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特急こだま号熱海駅通過1960年 [むかし噺(1)]

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pen-para.gif 今日も昔話を致しましょう。1960年3月、私は東海道本線・東京駅発5時56分の大阪行き普通列車・123列車に乗って「藤枝」「袋井」に、私の好きな軽便鉄道・静岡鉄道駿遠線を撮影に行きました。このとき、東海道本線の各駅のスナップを最低一枚写したのですが、その写真は、このブログがスタートした2006年5月頃に連載しました。このとき、熱海駅で、第一こだま号に追い抜きされたのですが、今回のブログは、そのときの写真を並べましょう。

■■■ 特急第一こだま号熱海駅通過 ■■■

(1) 熱海駅着8時14分。発車が8時28分と14分も停車します。東京駅を7時に出てくる特急こだま号に抜かれるのです。向こうに伊東線のクハ76の顔が見えます。
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(2) 伊東線の電車を拡大してみました。オリンパスペンでの撮影ですから、かなり苦しい画像になってしまいました。
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(3) やがて、東京側から、こだま号が現れました。この頃には、クハ26は既にクハ151と呼び名を変えておりました。右側には貨物側線があって、オート三輪で荷役が行われているのが見えます。そんな、時代でありました。
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(4) オート三輪の周辺を拡大してみました。こんな光景は普通に見られたのですが、あっという間に、貨物輸送そのものが大変化してしまいました。
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(5) こだま号の雄姿。このショットだけは、オリンパスペンではなく、ミノルタセミPのブローニーフィルムで撮影してありました。最高速が200分の1秒ですから、手前側はかなりブレました。連結器カバーの突出もなく、キャブの屋根上もすっきりした初期の姿です。
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(6) 熱海駅入口には、伝統的スタイルの信号所があります。
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(7) そして、ポイントは、電気式でも、電空式でもなく、操作レバー、梃子とロッドによる、これまた伝統的な姿でした。現在は、こういうタイプのポイントって、まだ、残っているのでしょうか・・・・・・。
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(8) 通過してゆく、こだま号。編成の最後尾が見えてきました。
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(9) 退避中の123列車を追い抜いて、こだま号は通過してゆきました。後部の前照灯には、事故などの時、後方防護用の赤いフィルタが取り付けられてています。
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(10) 123列車の最後尾、スハフ32。ダブルルーフに、アンチクライマー、そして、暖房用蒸気の排気の白色がたまりませんね。
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pen-pc.gif これは、オマケです。

(11) 何処の駅か忘れましたが、沼津を過ぎ、愛鷹山の向こうに富士の姿が・・・・・この富士の見え方だと、原駅辺りと思われます。写真はブレていますが、シャープネスで誤魔化して・・・・・・・。 このオジサンは、知らない方です。窓ガラスの角が丸いですが、乗っているのはスハフ42です。
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 このときの旅行記は、2006年のブログを再編集し、ホームページ「むーさんの鉄道風景」にて公開しております。お時間が御座いましたらご覧頂くと、1960年の汽車旅の一部ですが、見えます。
pen-pc.gif http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link1211.html

coffee.gif こんなところで、今日のブログはお仕舞いです。またね~!!!


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服部光之

こんにちは、9日に秩父へ出張で行ってきました。
秩父鉄道に乗るのは20年ぶりくらいでしょうか。
秩父鉄道の車両たちは面白いです。
東武あり、まあ、親会社みたいなものですから当然として、西武、営団地下鉄日比谷線あり、東急東横線あり、JR105系が色変わりで多数編成あり、熊谷から焼く1時間半、列車交換や数箇所にある車両基地で楽しませてもらいました。
秩父はすでに秋の気配で涼しくなっていました
武甲山が半分雲がかかっていて、山の冷気とでもいうのでしょうか、秩父盆地はすでに実りの秋から中秋に入っていました。

by 服部光之 (2009-09-11 11:17) 

む〜さん

■■ 服部光之様:
 秩父鉄道乗られたんですね。私は、昭和の頃からのご無沙汰で、寄居で見かけるだけでした。今年の桜の頃、八高線で寄居を通り、秩父の電車は居らぬかと眼を凝らしたのですが、逢えずじまいでした。
 秩父の電車は、秩父オリジナルの車輌は消え、WIKIを見たら、現在は・・・・
(1)JR101系=秩父1000系
(2)東急8500系=秩父7000系
(3)西武新101系=秩父6000系
(4)都営地下鉄6000系=秩父5000系
・・・・なのだそうです。なんだか、寂しいラインナップですが、これも企業努力なのでしょう。しかし、蒸気機関車列車の運転、電気機関車牽引の石灰鉱石列車・・・・まだまだ、目を離せない素敵な鉄道だと思います。何とか、機会を作って見に行かねばと思いました。
 秋といえば、ウチの駐車場で40cmくらいに伸びた彼岸花の茎を発見、すでに蕾の中の赤い色が覗いておりました。花は、日曜ごろには咲きそうです。
by む〜さん (2009-09-11 14:53) 

