小田急ロマンスカー/デハ3000・SE車 [小田急・江ノ電・箱根登山]
今日は、小田急のロマンスカーの中で、当時としては画期的な電車だったデハ3000・・・・SE車、SSE車の写真を並べました。
■■■ 小田急ロマンスカー3000・・・SE/SSE ■■■
SE車・・・デハ3000は、1957年・昭和32年に、低車体高、8車体連接車としてデビュー、全部で4本ありました。SEとは、Super Expressの略で、製造当社はエアコンの装備は無く、窓は開閉でき、天井にはファンデリアが付いて外気を取り入れていました。
この年、1957年には国鉄東海道本線の三島辺りで、速度試験を行い、145kmhを出しています。
1968年・昭和43年、国鉄御殿場線の電化に合わせて、5車体に編成を短縮し(Short-SE:SSE車とも呼ばれて)、同線乗り入れ用として、キハ5000、キハ5100に替わって活躍しました。そして、1991年には、乗り入れ専用特急車RSE・20000にバトンを渡しました。(Wikipedia調べ)
そんな、SE車、SSE車の写真をご覧下さい。
(1) 1963~4年、新原町田駅を通過する新宿行特急。
(2) 1963年1月、新松田付近で・・・・・特急「湯坂」。
(3) 同上・・・・後から。
(4) 1963年1月、新松田付近で特急乙女。
(5) 1966年春、新原町田駅付近で、特急えのしま。
(6) 1964年3月、下北沢駅で・・・・・特急名称、読めません。残念。
(7) 1965年4月、相武台前駅付近で、特急きんとき。
(8) 同上
こんどは、SSE車です・・・・・・。
(9) 1970年夏・・・・・・新松田付近を四十八瀬川に沿って走るSSE車・・・・・特急さがみ。
(10) 1980年1~2月、特急あさぎり・・・・終点の御殿場駅。この息子も四十を越えました。
(11) おなじ御殿場駅で・・・・・1980年1~2月。
小田急のロマンスカーは、吊り掛けの2000形(1910)、1700形、から、カルダン2300、そして、連接のSE/SSEを経て、NSE3100、LSE7000へと進化して行ったのです。現在の、同じ連接車VSE50000の始祖となりました。ま、その辺は、各種の書物に詳細に出て居ります。
この3000・・・・・海老名工場の専用庫に5車体のまま保存されています。片側が、オリジナルのSE顔、反対側がSSE顔になって居るのも嬉しいですね。脇の陸橋上から窓の中の車体側面が一寸だけですが見えます。
では、これでオシマイと致します。また、次回!!!!!
この電車が今から50年以上も前のデビューとはすごいですね。戦争で停滞していた鉄道技術を取り戻そうとする意欲と、社会にゆとりと豊かさがやっと戻った喜びがあふれている~なんて大げさでしょうか?
アメリカやヨーロッパの時流を一生懸命日本化しているけなげさ~なんだか涙さえ出てきます(大げさ!)
個人的にはSSEになってからの顔も好きです。
by Cedar (2012-03-16 22:36)
SE車、今見てもデザインに全く古さを感じません。丸いお顔が本当に素敵です。NSEとともに小田急ロマンスカーの礎を築いたのですね。
by のり (2012-03-17 00:08)
こんにちは。
SE車当時の国鉄が借りにくるほどの車両ですものね。
本当に惚れ惚れします。SSE時代ですが、実車を見られたことを誇りに思います。
このようなことを書くと誤解されてしまうかもしれませんが、
日本の技術はすごいです。
戦争で負けてたった12年でこの車両です。日本人のポテンシャルの高さを物語っています。もっと自信をもって世の中いい方へ
変わっていけることを願いますね。
失礼します。
by おおや (2012-03-17 16:52)
む~さん様、こんばんは 津沢です
小田急SE車、狭軌のハンディに真っ向から挑み成功した車輌ですね。灰色を巧く配したシックな塗色の、重心の低い滑らかな車体は、鉄道車輌というより未来の宇宙船のように想えました。
乗ったのはSSEになってからですが、床面が低いのが印象的で、視点は(大袈裟にいえば)ダブルデッカー車の1階席のような感じでした。冷房取り付け後も客室窓が開閉できましたが、高速走行中に開けるのは、さすがにはばかられました。
1988年に旧ユーゴスラビアからの客人を富士登山に案内し、帰りは御殿場からSSE「あさぎり」に乗ってもらい、満足していただいたと自負しております。
by 津沢 (2012-03-17 23:14)
■■ Cedar様:
1957年、某大学の文化祭の飾りつけのさなかに、遊びにいったんですが、そこの鉄研の学生たちが、夜の校舎内の廊下を自転車で走り回って居ました・・・・口々に、あのオルゴール音を唱えつつ、いい年の青年が・・・・微笑ましい眺めでした。
米国のエレクトロライナーの影響を受けたと聞きますね。こっちは、パンタ集電ですが・・・・。
戦後12年、日本の技術屋さんは頑張っていたんですね!!
