ホームページ更新のお知らせ [管理人から]
本日、2011年2月7日、ホームページの更新を行いましたので、お知らせいたします。
内容は、1965年と2011年に撮影した、昔と今の「小田急・相武台前駅に近い相武台前2号踏切」です。
先だっての、相武台前へのお出掛けは、このホームページ造りの為の「取材」でありました。
46年の年月の経過を、風景、車両など、大型画像でご覧下さい。
(1) 1965年4月・・・・・SE車3000の特急「きんとき」。
(2) 2011年2月5日・・・・・EXE30000の特急「スーパーはこね17号」
以前、このブログでご覧頂いた1965年の、4枚の小田急電車画像ですが、現代の同一場所の写真と対比てあります。
下記のURLからご覧頂けます。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link178.html
では、お時間が御座いましたら、どうぞ・・・・・!!!!!
タグ:小田急
今だったら「きんとき」という名前は使わないと思います。
速そうではないもの。
HPの2400系のお顔に惚れ直しました。
by manamana (2011-02-07 22:54)
■■ manamana様:
今でこそ、5000の顔は素敵だなあと思うのですが、このころ登場した「New-HE車」2600・・・・5000とほぼ同じ車体・・・・の顔は、「ふっくらしすぎだなあ」と思ったものです。
特急の名称は、目的地である箱根にちなんだネームが付けられておりました。新宿で乗り込むお客さんは「これから、箱根に観光に行くんだ!」って気分になったのでしょう。
少ししか思い出せないので、Wikipediaで見てみましたら・・・・「あしがら」「あしのこ」「姥子」「おとめ」「乙女」「神山」「きく」「桔梗」「きんとき」「金時」「高原」「サポート」「すくも」「須雲」「仙石」「早雲」「大観」「はつはな」「明星」「明神」「夕月」「湯坂」・・・・まあ、こんなにもあったかなあ!ってくらいです。
本数が少なかった頃は、これで良かったんでしょうが、国鉄同様、同クラスの列車が数多く走るようになると、一号二号・・・・って具合になってしまいました。
by む〜さん (2011-02-08 15:40)
列車名は旅のムードを盛り上げるのに一役買っていますね。情緒のある列車名は何となく乗ってみたいという気を起こさせます。そういう意味では昔の方が列車名は情緒がありましたね。今は私鉄もJRも列車名に情緒がありません。やたらと「スーパー○○」とか「××エクスプレス」などという横文字の名前ばかりで食傷気味です。今はありませんが、小田急でも「サポート」などという列車名がありましたが、何と味気無い列車名だろうと思ったものです。やはり列車名は情緒のあるものがいいですね。
by アルファ (2011-02-09 10:03)
■■ アルファ様:
昭和中頃、東京駅から出る特急、急行、準急・・・いろいろ愛称が付いていました。私は東海道の急行列車に付けられた九州の地名シリーズや天体の名の付いた夜行列車が好きでした。あれに乗って旅をしたい・・・・そんな想いがありました。初めて東海道を一人で旅した、急行阿蘇が一番印象に残っています。初めて乗った特急列車はつばめ号でした。一等展望車に30秒ほど居させて頂いたときは、もう有頂天でした。
最近はカタカナ愛称が多く、これも時代だなあと思っています。昔から、日本の人は、舶来に弱いですからね。そんなDNAが現代の若人にも伝わっているのかもしれません。
by む〜さん (2011-02-09 18:29)
快速準急・・懐かしい種別ですね。小田急には特別準急(御殿場線直通)とか準特急(セミクロスの2320が使われていた)とか、不思議な種別がありましたね。
きんとき号・・・初めて見たとき<ききんと>だあ、と叫んで親に笑われた記憶があります。
by Cedar (2011-02-10 16:59)
■■ Cedar様:
「特別準急」はないだろう!と思いましたね。国鉄との刷り併せは、列車種別でもこれですから、さぞ、大変だったんだなあと思います。現在は、晴れて「特急あしがら」ですが。
セミクロス、2320懐かしいですね、たしか、両開きドアだったような気もします。2220と同じ顔で格好良かったですね。
「ききんと号」ですか・・・・私は、ナショナル乾電池のことを「ナルショ乾電池」なんて読んで笑われました。(笑)
by む〜さん (2011-02-10 21:14)