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#426:箱根湯本経由御殿場線(5) [お出かけ通信401~450]

icon-odekake.gifpencil-red.gif ・・・・・2010.6.29~30の二日間神奈川県西丹沢の中川温泉に行きましたが、その時の電車画像を並べています。
 ・・・・・・で、2010年・平成22年6月29日・火曜日の14時20分、松田駅で私は国府津から乗って来た313系二連の沼津行電車から下車したのです。
 次の沼津行電車までの約1時間、松田駅と駅前広場を眺めようと言うのです。

■■■ お出かけ通信(426) ■■■

■■■ 箱根湯本経由御殿場線(5) ■■■

 国府津から313系二連の電車に乗って、松田駅に到着しました。ここで、下車する。

(1) 14:20 この電車で到着しました。おりて、乗ってきた電車を撮影。
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(2) すぐに電車は出てゆきました。左に見えているのは、古くからある清酒 松美酉 醸造元 中澤酒造㈱
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(3) 酒造会社の欅の樹も、昭和30年代中頃、始めて見て以来50年、かなり育ち、もう、大木と行ってもいいくらいになりました。
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(4) ホームのはずれにある、溝の可愛らしい橋梁。手前にちょっと写っているものは最近のもののようですが、向こうの二つは、ひょっとすると、東海道本線時代のものかもしれないなあなどと、眺めながら想像を楽しんでいました。
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(5) 北側の出口から駅の外に出ました。元来は、こっちが正面で、駅前広場もあり、本線級の駅の風格が残ります。こんな、タクシー会社があったりします。きっと、昭和の初め頃のものかもしれません。
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(6) これが松田駅の駅本屋です。現在は右側が出札改札がありますが、なんだか、左の方が、正面だったのかも知れないなあと思います。貨物扱いもやっていた駅ですから、そっち関係かもしれません。
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(7) 14:47 ホームに戻り、暫くしましたら、御殿場方面から電車が来ました。『えっ?!E231?』。ホームの姿に、大昔の東海道本線を思わせる感じがちょっぴり致しますね。
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(8) E231の5連で、山北発の国府津行所属は横コツ(横浜支社・国府津車両センター)ですからJR東日本。ひょっとすると、国府津~山北間は、こういう事もあるのかもしれませんが、その先の調査をしないのがむ~さんでして、申し訳ありません。
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(9) さて、14:57、小田急との連絡線から、特急あさぎり5号・小田急のRSE20000が顔を出しました。静々とやってきます。
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(10) 特急あさぎり5号は、目の前を一番線の所定の位置に向かいます。
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(11) 14:59 そろそろ出発の時刻、15:00です。ミラーに我が姿を写して記念写真を撮る。
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(12) 15:00 あさぎり5号は出発してゆきました。跨線橋の階段から、あさぎりお5号から降りたお客さんが、小田急側の出口に向かいます。ホームの端っこから、端までですから、随分遠いです。
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(13) 15:11 この313系三連が15時14分発の沼津行。これに乗って三つ先の谷峨駅まで行くのです。前照灯はHID、オデコのライトは高輝度LEDのようで妙にギラギラしています。行き先表示もLED。
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(14) 15:12 国府津行が入ってきました。313の二連
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coffee.gif 写真(13)の沼津行に乗って谷峨駅に向かいます。


タグ:御殿場線
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ファジー

松田合同自動車・・・風情ありますね。2階の窓がつぶされても利用しているところなどは好感が持てます。かなりの老舗とは存じますが、現役というところがなんとも嬉しく感じました。
by ファジー (2010-07-07 21:00) 

manamana

静岡赴任中にあさぎりが沼津まで乗り入れることになり、
たまに東京へ帰るときは利用させてもらいました。
他の乗り入れが少なくなってきている中で貴重な存在、
いつまでも続いてい欲しいなと思います。
by manamana (2010-07-07 21:02) 

じろっち

松田駅の改札(写真のもの)は、早朝無人で、有人改札なので、きっぷを持ったまま外に出られるんですよねえ。
富士F1で松田駅で下車した時に写真の改札から出たので、今もきっぷを持っていますよ。

通常は小田急と対面した改札を利用するようです。

御殿場線の神奈川県側は田舎電車風情ですが、静岡県側はベッドタイン化したので、沼津で終点ではなく東海道線まで直通するものがありますよ。

仮に東海道線の神奈川県側と御殿場線が同一会社だったら、平塚~御殿場なんて設定も有ったかもしれませんね。
by じろっち (2010-07-07 21:30) 

津沢

む~さん様  津沢です  こんばんは

写真(3):ここ10数年間、どこでも樹木が大きく育っています。それ自体は良いのですが、展望台だったのに成長した樹木に遮られて視界が悪くなった場所も少なくありません。

写真(5):建物の形といい会社名といい「昭和」ですね。

小田急RSE2000:「あさぎり」ではなく「はこね」で乗ったことがあります。10年以上前ですが、クールビューティのサービス嬢が素敵でした。

以下、本シリーズ (3) のコメントの続きですが;
> 広島のオープンカフェ
京橋川の右岸にあり、広島電鉄の電停では稲荷町と銀山町との間になります。行政上は「社会実験」との位置づけのようです。
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1111583774214/index.html

