京浜急行・上大岡駅・1976年 [むかし噺(2)]
最近、更新の間隔が延びて来たみたいです。週に3~4回が目標なんですが・・・・少々、まずいです。
と、言いますのは、ネタはあるのです・・・・が、なんだか、気力が落ちたというのでしょうか、「せっせと、課題をこなしてゆく意欲のレベル」が落ちているみたいです。ほんとに、まずいです。
そんな昨今なんですが・・・・・『良いブログネタは無いものか』と、殆どがビネガーシンドロームで使い物にならなくなってしまったフィルム群をかき回しておりましたら、マシなフィルムの中にこんな画像がありました。たった四駒ですが、コダックのフィルムで、『KODAK SAFETY FILM 5062』とパーフォレーションのところに文字が入って居ります。『TRY X』か『PLU X』か判りませんが・・・・コダックの御威光か、カーリングが全くありません。
1976年・昭和51年のお話をしましょう。6~7月ごろの事だったでしょうか、当時、10歳だった息子と、息子の友人を連れて、横浜へに行ったのです。35年前の事ですから、私も若かった。38歳!!
目的は、京浜急行の特急に乗ること!
■■■ 京浜急行・上大岡駅・1976年 ■■■
1976年・昭和51年の夏、10歳になる長男と、その友人を連れて、京浜急行に乗りに行ったんです。
(1) 仲木戸駅です。原町田駅から横浜線で東神奈川駅に来て、此処へ来たようです。線路の頭上には、まだ、高圧線があります。品川行の快特で、1000形8連の先頭車は1224。
(2) (1)の電車部分を拡大してみました。デハ1000・・・・いい電車でしたね。ついこないだまで、走っていたのに、あっという間に「懐かしい電車」になってしまいました。
(3) 上大岡駅に到着。横浜駅で乗り換えて、この三崎口行特急に乗ってきたのでしょう。最後尾は1054と読めます。
(4) 実は、上大岡駅という自信が無かったんですが、(3)の一部を拡大してみたら・・・・・。
(5) 私たち一行は、上りホームに移動しています。三崎口行特急が来ました。先頭は1017・・・・若いナンバーです。数えてみると6両編成。ホームの反対側に居る各停は何でしょう?
(6) (5)の該当部分を拡大してみたら、どうやら700形のようです。思えば1000も、700も居なくなってしまいました。画像をフォトショップでいじっていて、少々、感傷的になりました。鼓形の特急のプレートも懐かしいですね。
(7) 特急三崎口行が出発してゆきます。最後尾は1020で、列車番号を見ると(5)と同じ「51H」ですから、同じ列車なのでしょう。
(8) (7)の電車部分です。まあ、私の個人的好みなんですが、このデハ1000、ヘッドライトが小さなシールドビームでなく、大きな従来型だったら、更によかったのに・・・・と思うこともありましたが。
あとは、子供たちの記念写真が二駒で、フィルムは終わっています。この頃・・・・昭和51年って、特急、快特は、みんな1000になっていたんでしたっけ?あの「京浜急行の華」デハ700形→600形は特急運用を外れていたんでしょうか・・・・・。
・・・・と、云う事で、今日のブログはオシマイと致します。
京急が京急だった頃、って感じがします。1000はやはり名車ですね。700はやはり好きじゃないですが・・
by Cedar (2011-09-03 10:24)
まだ冷房車は普及していなかったのでしょうね。
盛大に窓を開けて走っていますね。
by manamana (2011-09-03 21:55)
上大岡の空が広い!!(笑)
再開発前の上大岡駅前は結構入り組んでいたという記憶があります。当時は横須賀方に亘り線があったんですね、今は横浜方ですが。
種別板、私が生まれる前年に使用を止めてしまったので種別板を掲げて走る姿は見たことがないのです。カッコいいですね!!
