SSブログ

国鉄福知山線1954年 [むかし噺(1)]

icon_mukashibanashi.gif
pencil-red.gif 今日も、お出掛けルポはありませんので、昔の写真など並べてみましょう。
 ・・・・・その前にちょっと。

(1) 玄関脇に花を楽しむための桃の鉢植えが置いてあるのですが、なっている実が随分大きくなりました。直径5cmはあるでしょう。先端がちょっととんがっています。もうじき色づいて来る事でしょう。以前、うちのパートナーさんが齧ってみたら甘かったとのことですが、私は未体験。上は、今年の3月27日の写真で、下は今朝写したものです。
00-01peach01.jpg

(2) そして、ご近所から赤く色づいた唐辛子を頂きました。青いのもあります。あんまり、綺麗なので笊に並べて写真を撮りました。
00-02redpepper01.jpg

pen-pc.gif さて、本題です。久しぶりの関西ネタ・・・・・。

pencil-red.gif 55年も昔のことです・・・・・・・。で、その前にちょっと。この福知山線の写真、以前、このブログに出したような気もします。ひょっとしたら、某SNSかもしれませんが、ホームページ以外のところで、公開した記憶が無いでもない。この、So-netブログのブログ内検索を掛けても出てこないので、「え~い!構わないから出しちゃえ!」と云う事で、発車してしまいます。
 気付いた方がいらっしゃっても、我が記憶力に自信を失いますので、そっとして置いてくださいね(笑)(笑)。

■■■ 国鉄福知山線:1954年 ■■■

pencil-red.gif 時は1954年・昭和29年の夏8月、高校二年生の少年む~さんは、西宮市在住の兄を頼って約10日間の関西電車巡りの旅。三日目の8月13日の事でした。この日は、阪急今津線の西今津駅から宝塚へ向かいました。宝塚駅で数枚写し、ちょっと梅田方向に歩きます。

(3) 阪急宝塚線が国鉄福知山線を越えた辺り、現在の川面3丁目辺りでしょうか、たった一枚、これは、300形ですか・・・・を写しました。丸屋根のお椀形通風器と、ダブルルーフのトレーラーが素敵ですね。
01-5408kansai52-takaraduka306.jpg

(4) さて、国鉄の福知山線で大阪に向かおうと、宝塚駅へ。やって来たのは、最新式の液体式気動車キハ45000です。のちのキハ17ですね。実にスマートで素敵に見えたものですが、室内のシートには少々・・・・・狭いし、背摺りは低いし、ビニール貼りだし・・・・。最前部に張り付きます。何駅でしょうか、場内信号機が見えております。
 さあ、皆さん、何処の当たりかお判りですか??クイズのつもりでご覧下さい。田圃の向こうに民家が少々、左奥には山が見えたりします。
02-5408kansai53-fukuchiyama1b.jpg

(5) これも何処だか分かりません。日差しからみて後方を見ているようです。これも、クイズのつもりで、考えてみてください。ただ、現在の風景とは、かなり違うと思いますが・・・・・。
03-5408kansai54-fukuchiyama2.jpg

(6) 駅に着きました。ここは川西池田駅だと思います。そうですよね?!だとすると、当時は、能勢電が来ていたはずですが、当時の私は知りませんでした。向こうが宝塚方面です。
04-5408kansai55-ikeda1-01.jpg

(7) 例によって部分拡大してみましょう。ブリッジの煤で黒くなっているのはお馴染みの眺めですが、跨線橋の親柱というのでしょうか、柱が昔風に見えますね。駅のお客さんのファッションも、昭和20年代末ですね。かなりのお客さんが乗るようです。
05-5408kansai55-ikeda1-02.jpg

(8) 前方を見てみましょう。蒸気機関車牽引の旅客列車の到着です。(6)・(7)でお客さんが写っているわけです。
06-5408kansai56-ikeda2-01.jpg

(9) 拡大です。蒸気機関車はC54です。駅員さんの右手が上がっているのは通票を受け取るためでしょうか。日陰からお客さんたちが、乗車のために出て来はじめました。左へ分岐する線路は、どこかの工場への引込み線でしょうか
07-5408kansai56-ikeda2-02.jpg

(10) そして、私乗った気動車は快走・快走、また快走、無事に大阪着。回送されてゆくキハ45000×5の美しい編成。ブルーとベージュの登場時のいろは、後の、オレンジとベージュ、赤一色よりも、遥かに素敵な色でありました。
08-5408kansai57-osakastn.jpg

coffee.gif (3)と、(10)の写真はほぼ間違いなくブログに出した記憶があります。ま、ダブったら、笑って見逃してやってくださいね。

 では、また、次回に!!!!


