小田急:愈々お終いデハ5000 [小田急・江ノ電・箱根登山]
数日前のSo-netブログのサーバートラブルの余波だと思うのですが、コメント関係のプロフィールアイコンが表示されないものが出て来たのです。私のVSEのアイコンも、ブログページの左上のアイコンは表示されるのですが、コメントや「nice!」のアイコンが駄目になりました。いろいろやってみたのですが、うまく表示されません。ほっておけば、そのうちに治ると思うのですが、思い切って、永年、お世話になった「VSEアイコン」を、新しいものに変更する事にしたのです。
新しいプロフィールアイコンは、このページの左上に表示されているような、デハ5000の顔を新アイコンに致しました。このアイコンは、以前よりツイッターで使用しており、気に入って居るのです。
いよいよお別れのデハ5000への想いを込めて・・・・・・・。
・・・・・さて、本題です。
小田急さんのホームページによれば、1969年・昭和44年以来馴染んできたデハ5000は、次第に廃車となり4連一本となって居りましたが、遂に2012年・平成24年3月16日をもって完全引退と云う事になりました。
■■■ 小田急:愈々お終いデハ5000 ■■■
デハ5000は、1969年・昭和44年から、1982年・昭和57年までの13年間に180両が製造され、小田急の代表的車種となって居りましたが、引退との話。残念ではありますが、製造後30年、ご苦労様と、見送ってやりたいと思って居ります。
その退場を惜しみ、永年、私たちを運んでくれた業績を称えて、最後の「小田急顔」デハ5000写真を並べますので、ご覧下さい。
2007年3月19日、キャノンIXY320/320万画素ディジタルカメラを持って、町田駅の新宿側の引き上げ線に、町田駅折り返しの5000(5200)の6連が待機しておりました。町田駅から二つ目の踏切脇から、また踏切を渡りつつ写したものです。今、考えれば、この時は引退の事など全く考えてもいませんでした。下降窓の5200の6連・・・・カッコ良いなあ!!!と思ってカメラを向けたのでした。
(1) 先頭車は5551・・・・堪らんですね~、この姿!
(2) 3562を先頭に3000が来ました。行き先は快速急行・相模大野と「読めないでもない」のですが、このころ、そんな運用があったかどうかの調査もして居りません。その後、カメラが現用機のキャノンパワーショットG9となって、行先表示が読めるようになったのは、嬉しかったなあ。
(3) 踏切が開いたので、迫ってみました。
(4) 真正面から・・・・。
(5) 低い位置の正面から・・・・。
(6) 真横から・・・・。左端に踏切道の一部が写っています。
(7) 線路脇の道を、新宿方面に歩いて、反対側の先頭(5265)から・・・・。
ここから、カメラがキャノンパワーショットG9に変わります。画像の切れが良くなり、行先表示が読めるようになりました。本音を言えば、もっと「上級機は欲しい」のですが、「諸般の事情」にて、「重いから、このパワーショットG9で良いのだ!」と、負け惜しみを言っています(爆笑!)。
(8) 2009年3月16日(偶然ですね!)、小田原駅~足柄駅間、箱根湯本~新松田間ローカル。
(9) 2008年2月22日、町田駅~玉川学園前駅間。先頭は5258で、後の6両は1000でしょうか・・・・。
(10) 2010年8月9日、百合ヶ丘駅、急行・片瀬江ノ島行の5061。
たしか、一年ほど前、2010年2月13日の当ブログで「小田急顔」で、既に発表した画像ですが、懐かしい顔を並べます。(新しく画像加工は致しました)
(11) 5000の4連(1972年11月: 玉川学園前駅~新原町田駅)
(12) 2600NHE車(1970年8~9月: 渋沢駅~新松田駅)
(13) 2400HE車(1963年1月)
(14) 2400HE車(1963年1月)
(15) 1954年5月、東北沢駅、稲田登戸~新宿の各停、2101+2151)。わたし的には、この2100形が、所謂小田急顔の元祖だと思って居ります。
(16) 1954年12月、小田急顔の元祖はこの1600だと仰る方もいらっしゃいます。貫通ドア部の手摺が素敵なアクセントです。
2220とか、2320、1700、1900、キハ5000・5100など、小田急顔は居るのですが、キハは別として、あまりに日常的電車であった所為でしょうか、殆ど撮っていないのです。こんなんで、小田急ファンだなんて言ってますが、困った、む~さんではありますね。
今回は、こんなところでオシマイと致します。
町田の引上げ線、奥の方が少しカーブしていて編成を納めるには向いてますね。
でも駅前の踏切は結構人通りが多いので撮影するのも一苦労ではありませんか?確かバスも通りましたよね、それは1つ目の踏切でしたっけ?
