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懐かしの軽便展・静鉄駿遠線 [軽便鉄道]

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pen-rei2.gif 今日は失われた鉄道のことを少々。
 その鉄道とは、1970年8月に完全廃線となった軌間762mmの所謂軽便鉄道、静岡県藤枝の東海道本線藤枝駅から、御前崎近辺を経由し、同じ東海道本線の袋井に至る静岡鉄道駿遠線です。

■■■ 静岡鉄道駿遠線 ■■■

pen-rei2.gif 1958年・昭和33年4月、私は初めて国鉄東海道本線の藤枝駅の前にあった新藤枝駅で静岡鉄道駿遠線と対面しました。そして、新藤枝駅から、相良駅まで乗ったのです。

(1) 途中、大井川を橋脚が木の危なっかしい鉄桁の橋で渡ります。左に平行する木の橋は国道。
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(2) 上吉田駅で私の乗った気動車の快速列車は、ディーゼル機関車が引く混合列車と交換。
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(3) 相良駅で下車し、そばの橋で列車を待っていましたら、混合列車が来ました。
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pen-rei2.gif そして、月日は流れ、段階的に廃止されてきた駿遠線も、1970年8月、ついに最後に残っていた、新藤枝駅~大井川駅の間が廃止されました。その年の1月、最後の区間に乗りに行ったのです。

(4) 新藤枝駅を出た、気動車が客車を引く列車が大井川駅に向かいます
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(5) 終点の大井川駅前からは廃止された駿遠線の代替バスが出ておりました。
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pen-rei2.gif 1970年代の何年か忘れてしまいましたが、家族4人で御前崎までドライブ。そのとき、廃止された静岡鉄道駿遠線の御前崎の最寄り駅、地頭方駅に行って見ました。

(6) なんと、駅舎にホームまで残っておりました。駅舎の向こう側にある車は私の乗っていった、スバルレオーネ1400。
 どれがホームか見え難いと思いますが、左側に子供が二入いますが、その右側の緑色の平べったいエリアです。右端の家屋が旧・地頭方駅舎。

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(7) これが、旧・地頭方駅舎。右側が乗客の入口。でっかい看板は「駿遠運送」とあります。
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pen-rei2.gif 私のホームページにある静岡鉄道駿遠線のページは、下のアイコンをクリックして下されば、ご覧いただけます。

静岡鉄道駿遠線のページは、これをクリックしてください。
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pen-rei2.gif で、ここでコマーシャルです。只今、藤枝市の藤枝市郷土博物館で、駿遠線を偲ぶ展覧会が行われています。期間は、2010年・平成22年2月20日(土曜日)から、4月11日(日曜日)です。月曜日休館。入館料=大人200円

(8) 展覧会の案内パンフレットの表面
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(9) パンフレット裏面
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pen-rei2.gifpen-rei2.gifpen-rei2.gifpen-rei2.gifpen-rei2.gif これでは、小さくって見難いでしょうから、大きな画像も用意しました。私のホームページのエリアに置いてあります。下のアイコンをクリックしますとご覧いただけます

大型サイズのパンフレット画像はこのアイコンをクリックしてくださればご覧になれます
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coffee_misdo_2.gif 皆様に是非ご覧頂きたいと思うのですが、簡単に行ける場所ではないので、ちょっと残念です。


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manamana

ディーゼル機関車がおとぎ電車か、
世界の秘境のローカル線みたい。
by manamana (2010-02-26 06:43) 

む〜さん

■■ manamana様:
 当時の目で見ても、1960年代までは『世界の秘境的鉄道』がありましたね。大都市圏を一寸離れたら、もう魅力的な鉄道の宝庫でした。しかし、『いつでもOK』と思うと出掛けたくならないのが私の習性で、困ったヤツでした。今頃、反省したって遅いのですが・・・・。もう、自嘲するしかありません。(とほほ・・・・笑)
by む〜さん (2010-02-26 07:02) 

野良猫次郎

お久しぶりです。

藤枝での軽便鉄道のイベント田舎に居れば必ず観にゆくでしょうが。

観られないのがとても残念です。
by 野良猫次郎 (2010-02-26 11:38) 