さらに本シリーズ (2) のコメントの続きです;
箱根湯本駅の4カ国語表示が何となく気になって確認したところ、スラブ系言語では、Gora(キリル文字でГора)は「山」という意味でした。
日本語の「強羅」は「岩がゴロゴロした場所」くらいの語源らしいのですが、ロシア人にとって偶然に判りやすい行き先、ということになります。
by 津沢 (2010-07-07 23:45) 

む〜さん

■■ ファジー様:
 良い建物でしょう?今回も、わざわざ駅から出て見に行ったんです。探せば、まだ、昔風の建物の残るところも多いのでしょうが、東京周辺は、近年、激減しましたね。
■■ manamana様:
 小田急の線路を使ってJR東海が来る。なんてったって町田をJR東海が通るわけで、鉄道ファンとしては嬉しい事です。ただ、最近、JR東海の371、小田急の20000RSE・・・そろそろ車齢20年になろうとしています。運行そのものの見直しなんて聞こえてきます。変なことにならないよう祈るのみです。
■■ じろっち様:
 私は御殿場線の松田~御殿場間が好きです。田園風景に、山、川、トンネル、鉄橋・・・・・C51が超特急燕号を引き、後補機をつけて駆け上がった事など、想像(私は見たことがありませんから)しながら乗っています。御殿場~沼津の、スイッチバックの築堤の残る辺りも良いですね。富士の眺めも格別ですし。
■■ 津沢様:
 松田駅前のタクシー会社・・・・いい建物でしょう?惜しいのは、昔風の建物は、これ一軒、なんとなくがらんとした広場なのが・・・・。
 RSEで沼津から町田まで乗ったことがあります。しかも2階席。週刊誌を買って乗りましたが、御殿場線内は線路が悪く、二階席は揺れて酔いそうだったので雑誌を見るのはやめました。ところが、小田急線内にはいると、軌道が良いのでしょうね、途端にゆれなくなりました。そんな思い出があります。
 広島のオープンカフェの件、情報、有難う御座居ます。広島訪問は2000年の事でした。あれから10年、行きたい気持ちがつのっています。そうは行っても、タダで行かれるわけじゃあないので、想像とストリートビューで行くしかありません。いま、ストリートビューで稲荷町界隈を眺めていましたが、いい場所ですね。
 『スラブ系言語』だと『Gora=山』っていうのは面白い暗合ですね。『道路=Road』なんてのも思い出します。
by む〜さん (2010-07-08 00:12) 

アルファ

「松田合同自動車」の建物、いい感じですね。平成も既に20年以上経っていますが、地方には未だこういった昭和の風情を残す建物が残っているんですね。Nゲージでは昭和の建物をイメージしたストラクチャーやレイアウト用品が盛んに出されていますが、正にこれは「昭和の建物」そのものですね。特に上手なウェザリングを施したような年代を感じさせる外観がたまりません。
by アルファ (2010-07-08 10:02) 

む〜さん

■■ アルファ様:
 いいでしょう?年月を経て自然と付いた味が堪りませんね。お使いになっている方は、ご不満かもしれませんが、旅人としては、癒されるのです。
 戦前の建築物は随分手が入って居るのが殆どですが、それでも探せばまだ残っています。たまたま、回り逢ったときは、かなりの幸福感を味わえますね。
by む〜さん (2010-07-08 16:59) 

じろっち

去年の7月に富士スピードウェイであったヨシムラ8耐応援イベントの帰りに、山北駅に寄ってD52を撮影してきました。

山北は東海道線時代は国府津駅と共に重要な駅だったので、松田合同自動車の様な建物が複数ありますよ。

広大な構内を見ていると、何か活用策がないものかと思いますが、最も簡単なのは売却でしょうね。

たんに売却するのではなく、鉄道愛好家向け住宅や店舗になるなら、それも良いかな、と思います。

全世帯ステーションビューとか、鉄道模型店とかなら・・・

この日はモンキーで行ったんですが、往時は鉄道員の街だったので、今も機械好きが多いらしく、ふつうならオートバイに興味を持ちそうもない高齢者に声を掛けられました。
by じろっち (2010-07-08 21:37) 

む〜さん

■■ じろっち様:
 山北駅は東海道本線の要衝で勾配区間に挑む蒸気機関車の拠点だったそうです。丹那トンネルが出来、御殿場線というローカル線となり、戦争中に単線化されました。私が生まれる前のお話です。
 D52はこの線区最後の蒸気機関車でした。ローカル線にD52は似合いませんが、『熱海線』が通れなくなったとき、東海道の長大編成の列車を通すので、強力な機関車が必要なのだと言っていた方がいらっしゃいました。真偽の程は分かりませんが。
by む〜さん (2010-07-08 22:20) 

じろっち

沿岸部を走る幹線に張り付く枝線は確かに幹線に支障が生じた時の幹線という役目がありました。

御殿場線はもともと東海道線だったので、東海道線の代わりは当たりでしょう。

東海道線時代がもう少し長く続き、平和な時代ももう少し長く続いたら、御殿場駅から仙石原方面に向かう御殿場線が出来ていたかもしれませんよ。
by じろっち (2010-07-09 21:19) 

む〜さん

■■ じろっち様:
 御殿場ルートの東海道本線建設工事は大変な難工事だったと、川上幸義著・新日本鉄道史にありました。
 迂回ルートと言えば二俣線もそんな役割があった気がします(おぼろげな記憶)。
by む〜さん (2010-07-10 10:13) 

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