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小田急・昔写真・・・再録ですが(1) [小田急・江ノ電・箱根登山]

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 今日は気楽に小田急のお話でもをしましょう・・・・・。

pencil-green.gif 私は、1963年・昭和38年の8月に横浜から、町田市に越してきました。横浜市電の終点に六角橋という「終点行き止まりの停留場」があったんですが、その電停から歩いて10分少しだったかな、家のあったのは・・・・。家といっても四畳半が横に四つ並んだ長屋で、それぞれに、ボットン便所と台所が付いてる。窓は小さく昼間でも電灯必須・・・・って家だったんですが、なにしろ若かったし、新婚さん、それで充分。夜、一緒に歩いて銭湯へ行ったりしました。
 でも、二年もすれば、狭さに辟易、子供が出来たらえらい事です。そこで、たまたま見つけた町田市の家にお引越しって訳です。

 町田市の住民になって、カメラを持ってのお出掛けも何回かあった様でハーフ判のスライドがだいぶあります。鉄道モノよりも、家族の写真が多かったりします。
 カメラは、昭和34年暮れに入手したオリンパスペン。その後、ミノルタのハーフ判カメラ「ミノルタレポ」。なにしろ、高いスライドフィルムが半額になるってぇんで、何本も撮ったんです。平行して使っていたのは、35mmレンジファインダーカメラの、ミノルタALで、ロッコールのF2の45mmが付いていて、おっそろしくピントが良かった。

pencil-green.gif 今回は、小田急ネタで、1963~65年ごろの撮影と思われる三年ほど前に、このブログでお目に掛けたことがあるのですが、改めて、スキャンし、フォトショップで加工しましたので、ご覧頂きたく存じます。

■■■ 小田急・昔写真・・・再録ですが(1) ■■■

pencil-green.gif 小田急の新原町田駅ホームでのシーンです。

(1) 下りの特急ロマンスカーの通過です。案内放送用のスピーカーがレフレックストランペットホーンなのが懐かしく感じられます。8車体時代のSE車3000です。
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(2) 電車の部分を拡大してみます。特急のネーミングが、被写体ブレで分かりません。一見「あしがら」ですが。
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(3) これも、上りの電車・・・・下りホームより撮影・・・・クハ2450のようです。ニッカウヰスキーと明治マーブルチョコレートの広告が懐かしいですね。1956年生まれのマーブルちゃんは、芸能界から引退されているとの事ですがお元気なのかしら・・・・。
 この2400系HE車の濃いブルーと黄色の塗りわけは、デハ2200以来で、いまだに私は好きなんですが・・・・。
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icon_omake.gif なんだか、ほっとするような画像が欲しいな・・・と思いまして、「春の花2011年版」です。
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coffee.gif 「以前に一回使った電車画像」を、ぬけぬけと使ってしまいましたが、次回も、再使用の画像になります。ご容赦ください。


タグ:小田急
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アルファ

見せて頂いた写真を見ると、改めてSE車の車高が低いのがよく分かりますね。SE車の車体は通過を見送る駅員さんの背丈ほどしかないのが分かります。初めてSE車に乗った時に車窓の感じが他の車両と違って見えたのが印象的でした。Tc車とM車の長さが3mも違っているのが特徴だったHE車も晩年多摩線でよく乗りました。地味な車両でしたが、たった1両だけの冷房試作車などもあって思い出深い車両です。
by アルファ (2011-03-18 10:36) 

mymeな大家

こんにちは。
今の町田駅からはとても想像できない画像ですね。
アルファさんも書かれていますが、とても車高が低いんですね。乗るときは腰をかがめないと乗れなさそうです。むーさん、SE車に乗られたことありますでしょうか。それと、最近のロマンスカーはオルゴール鳴らしていますか。何だか記憶に無いのですが・・・もう何年も前からでしょうかね。
では、失礼します。
追伸:先日新宿の中古カメラ屋で、オリンパス35が3台あり、一番安いものは9500円になっていました。全体的に値段が下がってきていますね。店舗の情報等必要でしたら私のメールにご連絡ください。

by mymeな大家 (2011-03-18 13:20) 

