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江ノ電昭和風景(3)江ノ島龍口寺前 [むかし噺(1)]

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pencil-red.gif 朝から雨降り・・・・こんな日には、おとなしくしているに限ります。今回は、前回に引き続き、「部分拡大方式による江ノ電昭和写真シリーズ」、その第三回江ノ島龍口寺まえの街路風景
 前回の江ノ島撮影行のとき、1962年・昭和37年9
月・・・・・・・・。

■■■ 江ノ電昭和風景(3)江ノ島竜口寺前1962 ■■■

 頃は、1962年・昭和37年9月のある日のことでありました。

(1-1) 正面に見えているのが龍口寺。現在も健在の二階家の脇から、鎌倉行の電車352が顔を出す。バスが如何言う訳か、変なポジションですが・・・・。
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(1-2) 電車の通過を待つママと子供というより、お祖母ちゃんとお孫さんって雰囲気ですが、71歳の目でこの写真を見ると、何と無く、暖かな気持ちになってしまう。
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(1-3) 自動車部分の拡大。バスは江ノ電バスのようですね。トラックは何処の製品かわかりませんが(トヨタかしら?)、右端の可愛いのは、もう、お判りのことと思います。
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(2-1) (1)のちょっと後のシーンです。Sカーブを行く電車。自動車が掛かってしまったのは惜しいけれど。
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(2-2) そのかわり、自動車のお尻が、ド~ンと写ってしまったわけで・・・・・。電車はチャンとナンバーが写っており、302+352ですが、画面に居る4台の自動車は何処の何でしょう??割とやさしい問題だと思いますが如何でしょうか?・・・・じつは、一台を除いて、私もよく判らないのです。
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(3-1) 階段を一寸登って、龍口寺の中から写しました。いまでも、このアングルで撮れますが、電柱が、かなり障害となります。現在、ここに立つと、同じ場所の筈なのですが、同じに見えないくらい、風景は変わっております。
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(3-2) 電車を中心に拡大しました。何と無く、「賑わい」という言葉が思い浮かぶようなシーンですね。電車は305+355
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(4-1) 商店街をちょっと歩きます。藤沢行の電車が来ました。301+351。私にとって、これこそ、江ノ電って電車です。
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(4-2) 好きな電車ですので、拡大しちゃいます
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 交通標識部分を拡大しました。確かに、電車の集電装置はビューゲルというよりもポールですね。終点でポール回しをしそうですね。
 私の記憶の踏み切りありの標識は、蒸気機関車だった気がしますが、電車もあったような気も・・・・でも、パンタグラフだった気がする。
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coffee.gif ・・・・と、言うところで、今日は、これでオシマイです。次回の江ノ電昭和風景は、藤沢駅の写真を用意しています。


タグ:江ノ電
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服部光之

龍口寺、懐かしいですね。
もう50年以上前に、さる団体での海水浴へ行った際に、着替えなどで本堂を借りて休んだりしたことがありました。
そんなに海まで遠いわけでもなく、うっそうとした寺院伽藍だったことをおぼろげながら思い出しました。
by 服部光之 (2009-10-02 19:32) 

non_B

1・4枚目の画像左端に写っている道路標識にある電車の絵が、ポールを立ててますね。丸みのある車体が500をイメージさせます。
この地域のオリジナルなんでしょうか?
by non_B (2009-10-02 21:53) 

じろっち

1960年代の神奈川県には在日米軍(というより進駐軍か)の施設がたくさん有り、愛車を持ち込んだ米兵も多いので、日本に公式に輸入された記録の無い自動車も多く存在したんですよ。
正体不明の乗用車も、そういったものかもしれません。
米軍が持ち込んだトレーラートラックの後ろに、運転席を撤去したスクールバスを連結した日本人向けのバスも存在したんですよねえ。
日本のバス事業復興と共に引退していったそうです。
写真の江ノ電バスは、江ノ電バスとしては珍しい新型車ではないでしょうか。
江ノ電バスは車両更新が遅いので、昭和40年代でもボンネットバスが使用されていたんですよ。
今でも、自然風導入車が存在します。
by じろっち (2009-10-02 21:56) 

