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冬の御殿場線1966(下):改訂版 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 先般、御殿場線に乗りに言ったと言う事もあり、
2010年2月5日付の拙ブログで「冬の御殿場線1966」で発表した画像に、新たに何枚かの画像を加えて改訂版を書きました。
 前回は、ミノルタレポなる、ハーフサイズのカメラでのエクタクロームフィルムでした。それに、ミノルタSR-1+コダカラーN出の画像を4駒加えたものです。2月5日に公開した画像も改めて加工いたしました。

 今回は、その「下巻」・・・・・・ご覧下さい。 

■■■ 冬の御殿場線1966(下):改訂版 ■■■

 時は、いまから45年近い昔・・・・1966年・昭和41年1月9日のお話です。
 御殿場線の足柄駅で下車して、御殿場方向に歩いてゆきます。

(1) 列車は、良く分かりませんが、昭和42年3月改訂の時刻表を所持していますので、見ると、927列車沼津行がありますので、この年でもそんなに違わないのではないかと思われます。(以下、これを基準にして書きますが、違っていたらごめんなさい)
 川は鮎沢川で、こちらから画面奥に流れているように見え・・・この先(右方)に最後の相澤川橋梁がある筈です。右が国府津、左が沼津になると思われます。
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(2) 機関車部分を拡大して見ましょう。やっぱりナンバー読み取りは無理。機関車次位の合造車は、スハニ31・・・かな?
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pencil-blue.gifキロポスト32kmまで来ました。ここで待つ事に・・・・。

(3) やって来たのは二両編成の気動車。形式は分かりませんが、当時としては普通のタイプ。639D沼津行か、646D国府津行きと思われます
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(4) (3)をアップにして見ました。流石はハーフサイズカメラ、ブレもあるのでしょうがキロポストの数字は判読不能。
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(5) これは、ミノルタSR-1でコダックのネガカラーを入れ、F4の100mmをつけていたはずです。小田急からの乗り入れ特別準急キハ・・・・5000?5100?分かりませんが、新宿を13:31に出てきた御殿場行きの「2715D:芙蓉」でしょう。
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(6) (5)の中央部分をクロースアップしてみました。先般、この辺りを通りましたが、樹木が成長したのか、『ここだ!』と判別できませんでした。
206-660109gotemba05_n-color-02.jpg

(7) 以前のブログに出してあったショットです。ミノルタレポによるハーフサイズスライドです。
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pencil-blue.gif そして、来たコースを歩いき足柄駅まで戻りました。足柄駅からは何に乗ったのでしょう。駅の様子も、何もかも忘れました。

(8) 山北駅にはD52236牽引の下りの貨物列車が居ました。昭和41年・・・・御殿場線にも未だまだ、長い貨物列車が見られたのです。しかも、D52ですよっ!!!
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pencil-blue.gif このあと、どうやって町田市の家に戻ったのか、完全に忘れました。松田から小田急だったのか、友人の付き合って、横浜まで行き、横浜線だったか・・・・・・・。

coffee_misdo_2.gif この年、1966年・昭和41年・・・・もう、東京都町田市に住んで4年。年末には長男が生まれる事になります。そして、その長男も、1966年当時の私の年齢を遥かに超えました。44年か・・・・「ひと昔が4回少々」、色々、忘れるわけですね

 では、また次回!!!!!


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micchama

御殿場線って雄大ですね。
国府津からずうっと上りこう配を登ってくるその背後の山並み北海道を思わせます。
先ごろ、テレビで山北の町、駅周辺のルポがありました。
国鉄一家の町で今でも多くのもと機関士さんや保線関係の方がたくさんいるようです。
小田急の特別準急 芙蓉 私が乗ったのはおそらく昭和30年代前半だと思うのですが、塗色が旧小田急の山吹色と濃紺のツートンカラーでした。
今は見ることがない電信柱、通称ハエたたきもこうして見ると結構、様になっているものですね。
今では、全線電化、東海と小田急の乗り入れなんて、この時代には考えられませんでした。
それも、長い編成の列車です。
これは世の中が平和になって、人の往来が活発になった証なのでしょうね。
ありがとうございました。
by micchama (2010-12-16 19:59) 

manamana

広々とした光景の中やってくるDCが、
とても軽快に見えます。
一方D52がばりばり貨物を引いていて、
迫力満点ですね。
by manamana (2010-12-16 22:12) 

mymeな大家

こんにちは。
御殿場線は旧東海道本線だけあって線路が良く整備されているようですね。D52が走られるなんて大きいレールでしょうし。
気動車の写真は勾配がかなりきついように見えますね。電信線の柱も素敵です。小田急の5000、5100はどこかに残っているのでしょうか。それとも廃車になってしまったのでしょうか。
では、失礼します。
by mymeな大家 (2010-12-16 23:09) 

む〜さん

■■ micchama様:
 いま、この写真を見ていると、ここが箱根とはとても思えない気持ちです。ずいぶん遠くに来たみたいです。御殿場線沿線も人家は増え、高速道路が通り、一般道路も整備され、窓の風景も変わりました。東海道本線時代の複線の片方も、だんだん痕跡が薄くなりました。鉄橋も架け替えられました、でも、トンネルや、橋台はのこっています。最前部に乗って前を眺めていると、C51や、C53、D50が黒煙を吹き上げながら千分の25に挑んだ光景が想像されます。
 そんな鉄道がらみでなくとも、車窓風景は充分に鑑賞に堪えると思うのですが、殆どの方は興味を示さないようで、惜しいなあと思います。
 小田急キハのブルーとイエローの二色の時代は、じつにカッコ良かったですね。
■■ manamana様:
 このD52形蒸気機関車牽引の客車列車、10系気動車、貨物列車が、活躍していた、私の御殿場線の想い出の中では一番良い時代だった気がします。もちろん、東海道本線時代は、まだ生まれていませんでしたから。
■■ mymeな大家様:
 東海道本線の国府津~熱海~沼津が災害などで不通になったとき、バイパス用に、大型機関車が配属されていたと噂されておりました。
 蝿叩き風の電信柱も今見るとなかなかの格好よさです。
 小田急の乗り入れ気動車、キハ5000、5100は御殿場線電化で乗り入れ車が3000形SSEになったとき、4両全てが廃車され、関東鉄道に行き、3扉化され、活躍していましたが、現在は既に廃車になって居ます。(Wikipediaに拠れば1988年)

by む〜さん (2010-12-17 07:02) 

