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(続)大阪梅田:市電風景1954年 [むかし噺(1)]

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前回の「大阪梅田:市電風景1954年」の続編です。同時に何枚かの大阪市電を撮ってありました。その大阪市電たちを、ご覧下さい。なにせ、世間知らずの16歳少年一人旅ゆえ、広い大阪、大量の市電車輌たちを網羅はおろか、そのほんの一部分だけですので、お許し下さい。

 ホームページで公開中の、1954年・昭和29年8月の関西旅行のときの写真です。一枚を除いて真横からの写真になってしまいました。

■■■ (続) 大阪梅田:市電風景1954年 ■■■

 1954年・昭和29年8月の中ごろの大阪駅前阪急百貨店の前辺りで写して居ります。

(1) 1949年~50年製造の1801形1812
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(2) 2001形2036。1951~52年の製造。
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(3) 1711形の1721です。1947~48年に製造されたとの事です。
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(4) 2101形の2103。窓から外を見ている子供が可愛い。台車が新しいので調べてみたら1951年に製造されたとの事です
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(5) (1)~(4)とは別の日に野田阪神で写しました。781形782が煉瓦積みの坂道を登ってゆきます。
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(以前、当ブログで公開したものと同じ写真です)

(6) オマケの画像は乗用車。右ハンドル。私には何処の何だかわっぱり判りません
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pen-para.gif この「旅」の往路、東海道本線の切符とか、大阪の電車の切符が残っています。私は、切符のコレクターではないし、たまたま、この旅行の一部の切符が残っているだけなのでが、ついでですから、この機にご披露しましょう。・・・・と、そんなに、大袈裟に言うほどの資料じゃあありませんが・・・・・・。ご参考まで。

(7) 目的地・西宮駅の二つ先(当時)の駅、摂津本山駅までの切符です。同じ運賃だったのかしら・・・・・・。
 東海道を急行列車で下ったのは、8月11日ですから、あらかじめ前日、電車だかバスだかで東京駅まで買いに行ったのでしょう。ご苦労な事です。
 そして、何故か大阪駅で途中下車しています。降りたときの記憶は、勿論、ありません。880円で学割ですから当時は半額、440円か・・・・安いっ!もっとも、この二年先、昭和31年夏、大学一年時代にバイトの時給が@37円50銭だった・・・・・。8時間で300円だったのです。現代と較べて如何なのでしょう。
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(8) 西宮について次の日、大阪まで行くのに、今津駅から阪神電車に乗りました。阪急電車との接続駅なのに、急行は停まりません。不思議でした。
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(9) 梅田から、国電の城東線・天満駅まで歩き、城東線で天王寺まで乗り、地下鉄で梅田、阪急で西宮北口へ戻りました。その時の阪急電車の切符です。(8)の阪神も同様ですが、ペラペラの切符で、区間制だったのが、珍しく感じました。
 窓口で、何区とか、何処駅までというと、スタンプを押して、何枚も続いている「切符の素」から千切ってくれました。
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(10) 地下鉄の回数券ですが、日付が無いので、この時のものかどうか判りません。回数券を買うはずはないし、切符のオバサンから買うはずもありません。後年、友人から頂いたものと思われます。
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coffee.gif では、このあたりで、お終いと致しましょう。
 又、次回!!!!!


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なにわ

三扉の大型車は主要系統を擁する天王寺(1,3,4)、都島(10,14)、今里(5,6:1601型のみ)の各車庫に配属されていました。

1711、1801ともにお客がいないように見えますので、大阪駅前で折り返す電車なのでしょうか。もっとも、天王寺の車なら、大阪駅前の運転指令にそのまま四ツ橋筋を南下と言われる可能性がありますが。

2001型の2021~2040は、出力増強されているので、2021型と呼ばれていることがあるそうです。
2101型の製造年ってこれで正しかったのでしょうか(ういきぺでぃあが間違っている可能性あり)。予算年度からすると、2021より後だったような気がしますが。

