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#449:横浜・久保山・霞橋の今昔 [お出かけ通信401~450]

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2010年8月30日・月曜日、この日も滅茶苦茶暑かったですが、このクソ暑い(ヤな表現ですが、実感)中、横浜市西区霞ヶ丘、南区三春台の境界を走る市道・・・・昔の7系統の電車道を久保山の電車停留所のあったとことに架かる「霞橋」まで行って来ました。
 目的は何かというと、以前、2007年12月4日のブログでご覧頂いた、1969年6月に、横浜市電・久保山電停の写真。これをホームページに組み入れる気になりました。現場の今昔を対比させたページ作りをしようと、その取材・・・・・写真撮影に行ったのです。
今回は、そのあたりを書きます。
 タイトルの「今昔」・・・・1969年と2010年では少々大袈裟かなとも思いましたが、ま、40年も隔たりがあれば、「充分に昔」かな?とも思いましたので・・・・・・。

■■■ お出かけ通信(449) ■■■

■■■ 横浜・久保山・霞橋の今昔 ■■■

pencil-green.gif さて、そういう訳で、横浜の久保山まで行くことになりました。ネットで調べたら横浜市バスが、横浜駅東口のバスターミナルから出ている
 
町田から、快速で横浜まで。横浜駅のトイレの『大の方』に、それぞれ特急の愛称が付いてる。使用中電光表示機の愛称文字が消えかかっているけれど、コンパートメントのほうは、ちゃんとした文字で書かれています。写真を撮りたいと思えども、「痴漢・変質者」と見られるのは嫌だから、やめておく。大勢で、わ~っときて撮るのなら怪しまれる事は無いかもしれないなあなどと考えていました。無くなっちゃった特急名称も残っております。そういうわけで、お話だけ・・・・。
 バスターミナルは、かなり遠い、いい加減うんざりした頃、ターミナルに到着。そして滝頭行きのバスに乗りました。高島町、戸部、藤棚なんて私には懐かしい名前のバス停を通って、久保山の停留所に着きました。

(1) これが、霞橋。この道路が麦田みたいな市電の専用軌道の頃は、もっと小さなトンネル状のものでしたが、昭和3年、この形になりました。曲線で構成された可愛らしい便所が見えますが、橋と同時に出来たのかどうかはわかりません。
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(2) 橋の上に上がってみると、こんなプレートがついている。「横浜市認定歴史的建造物 昭和3年建造、赤レンガの壁と門柱は大正2年」。(この二つのプレートは別々に撮影したものなので縮尺が違います)
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(3) 赤レンガの壁と門柱石垣とともに、歴史を感じますね。
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pencil-green.gif では、「久保山電停、霞橋の写真を5セット、1969年、2010年の順に並べて」みます。白黒写真が1969年、カラー写真が2010年のものです。

(4-A) 霞橋の上から・・・・発車した八幡橋方面行きの電車・・・・停留所名の表示、待合、霞橋に登る階段、レンガの壁が写っています。もちろん、門柱もあります。大昔の写真を見たら、門柱の天辺に電灯がついてましたが・・・・。
 じつは、以前、この写真を改めて見たときに、この異様な形の門柱と、レンガの壁に気付き、一度はこの目で見てみたかったのです。
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(4-B) 表面の一部が剥落していた門柱は、綺麗に修復されていましたが、帽子の部分がすこし違う気もしました。さらに、電灯も復元されませんでした。赤煉瓦の壁面は実に綺麗で、見とれるくらいでした。待合は改築されて居りますね。
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(5-A) 霞橋の上から八幡橋方面の眺めです。次の停留所「霞ヶ丘」は電車の先に二台の自動車が写ってますが、ソノ辺りです。
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(5-B) 左の法面には桜が植えられ、葉が繁り、違う場所に見えますね。
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(6-A) 橋の上から、久保山電停。八幡橋行きの電車が到着しました。
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(6-B) 町の家々も建て替えられたり、ビル・マンションが建ち、眺めがすっかり変わっていますが、石垣がそのまま残っているのが嬉しいですね。
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(7-A) 下から眺めた霞橋。ちょうど須崎神社行き電車が到着。このころには、すでに、青木通りの一寸先の須崎神社前までに路線が短縮され、生麦、中央市場までは行って居なかったんですね。欲しかったクルマ・・・・スバル1000が懐かしいです。
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(7-B) 橋は綺麗に補修されて、欄干部分も形が変わっています。1969年には有った親柱の天辺の電灯も無くなって居ます。下の門柱も含めて、大正2年当時の電灯が付けば申し分ないのでしょうが、市としてもいろいろ有るのでしょう。
 左側には下の道路に沿って一段高い道があり、昔は電車が写せたところですが、現在は、桜の葉が繁り殆ど下が見えません。
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(8-A) (7-B)の写真の左側の桜の木の列の一番向こうから下のバス通り・電車通りに降りられますが、そこので写真です。電車と軌道敷内の自動車の間辺りが「霞ヶ丘」電停。右の丘の上は「関東学院」です。右端が正門。
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(8-B) 左側の家も建て替えられたのか、何処から撮ったのか分かりません。まあ、撮影場所は、ここで間違いないところでしょう。
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pencil-green.gif 暑いので歩くのも億劫になりました。久保山バス停へは戻らず霞ヶ丘バス停で立ってましたら、やって来たのは横浜駅西口行き。それに乗りました。

