時は街灯や鉄道構内照明には、白熱灯が普通で、こういう『プロ用』は透明硝子のものが殆どでした。家庭の照明だって、ほとんど白熱灯で、そろそろ蛍光灯の時代になりつつありました。ご指摘の写真を追加で拡大して本文中に挿入しましたので、ご覧下さい。紛れも無く白熱灯でしょう?
■■manamana様:ラッキーでした。アンチクライマーが素敵ですね。1000形は好きなんですが、もちろん、他の形式も好きなんです。京浜急行の電車に乗ってると、気分は十代鉄道少年に戻って、興奮しちゃう私です。
■■うたに様:2100の快特は素敵ですね。思いを昭和30年代に戻せば、そこには新鋭デハ700/730。現在の2100に始めて出会ったときよりも興奮した記憶があります。
■■Cedar様:京浜急行の運転方式のお話、有難う御座います。鉄道ファン的に見ても、興味ある運転をしていますね、京浜急行は。こういうお話・・・・好きだなあ!
■■昭ちゃん様:そうですね、内面艶消しは、事業用には使いませんでしたものね。白熱灯は、家庭用としては普通は40Wか60Wでした。100Wなんていうと、滅多にありませんでした。使ってある家があると、凄げえなあ!と思ったものです。ワット数の大きな電球は、ステム(だったかな?)の辺りにマイカの円板が嵌め込まれておりました。
by む〜さん (2009-07-19 21:46) 

TH

そうでした!!
mymeな大家様が挙げられた浅草がありましたね。
忘れておりました。(汗)

1000形は残り38両になったそうで、最盛期の約1/10です。
タイムリミットは…来年でしょうか…


by TH (2009-07-20 00:44) 

服部光之 

鉄橋上のポイントと言っていいのかどうかわかりませんが、川口赤羽間の京浜東北の南行線路上にありました。今は中距離電車と完全に分離しているのでないのですが、上野に向かう中距離電車が京浜東北と東北貨物を共用していて、赤羽に入る直前で、上野方面の専用線に入るためにポイントがありました、荒川に隣接する新河岸川の鉄橋を渡り終える直前で、京浜東北はガクンと大きく左に揺れるのでした。中距離電車は本線なので、難なく通過していきました。
今でも、荒川の鉄橋を渡ると足を身構えるのはご愛嬌と言うところでしょうか。
あの線路を共用していたために、大宮上野間は43分かかっていましたが、今は20分足らずです。
by 服部光之  (2009-07-20 03:30) 

’80XE PA96E

昨日は豪雨の中、峠越えをして帰ってきました。(渋滞を避けて)非常に疲れました。((+_+))
岡山は津山泊だったので、岡電には乗れずでした。
在京時代の大師線(23年くらい前)は、確か700形ってあったと思います。多分4枚扉の車両だったような記憶なんですが、昔の事なので自信がありませんが。
現在だったら1000形辺りでしょうかね。ブルーの車体と共に大師線また乗りに寄りたいですね。
by ’80XE PA96E (2009-07-20 06:41) 

む〜さん

■■TH様:1000の残り両数は38ですか・・・・。減ったものですね。4連として10本ないわけで、6連もあるでしょうから遭遇のチャンスも少ないわけです。
 小田急も5000、5200、どの位残っているか判りませんが減りましたよ~。
■■服部光之様:赤羽・大宮間が複々線だった時代ですか・・・・。蕨の日車も、川口の麦酒会社も無い様で引込み線も勿論無く、あの区間も大変化を遂げましたね。
■■'80EX_PA96E様:ご苦労様でした。激しい雨の運転って、あまりやりたくないですよね。
 京浜急行の大師線は、1500の4連に1000の4連のようです。16日も京急川崎の上のホームから、1000が小島新田に向けて出て行くのが見えました。
by む〜さん (2009-07-20 08:19) 

のり

六郷川の鉄橋、なかなかいいですね。京急のかっこよさが引き立つ様な気がいたします。
長い鉄橋の橋詰にある駅というのは、独特の雰囲気がありますね。名鉄本線の「木曽川堤」駅や阪神本線の「淀川」駅などなど・・・

白熱電球のお話で想い出しましたことが・・・
電車内の照明器具に使われていた白熱電球は、やはり透明電球だったのでしょうか?もちろんグローブで覆われていたものも多かったのでしょうが、電球剥き出しの場合はいかがだったのでしょうか。子供の頃に見た南海大阪軌道線の白熱電球が、透明ガラスでとても美しかったのを覚えておりますが、他社のものが全く記憶にありません。
by のり (2009-07-20 10:37) 

む〜さん

■■のり様:昔のこの辺りは結構、のどかだったんですが、いまや高層マンション、高層オフィスビルの林立で丸っきり変わってしまいました。東海道本線の急行列車のスハ43かなんかの窓から六郷側を眺め、いよいよ旅立ちだなあ・・・なんて思いっきり気分を出していたものです(笑)。
 この駅も昔はもっと川の土手から離れていたのですが、電車の編成が長くなり、ホームも伸びました。
 私の幼い日の東急池上線、デハ3100の天井のグローブは、透明なのと、乳白色のがありました。透明なグローブの中には、照明用の透明タングステン電球が二個と、非常用の小さめの電球が一個入っていました。もちろん、600Vからの直接直列接続の点灯でした。
by む〜さん (2009-07-20 12:09) 

つばめごう

>>昭ちゃんさま

ご回答痛み入ります。
見た目透明な電球なので照明用には眩しすぎるんぢゃないかと
勝手に推測してしまいました。(^_^;)



by つばめごう (2009-07-20 23:22) 

む〜さん

■■つばめごう様:昭和の中ごろ辺りまでは屋外の照明はタングステン白熱灯が一般的でした。街灯も例外ではなかったのです。現代の水銀灯、ナトリウムランプ、蛍光灯の時代から見ると、うそみたいでしょう?
by む〜さん (2009-07-20 23:32) 

つばめごう

>>むーさん様
わざわざ拡大お写真までご紹介いただき痛み入ります。
家庭の照明や街灯も今とは違い電球が当たり前だったのですねぇ。電球って今でも売ってますがランプって表現がピッタリですね。
蛍光灯が普及する以前、昭和29年の東京って今よりかなり薄暗かったのでしょうね。
電球照明の車両は鉄博で体験したことがある程度ですが、
あの照度で今みたいに新聞や本を読むのは厳しいと感じました。
ノスタルジーな気分を味わうには充分ですが…(^_^;)



by つばめごう (2009-07-20 23:44) 

む〜さん

■■つばめごう様:東芝さんは白熱灯の生産を止めたか、止めるかしますね。光転換率の悪いのは止めちゃうのは分かりますが、『電球型蛍光灯』って購入時の金額って、白熱ランプの何倍かはする高価なものですね。
 我が家に蛍光灯が『来た』のは昭和20年代の後半だった気がしますが、暖房は火鉢にコタツで、コタツが電気式になったときは『文明開化』を感じましたね(笑)。
 昭和29年の夜景は結構暗かったですけど、娯楽の種類も少なく、家族が集まる機会は多く、会話も多かった気がします。読書の光源として天井の40Wは暗いけれど、電気スタンドにすれば、距離の自乗に反比例で、充分に明るかったのです。そういえば、我が家から電気スタンドが消えて何十年になるでしょう・・・・。
by む〜さん (2009-07-21 05:04) 

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