nice!(3)  コメント(24)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 3

コメント 24

ファジー

福知山線のC54・・・うっとり見とれてしまいます。
細身のボイラーにスポーク動輪・・・また台数が少ないというのも何故か日陰の身のような感じで魅力的でした。

緩やかなカーヴの駅は川西池田に間違いないと思います。
昭和48年の同駅も同じ風情でした。
http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-entry-697.html
by ファジー (2009-09-04 17:50) 

たーサン

 おお! 関西ネタですね。

 この日から3か月後、昭和29年11月23日に川西池田駅付近でC54の10号機を写しているんですよ。
 
阪急の300型はダブルルーフの1型を挟んだ4連で、当時はよく急行に運用されていました。
 その頃はポロいと思っていましたが、今となっては非常に魅力的な編成だったと思いかえしています。
 
いや、それにしても55年も昔のむーさんと、このような接点があったのか、と感無量です。
by たーサン (2009-09-04 21:11) 

たーサン

写真9について、左に分岐する線路はどこかの工場への引込線
でしょうか、とありますが、これは当時あった貨物ヤードと思います。
 そのヤードの左側に能勢電の 「国鉄川西池田駅前」 がありました。
 
by たーサン (2009-09-04 22:27) 

OOJI HIROSHI

む~さま
最初の阪急の写真これこそ私が父の転勤先、社宅が箕面にあって牧落(まきおち)から上りこう配で300形+60形木造?+300形の3両で家の側を通っていました。庭から先が阪急線路ですから。

本線はむ~さまの写真通り4両編成でもうしばらく先に500形、300形同様小ぶりの車輛が登場します。
そのあと一寸生かしたデザインの600形です。ずいぶん長い期間阪急宝塚線は小型車時代が続きます。
そして初めて円形ベンチレーターの二つドア大型車が投入された時は驚きました。
写真を見ていたらこんな想い出が連鎖的に出てきました。

かたや競合路線の(大阪ー宝塚間)はキハ45ですね。美しいフォルム(形状)が何とも言えないロマンをかきたてます。
5輌~10輌のDCの総括制御運転を見た時にはびっくりしました。
あの頃は東京近郊でDCをふんだんに眺めることができました。
会社の有志とハイキングに行った時乗った中央線夜行急行アルプスもDC車でした。
懐かしく貴重な写真いつもありがとうございます

最後に今日はじめて横浜市営地下鉄グリーンライン(中山ー日吉間)を写してきました。カメラなくポケットにあったケータイでしたが解像力がいまいちです。
騒音なく快適ですが車内がせまいですね。


by OOJI HIROSHI (2009-09-04 22:28) 

じろっち

昔の駅や改修が済んでいない駅のホーム屋根は、ホーム全体の1/3程度しか無いですね。

この理由は、旅客よりも荷物が優先されていたから、だそうです。
たしかに屋根はホームの端が多いし、荷物は濡れると荷崩れする場合がありますからねえ。

ヒトは、大和魂で頑張れ!ということでしょうか。

9月20日に、地頭方で、ラブ・ジ・アースというイベントがあります。
ひらたく言えば、海岸清掃ボランティアです。
駿遠線に興味がある方は、軌道等の痕跡探しを兼ねて行ってみませんか?
by じろっち (2009-09-04 23:07) 

じろっち

うちの近所には「占領下日本」時代の道路標識が何故か有るんですよ。

レールロードクロッシングってヤツです。
でも、向きも位置も変なんですよ。
貰ってきたんですかねえ?

むーさんは、連合軍専用車両を見たことがありますか?
by じろっち (2009-09-05 05:54) 

manamana

バス窓がばっちり。
それだけで嬉しいです。
by manamana (2009-09-05 07:04) 