サットン

子供の頃「特急こだま」なる絵本があり、付録のソノシート(懐かしい!)に東京~大阪までの車内アナウンスが収録されていました。ライブかニセモノか忘れましたが、一生懸命覚えたものでした。
by サットン (2009-09-11 17:47) 

mymeな大家

こんにちは。
いや~、格好いいですねぇ。さぞかし飛ばして行ったのでしょうね。「作ってみたいなぁ。」と思いつつ、しり込みしてきた、特急の塗り分け、未だにやりたいと思いません。綺麗に出来る方は凄いですよ。この写真を御撮りの時に立っていた場所は、明らかにホームではありませんよね?昔はおおらかだったとむーさんのHPに書いてありましたが、今では警察に突き出されるようですよね。
ところで、本日出張で栃木まで行って来ました。最寄駅が東武日光線の新大平下駅でして、今住んでいるところからは北千住へ出て乗り換えればいいものを、浅草駅から6050系の快速に乗りました。久しぶりに鉄分補給ができました。抵抗器がずらりと並んだ抵抗制御いいですねぇ。それと、普段見慣れている東急の8500系がいることが何だか不思議な感じがしました。こんなに遠くまでお疲れ様と声をかけたくなりました。業平橋では、スカイツリーがだいぶ延びていました。
とりとめもなくすみません。失礼します。
by mymeな大家 (2009-09-11 21:10) 

む〜さん

■■ サットン様:
 ソノシート!・・・・ホントに懐かしいメディアです。へにゃへにゃのプラスティックディスクでした。雑誌の付録でお馴染みでした。価格は安いし、大量生産向き・・・・しかし、ノイズが多く私の好みではなかったのです。ソノシートで思い出すのは・・・・近鉄で配布した『近鉄特急のCMソング』、あの三木鶏郎さん+楠トシエさんの名曲も、ソノシートでした。懐かしい素敵な歌です。
 子供は、『一番』が大好き。当時の花形列車、こだまの絵本もあったんですね。
■■ mymeな大家様:
 ま、何と言っても、当時の花形路線の花形列車です。この年の6月には食堂車付きの電車つばめ号がスタートしましたが、このときは、トップブランドのこだま号でした。
 撮影場所は仰るとおりです。当時は、かなりアバウトでしたから・・・・。当時は、かなりのんびりしていて、ローカルでは、列車から降りたおばあちゃんが線路を歩いて家に向かっていたりしましたね。それが、普通の風景でした。
 もっと前の昭和20年代前半になると、乗車は窓からなんて事もあったし、屋根に乗ったり、機関車に乗ったり、線路を歩いて米・芋を買い出しに行ったり、滅茶苦茶でした。
 東武の6050にお乗りになったんですね。あれは、いい電車です。スペーシアよりカッコ良いと思うのです。こんど、浅草から春日部辺りまで乗ろうと思っています。
 スカイツリーのHPに拠れば、現在の高さは、130mだそうです。残り480m・・・・約0.5kmも残ってるんですね。
by む〜さん (2009-09-11 21:31) 

じろっち

151系の先頭車に連結器が搭載されたのは、東海道新幹線開業後ですかね?

初期のときには、トルクを上げた程度の151系も使用していたようですが、連結器カバーは大きいですね。
緊急補機連結を考慮していたんでしょうか?

151系は、その姿を見たことが無い人にも人気があるので、JRは、外観を151系に似せた交直両用・耐寒・勾配・(準地下対応)の在来線用新車を出してほしいですね。(前面非常扉不要区間)

とりあえずは、東武日光~伊豆急下田で、“伊豆日光”でしょうか。
成田空港~東武日光も良いかな。


私が乗ったのは、昭和39年の“おおとり”のようです。
by じろっち (2009-09-11 22:58) 

じろっち

このネタを出してきたなら、今は頼んでも断られる“走行中の運転室からの撮影”も出しませんか?