はーさん

SE車は高速長距離電車のトップを切って昭和32年に登場した
低重心軽量高性能連接車で、それまでの電車とは全く違う姿で
当時のファンとしては憧れの的でした。初めて乗った時は、感激しました。しかし、続いて、昭和33年7月に運転を始めた近鉄ビスターカー(初代)10000系や同じ年に走り始めた国鉄こだま号151系は冷房付で圧倒的に居住性が良く、トップスターの座を譲ってしまいました。でも、当時の狭軌最高速145km/hを国鉄の試運転で出したこと等で、エポックメーキングな電車でした
by はーさん (2011-03-18 14:55) 

Cedar

SE車、HE車、マーブルちゃんこと上原ゆかりチャン、みんな懐かしい顔ですね。どのお顔もふっくらしています。今の時代にはそぐわないのでしょうが・・・
SE車のオルゴールは経堂車庫に程近い墓に行く度、聞いていたので耳に残っています。やがて都内では鳴らさなくなってしまいましたねえ。
冷房化後に一度だけ乗ったことがありますが、冷房がデパートにあったような床置きのものだったのと、客用ドアが開き戸だったのが印象に残っています。
by Cedar (2011-03-18 19:14) 

maipenrai

SE車、乗りたかったなぁ…。
 小学生の頃、家族旅行で箱根湯元からの帰途、父が「特急で帰る」と言って大喜びしたのですが、やってきたのはクロスシートながら一見フツーの電車。がっかりしたのを覚えてます。いま思えばあれは2300系? それとも吊掛時代の(しどろもどろ)。
 カンヒザクラ、かぶっちゃいました。失礼しました。
by maipenrai (2011-03-18 19:59) 

のびた

む〜さん、ご無事でなによりでした。地震の時はバスに乗務中でしたが、バスがひっくり返るのでは?と思うくらいの揺れでした。
宮古の知り合いの寿司屋さんは紙一重で、店舗も人も無事だったそうですが、自分達だけが助かって申し訳ないと思うくらい酷い惨状だそうです。一日も早い復興を祈りましょう。

SE車は5両になってからしか記憶がありませんが、大好きな電車でした。ちょっとハスキーなオルゴールを鳴らしながら通過してゆく姿に惚れ々れしながら眺めたものです。
by のびた (2011-03-18 23:27) 