む〜さん

■■ ファジー様:
 このとき、私はC54という機関車を知らず顔だけ写してすれ違ってしまいました。一生一度だけの出会いでありました。あとで、ネガを拡大して、ちょっと残念な気がしたものです。
 能勢電は1959年に一度だけ乗りましたが絹延橋までの一駅っきりでした。能勢口~国鉄川西池田駅前はそのころ、まだあったはずですが、先を急いでおり、乗らずに終わりました。
 川西池田駅、1954年~1976年の20年余、あまり変わっていないのに驚きました。複線化、電化の驚天動地の大変化はこのあとですね。
■■ たーサン様:
 昭和29年、此処の近くでC54、撮影されているとは奇遇ですね。東海道の阪神間に田圃が沢山あった時代でしたから、蒸気機関車も元気でしたね。
 阪急の300形、1形とか、元気でしたね。木造車が梅田に来ていた時代でしたから・・・・。私は、神戸線の920とか、京都線の710や、100に目が行っていた、新車大好き少年でありました。惜しい、惜しかった、ま、59年経って悔やんでいても仕方が無いですが。歳の所為で最近のことは見事に忘れますが、このころ、昭和30年前後のことは、意外と覚えているのです。阪急の快走、阪神の爆走、近鉄長距離電車の気品、京阪神各市にあった市内電車・・・・・みんな思い出せる『部分』があります。
 川西池田駅の貨物ヤードは本線から外れたところにあったのですね。今の地図を見ると、能勢電の線路跡がはっきり分かるし、どうやら、川西池田駅は、大阪方に移動したように思えますが如何でしょうか?
■■ OOJI_HIROSHI様:
 阪急沿線、しかも、線路際にお住まいとは、もう天国極楽でしたね。宝塚線、今津線には小型車が活躍しており、のんびり走っており、未熟な私は、あまり興味が無く、ほとんど写真がありません。バカだね~!と思いますが、ま、それが少年時代なんでしょうね。
 横浜市営地下鉄グリーンライン、お乗りになったのですね。東京都営地下鉄大江戸線みたいな鉄輪リニアですね。小断面で建設費用を節減したようですが、長い目で見て如何なのでしょうね?
■■ じろっち様:
 昔の駅って屋根なし部分が多く、極端に言えば小屋みたいなのがあれば上々でした。砂利を撒いたホームでした。
 RRクロッシングの標識・・・・オリジナルなのでしょうか?当時は、この先200ヤードに踏切ありという、黄色に黒バツ点の標識もありました。
 米軍用の列車は、何とかリミテッドみたいなのは見たことはありませんが、品鶴線で米兵満載の客車列車に手を振った記憶はあります。
■■ manamana様:
 キハ45000のHゴム固定窓は新鮮でした。後世のように、各形式入り乱れた列車でなく、45000をそろえた編成、美しいですね。枕バネをゴムブロックにした台車の乗り心地は悪かったですね。キハ20の初期はこの形でしたが、後にコイルバネ+オイルダンパで随分改善されました。
by む〜さん (2009-09-05 10:26) 

Cedar

(3)の宝塚線旧型車の編成いいですね。真ん中のトレーラーは鋼体化された1形ですね。
この頃の阪急は台車のたらいまわしが凄かった。木造51形が鋼体化車600形に生まれ変わる時に500形の住友製台車を召し上げて、500形は写真の300形のMCB型に履き替え、300形は廃車になった1形のブリル27-Eを付けトレーラー化される、といった具合でした。
今津線の500+300+300+500を西宮北口の平面交差で撮影したのを思い出します。
by Cedar (2009-09-05 13:04) 

きゅんぱち

おぉ、これまたレアなお写真の数々。
ワタクシも父が転勤族だった関係で、今の実家のあるYOKOHAMA若葉台の前は宝塚市雲雀丘に住んでいたんで、懐かしく読ませてもらいました。
能勢電が、川西能勢口から川西池田までの単線が残っていて、福知山線もデーゼル気動車が現役で活躍していた時代でした。
最近になって、興味深いサイトを見つけたので、御存知かと思いますが、紹介をば。

鉄道の町 川西 〜 再開発前の川西を探る
http://www.sowa.com/kawanishi/
by きゅんぱち (2009-09-05 13:12) 

mymeな大家

こんにちは。
桃の鉢植えかわいいですね。私の住んでおります付近は、むーさんご存知のとおり、昔から桃や梨の産地でしてところどころに放置された木々が残っております。ここのところ桃が熟れて落果し、甘さを通り越した匂いを放っておりました。たくさん実がつきますが、手入れがされていないので、小さいのばかりです。かわいそうに誰も拾いません。
小林一三社長時代の車両は趣を感じるものが多いですね。山の中に線路を敷こうなんて先見の明があります。10系気動車大好きです。かなり廉価版で、安っぽいことは否めませんが・・・。ところで、連結器はどのような基準で選ばれるのでしょう。自動、密着、自動密着とあります。ご存知でいらっしゃいますか。
では、失礼します。
by mymeな大家 (2009-09-05 14:50) 