781型、元新阪堺の車で使いにくかったようですが、まだ使われていたのですね。鶴町車庫が、洪水対策のかさ上げで廃止になり、どこに行っていたのやら。野田阪神-鶴町の20系統のようですから、春日出車庫のようですね。

阪神のきっぷ、戦後9年たっても旧字体の在庫が残っていた、といっても、国鉄で旧字体から新字体への転換が1952年のことでしたので。




by なにわ (2009-11-15 11:15) 

はーさん

関東のファンにとっては、大阪市電は「大きい」という印象でした。
都電は新宿線、11、12系統に使われた5000形以外は、中小型車ばかりであったのがベースにあったのでしょう。
むーさんより、少し、遅れて、大阪の鉄道を幾度か訪ねましたが、阪急、阪神、京阪などの高速電車に目を奪われ、大阪市電の写真はほとんど撮っていなかったのが悔やまれます。
1700形は戦後の規格形であったようで、横浜市電、1300形はほぼ同じ電車でした。単車もたくさん残っていた横浜では、大きさが際立っていました。横浜市電最後の新車1600形も大阪市電
3000形をベースに作ったようで、関東にあって、都電より、大阪市電の影響が大きいというのは面白いと思いました。ゲージが
1435mmということもあったのかもしれません。

by はーさん (2009-11-15 14:48) 

じろっち

大阪市交通局地下鉄の回数券は、バスの回数券と同じで、期間の限定は無かったんでしょうね。

今でも台紙から千切るタイプの回数券って、残っているんですかねえ?

今日は欲しいと思っていたNゲージのSL列車セットを買ってきました。
SLは、D51でした。
D51の通常運用で、旅客列車の運行って有ったんですかね?

行きの大船駅に、横浜に向かう・車庫に向かう新型NEXが居ました。
さいきんは老若男女で鉄道好きが多いので、ケータイのカメラを向けている人が多かったです。
by じろっち (2009-11-15 21:30) 

しおつ

昭和20年代の路面電車。
路面電車が生き生きとしていた時代ですね。
いまのきれいな車両と比べてもあまり古さを感じません。
by しおつ (2009-11-15 22:05) 

mymeな大家

こんにちは。
大阪の市電たち、どのくらい残っているのでしょうか。
関東地方の路面電車に比べて、窓が大きいように感じます。
野田阪神で写された写真の一番手前の柱に街灯らしきものが写っていますが、停留所がありませんし、ちょっと不思議なかんじがするのですが、歩行者のためでしょうか。
貴重な切符のご紹介ありがとうございます。よく色が褪せずに残っていますね。むーさんさすがです。
では、失礼します。
by mymeな大家 (2009-11-15 23:43) 

野良猫次郎

今回も貴重なお写真拝見できありがとうございます。

時間が止まっているようで、とても不思議な世界にいる感じがします。

回数券のことですが、大阪ではオバちゃんたちが小遣い稼ぎに回数券を一般人にばら売りするという話を聞いたことがあります。

それなら、可能性がありそうですが。
by 野良猫次郎 (2009-11-16 05:10) 

manamana

東京から大阪までの切符が、
こんな普通のサイズの切符だったのですね。
長距離は定期券サイズになったのは、
いつからでしょう。
by manamana (2009-11-16 06:41) 

鈴木光太郎

(6)の写真のライトバン?は側面窓の数が違うとはいえ↓の可能性はどうでしょうか?
http://hide-g.blog.so-net.ne.jp/2005-10-30-2
↑のトツプ写真、ダットサンデラックスセダンです。 
理由は、 前ドア直前の縦長の換気口(むーさん様写真では開口してる)、 前フェンダーと側面腰板の継ぎ目ラインが同じ位置だからです。車体後半部はかなり様子が異なりますが。
by 鈴木光太郎 (2009-11-16 08:51) 

