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阪急1954年:暗い写真と格闘 [むかし噺(1)]

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pencil-red.gif 今日も昔の関西電車写真です。前回、阪急電車が出ましたが、その旅の時に写した、二駒の暗い環境での写真を二枚。
 時は、1954年・昭和29年8月の事でした。宝塚から国鉄福知山線で大阪に到着。阪急で京都に向かいました。

■■■ 阪急1954年:暗い写真 ■■■

pen-pc.gif 暗い写真と言っても、露出関係で暗いという意味ですけど・・・・。 なんとか、普通っぽく見えるようにならないかと、フォトショップエレメンツ2.0で奮闘努力・・・・結局、敗退してしまいました。「おととい来いっ!」とか「出直しておいで!」と、門前払いの感がありますね。でも、図々しく、ブログのネタにしてしまいました。ゴメンナサイ!!

(1) 木造、ダブルルーフ、三扉の電車が梅田駅に居ました。75形と言うのだそうです。近鉄や京阪に親類が居そうな電車でありました。
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(2) 後半分が暗くってよく見えないので、いじってみました。多少は見えるようになったのですが、かなり汚れた感じになってしまいました。戸袋窓に磨りガラスが入っているのは流石阪急。改めてみる旧梅田駅のドーム屋根の鉄骨がスゴいですね。
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(3) 梅田から乗ってきた急行は、あの、憧れのデイ100でありました。急行運用で、途中、山崎辺りで特急つばめ号を追い抜いたという話を彷彿とさせる走りを体験することも無く、ちょっぴり居眠りなんかもして、終点の京都駅に到着しました。いま、Wikipediaで見るまで、四条大宮駅とか、大宮駅と思っておりましたが、昭和29年と言うと、京阪神京都駅と呼ばれていたようです。・・・・・知らなかった!
 車中で居眠りの習慣は、現在も更に重症化して続いております(笑)。
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(4) ASA感度50のネオパンSか、ASA100のネオパンSSだったと思いますが、F3.5のレンズなので1秒くらい掛けたと思います。手持ちにしては、少年む~さんは、良くやったと思いますが、衝撃の少ないレンズシャッターカメラだったから良かったのでしょう。今だったら、とても出来ませんね。
 この暗さをなんとかしてみようと、頑張った結果は、これまた、無残な敗退。(3)より、もう少しマシになるかと思いましたが、こんあ感じでした。顔だけなら何とかなるかもしれません。
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(5) 顔だけでも・・・・と更に頑張ってはみたものの、こんな程度で終わりました。
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pen-pc.gif 結局は、ノイズを浮き上がらせただけと云う事になりましたね。とほほ・・・ですね。 

coffee.gif では、また、次回お目にかかりましょう。


タグ:阪急
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じろっち

地下駅での撮影は、補助ライトが無いと厳しそうですね。

私はきょう、馬喰町から横須賀総武快速線に乗りました。

あのトンネル区間(東京トンネルでしたっけ?)は、馬喰町の東京方面側にすごい湧水が有るんですねえ!
水質が良いなら、“東京のおいしい水”が作れそうですよ。

中途半端にバリアフリーな駅でした。

武蔵小杉駅設置箇所は、暗くてさっぱり分かりませんでしたが、減速するので、「ここにできるのか」とは解かりましたよ。
by じろっち (2009-09-06 22:19) 

mymeな大家

こんにちは。
なんとも言葉で表現できないほどのデザインの美しさ、いいですねぇ。戸袋の摺りガラス、日よけの鎧戸、ため息がでます。デイ100は阪急で保存されているようですね。まだ見たことありませんが。
むーさんの写真を見ていると、「昔はいいなぁ」と思うのですが、今、撮影しておけば、何年か後に同じ様に感じるのでしょうね。
ところで私ごとですが、ぼろぼろになって売っていたLoadⅡaの修理がやっと終わり、久しぶりに田園都市線を撮影しました。自分で直したのは初めてなので、どのように写っているか楽しみです。
では、失礼します。
by mymeな大家 (2009-09-06 22:44) 