(9) バスは霞橋に向ってゆきます。実に綺麗な形の橋です。
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pencil-green.gif そういうわけで、バスは浦舟町~六角橋の9系統の電車路線に沿って走ります。藤棚~浜松町~洪福寺前~浅間下~鶴屋町三丁目から市電のルートを外れて、横浜駅西口に着きました。

(10) 13時も近いのでお腹も空きました。この日の夜は、家内・知人・私の三人で、何時もの韓国料理店に焼肉を食べに行くことになって居りますので、お昼ご飯は、シンプルに、ドトールコーヒーでホットドッグに珈琲(400円)。これって、結構、美味いのです。
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coffee_doutor.gif 食事後は、疲れちゃったので、何処にも寄らずに帰ってきました。あ~あ、早く涼しくならないかなあ・・・・・。


タグ:横浜市電
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コメント 11

Cedar

久保山はついに撮影せずに終わった場所です。打越橋とは違った風情がありますね。~といっても場所はよく知っています、というのは関東学院には友人が多かったもので、この辺は徘徊しました。その頃は鉄から遠ざかっていた頃で写真も撮っていない~というわけです。
<タイトルの「今昔」・・・・1969年と2010年では少々大袈裟かなとも思いましたが、ま、40年も隔たりがあれば、「充分に昔」かな?とも思いましたので・・・・・・。>
私の写真は昭和40年代くらいが殆どですから、私も今昔写真日記というブログタイトルは少々大げさかと思っていましたが、コレで安心いたしました【笑】・・・

by Cedar (2010-09-03 18:47) 

のり

定点の今昔、とてもよくわかり、楽しく拝見させていただきました。
赤煉瓦壁面の階段、修復されたことが嬉しいですね。バス停も同じ場所に屋根付きで現存するのもいいですね。
同様の行動を取った際に私も感じるのですが、思わぬところで木が茂っていて、同じ場所での撮影が困難(不可能)になっていたりしますね。建物以外でも、歳月の経過を感じさせるところです。
by のり (2010-09-03 23:05) 

ズルツァー・マン50

40年を隔てた今昔風景、素晴らしいです。或る程度時間が経った定点観察は、本当に興味深いですね。
場所によって状況も異なるでしょうが、40年も経つと、劇的に変わることがあります。
私も横浜市電廃止直前の桜木町駅前を撮影したことがあり、2年ばかり前、久々に訪れたら、あまりの激変ぶりに、暫くは昔撮影したポイントが何処なのか分かりませんでした。
by ズルツァー・マン50 (2010-09-03 23:11) 

manamana

少しずつ面影が残っているので、
かえって変化が面白いですね。
by manamana (2010-09-03 23:26) 

なにわ

102系統のバスが来れば、これが市電7系統の代替バスだっtのですが。

66年に生麦線と中央市場線が廃止になって、須崎神社前で折り返すようになったのではないですか。
by なにわ (2010-09-04 01:58) 