む〜さん

■■ Cedar様:
 西宮北口平面交差を行く釣り掛け車・・・・良いですね~、絵になりますね!あのジョイントの音が懐かしいです。キングレコードから出ていた17cmLPの鉄道音シリーズにありました。梅田駅の雑踏とか、神戸線特急運転台音などと一緒に入っていたと思います。でも、レコードプレーヤーが壊れて処分し、買い替えも置き場と予算問題で頓挫しています。とほほ・・・です。
 私の阪急は、所謂阪急タイプ2ドア、下降窓、前面貫通ドアなのです。最初に乗ったのが神戸線の920だった所為でしょうね。
 小型車だと320、500になりますか・・・・。木目印刷の車内内貼り、戸袋窓の磨りガラスも忘れられません。
 台車の交換は、たしか、南海も凄かったと聞きます。TMSかなにかで、『難解』と書いてあったのを覚えています。
■■ きゅんぱち様:
 いい時代に、いい所にお住まいでしたね。ご紹介くださったWeb、知りませんでした。早速見てみました。まあ、実に綿密に調べてある。驚嘆しました。
■■ mymeな大家様:
 鉢植えの花桃は2003年の春、知人から頂戴したものです。ウチのパートナーさんが可愛がってくれますので、毎年、花と実を鑑賞できています。
 あの辺りで、梨・桃の栽培が行われているのは存じませんでした。その名残があるのですね。我が家の辺りは果樹を本格的にやっていたところは無かったようで、昭和38年以来、葡萄畑を見かけたくらいです。ただ、養蚕が盛んな所だったようで、いまだに、とんでもない所に桑の木が出現します。根が残っているので、切っても切っても枝葉がどんどん出てきます。
 阪急電車は落ち着いた色と造りの車体・車内で、こんな電車に頻繁に乗れる方たちが羨ましいです。
 キハ45000は、初めて見たとき、あまりのスマートさに驚き、ファンになりました。ただ、長距離乗るのは少々・・・・です。
 連結器の選択基準はよく分かりません。キハ45000の自動密連は軽量化が目的だったようです。そして、一回、使い始めると、互換性というか、編成組み換えなどのときもあって、容易に変えられなくなるのでしょうね。
by む〜さん (2009-09-05 23:03) 

じろっち

標識自体は本物だと思いますよ。
何故か、個人宅内に設置されていますが、きちんと設置されていますから。

今日は横須賀線が武蔵小杉駅設置工事のため、19時から横浜~品川が運休になりました。
そのせいで、土曜日の夜とは思えないほど東海道線が混みました。
新川崎・西大井の人は大迷惑だから、運行しながら工事できるような工法の誕生を期待します。
by じろっち (2009-09-06 00:47) 

サッシの父

小生は昭和48年の暮から昭和52年の秋まで川西市に
住んでおりました。
むーさんの写真にある川西池田駅は、ファジー様が仰るごとく、
小生の知る川西池田駅と風情が重なります。どんどん高速化を
目指していく阪急と比べ、福知山線はいたってのんびりとした
鉄道でした。昨年の夏、久々に福知山線に乗り、その変貌ぶりに
びっくりしました。
能勢電の川西国鉄前駅は、プラットホームにベンチ代わりの丸太
(電柱だったかな?)が転がっているだけの小さな駅でした。確か
朝夕しか電車は動いていなかったと記憶しています。


by サッシの父 (2009-09-06 02:03) 

じろっち

私もローカル気動車に乗ったことがありますよ。
昭和50年代の北陸本線だったかなあ?
米原~虎姫だったと思います。

鈴鹿サーキット御用達?の伊勢鉄道もレールバス形態の気動車ですが、意外と速いんですよ!
予想外の快速ぶりに驚愕します。

電車仕様のレールバスも造り、閑散時の電化区間に投入したら、流行りのエコになるんじゃないかと思います。
by じろっち (2009-09-06 06:26) 

む〜さん

■■ じろっち様:
 コレクターなんですね、きっと。それとも、復元したんでそうか。
 横須賀線の線路と、東横線の線路は、300m離れております。それでも、東京駅南端と京葉線の東京駅との距離とどっこい位ですから、やはり武蔵小杉駅となるのでしょうか。通路で結ばれるのでしょうが、県道もあるし、遠いなあ。通路は地下なのでしょうか?地上なのでしょうか?見に行きたい気も致します。
 伊勢鉄道のレールバスは一度だけ見た事があります。写真も撮りましたが、どこかに入ってしまいました。あそこの線は、線形が良いので、飛ばすでしょうね。もともと、関西~紀勢のショートカットだったと思います。
 電化区間でのレールバスは、名鉄や栗原でもやっていましたね。結局、廃線になりましたが。
■■ サッシの父様:
 私の、川西池田駅は、このとき、ただ一度の体験です。単線非電化から一転、複線電化の通勤路線、往時しか知らない私が、今を見たら浦島太郎さんですね、きっと。
by む〜さん (2009-09-06 22:30) 

