冬の御殿場線1966 [むかし噺(1)]
今回は、昔噺です。手近なところで国鉄御殿場線・・・・・・1966年・昭和41年1月の事でした。学生時代からの鉄道ファン仲間と伊豆の某所某旅館にて新年会。その翌日、沼津から御殿場線に乗ったのです。降りたのは「足柄駅」でした。ここから、御殿場方面に歩く・・・・結構、疲れたから、かなりの距離だったと思われます。
カメラは、ミノルタ・レポだったと思うのですが、オリンパスペンだったかもしれません。フィルムはエクタクローム。
(1) 沼津から乗ってきた気動車列車が国府津に向けて出て行きます。貫通ドア前の渡り板には1730の文字・・・・キハ17なのでしょう。パートナーはキハ50でしょうか・・・・・。
(2) 下車したお客さんが散って行きます。この頃の女性は着物の方が多かったですね。
(3) 出発信号機は関東地方ではあまり見られなかったタイプ。
この、足柄駅は、御殿場線の起点、国府津から28.9km。箱根の山をバックに御殿場線の列車を撮ろうと、同行の同好の士の皆さんと、御殿場に向けて歩き出す。
(4) どの辺りだか地図を見てもサッパリ判りません。右の下は川らしい。向こうの山は箱根。キハ17一族の気動車の2連が来ました。枯野の中、非電化の単線、東京から遠く離れた地に来たような感覚になってしまうような場所でありました。キロポストが読めたら、場所を決定するデータになるのですが・・・ダメです。なにしろ、ハーフサイズ。
昔風の通信線・・・・電信柱と言う言葉がぴったりですね。
(5) 気動車部分だけ拡大してみました。ずらりと並んだ電信柱・・・・壮観です。
(6) 小田急の乗り入れ気動車が来ました。5000でしょうか?5100でしょうか?サイドが写って居ないので、私には判別出来ません・・・・。右下の方には田圃が見えます。
(7) ヘッドマークは、ブルーに白線で富士山、黄色の文字は「芙蓉」と読めないでもありません。
データ不足で、何が何だか判らない記述になりました。申し訳ないことです。
今から44年昔の、のどかな風景をご覧頂きました。
こんばんは。エクタクローム、きれいに色が残ってますね。コダックのフィルムは保存性に優れてます
(2)の下車したお客さんのお写真、良い雰囲気。
また、(4)以降のお写真、高原の雰囲気で、非常に良いです。国府津方面を見ているようですね。川が右側ということは、鮎沢川の鉄橋の御殿場側でしょうね。足柄サービスエリアの下辺りなのかもしれません。「出発進行!!草葉さん」(http://llkusaba.karou.jp/)というサイトに「御殿場線前面展望」があり、その「足柄~御殿場」の7枚目のお写真(足柄SA付近)を拝見すると、線形が似ていますし、川側が開けているところも似ています。
by ズルツァー・マン50 (2010-02-05 20:24)
■■ ズルツァー・マン50様:
この頃、『記録は白黒』なんて変な事を考えていた私、普通は白黒フィルムを使って居りました。この日は、仲間たちとのイベント、何時もは使わない、カラーフィルム、しかもエクタクロームを買っちゃいました。
お教えくださったホームページ、見てきました。そうですね、まさに、あの辺りです。高速道路が出来、遊園地→アウトレットが出来て、随分変わってしまいました。このころは、もう、『高原列車』って感じでした。そして、風景に蝿叩き電信柱、似合いますね。
by む〜さん (2010-02-05 23:20)
ローカル線なりの賑わいがありましたよね。
17系が花形だった頃ですね。
懐かしさが、心をざわざわ揺さぶります。
by manamana (2010-02-06 06:34)
■■ manamana様:
御殿場線は現在は電化され313がワンマンで活躍していますが、当時はD52牽引の客車列車もあって、しかも、東海道本線時代の面影も多く残り、山・田畑・民家の眺めもよく、富士山まで見える素晴らしい路線でした。現在でも、なかなかの車窓風景が楽しめる路線です。(しかも、ロマンスカーで我が町から直通!)