デトニ2300

 1651型,1701型と続くこのデザインは戦中生まれにもかかわらず、古さを感じないスマートな車両でした。1651型は両端扉が2枚折り戸で、子供心にスマートさを感じたものです。その前の801型,901型は車体も小さく何となく田舎くさい感じを受けました。1701型は大阪市電廃止後、一部が広電に移り、広島に転勤したときにも見ることができ懐かしく感じました。広電には1601型、2601型、そして京都市電、神戸市電も移籍してきて、関西路面電車の宝庫で、やってくる電車を眺めルだけでも楽しい路線でした。
 大阪のきっぶうりのおばちゃん(おっちゃんもいました)は子供心にも何か不思議な存在でした。1枚余分な切符分が儲けになるのでしょうが、主要な駅でけっこう見受けました。市電だけでなく、市バス、地下鉄にもいました。確か京都でも見かけたような気がします。関東ではああいう商売はあったのでしょうか。
by デトニ2300 (2009-11-16 11:52) 

なにわ

>じろっちさん
>野良猫次郎さん
>デトニさん
軌道の回数券は有効期限が設定されていないはずです。バスの回数カードは無期限のはずですから。
回数券バラ売りのおばちゃんは大阪名物でした。市電廃止時(1969年3月)で禁止されています。

>manamanaさん
現行の大きさになったのは、1983年末ぐらいからでしょうが、縦横反対の大きさでは70年代から存在しています。

昨日の追記、2001の台車は、戦災廃車の1601の転用品です。
by なにわ (2009-11-16 22:25) 

む〜さん

■■ なにわ様:
 大阪の市電事情、有難う御座います。昭和36年に東京~高知間の旅行をしましたが、名古屋~上本町が近鉄、そして、上本町から梅田まで市電に乗りました。当時は未だ市電が元気だったんですね。
 阪神の切符、『區、圓、發、當』の字が懐かしいです。
 回数券と国鉄乗車券サイズの件、有難う御座います。回数券売りのおばちゃんの姿は関東の私には、不思議な風景に感じられました。
■■ はーさん様:
 確かに仰られるとおり、関東の路面電車には三扉は少なかったですね。東京の5000は、改造されて新製当時の面影は少なくなって居ましたが、改造前の姿は、見ようによっては重厚でポールが似合ったような気がします。横浜の1300は、窓が大きく明るい電車で、横浜の街によくマッチしていた気が致します。
■■ じろっち様:
 D51は中央線で、旅客列車牽引の姿を良く見ました。結構、いいものですよ。私のHPにもありますのでご覧下さい。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link116-chuo.html
 今、改めて見てみると、このページも写真の大型化が必要だなあと思いました。
■■ しおつ様:
 そうなんですよ!この頃の都市交通の主役でしたから。自動車も少なく、乗降に自動車の危険も少なかったのです。その自動車に追われて消えていった都市が多かったのはまことに残念です。
■■ mymeな大家様:
 窓の小さいタイプもあった気がしますが、詳しいことは判りません。
 架線柱の電灯は街路灯なのかもしれません。横浜市電にもありましたが、余りに高いところに取り付けられた白熱灯は、果たして照明効果があったかどうか・・・・今の水銀灯、ナトリウムランプの比ではありませんから。でも、街が暗かった当時では、それなりの効果はあったのでしょう。
 乗車券は、かなり退色しており、フォトショップでだいぶ加工しました。『たぶん、こんな色だったと思われるような色』にしたのですが、果たして正しい色かどうかはわかりません。
■■ 野良猫次郎様:
 高校生~大学時代の私はしばしば大阪へ行きましたが、オバチャンからはいとども買ったことがないのです。たぶん、大阪方面の友人がくれたのだと思われます。
■■ manamana様:
 大き目の硬い切符は汽車の旅を感じさせます。これに、赤線二本の急行券とか、三本の特別急行券を組み合わせるわけです。現在のその都度プリントアウトする定期券みたいな券よりも、ずっと良い感じだと私は思います。
■■ 鈴木光太郎様:
 見てみました。云われてみれば、似ているような気もします。なにしろ、本気で自動車を見るようになったのは、社会人一年生の昭和35年に免許を取り、ダットサン1000に社用で乗るようになってからです。そのダットサン乗用車も、このページに出ていました。懐かしかったです。
■■ デトニ2300様:
 広島電鉄はいろいろな電車が入り混じり、眺めて楽しいですね。2000年以来ご無沙汰ですが、そろそろ、行って見たいです。
by む〜さん (2009-11-16 23:03) 