青木一郎

この機関車はD52335です。
"む~さん" と同日(昭和41年1月9日)私もこの927列車を足柄駅の駿河小山方で撮っており、ダブルルーフも写っています。
もしかすると足柄駅ですれ違っていたのかも知れませんね、驚きです。
この近辺、今でも時々訪れています。写真に見える玉石の護岸はコンクリートで整備され、列車背後の道路にはガードレールが設置されましたが今でもこの景色です。
客車最後尾の少し先(奥)がキロポスト30.5でそこからキロポスト34までずっと25/1000が続きます。まさに勾配を往く列車からドラフトとエンジン音が聞こえてくるようです。
なお、足柄信号場時代の引上げ線跡が30.2キロ前後に今でもはっきり残っています。
by 青木一郎 (2010-12-17 10:55) 

む〜さん

■■ 青木一郎様:
 写真(1)、(2)の機関車のナンバー、お調べ下さって有難う御座いました。
 いや~、凄い偶然ですね。本当に吃驚致しました。同じ年月日、同じ列車を同じ足柄駅の御殿場側と駿河小山側で撮っていたなんて。蒸気機関車が牽く客車と貨車、そして2ドア気動車が元気にお客さんを運んでおりました。
 時代は流れて、現在は3ドアの313系(4ドアE231もたまには来るけれど)の、清潔で明るい電車が活躍しています。沿線の風物集落の姿も、変わりましたけれど、まだまだ、往時・・・・東海道本線時代・・・・の遺構ものこる素敵な線区です。ロングシート車が圧倒的らしいので、お弁当は食べられませんが、風景を楽しみ、居眠りをして、往復してみたいなあと思ったりします。
 足柄から御殿場へ、「新柴」という集落のそばに、下り進行方向左側に、信号場の遺構というか、土盛りがありますね。あれが、昭和22年、廃止され移動して現代の足柄駅になったのでしょうか?
by む〜さん (2010-12-17 17:38) 

青木一郎

足柄信号場の現地をご存知で良かったです、その通りです。

当時、複線化後に新設(明36年)されており、これは閉塞区間の短縮が目的とのことで上下列車の往き違い用ではなく登り坂列車の待避場所的な存在だったようです(「I Love Switch Back」より)。
また、ここの旧「新柴陸橋」には1924年ベルギー製の古レールが使われています。

御殿場線のクロスシート車、5~6回に一度位しかめぐり合えませんので来たときは "ラッキー" です。富士山を見ながらクロスシート車でお弁当を食べたら楽しいですね。
by 青木一郎 (2010-12-17 20:30) 

む〜さん

■■ 青木一郎様:
 この退避線状の土盛りをみたとき、何だろうとは思いましたが、それ以上追求せずに居りました。ただ、機会ある毎に、スイッチバックとか、信号場で探していたのですが、まさか「駅に昇格時に移動」とは思いませんでした。廃止が1947年とのことなので、63年経過ですから残っているんですね。
 窓の風景を見ながらの旅・・・・となると、「上り・あさぎり」で「桃中軒」のお弁当を食べながら町田まで帰ってくるコースが良いのかもしれません。乗るのなら、富士山の見える左側かなあ・・・・。山北~松田の右側も捨てがたいのですけれど、やっぱり「日本一の富士の山」の眺望でしょうね。
 1924年の輸入レール・・・・そういえば、こんな廃物の有効利用、最近、見られませんね。駅とかの上屋にも多かったのに。
by む〜さん (2010-12-18 06:38) 

津沢

む~さん様、こんばんは  津沢です

1966年の御殿場線、未だ炭焼きが行われていたのか里山は木々が疎らで、さらに架線が無いこともあって景色がスッキリしていますね。

現在の鮎沢川~酒匂川は国府津方面に流れ相模湾に注いでいますが、数万年前に富士山が噴火して成長する以前は、谷峨付近の狭窄部を分水嶺として沼津方面に流れ駿河湾に注いでいたそうです。駿河小山付近にある昔の河床だった地層を調べ、砂利の傾きから現在と逆方向に流れていたと推定されたものです。

今度、河原を眺める機会があったら砂利の傾きに注目してみてください。たいてい、下流に向かって将棋倒しのように折り重なっているハズです。
by 津沢 (2010-12-18 19:00) 

む〜さん

■■ 津沢様:
 林が木炭になったかどうかは分かりませんが、私が町田市に引っ越してきたころ・・・・昭和38年には、町田市内も住宅の多いエリアに炭焼き窯があったりしまして、吃驚したものです。
 (3)~(7)の写真を見ていると、御殿場線とは思えません。それと、ケーブルでない通信線って、見れば見るほど、いい味ですね。
 地層の件、覚えていて、そんな場面になりましたら、注意して見るようにしてみましょう。
by む〜さん (2010-12-18 20:45) 

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