昭和51年当時は分かりませんが、昭和57年刊行の保育社カラーブックスによると快速特急の運用は、平日が600形2運用・1000形4運用、休日は1000形のみ7運用とありますのでもしかしたら当時もそうだったのかもしれません。
1000形の運転曲線で作成されたダイヤでは600形の性能は苦しく現場では敬遠気味だったようです。
私も、600形運転経験のある京急職員の方からお話を聞いたことがあります。
by 利きゅう (2011-09-03 23:38)
この時期、2扉の600形は少々持て余し気味で、逗子線のローカルなんかに入っていることもありました。
特急51Hの1017~1020(中間の2両を除く)は、1000形で初の空気バネ台車付き。おまけに2両ごとにメーカーも違うという異端車でした。
by モハメイドペーパー楠居 (2011-09-04 00:03)
昭和51年ですか・・・。ほんの少し前のような気がいたしますが、もう30年以上も前のことになるのですね。
京急といえば、この電車が思い浮かびます。(と申しましても、実際に見たわけではございませんが・・・)
貴重な写真をありがとうございます。
拡大してみると、いろいろ面白いものが見えてまいりますね。
by のり (2011-09-04 00:09)
こんばんは。
これは間違いなく上大岡。生まれ育った町です。
朝倉病院にも通った事ありますし、今は市営地下鉄の上永谷の方に移転していたと思います。
再開発が始まったのが私が高校生位の頃ですから、もう20年位経つのかな?
でも上大岡と言えばこの景色。多感な頃を過ごした時代のこの景色が一番しっくりきます。
良いお写真を見せて頂きました。ありがとうございました。
by jin (2011-09-04 04:13)
おはようございます。
昭和51年頃の京急の車両は、まだ「冷房改造」がなされていないのですね。
お写真の京急の1000形は、まさに「京急を代表する車両」と言っても過言ではないでしょう。
その1000形も引退し、現在は2代目が登場していますね。
ちなみに2扉の特急用車両である600形は、撮影はなされていなかったのですか?
by 京阪快急3000 (2011-09-04 07:49)
都線乗り入れの特急はまだ6連だったんですね。新卒で京急に入った友人がおりまして、彼が現場業務訓練ということで車掌乗務をしていたのが、おそらくこのころなのでは…。そんな彼も昨年退職期を迎えましたが。
by maipenrai (2011-09-04 12:15)
■■ Cedar様:
このデハ1000は確かに一時代を画した名車と言えますね。その性能の高さがが買われて、あれだけ量産されたのでしょう。
私が京浜急行に出会った昭和29年頃の代表的電車は二色塗り分けのデハ230でした。デハ500もよかったけれど、その次の二扉セミクロスシートの特急車・初代デハ700が次の代表的電車だと思っています。そして、このデハ1000の時代になりました。最初は非貫通の湘南顔でしたね。
■■ manamana様:
デハ1000は、地下鉄対策で窓の全開はありませんでしたが、地下へ入らない新しい電車は、大体、完全開放でした。座席に立ったら落っこちちゃう。冷房体験の無い頃は、そんな窓から入ってくる風が非常に心地よかったです。
■■ 利きゅう様:
デハ700改めデハ600は顔がすっかり変わり、デハ700デビュー時の顔が大好きな私には、どうも好きになれませんでした。
デハ2000がでてきて、大喜びしたものです。そのデハ2000もエアポート専業になり、デハ2100の時代になりました。
時々、見に行く京浜急行ですが、すっかり馴染んでしまったデハ1000が来ないかなあ・・・ああ、居なくなっちゃったんだ!なんて思ったりするんですよ。
使い勝手といえば、デハ1500・・・乗務員さんには評判が良いらしいですね。
■■ モハメイドペーパー楠居様:
1017~1020はエアサスでしたね。今では当たり前の空気バネですが、デビュー当時は色々と問題もあったと聞きますね。
この頃は、もう、すっかりでは1000が定着して、代表的電車になっていたんですね。
■■ のり様:
そう、あっという間の35年でした。連れて行った長男も、子供を連れて電車に乗りにいったりしているようです。孫が鉄道ファンになると嬉しいんですが、果たして?!