む〜さん

■■ 野良猫次郎様:
 いらっしゃいませ!野良さまは、遠くに居られるので、藤枝はいらっしゃることが出来ませんね。残念です。
 SNSで拝見していますが、お元気で居られるようで何よりです。
 1970年に、駿遠線が無くなって既に40年経過。はっきりとした乗車体験をお持ちの方は、45歳以上になるわけで、転出もあるし、地元でも少なくなったことでしょう。SNSの駿遠線コミュニティの方たちも、親御さんのお話で・・・と言う方が多いようですね。
 40年経過したとは言え、部分的にですが、意外と駿遠線の記憶があるんです。不思議ですね。
by む〜さん (2010-02-26 21:27) 

じろっち

地頭方駅は、そのまま運送会社の事務所になったんですか!
地方鉄道の廃線は、乗客不足による収入減が理由のことが多いので、廃軌道・廃駅も撤去されないことが多いんじゃないですか。
湘南軌道も、未だに残る遺構があるようですよ。

明日は11時頃、資料館に着く計画で行ってきます。

大井川橋脚の隣の国道は、150号線ですかね。
よく見ると、隣にコンクリートの橋脚が見えますね。
これが現行150号線でしょうか。
150号線は今も交通量が少ないので、のんびり旅行向きですよ。
(8月に大雨の中、モンキーで走ってきました・ひどい雨だったので、駿遠線探訪は無しでした)

駿遠線は愛着がある方が多いようで、全区間図を作成された方がいるようで、販売されているようです。
鉄道業廃止の際に出た不用物も収集されたようですよ。

こんなに愛されているなら、清水線に駿遠線を彷彿させるレトロ車両を登場させたらよいのにな、と思います。
by じろっち (2010-02-26 22:01) 

む〜さん

■■ じろっち様:
 日本最長の軽便鉄道「静岡鉄道駿遠線」の「廃線跡地図」というのがありまして、未だ入手可能かもしれません。国土地理院の5万分の1地形図を基本とし、静岡鉄道駿遠線の路線を重ね、歩行・走行可能、不可能区間の区分もした、素晴らしいものです。
 元沿線にお住まいの研究者の方がお作りになりました。

 廃線になって40年、遺跡・遺物も分からなくなって来ています。
by む〜さん (2010-02-26 22:30) 

mymeな大家

こんにちは。
駿遠線いいですね。私はむーさんのこのHPで知ることが出来て大変ありがたく思っています。今このような軽便(今でも軽便鉄道法はあるのかしら?)鉄道を敷設したら、世間からはどような評価を受けるのでしょうか。あまり考えたくはありませんが、日本は今までのような高度成長はないでしょうから、所得も下がって公共交通に頼るようになれば利用者は増えるかも知れませんね。経営が成り立てばいいのですが・・・。
写っている代行バスのスタイルもなかなか格好がいいです!
では、失礼します。
by mymeな大家 (2010-02-26 23:22) 

む〜さん

■■ mymeな大家様:
 軽便鉄道法は既に廃止されているのではないかしらん・・・。私のHPに条文は載せてあります。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link230-19a.html
 昭和30年代のような鉄道は現在では、信号機、安全施設、車輌規格など、通用しないと思われます。銚子電鉄など、苦労して居られるようです。
 バスは、地方のほうがいい車が走っていますね。私はバスは詳しくないので(鉄道も同様ですが)、この写真のバスが、当時の先端だったか、わかりませんが、バス窓の丸っこい車体は、古いスタイルではなさそうですね。
by む〜さん (2010-02-26 23:33) 

