ホームページ、更新のお知らせ 『軽井沢駅1964年』 [管理人から]
私のホームページ「む~さんの鉄道風景」に新たに一頁を加えました。題して「軽井沢駅1964年1月」。
東京オリンピックの年のお正月、軽井沢から北に入った「小瀬温泉」に行ったんですが、そのときに、国鉄信越本線・軽井沢駅で写した、何枚かの写真を展示いたしました。
実は、今回は初めてではなく、10年ほど前に、すでにホームページ上で公開しておりました。ホームページサーバーの容量とかの問題で、引き上げてしまったものなのです。
その後、ブログでも公開したことがあるのですが、今回は画像のサイズも大きくして、見ごたえのあるものにしたつもりです。
チョコレートカラー当時のEF62、EF63、165系電車、キハ82系の気動車などを、大き目の画像で展示いたしました。
下記アドレスをクリックで、ご覧頂けます。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link180.html
お時間の御座いますときにでも、アクセスしてみて下さい。懐かしい気分になっていただけると存じます。
碓氷峠は何回か通りましたが、末期にはEF63の一部が茶色の塗装になっていましたね。
当時はまだ銀塩カメラで、デジカメのデの字も聞こえていませんでした。
最後の訪問時に、初めてフジフィルムのベルビアで撮影したのですがISO50の扱いには難儀しました。ここ一番で慣れないものを使ってはいけませんね!
これを教訓にその後は、ISO100のプロビアを愛用しておりました。
ISO100のベルビアが出てきたのは、デジタルカメラが普及し手が届きやすくなってきた頃だったように記憶しています。
実は、うすい鉄道文化村になってから未だ行っていないのです。
by 利きゅう (2011-06-26 01:05)
■■ 利きゅう様:
碓氷峠体験はラックで二回、粘着で3回っきり、しかも一番まともに撮ったのが、この時だけという、鉄道を趣味としている割に、いい加減な私でありました。
国鉄の電気機関車は、これまた幼い日のインプリントなのでしょうが、ブルーでも赤でもツートンカラーでもなく、チョコレート色に塗られた、いたってシンプルなのが好きです。ホームページにアップした、この時のEF62やEF63の写真を見ると、こみ上げてくるものがあります・・・・は、少々大袈裟かな?
鉄道文化村・・・・これが、結構良いんです。一日使ってゆく価値充分です。一部を除いて野ざらしなのは惜しいけれど、まあ、無いよりマシですし、大いに評価しています。是非、見学にお越しください。私は、八王子から高麗川乗換えの八高線で高崎、そして107系?で横川入りしましたが、これがまた良かったですね。
by む〜さん (2011-06-26 06:30)
横川駅の駅前を歩いていたら、ラックレールを地面の滑り止め?に使っていたのを見つけました。
罪の意識を捨てて、掘り出して拾って帰れば良かったでしょうか。
いや、そんなもの、子供に見せられないです。
by manamana (2011-06-26 08:44)
■■ manamana様:
横川駅前といえば、溝の蓋に古ラックを使ってますね。鉄道通信ケーブルを吊るすのやら、線路の柵やら、いろいろ利用していました。消耗品なんですね。
やはり、まずいでしょう。持ってこないでよかったですね。
by む〜さん (2011-06-26 09:29)
チョコレート色のEF62/63、白鳥や165系。カラーだと一段と素敵ですね。この年の5月の連休に、軽井沢を訪れているんですが、既にサードレールは跡形もありませんでした。
ラックレールの鉄片、私は軽井沢駅前の側溝の蓋に利用しているのを見たことがあります。
by maipenrai (2011-06-26 21:55)
■■ maipenrai様:
当時としては珍しくフジカラーN64を入れてゆきました。カメラはミノルタのレンズシャターカメラのALというのだった気がします。色の保存状態は割りとよく、あれは、良いフィルムだったなあと思っています。
ラックレール利用の溝蓋は、後年、国鉄日光駅前で発見した写真を撮りましたが、2005年だったかな?行ったときには、なくなっておりました。
■■♪♪ da-kura様:
■■♪♪ うつマモル様:
■■♪♪ hajime様:
「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2011-06-27 16:25)
こんばんは。
茶色のEF63に旧型客車、さらに165系やキハ82系の「白鳥」・・・。
私のような若い(です)ファンから見ると、「新鮮」に感じました。
色合いもきれいですし。
by 京阪快急3000 (2011-06-27 19:12)
■■ 京阪快急3000様:
私は幼い頃から大人の入口辺りまで、チョコレート色の電気機関車で育ったものですから、今でも、チョコ色の電気機関車を見ると、『やっぱり、コレだね~!』と思います。もっとも、そのころ、東京から大阪まで8時間掛かりました。飛行機なんてなかなか乗れないし、新幹線も無かったわけで、至極、のんびりした時代でした。
それにしても、直流電機はブルー、交流は真っ赤の現代からみると、結構、新鮮に見えるかも知れませんね。
もっとも、この時のEF63は、新品も新品、就役後半年ですから・・・・・まだ、光り輝いていますね。
by む〜さん (2011-06-27 21:04)
■■♪♪ ねじまき鳥様:
「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2011-06-28 09:45)
碓井峠は、電車特急「白山」や夜行客車急行「越前」でよく通りました。電車でもガタガタと揺れました。峠の釜飯を買って食べるのが楽しみでした。サードレールの“Bottom Touch”は日本では碓井峠だけだったのこと。海外では“Top Touch”と“Bottom Touch”が拮抗しているとか。鉄ピクで読んだことがありましたが、NY近郊では、「Metro North」が“Bottom Touch”、「Long Island」が“Top Touch”とのことです。
by 京葉帝都 (2011-06-30 17:58)
■■ 京葉帝都様:
サードレールの方式、米国では「トップタッチ」、「ボトムタッチ」と呼ぶのですね。全世界的に見れば、拮抗、ということは、まあ、半々か、四分六・・・・現代日本では100パーセントの方式も、二大勢力の片方だったんですね。
峠の釜飯をホームを走って買いに行ったのは、何時の事だったのでしょう。忘れるくらい昔の事でありました。勿論、中味の無くなったお釜はお土産に持ち帰りました。
by む〜さん (2011-07-01 17:30)