今後の小田急では8000+1000など異形式を連結した10両編成の列車が見られる機会も減ってくるんでしょうね・・・。10両固定編成が増えそうですし。
カメラ・・・デジタル一眼も中古品で一世代前になるとあっという間に値崩れしますね。下手すると美品でもコンデジ並みの値段になります。
クラシックカメラのようにプレミアムが付くなどありませんからね。デジタル製品の宿命といえばそれまでですけど。
by 利きゅう (2012-01-22 00:28)
小田急に限らず、昔は一つのイメージを大切に守って、
代々受け継がれていったものです。
最近は、かっこいいのですが、
どこかで見たような顔が多くて。
by manamana (2012-01-22 00:34)
写真(15)東北沢の待避線の短さにびっくりです。
by Cedar (2012-01-22 01:14)
おはようございます。
小田急の5000形、ついに引退ですか・・・。
残念です!!
それからもうひとつ。
お誕生日、おめでとうございます!!
一方、自分は家庭の事情で、しばらくの間、ブログ記事の更新を自粛せざるえない事となりました。
再開の際は、拙ブログでお知らせしますので、ご理解の程、よろしくお願い致します。
by 京阪快急3000 (2012-01-22 07:13)
夜間のsonetブログの接続がやたらよくないと思っておりましたが、サーバートラブルだったのですね。
新しいアイコン、とても素敵です。
5000の引退はとても残念ですね。受け継がれてきた「小田急顔」が、ついに消えてしまうと思うと、感慨も一入です。
by のり (2012-01-22 08:46)
■■ 利きゅう様:
この引き上げ線は6両で目一杯、踏切ぎりぎりに、電車の顔があります。町田駅傍の通行人も多くエレベータ付き地下道併設の踏み切りの、次にある踏切です。バスは踏切直前で、町田駅方面に右折してゆきます。そんな訳で、自動車は多くは無く、殆どが自転車と通行人です。
駅傍の踏み切りは、昭和30年代の後半くらいまで、神奈中バスが渡り、国鉄の原町田駅まで、商店街を抜けて通っていました。流石にその頃でも、一方通行で、帰りのバスはかなり遠回りしました。
懐かしい話なので長くなりました・・・・。
オール1000、オール8000の10連は、なかなか綺麗ですし、あまり好きでない全貫通3000の10連も見方によっては美しくもあります。
■■ manamana様:
特に関東では顔だけ替えた規格型電車が増えました。各社、それぞれ工夫はしてますが、断崖絶壁の前面は、わたし的には、いただけません。
■■ Cedar様:
この頃の各停って、何両編成だったのでしょう。この6年後の昭和35年、2400の4連各停がありましたから、そのくらいは停まれたかもしれません。現在の新宿~本厚木の各停は6~8両ですから、電車の編成も長くなったものです。
■■ 京阪快急3000様:
親しまれて30年、最後の小田急顔5000も残った4両を最後に、見られなくなります。寂しいんですが、これも、技術革新の成果と喜んで送ってやりたい気持ちです。
誕生日を祝ってくださって、有難う御座います。満で数えて74歳になりました。数え年だと75か・・・・感慨ですね。
貴ブログ、暫くお休みになられますか・・・・復活の日を楽しみにして居ります。
■■ のり様:
最近のSo-netブログは矢鱈と反応が鈍くなっています。ラインの通信速度のだけの問題でもなさそうです。それに今回、ハードウエア関係のトラブルだったらしく、完全復元ではなさそうです。
そんな訳で、コメント用のアイコンも大好きな5000に登場して頂きました。
以前、あまり好きでなかった、1000、2000、8000も最近は、悪く無いなあ!とか、1000の方向幕がいいなあ!とか言ったりしています。
■■♪♪ da-kura様:
■■♪♪ ほりけん様:
■■♪♪ あるまーき様:
「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2012-01-22 10:10)
先週辺りから、相模大野の車両基地で5200形が解体作業されていましたね。
自分は小田急利用歴が1年ちょっとと言う事で余り馴染みと言う訳でもなかったのですが、東急では既に無くなった一昔前の電車の雰囲気があって気にはなっていました。(鋼鉄製の車両自体、東急では20年以上前に「絶滅」していますから)
朝の出勤時間の時には寝て行きたいので、急行で来た5000形をパスしていたのが今では少しもったいなかったなと思いました。
by イチゴウ (2012-01-22 16:26)
そういえば秋頃たまたま小田原へ行きまして、その時来たのが「おや、5555だ」なんて思った編成の3両目あたりでした。その時はあまり意識していなかったのですがラッキーなお別れ乗車だったのですね。
ところで最近の新松田~湯本間ローカルは何やら小田急のような登山線のようなおかしなことになっていますのでいっそのこと登山色の2ドアセミクロスでも投入して欲しいものですが、だめでしょうかね・・・。
by Ryo (2012-01-22 20:58)
■■ イチゴウ様:
大野で5000の解体ですか・・・・最後まで残った2本のうちの一本なんでしょうか。悲しい話ですが、20mの電車は地方私鉄でも中々使えないのでしょう。
5000とほぼ同じ車体の2600、4000・・・・あまりにも普通の電車、ついつい写真も撮らずに居りましたが、何時の間にか居なくなってしまいました。最後の5000、一本は3月16日まで動いていると思うんですが、如何なのでしょうね?