じろっち

タイムマシン的な軽便鉄道は、もう無いと思いますが、近鉄内部線(だったかな)は、軽便ではないですか。
元々は三重県の小規模鉄道会社が経営していた路線です。
三重県には、臨海部の幹線駅から内陸に向かう軽便が何社かあったようですね。
地元に住んでいないと実況調査は難しいと思いますが、要研究かもしれません。
神奈川県内に昭和初期まで存在した湘南軌道(二宮~秦野)も、軽便ですよ。
二宮に存在した駅兼本社は、健在です。
駅が存在した地区には駅名票的な案内があります。
ホームの遺構が存在する駅もありますよ。
ちなみに誕生の由来は、秦野産の煙草葉輸送です。
秦野のイオンのある場所に煙草葉工場があり、鉄道で二宮へ輸送し、東海道線で全国に輸送していましたが、小田急の開業とトラック輸送の登場、そして震災の被災が経営を圧迫し、廃線になりました。
関東の他の路線も、似たような理由で誕生・廃線したものが多いですね。
二宮町内区間に関しては現代も存在していたら、都電的な扱いになっていたと思います。
by じろっち (2010-02-27 04:38) 

む〜さん

■■ じろっち様:
 三重県の762mm鉄道は、桑名の三岐・北勢線、四日市の近鉄・八王子/内部線が健在ですが車輌は近代化されています。しかし、雰囲気はなかなかのものです。『普通に』乗りに行けるナローはこの二ヶ所位になってしまいました。(黒部は簡単には行けませんし)
 ナローゲージでスタートし、発展につれて軌間を広くしていった鉄道も多いようです。東京近辺だと、流山とか、龍ヶ崎とかあります。
 湘南軌道の本社の一件は知りませんでした。どの辺りかしら・・・?JR駅から近ければ行ってみたい気もします。
 ナローといえば、東海道本線の熱海線開通以前に、小田原~熱海間に蒸気軌道があって機関車が熱海駅前にありますね。
by む〜さん (2010-02-27 09:36) 

なにわ

北勢線は、三岐鉄道が引き取った後、三重県から総統の資金が出て、路盤中心に近代化しています。
一方、内部線は80年代前半に近代化されてますが、昔の車が中間車化されて生き残っています。
八王子線は70年代前半の大水で西日野以遠が廃止されてしまいましたが、地元が全廃に対してごねましたので、案外70年代
のままではないでしょうか。

そうそう、木橋が現在の国道150号線だと思いますよ。その隣にコンクリートの橋脚が見えますので、直後に切り替えられたのでしょう。
by なにわ (2010-02-27 13:45) 

じろっち

今日、藤枝に行ってきました。
まずは、道中記から。
大船から小田原まで東海道線に乗りました。
大船を出て、すぐに鎌Cの脇を通りますが、旧NEX3両×3編成とクモヤが繋がっていました。
たぶん転属又は解体でしょう。
新幹線は静岡まで、往復とも こだま なのに700系でした。
静岡で300系 ひかり を見ましたが・・・(西所属ですかね)
静岡から藤枝までは東海道線。
藤枝から資料館最寄の蓮華寺池公園入口までは静鉄バス。
バス停から資料館までは10分くらいでした。
バス停は北口2番 中部国道線 ¥220- ルルカカード対応です。
ルルカカードは、バス停直近の窓口で買えます。
by じろっち (2010-02-27 21:38) 

じろっち

帰りの東海道線から謎の列車を見ました。
それは南武線。
なんで、東海道線を南武線が・・・
甲種回送だったのか臨時だったのかは分かりません。

ルルカカードは静鉄独自の乗車カードで、電車用・バス用・共用・日中用があります。
日中用だと加算が着きますよ。

散策はしませんでしたが、3・4番バス停は駅だった場所だと思います。
by じろっち (2010-02-27 21:53) 

じろっち

資料館は蓮花寺池公園の中にあります。
資料館の屋外に蒸気機関車B15が展示してあります。
いったん廃止しかかりましたが、戦後の燃料入手難で復活し、昭和27年まで使用したそうです。
館内には駅の一部を再現したもの・駅で使用していた物・当時の写真などが展示してありました。
路線図・軽便資料誌の販売がありました。
路線図は訪問可否まで分かるので、実際に見にいく時に役立つと思います。
by じろっち (2010-02-27 22:03) 

