秋紅葉風景 [雑談(2)]
今日、2010年11月19日・金曜日・・・・青空の実にいいお天気。近所の落葉樹は紅葉して、もう終期のものもあり、8時半を回った頃でしょうか、ぶらりとカメラを持ってのお出掛け・・・・・紅葉見物と洒落込みました。
■■■ 秋・紅葉風景 ■■■
そんな訳で、今たけなわ、各種の紅葉を愛でつつ歩く・・・・・。
(1) 最初は並木のイチョウ。
(2) クワも紅葉します。
(3) カッコ良いですね~、電源開発の佐久間東幹線No.440鉄塔。碍子は2列21個・・・・270Kボルトだそうです。左の木はサクラ・・・だったかな?
(4) ここは、町田市山崎町・・・・・スカイツリーもチェックします。単眼鏡で見たら、今日は陽炎で揺れていました。これで、497m、塔はこれでお終いだそうで、この上にアンテナの構造物がついて、634mになるらしく思われます。
(5) 団栗がアスファルト上に落ちていました。
(6) これは、サクラ。
(7) ドウダンツツジ。
(8) ケヤキ。
(9) 名前はわかりませんが、赤が鮮烈です。
(10) 木の間に覗いている鉄塔は、佐久間東幹線のNo.439。
(11) (10)のNo.439鉄塔です。碍子の数は一列16個。
(12) 電源開発の佐久間東幹線。No.438・・・・さらに西へ伸びてゆきます。このまま辿って行くと、佐久間ダムの発電所に行き着くのでしょうか・・・・・。少年時代に文化映画の佐久間ダムというのを見て、国家的大事業なんだなあ・・・と思った記憶があります。
(13) ケヤキ、カシ、カラマツ、トウカエデ。
1時間半の目の保養を終えて、10時過ぎには家に帰って来ました。
・・・・で、やっぱり鉄道の画像が無いと、落ち着きませんね。既発表の写真ですが、国鉄の電気機関車、EF58の再登場です。
でも、改めて画像の加工を行い、一応、満足できる仕上がりになりました。
(14) 1960年・昭和35年・・・・・新橋から有楽町へ、東海道本線の上り列車が来ました。向こうのカーブの先から新橋駅のホームが始まります。列車は急行らしく思われます。
左の高速道路(当時は、首都高速道路のネットワークが無く、新橋~鍛冶橋間が、一般の道路として一部開放されていた)と、東海道本線の間の鰻の寝床方の空き地には、後年、新幹線が通ることになります。バックのビル群は、かなり建て直されているようです。
(15) 1963年・昭和38年・・・・東海道本線・小田原駅に上り列車の到着。
・・・・・ということで、今回はこれでお終いです。では、また!!!!
今年の紅葉は例年になく綺麗だと、先ほど見たニュースで
報じられていました。言われてみると確かに、今年は紅葉が
鮮やかな木が多いような気がします。
都内のとある場所で、銀杏並木が見事なところがあります。
取引先へ行く際に必ず通るのですが、今ごろの季節になると
道路と頭上が美しい黄色で覆われ、仕事で疲れた頭を少しばかり
癒してくれます。
紅葉は、日本の大きな財産ですね。
by サッシの父 (2010-11-19 23:48)
む~さん様、こんばんは 津沢です
青空を背景にした黄葉・紅葉や鉄塔、晩秋から初冬にかけての関東地方らいい風景です。
(4)の東京スカイツリー、町田市から東京墨田区まで40kmとすると、地球が丸いので高さ約120mより下が計算上は地平線下になります。実際には、森林や建物が載る多摩丘陵が間にあるので、おおよそ250mより上の部分が見えているようです。
(14)新橋~有楽町間のEF58が牽く列車、後部3両程が青大将塗色のようにも見えます。1960年は「つばめ」「はと」が電車化された年ですが・・・。
by 津沢 (2010-11-20 01:15)
■■ サッシの父様:
銀杏並木は各所に名所になっているのがありますね。東京ですと神宮外苑のが有名ですが、紅葉の時期に歩いたことは一度あったか如何か・・・。
それにしても、今年の各種の木々の紅葉は素晴らしいものがありますね。
■■ 津沢様:
青空バックの紅葉の美しさもさる事ながら、高圧線の鉄塔は眺めていると少年時代に戻った様な気がします。電車の架線柱も、アングルを組んだ鉄塔・鉄柱が好き。昔、その鉄塔・鉄柱に耳を押し付けて風が電線を鳴らす音を良く聞きました。向こうの電柱で友達が石で柱を打つ音が電線伝いで届いてくるのを一生懸命聞き取ったことがあったっけなあ。
撮影した月が分からないのですが、たぶん、夏以後だったような記憶があります。
スカイツリーですが、展望台が350mくらいですから、200mから上が見えていることになりますね。町田市ももっと南の横浜線成瀬駅辺りへ行くと、もっと見えるかもしれません。
by む〜さん (2010-11-20 09:52)
(14)新橋~有楽町間のEF58が牽く列車は、高速道路の一般道路として開放されていた部分から撮影されたのでしょうか。一般道路といっても自動車専用道路でしょうから現在と比較すると通行量もゆったりしたものだったのでしょうね。
by ファジー (2010-11-20 16:54)
■■ ファジー様:
なにしろ昭和35年と言いますと銀座の裏通りに駐車して昼飯、晩飯なんて普通でした。酒宴もやったりしたんですが、下戸で、運転できる私が便利に使われたりしました。(笑)
この『将来の高速道路』、道路というよりも、細長い二階建てビルの屋上をクルマが通るって感じでしたから、車を止めて休憩してる人もいた記憶があります。『下』も空いてましたから、なにも『上』を通る必要も無かったのですが、だんだん、東京の道路も混雑の時代に入って行きました。
by む〜さん (2010-11-20 17:25)
鴨川の四条大橋の一つ南の橋を団栗橋と申します。団栗通が渡っておりますので。この実は樫でしょうね。
さて、(14)の写真、津沢さんご指摘のとおり、青大将なのです。
「つばめ」「はと」の電車化で青大将色のナロ10、オシ17は鹿児島に転出して「霧島」(どうしてこれを新幹線に使わなかったのだろうか)に使われています。
ということで、これは6月以降の撮影となるわけです。
高架下には東京ニュース通信社印刷工場という文字も見えます。
http://www.tokyonews.co.jp/works/pub.html
によりますと、TVガイドは1962年の創刊ということは、まだ創刊していないということです。このころは物流の英字新聞を発行していたようです。こちらは今年7月に廃刊になったようですが。
by なにわ (2010-11-21 14:57)
■■ なにわ様:
鴨川に掛かる団栗橋・・・・地図を見てみたら確かに団栗通りもありました。鴨川には「大橋」の間に「橋」が沢山あるのですね。
確か、私は新入社員で社内研修と実習も終わり、外へ出始めた頃で、先輩が連れて行ってくれました。そんな折の写真です。
by む〜さん (2010-11-22 17:08)