む〜さん

■■ Cedar様:
 霞橋はたまたま友人たちに付いて行ったのですが、じつに素敵なフォルム。見ていて味を感じますね。初代の霞橋は、いわばトンネルで専用軌道だったとの事、併用軌道化で現在の姿になったようです。親柱にはポールの上に電灯が付いているのが乗っかっていたようです。いま親柱を見ると何やらの痕跡がありありと見えます。
 打越橋と山元町はもう一度、撮りに行きたかったです。いまも、あの時と変わらぬ姿で架かっているのは感動モノですね。安全の柵が付けられているのは時代ですね。
■■ のり様:
 関東は文明開化の発信地の割には煉瓦構造物が残っていないような気がします。関西を旅すると、それを感じます。
 樹木の成長は早いですね。3~40年経ったら吃驚します。
■■ ズルツァー・マン50様:
 桜木町は変わりました。本町のほうはそうでもありませんが、桜木町は吃驚ですね。第一、貨物駅も造船所もなくなっちゃった。国電と東横線の終点で、横浜駅以上に、横浜の交通の基点でした。超高層のビルが建ち並びすごい眺めです。明治初めのころ、当時の人たちが異人商館や港の汽船を眺めた気味地ってこんなかしら?なんて思うこともあります。
■■ manamana様:
 そうですね、完全に変わってしまうと、ただ、呆然とするばかりですものね。今回は、霞橋、煉瓦壁、石垣という『芯』があって想い出も甦りましたが・・・・、何も無かったら如何しようもありませんから。
■■ なにわ様:
 そうですね、横浜駅前のターミナルから乗ったのは102系統でした。中央市場~八幡橋ですか・・・。
 帰りに乗ったバスは、68系統で、昔の9系統(六角橋~浦舟町)をなぞる様に走りました。まさか、洪福寺、浅間町車庫前を通るとは思っていなかったので嬉しかったなあ。
 この時は、須崎神社前(神奈川区役所前)から先は廃止されて折り返し点になっていました。この何年か前に中央市場まで行った事があるのですが、其のときに、フートゴングのペダルを踏ませてもらったことを覚えています。何型かは忘れましたが。
by む〜さん (2010-09-04 09:02) 

K♂chan

わぁ、すごいですね!
電柱もなくなってたり。
今昔。
面白いです。

今日も雨降らないのでしょうかね?
僕は のびてます。
ふぅー
by K♂chan (2010-09-05 12:30) 

昭ちゃん

(1)の写真で橋台の袂に写っているタイル貼りのかわいい建物は公衆トイレなんですね。形も洒落てますが、現役なんでしょう。今時道路っ端のなんて滅多に見かけませんが、これも橋と合わせて貴重な遺産ですね。
by 昭ちゃん (2010-09-05 12:50) 

む〜さん

■■ K♂chan様:
 電柱、電線が無いと空が綺麗ですね。風景をめでる立場から見ると、邪魔物です。電線や変電施設など、地下にしますと、架空線よりも建設費用も高くつきますし、災害などの復旧のとき、時間・費用が余計に掛かりそうです。
■■ 昭ちゃん様:
 この公衆便所は、横浜市のHPによれば、大正2年に建設された初代・霞橋が震災に遭い、その復旧工事が昭和3年に完工、そのときに造られたとありました。曲線で構成されたオシャレな姿です。中味は建物の半分だけ見てみましたが、大小一個ずつの作業場と手洗いが、こじんまりとまとめられておりました。なをタイル張りではなく、コンクリート・モルタル造りのようです。
by む〜さん (2010-09-05 21:54) 

鈴木光太郎

http://www.city.yokohama.jp/me/nishi/profile/gaiyou/history01.html
http://www.city.yokohama.jp/me/nishi/profile/gaiyou/images/history01_06.jpg
昔の霞橋は現在のとは規模が違うが、脇の階段は昔と同じようですね。
階段脇の門柱(?)の上にも確かに電灯のようなものが見えます。
by 鈴木光太郎 (2010-09-06 23:08) 

む〜さん

■■ 鈴木光太郎様:
 ご紹介下さいました横浜市西区のホームページ、有難う御座いました。 この霞橋の写真、初代の霞橋ですね。絵葉書のようですが、この写真では写っていない道路の右側にも同じ門柱と階段が、まるで鏡像のようにあったようです。橋の架け替えられるとき、道路は拡幅され、片方の門柱と階段が残り、一方は作り変えられたと思われます。
 現在の霞橋とその付属物は、なかなか見ものでありまして、ネタ切れのときにでも、このブログに写真を並べようと思っています。
 こっち岸は「大正の階段」、あっちの岸には「昭和の階段」になっているのですね。
by む〜さん (2010-09-07 05:06) 

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