なにわ

75型は前回出てきたの中間付随車化された51型の原型によく似ております。

駅構内はどうしても暗くなりますねえ。今の梅田でも深海写真になったことがあります。
でも、大宮の地下線なら、ISO400で60分の1で撮ったのですが・・・と思えば、f1.4のレンズでした。
by なにわ (2009-09-06 22:49) 

む〜さん

■■ じろっち様:
 銀塩カメラと昔の駅照明の組み合わせだとかなり難しいのですが、現在のディジタルカメラと、今の駅照明ですと、何とかなるケースが多いようです。ただ、走行中の列車は、私のコンパクトデジカメだと、かなり困難でした。安全上の理由で補助照明は使えませんし、狭い場所の制限もありますが、考えようによっては、面白いとも言えます。
 東京都心部の湧水は、飲用はかなり無理がありそうですね。
 横須賀線の武蔵小杉駅は、その構造を想像すると、興味津々です。
■■ mymな大家様:
 良いでしょう?!当時の少年む~さんは、今時、木造車なんて・・・と思う浅はかなヤツでしたが、今見ると、まるで工芸品ですね。
 Lordカメラ、修理完了ですか・・・・現像、プリント上がりが楽しみですね。精密機器をご自分で分解修理されるなんて、手先不器用な私には想像も出来ません。
 本文中に書き漏らしましたが、今回分の撮影に使ったカメラは、オリンパス35-Ⅳです。レンズはF3.5の40mm、シャッターの低速側は1秒からありますが、高速側は200分の1秒までしかありません。
■■ なにわ様:
 昭和29年当時、ネオパンSSSとか、コダックのトライXは、あったかなあ・・・・。そして、明るいレンズ。当時の我が家ではとても手が出ませんでした。考えてみると、カメラの性能は上がるし、価格は下がるし・・・・世の中の変わりように驚きますね。その点だけ見ると良い時代になったと言えると思います。
by む〜さん (2009-09-06 23:05) 

TH

先月、関西に行った際、阪急は梅田から9300系特急で桂へ、桂から嵐山線用に改造された6300系で嵐山へ、京福電鉄沿線をめぐりながら四条大宮まで行き、大宮から再び阪急に乗って南茨木まで戻り京都線の列車を撮影してきました。

大宮は特急が停車せず、また普通も日中は河原町まで来ないので10分ごとに準急が停車するだけ、嘗ての京都側のターミナル駅という感じは…しませんでした。

デイ100のお写真から察するに、当時から阪急は種別毎に急行灯の現示を変えていたんですね。(テールランプだともう少し暗く写ると思いますので)
これは関西の私鉄の特徴だと思います。
先日私が撮影した時も準急が向かって右側だけ急行灯を点灯していました。
今の京都線は特急・通勤特急・快速急行・準急・普通で急行が存在しないのですが…
快速急行は向かって左側だけ点灯するのかな?
早朝と深夜しか走らないので今回は確認出来ませんでした。
by TH (2009-09-07 01:10) 

む〜さん

■■ TH様:
 このデイ100の居るホームは、どちら側のホームが、何番線か、どちら向きかの記憶も記録もありません。降りた電車だったことは間違い無いのですが・・・・。何方かの判定をお願いしたいのです。
 大宮に特急が停まらないと嵐電の利用に不便ですね。嵐山は桂からなのでしょうが・・・・。聞くところによると、特急の三扉化も進んでいるようで、昔日の特急を想像するとがっかりするのでしょうね。京阪間はJR、阪急は中間都市を含めた輸送と云う事になったんでしょうか・・・・。
 TH様の今回の旅では、沢山の写真を撮られたことでしょう。拝見したいものですが・・・・如何でしょう、ブログの開設をされたら?
 それはそうとして、TH様の現在の写真機、本務機は銀塩でしうか、それともディジタルでしょうか?
 私は、2000年ごろは本務銀塩、2003年ごろは同等、2004年ごろからの銀塩の登場は、ほぼ無くなり、あの理想のカメラは高くて買えず、安いものばかりですが、それでも素晴らしい銀塩パートナーは、天袋で休憩しております。
by む〜さん (2009-09-07 06:13) 