ひろきん

数年前、沿線沿いに住んでました。
湘南海岸公園駅、鵠沼駅が利用駅でした。
江ノ電は、全ての駅に特徴があってよいですね。
龍口寺は、夜中にばたもちを拾いに行ったのを覚えてます。
寺前の変形五差路(?)は当時もにぎやかだったのですね。
当時、湘南モノレールは無かったと思いますが、目白山下から下ってくる道はあったのでしょうかね。
古きよき想い出の写真をありがとうございました。
by ひろきん (2009-10-02 22:19) 

む〜さん

■■ 服部光之様:
 龍口寺が海の家みたいになっていたのでしょうか・・・・海まで360m、道路を歩いてゆくわけで、のどかな時代だったんですね。
■■ non_B様:
 交通標識、拡大して追加しました。こんな丸っこい二軸のポール電車・・・・写真しか知りませんが秋保電車を思い出します。
■■ じろっち様:
 進駐軍のトラックを改造したパス・・・角ばっていて、ボクたちは『四角バス』って言ってました。昭和20年代前半のことです。
■■ ひろきん様:
 昭和37年の湘南海岸公園駅の写真が撮ってあるのですが、現在の湘南海岸駅とイメージが重なりません。ひょっとして移動したのかもしれません。
 目白山から下ってくる道路というと、龍口寺脇に出てくる道かしら・・・・だとすると、あの道は戦前に有料道路として造られたものです。いまでも、昭和30年代のイメージと重ねられます。
by む〜さん (2009-10-02 22:48) 

つばめごう

貴重なお写真を興味深く拝見させていただいております。

3-2、4-1に映っております細長い街灯がステキですね。
形状から察しまして蛍光灯を使っているのでしょうか?

当時と比べますと今は、風景だけではなく、
風の香りや音(江ノ電車両のモーター音など)も違うのでしょうね。
by つばめごう (2009-10-03 01:30) 

じろっち

「江ノ電に注意」的な標識は、江ノ電のオリジナルでしょうか?
当時の鉄道警戒標識は、SLだと思うんですよ。
「もう走ってないのにSL?」なんて話も有りましたからねえ。
この時代は、英文併記標識も普通に存在したんでしょうね。

江ノ電が1970年代に廃止にならなかったのには裏工作があったんでしょうか?
小規模民鉄廃止ブームの時代に生き残った理由に、政治的配慮があったんじゃないかという気がします。
by じろっち (2009-10-03 04:36) 

鈴木光太郎

(1-2)写真の道路案内標識ですが、「藤沢3km」のローマ字表記が「Futsusawa」になってます。米軍の指導?
(1-3)写真のダンプトラックはいすゞ製ですね。
(2-1)写真の左端の二階家のさらに左隣りの二階家は郵政省の保養所で1957年頃海水浴で二泊しました。40畳くらいの畳の大部屋に10家族くらいが布団を敷き詰めて一緒に寝ます。お父さんクラス達は日中はステテコでゴロゴロしてました。
(2-2)写真は左から、不明、不明、セドリックのバン、エルフですね。
by 鈴木光太郎 (2009-10-03 07:12) 

ひろきん

む~さん、こんにちは。
> 現在の湘南海岸駅とイメージが重なりません。
> ひょっとして移動したのかもしれません。
以前は、線路の南側に駅舎があったみたいですね。今は北側にあります。移動前の写真だとすると、貴重ですね~
> 龍口寺脇に出てくる道かしら・・・・
おぉ~有料道路だったのですか!何処まで続いていた有料道路か気になりますねぇ~
いまは変則的な五差路なので、事故が多いみたいです。
久しぶりに散策したくなりました。藤沢駅が楽しみだわ~(^^)
by ひろきん (2009-10-03 08:29) 