昔は鉄道員も、おおらかでしたね。
踏み切りでない場所で線路横断をしても、接近中の列車が無い時間帯なら、何も言わなかったし、鉄道員の方から世間話をしに来たり・・・

中間運転室が施錠されていないこともありました。
by じろっち (2009-09-11 23:09) 

む〜さん

■■ じろっち様:
 昭和35年6月に、客車特急のつばめが電車化した時のクロ151は連結器カバーが大きく飛び出し、運転室頭上のライト両脇に警笛がつけられて、私は、それが好きになれませんでした。
 そういえば、モハ165系(だったかな?)を使った湘南日光号ってのもありあました。
 私は、気が弱いので、運転中に運転室中に入れて・・・と云う事も出来ませんでした。あそこは『聖域』と思えて言い出せませんでした。ちょっと、惜しかった気もしますが。
 また、最前部まで、客室って電車も一杯ありました。京浜急行デハ230、東急デハ3450、3400、3300。3100もH棒しかありませんし。関西だと阪神電車にも沢山ありました。しかし、意外と、前方を撮影した写真は少ないですね。フィルムを節約して使いますので、前方の写真は線路が写るわけで、勿体ないと思ったのか、写真が少ないのですね、きっと。
by む〜さん (2009-09-12 00:53) 

manamana

私鉄沿線の子供時代は、
国鉄の特急は、たまに通過するのを眺めるだけの、
遠い存在でした。
時間が戻せれば、もっともっと体験したかったなぁ。
by manamana (2009-09-12 07:27) 

む〜さん

■■ manamana様:
 私が若かった頃・・・・というか、少年時代は、国鉄の二等車、一等展望車、食堂車などは、乗ることがためらわれて、二等車に乗ったのが1~2回しかありません。食堂車だって、数回だけでした。食堂車に初めて乗ったときなんか、もう、ドキドキしちゃって・・・・結局注文したのがハムエッグとライス、そしてジンジャーエールでありました。ジンジャーエールはこのとき、生まれて初めて口にしました。いまでも、ジンジャーエールを飲むと、そんな時の事を思い出します。お話が少々ズレました。
 社会人になって2ヶ月以上、一等展望車はあったのですから、逆立ちすれば、お金は何とかなったでしょうから、無理しても乗って置けばよかったなあと、後で思いましたっけ・・・・。
by む〜さん (2009-09-12 09:19) 

青木一郎

通過する「つばめ」「はと」の展望車を見ながら一度、乗りたいと思っていましたがその頃は小学生でしたので一等車はもちろん、二等車も子供が乗れるようなものではないご時勢でした。
後年、せめて三軸ボギーに乗っておこうと北海道撮影旅行の際、臨時急行「石狩」のダイヤにあわせ念願をかなえました。昭和41
年12月で、スハシ38でした。
走行音は二軸ボギーの「タ、タン」ではなく「タ、タ、タン」のリズムですので感激しました。最初で最後でした。
by 青木一郎 (2009-09-12 10:32) 

む〜さん

■■ 青木一郎様:
 目の前を通過する特急列車の最後尾、一等展望車の展望デッキに誰か立って居たら羨ましさに『うわ~!』って思いますね。柵の高さは低いもので、後年、何かのイベントで走らせた時は、嵩上げされており、少々、不恰好に思えました。
 東京駅で特急はとを写したとき、デッキに並んで記念撮影の方がいらっしゃいましたが、そんな気持ちにさせる客車でありました。画像は下記の頁の一番下にあります。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link120.html
 三軸ボギーは食堂車でも体験しましたが、あれは、昭和30年代後半だったでしょうか、御殿場線から東京駅直通の普通列車にマハXXという、没落貴族みたいな三等車が付いていましたので、デッキに乗って、たっぷりジョイント音を楽しんだことを思いだしました。
by む〜さん (2009-09-12 17:46) 

じろっち

JR西が、500系の自由席に“こども運転台”を設置したそうです。
新大阪~博多は、乗客が少ないそうなので、“親子鉄取り込み策”の一環として実施したんでしょうね。

きのう・今日と、鴨宮界隈を通りましたよ。
“新幹線発祥の地”を、JR東海の協力も得て、もっとPRすれば良いのになあ、と思います。

モデル線は、高速走行試験開始の際に、鴨宮~三島が追加されたそうですね。
三島駅が実現したように、鴨宮も、“新小田原”みたいな線が有ったんじゃないですかねえ?
by じろっち (2009-09-13 22:28) 

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