はーさん

阪急の木造ダブルルーフ車は古いピクで見たことありますが、これを梅田駅で撮られたとは!
暗いので、良く撮れなかったようですが、これだけ、見えれば充分と思います。
75もファンとしては味のある良い電車とは思いますが、デイ100と比べれば、古い貧弱な電車と乗客の眼には映ったようですね。
増して、当時は梅田~十三間は宝塚線、京都線は同じ線路を走っていましたね。
宝塚線の乗客の不満が爆発したようで、宝塚線にも神戸線、京都線と同じ、大型電車を走らせるようになりましたね。
by はーさん (2009-09-07 11:45) 

たーサン

 関西電車むかし噺で一度拝見している画像ですが、木造車良いですね。
 むーさんと一緒で当時の少年の私も、木造車にはほとんど興味が湧きませんでした。
 
 旧梅田駅ではもっと撮っておけばと今になって悔やんでますがどうしようもありませんね。
 もっとも、その頃は 「鉄ちゃん」 はもとより 「鉄道フアン」 なとどいう社会的に認められた呼び名はなく、少なくとも私の周辺ではデンシャキチガイ、キシャキチガイと言われていまして、梅田駅のような場所で多くの人の目に晒されながらカメラを構える、なんてことが気恥ずかしかったのだと思います。

 宝塚線の小型車が国鉄をアンダークロスして急勾配を登るときはのろのろ運転でしたが、それを横目に神戸線の920系が強力な馬力にものを言わせてグーンと追い抜いていくのが、いつも悔しかったです。
 それは今でも同じで、同時発車しても、どうしても神戸線に負けるので宝塚線乗客である私は、この年になってもなんとなく面白くない気分です。

懐かしい、地上時代の梅田駅のお写真ありがとうございました。
by たーサン (2009-09-07 13:32) 

デトニ2300

 デイ100良いですね。ダイヤフラム付き、渡り板と一体の厳つい貫通幌は本当に魅力的でした。私は京都に行くときはほとんど京阪を利用していましたが、あの貫通幌を見に何度か阪急京都線に乗ったことがあります。用もないのに何度も何度も貫通幌を渡った覚えがあります。デイの末期には何の変哲もない阪急タイプの貫通幌に改造されとてもがっかりしたことを覚えています。デイ系で戦後製造された全く以てアグリーなフイ550系が抜群のアンバランスを誇っていたのが印象的でした。
by デトニ2300 (2009-09-07 17:24) 

じろっち

今夕のニュースで、山手線開業100周年を祝う特別外装のE231が紹介されました。

運転席窓下と車体側面が、いわゆる国電色になっています。

国電色はチョコレート色とも呼ばれるので、明治製菓がスポンサーになっていますよ。

ふつうのラッピング広告車とは違うので、好印象なようです。
by じろっち (2009-09-07 22:24) 

TH

むーさん様
拙い出来ではありますが、オンラインアルバムに関西旅行の写真をアップいたしましたのでご笑覧いただければ幸いです。

http://picasaweb.google.com/rikyu1018/nzgWeG?feat=directlink

それと私の本務機ですが、現在はNikonD300を使っております。D200→D300と来ています。
高校の先輩でプロのフリーカメラマンの方がいましてデジタル一眼の購入を考えた時相談して
「入門クラスも良いけど、使いこなせるようになると不満も出てくるから、手が出せる範囲での上位機種を最初に購入したほうが良いよ」
とアドバイスされ真に受けてしまった次第です。(笑)

デジタルでの撮影に慣れてしまうと、銀塩の撮影は一コマのコストを考えてしまいますね。
一コマ、一コマ集中するのも大事なことですが
デジタル一眼が本務機になってからは100%デジタルです。
その前はコンデジと銀塩を併用していた時期もありました。
by TH (2009-09-09 13:11) 

oojihiroshi

この光景とても懐かしいです。
この頃大阪箕面、豊中に住んでいました。一寸見で、このあとすぐに宝塚線には馬面顔の縦長小型車500形全鋼鉄製が入ってきました。
間の車輛はおわん形のベンチレーターのこのタイプに似た60形でした。
5年の間に500形改造の600形、そして最後に20メートルの1000形が投入、急速に近代化が進みました。