なにわ

レールバスの宿命、混雑時に対応できないんですよ。何両もつなぐと、運転台の無駄も大きいですし。

さて、このモモ、葉っぱの形状からするとボナンザという品種ではないでしょうか。それなら食べられますよ。
ボナンザは持っていませんが、モモを数本鉢植えで育てていますので。
by なにわ (2009-09-06 22:57) 

む〜さん

■■ なにわ様:
 この桃、ボナンザという種類なんですね。鉢植えで頂いて、選定はして居りますが、背丈は50センチもありません。色づくのを楽しみにしていましょう。
by む〜さん (2009-09-06 23:27) 

じろっち

伊勢鉄道は、F1開催日にJRの列車が乗り入れます。
過去2年は富士開催でしたが、今年からはとうぶん鈴鹿にしたいということで、誘客列車の運行も過去よりも増加すると思いますよ。

新八代駅みたいに、名古屋の新幹線到着ホームから平行移動で、鈴鹿、鳥羽に向かう列車に乗れたら良いのになあと思います。
by じろっち (2009-09-07 22:36) 

む〜さん

■■ じろっち様:
 伊勢鉄道鈴鹿サーキット稲生駅ですね。地図を見ると、サーキットは2km以上の長さがありますから一概には言えないけれど、駅から2kmはありますね。観覧客の方々は歩くのですか?それとも、シャトルバスでもあるのでしょうか?
 名古屋駅は、中央・高山・関西・東海道上下方向と乗継が多いので、同一平面は無理でしょうが、たしかに乗り換えに便利とはいえませんね。私なんか、何時も迷ってしまいます(笑)。
by む〜さん (2009-09-08 09:52) 

じろっち

私も鈴鹿サーキット稲生駅を利用したことがありますが、徒歩で対応できる距離でしたよ。

歩く自信が無い方は、白子駅から路線バスが無難です。

でも、やっぱりクルマが無難ですかね。
鈴鹿サーキットは場内に駐車できない場合も、鈴鹿サーキット協力会の休耕地などに駐車できますよ。
駐車料金も統制されているので、不公平がありません。

鈴鹿市は市長もサーキットの存在を重視しているので、対応が他の自治体と違いますよ。
9月30日または10月1日には、F1が鈴鹿の公道を走行します!

名古屋駅は、名鉄以外はみな新幹線からの乗換えが不便ですね。
後付けだから、ですかね?
by じろっち (2009-09-08 21:36) 

む〜さん

■■ じろっち様:
 観覧場所がサーキットコースのどの位置かによって、歩く距離は大幅に違いそうですね。白子駅からのシャトルバスは、頻繁に運行されるのでしょうね。5km程度ですから乗れば立って行ってもしれてますから。
 駐車場はきちんと管理されているようで、流石はホンダの拠点だけの事はありますね。F-1車の路上走行なんて、素敵なことをやるものですね。きっと、雰囲気も盛り上がることでしょう。

by む〜さん (2009-09-10 18:56) 

じろっち

鈴鹿が素晴らしいことは有名ですが、もうひとつの拠点であるツインリンクもてぎも素晴らしいですよ。

何もない芳賀山地を切り開き、2つの国際コースを開設しました。
現場の土砂は場外に出さないという環境配慮も行っています。

それにしても、ホンダが2つのサーキットを管理できるのに、トヨタが1つの、しかも開設済みのサーキットを上手く管理できないのは何故でしょうね。

富士は近いので、よく行きますが、施設としては鈴鹿が1番だと思いますよ。
FIAも、来年の日本GPを鈴鹿で開催できないかと言ってきたそうですから。
by じろっち (2009-09-10 21:53) 

む〜さん

■■ じろっち様:
 『ツインリンクもてぎ』は、せんだってウチの息子一家が遊びに行って栃木名産のイチゴを使ったお土産を貰いました。レースを見るのではなく、子供中心で遊びに行ったようです。ウチの息子は、アイルトン・セナ全盛時代にF-1に入れ込んでましたので、その想い出もあったような気がします。
 一度は、F-1のサウンドをナマで聴いてみたいと思って居ましたが、もう、出かけてゆく気力がありません。
 ツインリンクもてぎは、真岡鉄道の終点、茂木駅から5kmくらいなのですね。ちょっと、レースから眼を離しているうちに、こんな巨大な施設が出来てるんですね。世の中についてゆけない自分を感じるのは、こんな時ですね。
by む〜さん (2009-09-11 09:15) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。