by む〜さん (2010-02-06 10:28)
相変わらず楽しませていただいております。
足柄駅気動車の周囲の情景からもいろいろな思いにつながって行け、いつもながら、列車プラスαのすばらしさがありますね。
撮影位置ですがこのキロポストは「32」と思われます(画像からも読めそうですが)。
昨年、40数年ぶりにこの区間を歩きました。この位置からですと写っている景色はほとんど同じですので画像を見ながら架線と電柱をイメージし、通信線をなくせば「今」になりそうです。(6)の現在版では右側の畑と山の斜面境あたりに2車線の道路が写りこみそうです(笑)。
この「キロポスト32」の左側、山の上辺りが前述されている足柄サービスエリアですし、右後方奥がアウトレットとなります。
丸型の信号機は私の御殿場線写真のどこにも無く、完璧に忘れ去っておりました。ありがとうございます。
by 青木一郎 (2010-02-06 13:06)
こんにちは。
昭和41年といいますと、私が生まれる1年前です。あまり遠い時代に感じないのですが、この頃の人や車を見るとやはり40年以上前なのだと感じてしまいますね。
おとりになった写真ですとかなり勾配がきつく見えます。ここが東海道線で、SLが走っていたと思うとさぞかし機関士と助士は大変だったと思います。線路も外されて単線にはなっていますが、もと本線としてレールが大きそうです。
今晩この冬一番の寒気だそうです。お体ご自愛ください。
失礼します。
by mymeな大家 (2010-02-06 15:33)
懐かしい写真ですねえ。
もう御殿場線の気動車時代の写真は少ないでしょうね。
実は私、木曜日から今日まで北海道に居ました。
空港から札幌までは快速エアポートで。
この列車、札幌までは快速エアポートで、札幌より先はL特急スーパーカムイとなる離れ業列車でした。
こんな運行パターン、他に有るでしょうか?
札幌市営地下鉄は、標準軌でしょうか?
市営地下鉄には札幌市営交通独自のICカードがありました。
市電も元気に走っていましたよ。
ちなみに日中の気温が-6℃前後という極寒でしたが、いつものことなので、街の風景は普通でした。
雪まつりで、国内はもとより各国からの観光客も多く、帰京便は国際線のようでした。
by じろっち (2010-02-06 21:38)
■■ 青木一郎様:
32km地点辺りだったんですね。あのころの景観が残っているそうで、何故か安心しました。道路が出来、電化されたのも時代でしょうね。
アウトレットは行ったことがありませんが、小田急がやってた遊園地も、高速道路から眺めただけで終わりました。あのコースターはスリルありそうでしたが。
■■ mymeな大家様:
御殿場線は山北から勾配区間に入り、隧道も多く、難所だったとの事です。山北から補機が付き、童謡「汽車ポッポ」の歌詞『機関車と機関車が前引き後押し、なんだ坂こんな坂・・・・』状態だったようです。
ほんとに、寒いですね。今日(6日)は、何回か線路際で、デジカメを構えてましたが、寒くて、何回も車の中に退避して居りました。
■■ じろっち様:
電化前の御殿場線を撮影した方は多かったと思います。D52が頑張って居たし、客車列車もありましたから・・・・。御殿場線にD52が居るのは、熱海回りがアウトになったとき特急あさかぜ号など、御殿場線を通らせるからだと言う噂もありました。
北海道の鉄道の旅、きっと素晴らしい旅だった事でしょうね。札幌の地下鉄は、案内軌条方式のゴムタイヤ式で、札幌独自の方式です。ゴム臭いと聞きましたが、私が乗ったときには、気になりませんでした。市電は、『始点と終点が360m』しか離れていない『8.4kmのU字型』の路線ですね。何年か前に乗りましたが、電車もスマートでした。
by む〜さん (2010-02-06 22:00)
私が乗ったのは南北線ですが、ふつうの地下鉄方式でしたよ。
今はSL列車が客を呼べるので、神奈川新聞に、幻のC63を実現させたら?という記事が書かれたことがありました。
それも良いでしょうね。
なんなら、計画さえ無い、C63の流線型仕様も作ってしまうとか・・・
走らせるのは、新幹線誕生と引き換えに3セク化された区間が良いかもしれません。
鹿児島本線の博多-新八代も、3セクになるんですかねえ?