はーさん

江ノ電は本当に稀有な鉄道ですね。
地方鉄道法で営業し、高床式電車で運行しているにも関わらず
併用軌道区間も走るというのはいまでは数少ないものでは
ないでしょうか?
高床式電車が併用軌道を走るのはかっては、近鉄奈良線など
いろいろありましたが、今では江ノ電以外では福井鉄道ぐらいでしょうか?でも名鉄岐阜の電車がたくさん入りましたので200形が走るのは少なくなったでしょう?
それから、名鉄犬山線の橋はどうなったでしょう?
それにしても、江ノ電は救助網やフェンダーのようなものは付けて
いないのですね。
狭い道を301+351が走る光景を見ますとなにか怖い感じがしますね!
by はーさん (2009-10-03 10:26) 

HIROOUJI

江ノ電が片瀬江ノ島駅から狭い家並みを旧角度で曲がり、道路併用区間に出ると左の車窓に荘厳な龍口寺を取り囲む木々の緑
急に展望が開けてここの景色は乗っていても、また降りて江ノ電を撮影する場合でも僕の大好きな場所空間です。

こうしてみると、建物は新しくなったものの腰越併用道路を走る江ノ電はもう50年経ているのに変わっておらずうれしいですね。

いまは一編成しかなくなった300形が主力電車でした。
懐かしい貴重な写真ありがとうございます。
by HIROOUJI (2009-10-03 14:45) 

hitomien

む~さん様
江ノ電シリーズ、今回も貴重な写真ありがとうございます。

龍口寺の裏山が松林のみですね。
というか昔は片瀬を含めて松林ばっかりだったようですが。

腰越の路面電車区間は、案外現在と建物は変わっていないんじゃないか、と思えてきました。
(3-1)写真の入り口部分には今も古い写真屋さんが残っていますし
(4-1)の左手前はおそらく魚屋で、現存してるのではないでしょうか。
この通りは魚屋が多くて(漁港近くだからでしょうか)、しかも
どこも繁盛してるように見えます。
多分元気なのは、魚屋とスーパーくらいかと。

ちょっと明日天気良さそうなので、早速現状を見に行ってこようと思います。
by hitomien (2009-10-03 19:29) 

のり

江ノ電の貴重なお写真、とても素晴らしいですね。生活道路を堂々と邁進する電車、本当に素敵な風景です。
関東を訪問することがあれば、「江ノ電詣で」は欠かせませんね。

by のり (2009-10-04 18:37) 

む〜さん

■■ つばめごう様:
 そうですね、街路灯の光源はたぶん蛍光灯でしょう。シンプルで、なかなかいけるスタイルですね。
 昭和30年代の江ノ電は、東京に近いのに、なんだかローカル私鉄の趣でした。
 あの、ポール集電方式はなかなか味がありました。黒澤 明監督の映画『天国と地獄』で、バカにされてまして、公開当時、見ていて腹が立ちました。ひょっとして、ポールの引退が早まった原因かもしれないと真剣に思ったものです。まさかと思いますが・・・。
■■ じろっち様:
 踏み切りの標識は蒸気機関車の記憶が濃厚です。たしかに、電車が来るのに蒸気機関車はおかしいという議論はありました。
 青信号と同じじゃあないか、リアリズムじゃあなくていいじゃないかと思いましたっけ。
■■ 鈴木光太郎様:
 申し訳ありません!スキャンデータを拡大して見たのですが、『FUJISAWA』『藤沢』となっております。私が縮小した時の歪でした。
 バスの隣のダンプトラックは『いすず』でしたか・・・有難う御座います。
 セドリックのバンはリアゲートがモーター巻上げ式で、エアコンなんかなかった時代ですから、開放走行に便利でしたね。トヨペットの場合は、跳ね上げて走ってましたから・・・・。
■■ ひろきん様:
 湘南海岸公園駅、ホーム位置が逆になったのですね。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link149a.html
 昭和37年の同駅の写真があります。着物のオバサンが線路を普通に歩いてます。線路=道路の時代でした。
 有料道路は龍口寺の脇から深沢、横須賀線を立体交叉し大船の駅前まで辿れました。
■■ はーさん様:
 近鉄も名鉄も併用区間がなくなってしまいました。残るは江ノ電と福井鉄道・・・希少価値ですので、大事にしたいですね。
 確かに、デッカイ電車がゴロゴロ行くのは恐ろしい感じがしないでもありませんが、かなり低速だし、大丈夫なのでしょう。
■■ HIROOUJI様:
 江ノ電のこの併用軌道区間は他の地域の『線路=歩行者道路的な状態』がなくなっちゃった現在、貴重な存在ですね。
■■ hitomien様:
 あの写真館は凄い建物です。他人様のものですから何も言えませんが、保存すべき建物だと思っています。見るとほっとします。
 こんど、これらの写真をプリントして持参し、現地踏査したいと思っています。なんだか、探検隊みたいな気持ちになってきました。
 もし、現地に行かれたようでしたら、コメント、書き込んでくださいね。
■■ のり様:
 関東に来られたときは、なんとか時間を都合して乗りに来て下さい。必ずや満足されることと思います。都電の荒川線も欠かせないでしょうね。
 逆に、私は関西に旅したら阪堺には必ず乗りたいと思っています。
by む〜さん (2009-10-04 21:02) 