■■ のり様:
今見ても、良い顔ですね!私は、SEの顔が、SSE時代よりも好きなのです。空力を意識したのでしょう、のっぺりと滑らかな流線型が良いですね。確か、日本車輌製でしたね。
私も昭和30年代前半に乗りましたが、速度よりもインテリアに感激していました。
■■ おおや様:
いやホントに日本の技術の質の高さを感じますね。あのころは、戦争でぺしゃんこになった日本を技術と誠意で盛り返そうと言う感じでした。現在は、算盤勘定優先みたいですが・・・・。
韓国、中国に抜かれたなんて言ってますが、日本だって、米国、欧州の技術を輸入して、その上に築いた繁栄だったわけで、当然の結果ですね。これからは、またあの頃のように、「質のいい技術」を磨いて欲しいですね。
■■ 津沢様:
途中駅の町田在住の為、SE時代は余り乗るチャンスが無かったのですが、御殿場線乗り入れや、通勤時間帯の特急では、よくSSEを利用しました。これが、NSEや、LSEにつながるんだと思いつつ・・・・。
御殿場特急あさぎり号と言えば、昨日からMSEになったのですが、同時に、町田停車がなくなり、新百合ヶ丘・相模大野停車になりました。「とほほほ・・・・」です(笑)。まあ、たったのひと駅ですが。
■■♪♪ hajime様:
■■♪♪ サットン様:
■■♪♪ 素人写真様:
■■♪♪ シュウチャン様:
「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2012-03-18 10:07)
上司と新宿から藤沢へ行くとき、
今からならロマンスカーがありますと提案し、
車内で飲み物を奢ってもらった事があります。
それが3000系でした。
懐かしい。
by manamana (2012-03-19 06:25)
■■ manamana様:
そういえば、私は「えのしま号」に乗ったことがありません。リニューアル後の水族館、素敵らしいのに、まだ行ってないので、チャンスがあったら、ロマンスカーで江ノ島入りもいいかも・・・・なんて、思っています。
by む〜さん (2012-03-19 21:03)
小田急ロマンスカー3000系、素敵ですね!!
「SE車」時代と「SSE」車時代の両方をしっかりと記録されていらっしゃって、すごい!!と思いました。
確かこの3000系は、「鉄道史に残る名車のひとつ」ですよね。
現在も2種類の前面が、両方保存されていることは、素晴らしいことだと思います。
近鉄も「ビスタカー」など、数々の名車を生み出していますが、保存されていないのが残念に思います。
by 京阪快急3000 (2012-03-20 07:06)
■■ 京阪快急3000様:
いいでしょう?!まさにストリームライナーそのものって感じですね。1,067mmだし、カーブもあるし、145kmhは出ないけれど、初めて実物に接して、それだけで感動しましたっけ。50年以上も昔ですが・・・・。それまでのロマンスカーが普通に電車の延長線上に位置するような、電車だったので、こんな画期的電車が生まれて、吃驚でした。
保存は、大きなものだけに、電鉄会社も大変だとは思いますが・・・・。
■■♪♪ あおたけ様:
「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2012-03-21 15:58)