その頃の梅田駅ホームは暗かったですね。大きな武骨な柱が重そうな屋根を支えていました。
ホームの先端から見ると勾配を下りてすぐに東海道、環状線のガードをくぐりホームに入ってくる京都線1000形、スマートな神戸線700形、そして真ん中が宝塚線といつまでもホームの先端で観てました。
行く先札、サボの交換も目にしていました。
それに女性案内の縦板に水を流すような変化のないアナウンス
当時の模様はこんな具合でした。

最後に横浜地下鉄のグリーンライン思った以上に車輛が小ぶりで夕方前と言うのに車内は一杯、今後人口増で飽和状態になるのではと心配です。
さりとてブルーライン並みに大きい車輛にすればコスト面で引き合わず難しいところですね。
by oojihiroshi (2009-09-09 19:43) 

む〜さん

■■ はーさん様:
 高校生む~さんは憧れの阪急梅田のホームに立って高速が売りの920、100など眺めていたのですが、木造車が居るのに吃驚してカメラを向けたようです。もっとも、当時の関西の私鉄界は、阪神を除けば、木造車が多く見られました。残念なのは、少年が、何時もそうである様に、より新しく、高速のものに眼を、レンズを向けてしまいます。まことに、惜しい事をしたものです。
■■ たーサン様:
 若い頃の脳みそは意外と記憶能力が高いようで、昭和29~35年ごろの『電車見旅』を所々ですが覚えております。大学時代は、誰かの書いた『旅で写真を撮るのは良くない』という説にかぶれて居た時期があり、ろくな写真の無い時期があります。しかし、一部の電車以外は、殆ど忘れています(笑)。
 やはり、記憶復元のキーワード、パスワードとして、写真はゼッタイに必要だということに、気付いたのは50歳を過ぎてからです。遅かった!!
■■ デトニ2300様:
 デイ100・・・・なんという、素敵な形式称号でしょう!!・・・・の貫通幌は、カッコ良かったですね。米国辺りのインターアーバンにありそうです。
■■ じろっち様:
 TVニュースは見ていませんが、朝日新聞のホームページに出ていた小さい写真を見て、良い趣向だなあと思いました。あの、葡萄色は、国電色として脳裏に刻まれており、若き日を思い出します。もっとも、私が高校時代、山手線利用で通学していた頃は、17m車のモハ50、31、30の系統でした。のちに、73に変わりましたが・・・・。モハ30のダブルルーフは、ちょっと、ひねくれた鉄道ファン・・・・ゲテモノ大好き・・・・だった私の、大のお気に入りでありました。
■■ TH様:
 いや~、欲しいですね~、大型撮像素子の一眼レフ。しかし、体力的に無理でして、涙を呑んでコンパクトタイプになりました。
 昔の『ブローニースプリングカメラのようなディジタル写真機』が、『50~60K円価格帯』で、あったら良いのですが。買う人は少ないでしょうね。
 なにしろ、私は小さいバッグに、カメラ、財布、途中で読む本、ノート、筆記用具、等々、一式詰め込んで出かけますので。

 でも、一眼レフ・・・・欲しいなあ!!(笑)

 ピカサのオンラインアルバム、拝見しました。いや~、いい旅をなさいましたね。ますます、関西の電車への憧れ心がつのりました。
 少なくとも、2泊3日、出来れば3泊4日位の関西電車見旅をしたいのですが、例の、新型インフルエンザにビビって、二の足、三の足です。 
■■ oojihiroshi様:
 たった二駒の阪急写真が、宝塚線の小型車群、旧梅田駅のドーム屋根、案内放送の声を、思い出すキーになったようで嬉しいです。
 横浜市営地下鉄グリーンライン、リニアの小断面で、将来的に心配でしたが、もう、朝夕通勤時には大混雑が出ているんですね。ブルーラインとの車輌共有も出来ず、横浜市交通局は不思議なことをやったものだと、『素人考え』をしたりします。
by む〜さん (2009-09-10 18:47) 

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