京浜急行・・・・こんど上京されるときは、是非、スケジュールに組み込んでくださるよう希望します。京浜急行カーブ式会社、車体を傾けて曲線区間を高速で行く・・・なかなか魅力的です。
■■ jin様:
上大岡にいらっしゃったんですね。駅ビルが出来て、すっかり変わっと事でしょう。私は、この時以来、下車したことが無かった筈です。京浜急行や地下鉄で通り過ぎるだけで・・・・・。
■■ 京阪快急3000様:
私が京浜急行と付き合い始めた昭和29年以来、代表的電車は、デハ230~初代デハ700~初代デハ1000~そして現在のデハ1000、デハ2100の時代になりました。
小田急ファンの私ですが、月に一度は京浜急行に乗らないと、もう、乗りたい、見たいで堪らなくなってしまうのです。(笑)
2ドアセミクロスシート車、初代デハ700→二代目デハ600は、700時代の写真が何枚かあります。ブログ公開を以前やったんですが、何枚かまとめて、別の視線で、もう一度登場していただこうかなあ・・・・なんて思っておりました。
先ずは、ホームページに一枚出してありますので、ご覧下さい。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link152.html
■■ maipenrai様:
1976年といえば、私は38歳、今は73歳ですから、年月の経過が早すぎて、嘘みたいです。
京浜急行に乗ると、気持ちが鉄道少年の時代に戻るような気がします。
なにしろ、土曜日なんか学校帰りに、わざわざ寄道して帰宅しました。昭和29~30年ごろの話です。
通常コース:「新橋~京浜東北~蒲田~池上線」
寄道コース:「新橋~京浜東北~品川~京浜急行~京浜蒲田~徒歩~蒲田~池上線」
・・・・・こんな、具合でした。この頃の急行用の代用的形式はデハ230で、運が良いとデハ500のクロスシートに座れました。
■■♪♪ da-kura様:
■■♪♪ ほりけん様:
■■♪♪ hajime様:
■■♪♪ パルの大冒険様:
「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2011-09-04 21:17)
こんにちは。
京急といえば1000系というほど沢山いましたね。それが今では一両も残っていません。時代の流れ、時の流れとはそのようなものなのでしょうか・・・。
2枚窓クロス・シートの600系は、高校一年の時に初めて乗りました。
雑色にある「ピノチオ」模型さんに、1000系のHOゲージがかざってあり、「こんなに精密に作れたらいいなぁ。」と憧れていました。
では、失礼します。
by mymeな大家 (2011-09-04 22:58)
京急は通勤で往復2時間、毎日乗っていたことがあります。ありふれた1000形よりつい600形(2代目)が来るのを期待してしまったものですが、そうは言ってもお隣の軽くて薄い簡素な電車(現在房総在住)と違って質実剛健かつ俊足の良い電車でした。この1000形がいなくなったというのはまだ信じ難い気がします。
by Ryo (2011-09-05 00:32)
■■ mymeな大家様:
お早う御座います。台風の所為の雨模様のお天気、なかなか回復しませんね。
デハ1000、1959年から78年までに356両製造されたそうです。輪が小田急の3000が320両余ですから凄いですね。もとも、大東武の8000の約半分だそうで・・・・。
初代700の二代目600は、逗子の運動公園に保存車があるそうですが、かなり痛んでいるそうですので、見に行こうとおもいつつ、何年か経っています。
■■ Ryo様:
お隣の、あの電車は、あっという間に置き換えられてしまいましたね。1000のデビューが1959年ですから私が21歳のときです。それから52年、居なくなってもおかしくはありませんが、あれだけの数量の電車が消えちゃったというのは、ほんとに信じ難いですね。
特急用2ドア車2000が三扉化されて何と無く寂しい感じになって居ましたが、エアポート急行に割りと入っているようで、二回目の脚光を浴びているようで、ちょっと嬉しかったりしています。
by む〜さん (2011-09-05 08:55)
よく会社帰りに上大岡までラーメンを食べに行きます。
http://r.tabelog.com/kanagawa/A1403/A140307/14015182/
G麺7というお店ですが、結構人気あります。
駅から少し歩きますけど。
最近、ドレミファ音ほとんど聞かなくなりました。
寂しいですね。
by たらこっち (2011-09-05 22:28)
■■ たらこっち様:
おいしそうなラーメンですね。お店のネーミングも面白いです。
インバーターの載せ替えが進んでいるのでしょうか・・・・・昨日、京浜急行に乗ったんですが、その車両はラッキーにも「歌って」おりました。この音も、聞かれなくなりますね。静かな方が良いし、メンテナンスの問題もあるのでしょうから、良い方向なのでしょうが、慣れ親しんだ「歌」なので、ちょっと寂しい気もしますね。
by む〜さん (2011-09-06 06:11)