八高信越小海中央1981(2) [1980年代の旅]
・・・・・と、いう訳で、当時、小学校5年生の次男と、1981年・昭和56年7月25日・土曜日、町田~八王子~高崎~小諸~小淵沢~八王子~町田の周回コースを巡ってきたのですが、今回はその第二回です。
国鉄のキャンペーン「いい旅チャレンジ20,000km」応募用の、駅名入りの記念写真ばかりで、車両や街の写真が殆ど無いのですが、お付き合い下さい。
■■■ 八高信越小海中央1981年(2) ■■■
(1) 高崎駅を9時49分に発車した、普通321列車は、横川駅に到着しました。牽機はEF62 18。息子を立たせて記念に一枚。
(2) 横川駅ホームから、こんな不可思議な構造物が建ち並んでいるのが見えました。足元に砂の山が見えますので、機関車への砂の供給装置と見ました。何本も立っているのは、機関車が重連だったからでしょうか・・・・・砂箱は台車についてるのだし、タワーが必要とも思えません。どうもよくわかりません。
(3) (2)のタワー部分を拡大してみました。だいぶ、錆が来ています。
(4) ホームの端っこから軽井沢方面を見ています。遥か彼方、本線が上り勾配にかかるあたりに、機関庫が見えています。
(5) (4)を部分拡大してみました。EF63が待機しております。
(6) 碓井越えにかかる列車。緑の風を浴びながら、「おぎのや」の「峠の釜飯」を味わう。
(7) 軽井沢駅に着きました。右端の客車はオハフ45 2003。中線には上りの貨物列車が待機中。
(8) (7)の左の半分を拡大してみました。上りホームの屋根を支える木柱が美しい。この駅本屋は改築されたようですね。
(9) 11:23 321レは小諸駅に到着。何故か上りホームで「駅名写真」を撮影。駅前に出たかもしれませんが、記憶、完全に消去!!
謝辞: 今回のブログを作成するに当たり、前回のコメント欄で、列車番号、時刻等をお教え下さった、はーさん様、有難う御座いました。
では、次回は、小海線編です・・・・が、例によって、中味は薄いです。でも、見に来て下さいね。
もう、涙涙です。
土曜日、半ドンの学校を終えてから、高崎駅に向かい、横川までEF62の客車列車に揺られ、横川~熊の平で捨身を撮って、峠の釜飯を食べながら高崎へ戻る。
中学生時代、こんな事を何度繰り返したことか、、、、。
私にとって数ある機関車の中で、一番馴染み深いのは、EF62なんでしょう。この頃は、ほとんど見かけなくなってしまいました。寂しいものです、、、。
by キャトレール (2010-10-16 01:37)
■■ キャトレール様:
毎週のように横川~軽井沢詣で・・・・いい環境にお住まいですね。大田区、横浜、町田と、東京の南の方に住んでおりましたので、信越本線は中々行けないエリアでした。旅人としての通過は何回かありましたが、マジメな撮影行は一度もありませんでした。いま頃悔し涙・・・です。(苦笑)
EF62はいかにも力持ちの感じで、上野まで行けばお目にかかれたはずなのですが、残念ながら東京エリアでは写真を撮っていないと思います。『電関のD52』というところでしょうか・・・・。
by む〜さん (2010-10-16 06:23)
昨年、子どもたちと軽井沢に行く時に途中で釜めし食べました。
長女は、釜めしが気にいったらしく、帰りの横川S.Aでも食べたいと言ったので、帰りも食べました。車両キハ58?57?を模したボックス座席があり、そこで食べました。(ネットでは58説と57説があり、車両のことは詳しくないので、詳しいかた教えてください)
子どもにも少しだけ鉄の遺伝子が受け継がれているのでしょうか?
by たらこっち (2010-10-16 08:25)
どうも58を持ってきて、車両の番号だけ57にしたようですね。
これでいいのでしょうか?
by たらこっち (2010-10-16 08:29)
キハ57はアブト式碓氷峠を通過するため、ディスクブレーキ付空気ばね台車を履いていましたが、キハ58はコイルばね台車でした。
キハ57はタイフォンにフタがあったと思っていましたが、寒地用キハ58にもありましたので、車体はキハ57、キハ58とも同じようでした。
信越本線急行として走っていたキハ57の写真を弊HPに載せて
ありますので、一寸、ご覧願います。
http://6.fan-site.net/~haasan55/NaganoDenkamae.htm
by はーさん (2010-10-16 09:54)
はーさんさま
ご説明ありがとうございます。
40年以上前とは思えない美しいカラ―写真ですね。
D51やキハ57が走っていた時代もあったのですね。
信越線の電化は1963年だったのですね。勉強になりました。
40代の私は電化された時代しか知らないものですから。
by たらこっち (2010-10-16 13:02)
■■ たらこっち様:
私は高速を通った事が無いので横川SAを知らないのですが、調べてみたら、「おぎのや」のお店があり、気動車の車体が置いてあるそうですね。前ドアから三つ目くらいの窓までの車体で、元・キハ58だそうです。そして、はーさんも書かれているように碓氷峠のラック区間に適合する気動車キハ57のナンバー「キハ57 26」がつけられているそうです。
はーさんのホームページは素晴らしい、資料的価値の高い画像が満載ですので、是非、他のページもご覧になってください。
■■ はーさん様:
アプト区間通過可能な気動車キハ57の情報、有難う御座います。じつは、不勉強にも、私は上野でも、この気動車を見ていないのです。
横川サービスエリアの「おぎのや」のキハ『57』には、「上野~湯田中」のサボがつけられております。
by む〜さん (2010-10-16 19:07)
こんにちは。
碓氷峠は、列車転落事故などを雑誌、本などで頭でっかちになっていたので、緊張して越えた思い出があります。今考えるとおかしいですよね。EF62は3軸台車が格好よく、初めて見たときは鳥肌が立つほど感激したことを覚えています。機関士の方にシャッターを押してもらったことも。ネガをひっくり返せば出て来ると思います。新幹線開業前に上野駅にも何度も足を運びました。もしかしたら上野で撮ったEF62が写真もあったかも知れません。
今の横川駅は写真(4)のような風景は残っているのでしょうか。
軽井沢駅の車掌車も懐かしいです。
では、失礼します。
by mymeな大家 (2010-10-17 00:09)
実はこの321列車、上野から2321列車として出発しています。
この列車のもうひとつの目的は郵便車を連結するためでした。
長野から荷物列車に連結され、直江津経由で新潟の手前まで走り、翌日同じルートを戻って上野まで走っていました。
by なにわ (2010-10-17 20:24)
■■ mymeな大家様:
横川駅はすっかり様子が変わりました。しかし、(5)の機関庫は、「鉄道村」の施設として生きているように思っています。
ラック時代の写真が、現像ミスでパアになり一齣も無いのが残念です。粘着運転後、サードレールが残っている写真はあるのですが・・・・・。
■■ なにわ様:
郵便車・・・・もう、懐かしい響きになりました。サイドにポストというか、差出口のついたのがありましたね。ハガキを入れたことはありませんが・・・・・。
by む〜さん (2010-10-18 00:27)