む〜さん

■■ なにわ様:
 三重交通の北勢線は砂利輸送があったようでTMSの表紙でコッペルだったかの蒸気機関車の写真を見たことがあります。内部・八王子・湯ノ山の線区には可愛らしい2軸の凸形や箱型の電気機関車がいて、客車を引いたり、貨車を引いたりしていました。
 私は見ていないのですが、松坂にも狭軌線がありましたね。
■■ じろっち様:
 大船の旧・NEXは如何なるのでしょう・・・・。まだ、使い道はありそうですが、一番古い車体だと19年ですか・・・・寿命なのでしたら仕方ないのですが。
 大船から藤枝といいますと、両端在来線で、小田原~静岡が新幹線は仕方のないところでしょうね。それにしても、日帰りは大事でしたね。
 藤枝郷土博物館のB15は、静岡の城址にある児童館に展示してあったのを見に行ったことがあります。故郷に戻れたのは良かったなあと思いました。
 展覧会には、大手駅のジオラマが展示されていたと思いますが、力作ですね。もう一度みたい、出来たら硝子越しでなく、直接、写真を撮らせていただきたいなあと思っています。大手工場は若い頃、何度か訪問し、結構、覚えていますので・・・・。
by む〜さん (2010-02-28 00:04) 

じろっち

大手工場はNサイズとHOサイズで再現されていました。
見栄えはHOの方が良いですね。
Nで組立済みの実在する土地をアレンジしたジオラマを販売する だいおらま というショップがありますが、そのうち駿遠線の1面ホーム・分岐無しの駅を再現するかもしれません。
軽便をNで再現すると、車両はHO並みになるので、車両造形がメインになるかもしれません。

それにしても、廃線直前の写真の人々は都会の人々と変わらない身なりなことに驚きます。
廃線阻止・国鉄への譲渡案があったようですが、会社以上に利用客に愛された路線だったようです。

今も存在していたら、改軌・電化され、静岡空港線が誕生していたかもしれませんね。
臨海部は震災前の鎌倉のように、リゾート化したかもしれません。
JR東海版スーパービュー踊り子が誕生し、静岡~駿遠線~浜松なんてのが誕生したかもしれません。

NEXは電車としての余生が無理なら、鎌倉芸術館の公共部分で展示保存なんてのが良いと思います。
営業列車として走行したことはありませんが、湘南モール・フィルは東海道線が並行して見渡せるので、ここに設置したら、乗車気分が味わえると思います。
by じろっち (2010-02-28 06:00) 

のり

駿遠線の写真、いつ拝見させていただいても素晴らしいですね。
地元に密着した軽便鉄道の雰囲気を今に伝える大変貴重なものと思います。
かつて、日本には本当にたくさんの軽便線があったそうですね。懐かしい想い出をお持ちの方も大勢いらっしゃるのではないでしょうか。そんなことを感じながら、拝見させていただきました。
by のり (2010-02-28 09:53) 

G20

大糸線のキハ52,引退ですね。

by G20 (2010-02-28 11:18) 

じろっち

今日、特急電車のムック本を見ていたら、ロマンスカーを撮影した写真の軌道沿い道路の路肩に緑色のレックスが止まっているものがありました。
これは、むーさんの愛車ではないかなー、と思いましたが、いかがでしょう?

トヨタとスバルが共同開発したFT86のスバル版の車名は、レオーネSVXとなるようですよ!
by じろっち (2010-02-28 21:58) 

mie

初めまして。
軽便、懐かしいです。
近所では、「岡出山駅」、看板やさんになってます。

by mie (2010-03-01 02:14) 