通りすがり

はじめまして。
もう大分日が経ってしまっているブログにコメントで
失礼を致します。
私、丁度、1962年生まれで当時はこの龍口寺近く
(湘南モノレールの江ノ島駅近く)に住んでおりまして
この風景を見て大変感動いたしました。
当時は写真自体が高価で、自分の姿も白黒で
今ほど沢山の写真はありません。また風景を写すより
矢張り、子供(私)ばかりが写っており
この風景は思い出の中でしかなかったのが
現在までの時を経て、こうして肉眼で見る事が出来
とても感謝致しております。
その一言を告げたく、これからもどうぞご自愛され
このブログが栄えますよう、陰乍ら応援させて頂きます。
by 通りすがり (2012-06-23 10:36) 

む〜さん

■■ 通りすがり様:
 コメント有難う御座います。江ノ電は、この頃から見ますと、格段のグレードアップで、驚くほどの変わりようですが、それでも、往時の面影があります。このブログで昔を思い出してくださったようで私も嬉しいです。私のホームページ「む~さんの鉄道風景」に江ノ電の記事を書いてありますので、もし、ご覧になっておられなければ、ご覧頂きたく存じます。下のリンクからアクセスできます。
(1) 江ノ電1959年
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link148a.html
(2) 江ノ電1962年
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link149a.html
by む〜さん (2012-06-23 23:43) 

Ryo

リバイバルついでに私も一言入れさせていただきます。
3-2と4-1の写真がことにいいですね。なんといっても軌道敷が敷石、素敵すぎます。路面区間はこうでなくてはいけませんね!
それに、今も同じ場所のはずなのに、今より心持ち道路が狭くて迫力があるようにも感じます。今は何もかも近代化したとはいえ、やっぱりここはいい景色です。
そういえば、以前ここを電車で通過したとき、窓から外を見ていた女の子が、「ママ、道路走ってるよ、ねえ、道路走ってる!!」と感激していたのが印象的でした。
by Ryo (2012-06-24 00:19) 

む〜さん

■■ Ryo様:
 軌道敷の石畳は味があっていいものですね。自動車の数が増え、その所為かアスファルトに変わりました。たしかに、自動車側から見ればゴトゴトしないので良いかも知れません。
 この龍口寺前から腰越駅に掛けての商店街の家並みも更新が進んで、私が最初に写しに言った1962年と比べると、ぶったまげるほど変わりました。
 それでも、まだ、良い雰囲気があり、観光客には人気があるようです。
by む〜さん (2012-06-24 09:37) 

蠍座は黒い星

(1-3)ですが、トラックはいすゞのTXシリーズ、ボディ架装は川崎だとお見受けしました!
by 蠍座は黒い星 (2012-10-22 10:26) 

む〜さん

■■ 蠍座は黒い星様:
 トラック・・・・いすずTXに川崎の車体ですか・・・・有難う御座います。乗用車は一寸だけですが判るのがありますが、バス・トラックはなかなか見分けが出来ません。有難う御座いました。
by む〜さん (2012-10-22 16:44) 

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