■■ Ryo様:
箱根湯本駅~小田原駅~新松田駅間のローカル用電車の中に赤い1000の4連が居りますね。箱根登山の線路を箱根登山色の小田急車が走るなんて面白い事になって居ます。
まだ、160両も居る8000ですが、あっという間に淘汰されてしまうなんて事もあるかもしれませんので、せっせと写して居ります。
by む〜さん (2012-01-22 21:31)
こんにちは。
先日知人から80年代の車両が載っている本を頂いたのですが、5200系増備などという記事が載っていました。何だかいいタイミングで頂いたような不思議な気分でした。
「いよいよ」の日が来てしまいましたね。
むーさん誕生日だったのですか・・・遅ればせながら、おめでとうございます。また一年無事にお過ごしください。
これからもよろしくお願いします。
by おおや (2012-01-22 23:41)
京成の3300形の製造初年が1968年11月ですから、ほぼ同年代の車両ですね。東京近辺から「銀色じゃない」電車がまたひとつ消えて、寂しいことです。
by maipenrai (2012-01-23 18:36)
むーさん様がお好きな5000系が無くなるのですね。
小田急顔、、、私が初めて知った小田急顔は1910でした。
d2D8D3という窓配置は、下降窓と2段窓との相違はあれども阪急920系と同じでしたし、ブルーと黄色の塗り分けにも憧れました。
その後で1600系を知り、3枚扉の軽快なスタイルに魅せられました。
また、あの正面貫通扉脇の手すりもなんとも魅力的です。
長い間、小田急の顔として活躍してきた彼女等達に、また、むーさん様がお好きだった彼女達に、関西フアンとして最後の快走に声援を送りたいと思います。
by たーサン (2012-01-23 19:59)
■■ おおや様:
愈々、来ちゃいました!あと二ヶ月を切りました。これからは、8000と、7000をせっせと写そうと思って居ります。8000はインバータ化されたものもあり、150両を超す普通鋼車ファミリーですので、今すぐって心配は無さそうですが、撮影場所を色々と探しながら楽しもうと思います。
そうなんですよ!満で74歳になりました。我ながら、そんな年齢になった気分がありません。気分は無いのですが、腰痛、膝痛、関節痛は、たっぷりあります(笑)。ま、騙しだまし行きますね!
■■ maipenrai様:
先般の関西旅行でつくづく思いましたが、関東は銀色電車で溢れて居るんだなあ!と言う事でした。東急車輛がJRになってしまったこともあり、今後も、銀色化の流れはますます激しくなるのではないかと思っています。
■■ たーサン様:
あと二ヶ月で5000、退役です。じたばたしても仕方がないので、サヨナラ運転・・・・やったとして・・・・は見に行かないつもりです。混雑は好きではないし。
1600は、大窓の軽快な電車でしたね。逆に、無骨な1200とか、1400が好きで、土曜日の午後など、会社帰りに各停運用の、1200、1400で帰宅したものです。
1910・・・・2000も、長距離電車風でよかったですね。このURLに箱根板橋駅で写した2000があります。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link105-03.html
by む〜さん (2012-01-23 21:01)