♯484:御殿場線で熱海へ(3) [お出かけ通信451~500]
2010年11月28日・日曜日~11月29日・月曜日、二日間の小旅行。コースは、「町田~小田急~新松田/町田~JR御殿場線~御殿場~JR御殿場線~沼津~JR東海道本線~熱海(泊)~JR東海道本線~小田原~小田急~町田」でした。
今回は、11月28日・日曜日の「御殿場駅前:第6回ごてんば線まつり」です。御殿場線で活躍したD52の72号機・・・・御殿場市内の公園に展示保存されていたものを、駅前に移設、今日、11月28日はそのお披露目式典もある。
■■■ お出かけ通信(483) ■■■
■■■ 御殿場線で熱海へ一泊の旅(2)・・・・御殿場で ■■■
「ごてんば線まつり」の開会式は9:30から始まります。私が313系電車で御殿場到着が10時ちょい過ぎなので、車中から、線路際に展示されたD52形72号蒸気機関車の脇で、スーツ姿の方々がお餅を撒いて居るところが見えました。
改札口で、友人とも会えまして、一緒に、お祭りを見に駅を出る。
(1) 御殿場駅の駅前風景。左が橋上駅の御殿場駅、奥がバスセンターです。カメラを構えた私の背後の方が、「ごてんば線まつり」の会場になって居ます。
(2) ごてんば線まつりの会場風景。
駅前の真ん中に石造りのモニュメントのある広場などにテントが並び、いろいろなお店が出ていまして、善男善女があふれておりました。自衛隊の豚汁サービスもあり調理用の機器がありました。
(3) さて、件のD5272は、線路沿いに作られた綺麗に整備された柵の中に、改めて美しく塗装されて、置かれていました。キャブに入る人たちの列が出来ておりました。子供たちの鉄道制服着用での記念撮影サービスもやっていました。
(4) 会場の向こうに富士山。
(5) さあ、これが、D5272のクロースアップ。このD5272・・・・・市内の湯沢平の公園に屋根付きで展示されて居りましたが、駅前に来たら屋根がなくなっちゃった。これは大変惜しい事だと思います。静態保存に雨対策は必須と思うのです。
(6) こんなモニュメントもありました。右の真ん中に押し釦のある装置はから出る音は、汽車の走行音だったか、歌だったか・・・・・。
この童謡「汽車ポッポ」の作詞者「冨原 薫」は、御殿場の出身。「お山の中ゆく汽車ポッポ・・・・」の「汽車ぽっぽ(本居長世)」も御殿場線の歌だったようで、何処かの駅に歌碑があった気がします。
(7) そばの道路ではライブスティームの運転が行われて居りました。機関車はD5272でありました。
(8) 10:57 D52の国府津寄りは自転車置き場。金網の向こうを、上り特急あさぎり4号が新宿へ向います。
(9) ホームからは留置中の211の影で見えない373を見ようと御殿場駅の東口に行きました。残念ながら金網の向こうですが・・・・・。
(10) 12時も近くお腹も空きました。駅に近いお寿司屋さん「妙見」へ・・・・・。「鱒の姿ずし」が美味しいと友人の勧めで、プラスお味噌汁で注文。酢味の利いた、しっかりしたお寿司で、これは、中々の美味。テイクアウトして、D52の牽くスハ32の車内で富士山を眺めながら食べたら・・・・まあ、これは夢ですけどね。
(11) 御殿場駅前の路上で発見!ご当地マンホール。
(左)富士山に市の花「フジサクラ」、そしてD52。
(右)水道部の仕切り弁は富士山に市の鳥「クロツグミ」・・・足跡みたいなのも。
(12) 富士山は、路上からこんな感じに、普通に見えている。もう、ウチの庭の富士山!って・・・・。
そろそろ、御殿場を後にする時刻も近づきました。12時56分の沼津行に乗らねばなりません。
続きは、また次号!!!!
「汽車ポッポ」の歌詞、たしか本来は「兵隊さんの汽車」という題で、汽車に乗ってゆく兵隊さんを送る歌だったとか。「ぼくらをのせて→兵隊さんを乗せて・・・僕らも手に手に日の丸の旗を振り振り送りましょう、万歳万歳万歳 兵隊さん 兵隊さん 万々歳」だったように記憶しております。戦後すぐに、作詞者自身の手により現在の歌詞に改作されたそうです。御殿場線が故郷だったんですね。
街中から富士の雄大な姿が拝めるというのは、素敵ですね。
by のり (2010-12-04 21:24)
■■ のり様:
そうですね。小国民向けの歌「兵隊さんの汽車」でしたね。終戦時、私は国民学校二年生。戦争の旗色が悪くなり母の田舎に単身疎開の私を、終戦直前に父が迎えにきました。死ぬのなら東京で家族そろって死のうね・・・って事のようでした。子供の私はただ父に会えたということだけで嬉しかったのです。敵機来襲ってことで、時には泊まってしまうような列車で東京へ戻りました。浜松辺りの線路脇の田圃には艦砲射撃で出来た丸い水溜りが多く見られました。これを書きながら、そんな65年も昔のことを思い出しています。
我が町田市は富士山の見える場所が限定され我が家では丹沢の山並みに隠れて見えないのです。たまに、富士山の笠雲だけ見えたりします(笑)。
by む〜さん (2010-12-04 21:47)
御殿場線に初めって乗ったのは小学生の1964年で新宿から小田急のキハ5000でした。初めてのクロスシート、そして次々現れる鉄橋、トンネル。汽車ぽっぽの歌の通りでおおはしゃぎでした。
御殿場駅前は富士山以外なにも無く、遠くへ来たことを実感しました。
by 亀甲デザイン研究所 (2010-12-05 09:31)
■■ 亀甲デザイン研究所様:
キハ5000/5100は、しょっちゅう見てはいたのですが、一度も乗ることも無く、電車化され、キハは他社へ移籍して行きました。最初は小田急電車と同じ、ブルーと黄色に塗り分けられていましたが、後にクリームに赤帯になりました。
御殿場線は、松田から段々の標高を上げ遠く酒匂川や箱根の山を見ながら山北、ここから山中をゆきますが、何回も鉄橋で川を渡り、トンネルを抜け・・・・御殿場からは富士を見ながら下って行くという、観光路線の資格充分と思うのですが、なかなかウケないようで・・・・。
by む〜さん (2010-12-05 18:17)