by じろっち (2010-02-07 05:49)
御殿場線が電化された後の国鉄気動車とSL達は、何処へ行ったんでしょうね。
小田急気動車の行方も知りたいです。
今となっては、小田急検定に、「小田急は気動車を保有していたか?」という問題が出されそうですね。
南房総が電化されていなかった頃は、ディーゼル機関車が電車を牽引していたことがあるそうです。
なんだか、末期の151系電車のようですね。
房総特急にボンネット特急が投入されなかった理由は、東京トンネルの存在が理由でしょうか?
新宿発着だったら、可能だったのかなあ?
可能なら、廃止される能登を151系風に改造して、「ホリデー快速・特急 新宿南房 なんて、どうでしょう?
新宿-錦糸町は快速扱いで・・・
by じろっち (2010-02-07 06:37)
む〜さん様 津沢です
非電化時代の御殿場線、キハ17の背景にスッキリした山地斜面と電信柱と着物姿の女性。1966年といえばビートルズが来日し、都会ではミニスカートが社会現象だったと思いますが、昔からの風物も多数あったのですね。山林は、国産木材や薪炭の利用がまだ多かったためか、頻繁に伐採されていました。現在、多くの山地斜面で樹木が手入れされぬまま繁茂し見通しが悪くなっていますが、植生調査で山地斜面に限ってみれば樹林面積が増えたという結果になっています。
小田急からの乗り入れ気動車は、たしか「特別準急」という京王線「準特急」を彷彿させる種別名がついていたはずです。新田次郎『富士山頂』に、富士山レーダの完成検査に立ち会うため、著者をモデルにした主人公が「芙蓉」に乗って現場に向かう場面がでてきます。東京駅に近い気象庁からの出張でも、新宿発の小田急が御殿場へのメインルートだったことが伺えます。
by 津沢 (2010-02-07 13:08)
■■ じろっち様:
札幌地下鉄は、南北線も案内軌条方式です。ホームドアもあるので、気付かれなかったのかもしれません。
御殿場線電化で、SE車に置き換えられた小田急の気動車は、たしか、関東鉄道に移籍したと聞きました。もう、引退していると思いますが。
■■ 津沢様:
小田急からの「銀嶺」「芙蓉」は小田急線内は特急、国鉄内は準急だったのでしょうね。なんだか、国鉄のプライドだったのかもしれませんが、当てずっぽうです。
山林について知識が無くコメント出来無いのですが、たしかに、昭和30年代中ごろまでは、間伐や下草の刈り取りもあり、山の森林は整っていましたね。安いからといって、国内の山林の整備をいい加減にすると、ろくなことは無さそうです。なんたって、輸入しちゃった方が安いらしいですから。
by む〜さん (2010-02-08 00:03)
今からちょうど44年前の昭和41(1966)年頃御殿場線はまだ電化はされておらずディーゼルカーでしたが2枚目の画像はさてどこの駅でしょうか、
by 巽孝一郎 (2010-02-12 08:54)
■■ 巽孝一郎様:
(1)~(3)は国鉄御殿場線足柄駅の光景です。御殿場線は、旧東海道本線(複線)の面影を残す構築物も多く見られました。いまでも、橋脚や橋台、隧道など往時をしのぶことの出来る場所も残っています。
by む〜さん (2010-02-12 13:08)