む〜さん

■■ じろっち様:
 藤枝、行かれましたか・・・・。いいなあ!羨ましく思います。私、歳の所為にはしたくないけれど、なんとなく出不精になった気がします。必ずしも資金問題では無さそうで・・・。なんとなく、ぐずぐずしてる。
 静岡空港といえば、お客さんの具合は如何なのでしょうね?アクセスは、自動車しかないのでしょうから、不便感は拭えませんね。最寄の鉄道駅って何処でしたっけ?シャトルバスでもあるのかしら・・・・?
 レオーネの名が復活ですか・・・・・。私が乗ったスバルで一番気に入ってたのが、レオーネ1600のスタンダードでした。DXは四つ目でしたが、スタンダードは横長ライトが二つで、わたし的には実にカッコよかった。
■■ のり様:
 そうですね、所謂軽便は昭和30年代初頭辺りまでは、全国的にかなり残っておりました。やはり道路整備の効果でしょうか、だんだん廃止に追い込まれてゆきましたね。当時の軽便地図を以前作ったので、こんどブログに載せてみましょう。
■■ G20様:
 大糸線のキハ52は、小学生の息子と糸魚川~南小谷間を乗りました。懐かしいな!そんな息子ももうじき40歳です。
■■ mie様:
 岡出山駅は確か藤枝本町駅となり廃止後、駅舎は看板屋さんが引き取り、移動させて現在の位置で作業用として使っておられました。一度、見に行ったことがありましたが、あれは、2002年だったと思います。最近、老朽化が進み、取り壊しか?という噂を聞きました。
 そういえば、この建物の写真を私のホームページに出していないので、何とかしなければと思います。もっとも、130万画素デジカメの写真だけなので、『絵』になりませんが・・・・。
by む〜さん (2010-03-01 07:08) 

Crane

こんばんは しばらくコメントのないところへお邪魔します。この週末にJR東海の休日乗り放題きっぷを使い、遠鉄の赤電30系、新金谷でSL等々、そして旧大井川駅周辺を歩いてきました。写真はまだブログにアップしていませんが、数日中にアップしたいと思っています。
 さて大井川駅へ足を向かせたのはむーさんの鉄道風景の表紙の写真から駿遠線のことを知り、いろいろ調べている中で今はどうなっているのか歴史好きが頭をもたげて、行ってしまいました。藤枝駅の南口から相良方面のバスで、大井川の橋(富士見橋)で降りました。一緒に下車した70歳くらいのおじさんに大井川駅があった場所を教えてもらい、150号線の横を走る車一台くらいしか通れない道を次の信号の歩くと線路のポイントで切り替わるようなカーブのところがありました。道の脇の畑にいたおばさんに聞くとここが大井川駅だったと教えてくれました。駅のすぐそばだったから出発を待ってもらったとか、最後の日は娘さんが花束を渡したとか楽しそうに教えてくれました。大井川駅を発車したむーさんの鉄道風景の表紙の方向にカメラを向けてみました。左の小山と富士山は変わりませんが、今は家々が並ぶ風景でした。
 その後大井川へいき土手に遺構を発見、駿遠線の遺構と旧富士見橋の遺構もありました。40年ほど前はここを小さな鉄道が走っていたのかと思いを馳せて帰ってきました。
 
by Crane (2011-10-31 00:27) 

む〜さん

■■ Crane様:
 遠鉄は奥山線で東田町~気賀口まで乗っただけで、1,067mmの路線は未乗なのです。多い側の新金谷の本社社屋は貴重ですね。ああいう建物は昔は何処ででも見られましたが・・・・。
 静鉄駿遠線大井川駅・・・・1970年・廃止の歳の1月に行きましたが、おもえば、もう40年以上が経っているんですね。地元でも乗車体験のある方もパーセンテージは随分減っていると思います。
 大井川駅は、ホームページにも書きましたが私が駿遠線に興味を持つきっかけになった駅なのです。週刊誌『週刊読売』の昭和33年1月26日号のグラビアページ『ひとりぼっちの’駅長’さん』を見て、コレは行かねばならないと、早速出かけたときの写真が、私の駿遠線ページの最初の訪問記・写真集なのです。その『週刊読売の記事』は私のホームページ下記URLに出してあります。グラビアを130万画素のデジカメで撮ったものなので、あまり画像がよくありません。その後、スキャナも買ったのですが、更新せねばと思いつつ・・・・・。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link230-01.html

 今、気付いたんですが、このページの記事下端の『LINKボタン』に貼ってあったリンクが何時の間にか消えています。ごめんなさい。

 Crane様のブログ、RSSに入れ、拝見し易く致しました。今後ともよろしくお願い致します。
by む〜さん (2011-10-31 05:58) 

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