hirorail2010

む~さま
こんばんは
まさにこの大阪市電1800形こそぼくが大阪に住んでいた頃の貴重な想い出につながります。
大阪駅前に夕方ラッシュアワーが始まると市電が数珠つなぎに並んで次々と大阪駅前から発車していく姿は壮観でした。

東京の都電が総じて車輛が小型で逢ったのに比べて大阪市電は大型ボギー車でした。
市電のある風景、黄昏時に周辺のビルの照明が点いてその中を走る光景、雨の日、沢山の傘の花が咲く停留所で待つ人々、夏空のよく晴れた空に入道雲の沸き立つ中にやってくる市電、どれをとっても大都会らしい光景でした。
by hirorail2010 (2009-11-16 23:28) 

サットン

関西私鉄の乗車券類は今では地紋までスルッと関西の共通模様が幅をきかせています。
回数券売りのおばちゃんって京都にもいましたよ。5年生のとき初めて子供だけで梅小路機関車館を訪れた際、おばちゃんから市電の切符を買い道順を教えてもらいました。万博とかイベントがあるたびに締め出されていったようです。一説では戦争未亡人の手軽な収入手段だったとか。
by サットン (2009-11-17 10:59) 

む〜さん

■■ hirorail2010様:
 大阪に住んで大阪の電車を体験されたのは、東京から離れなかった私からみて、凄く羨ましく感じられます。
 東京都電は大型3扉と言えば5000形しか居ませんでした。その5000も終期には、2ドアに改造されて、デビュー時の面影は少なくなって居りました。
 私は昭和36年に乗ったのが大阪市電の最後の乗車体験でした。
■■ サットン様:
 そういえば、最近の関西私鉄の乗車券を手にした事がありません。あれは、2006年だったでしょうか、嵐電と梅小路、叡電に乗ったのが最後でした。例のインフルエンザ流行の所為で、関西旅行は二の足です。なにしろ、老人なので、掛かったらダメージも大きかろうと、ビビる私です。
 切符のおばちゃんは、東京の新聞でも、大阪にはこういう商売があるのだと、大阪人のバイタリティを讃えるような扱いで書かれて居りました。
by む〜さん (2009-11-19 22:04) 

yutakami

回数券バラ売りのおばちゃん、懐かしいですね。
「小遣い稼ぎ」じゃなくて生活のためと理解していましたが・・・。
by yutakami (2009-11-23 15:51) 

む〜さん

■■ yutakami様:
 回数券のおばちゃんは高校生だった私の目に非常に奇異に映りました。買って良いものかどうかもわからずに居たのです。雑誌・新聞で、「合理的な考え方を持つ関西で成り立つ商売」と書かれて居りました。
by む〜さん (2009-11-23 20:52) 

グズグズ

む~さんこんにちは。鉄道関係はまったく勉強していないので、昔の記事ですが珍しい車の写真を見させていただいたので車種をお知らせしたいと思います。(6)のワゴンタイプの自動車は昭和26年製のダットサンDW4型ワゴネットだと思います。下記のサイトをみると絵写真がありますので確かめてください。「datsun dw-4」の写真です
http://www.earlydatsun.com/datsundb4.html
by グズグズ (2012-05-01 13:37) 

む〜さん

■■ グズグズ様:
 このライトバンは昭和26年ダットサンDW4なんですか・・・・・写真を見ると、まさに、コレですね。
 お教え下さって、有難う御座います。疑問が晴れて、すっきりしました。昭和26年と言うとまだまだ外車が幅を利かせていた時代でしたね。
by む〜さん (2012-05-01 22:52) 

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