む〜さん

■■ アルファ様:
 SE車は実に画期的な電車でした。流線型、連接構造、シールドビームのお臍ライト、オール転換クロスシート・・・懐かしく思い出されます。1957年デビューのころは、かなり話題になりました。冷房はありませんが、当時は普通の事でありました。国鉄の看板列車、特急つばめ号だって二等車、三等車には冷房は無かったんですから。
 HE車の冷房試作車は覚えていますよ。会社の帰りに、この車に当たると嬉しかったんですが、期待ほど涼しくなかった思い出もあります。調べてみたらクハ2478でした。
■■ mymeな大家様:
 町田駅はこのころは新原町田駅といいました。小さな駅ビル付きで、名店街もあって屋上には可愛らしい観覧車もあったんです。駅前にはミドリヤがありました。
 ロマンスカーのオルゴールは、復活しているんです。VSEが発車するとき、一発、吹鳴します。懐かしくって涙です!
 SE車はデビューして暫くしてから、小田原~新宿間で乗りました。雨の日で、いまの開成あたり、酒匂川の土手の松ノ木を覚えています。いまでも、当時のように緑の葉を繁らせています。そして、新原町田辺り、横浜線の単線が田圃の中を真っ直ぐに伸びていたのを覚えています。ただ、意外と、ぶっ飛ばさなかったのが、惜しかったです。
 おお、懐かしのオリンパス35、ありましたか・・・・でも、9.5K円・・・・う~ん、臍繰りが・・・・。折角ですが、5K円くらいまでなんです。写らなくても良いので、少年時代の思い出として、パソコンの上に飾っておきたいのです。
■■ はーさん様:
 SE車は本当に画期的新車でしたね。軽快で、いかにも早そうでした。SE車に乗って、箱根に新婚旅行って、そんな時代でした。
 SE車のあと、どんどん他社の新型特急車が出てきて、あっという間に追い抜かれてゆきましたが、いまだに、鉄道ファンのみならず、普通の方たちの口に上る・・・これは、名車であることの証拠ですね。現在、海老名車庫の専用の車庫に5両編成で大事に収納されています。
■■ Cedar様:
 SEに、HE、マーブルちゃん・・・・ホントに懐かしい面々ですよね。マーブルちゃんの「ポン!」ってオノマトペが効いてますね。
 オルゴールは、良いものでしたけれど、騒音ということで、取り止めになってしまいました。最初のころは、エンドレスのテープデッキでやっていました。
 現在、VSEの発車時に吹鳴していますが、町田駅から聞こえてくるのを駅前広場で聞いたりすると、もう、嬉しくなってしまいます。
 SE車・・・・開き戸でしたね。上が半円形で・・・・。
■■ maipenrai様:
 一見フツーの特急車・・・・何型だったんでしょう?湘南顔の1ドア2300格下げの2ドア=2300、貫通顔の2ドア=2320で、何れもセミクロスシートでしたが・・・・・。
 家の近所にカンヒザクラの並木道が妬く00mあり、蕾が開花寸前です。並木が赤く見えています。(最近、河津桜・・・近所の家の庭木にずいぶん採用され、各所で見かけます)
■■ のびた様:
 走行中のバスでも分かるのは凄い揺れの証拠ですね。事故にならずによかったですね。私は、逃げるべきか留まるべきか、思案してしまいました。今回は無事でしたが、こんな優柔不断が、生死を分けるんですね。
 今は、地震・津波で被害をこうむった方々にお見舞い申し上げ、亡くなった方々のご冥福を祈っています。
 5車体のSEは、一度だけ、小学生だった次男と、町田駅から御殿場駅まで乗りました。もう30年も昔の事です。その次男の子供は、中学生。年月経過の速さに驚きますね。
by む〜さん (2011-03-19 00:00) 

manamana

小田急線の普通の電車が白に青い線になったとき、
京王線の真似をしたなと子供心に思いました。
by manamana (2011-03-19 06:16) 

む〜さん

■■ manamana様:
 成る程、頷けますね。京王の色は、素晴らしいデザインの5000からでしたっけ?
 1969年といいますから42年の昔、昭和44年にデビューした、いま、消滅寸前の5000形が、初めてこのカラー『アイボリー+スカイブルーの帯』でデビューした来たんですね。私は、このページの『ブルーに黄色』が好きだったのですが、まあ、塗装費用、遠方からよく見える、など自分を納得させています。40年も経つと、いまのカラーが=小田急になってしまいましたが・・・・。
by む〜さん (2011-03-19 07:14) 

のり

素敵な写真、ありがとうございます。
本当にSE車の車高って低かったんですね。画期的な特急車だったことがよくわかりますね。
by のり (2011-03-19 21:08) 

む〜さん

■■ のり様:
 小田急が従来の吊り掛け電車から、カルダンの高性能車に変わるころの写真でした。昭和30~40年ごろって、各電鉄会社、グレードアップが顕著な時期でした。
 SE車はいかにも早そうで憧れたんですが、小田急線内、思って程はぶっ飛ばさなかった印象でした。しかし、観光地への旅(と、言うほどの距離ではないけれど)は、「早そう!」、「カッコ良い!」って要素も大きな効果がありますね。始発駅で、素敵な電車に、対面し、乗り込むときの高揚感は素敵ですものね。
by む〜さん (2011-03-20 07:23) 

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