腕木式信号機のある風景(上) [古いアルバムから]
む~さんも、そうは度々お出掛けする事は出来ないわけで、今回は、既に公開済みの画像を並べて見ました。
テーマは、「腕木式信号機」。いま、日本の何処かに、現役の腕木式信号機はあるのかなあ?たぶん、無くなってしまったようだなあ!
純粋の機械式メカに光源と色ガラスを組み合わせたシンプルなものですが、通票閉塞区間で、普通に使われて居り、単線区間であれば、何処ででも見られたものですが、技術も進んで、気が付いたときは、もう見ることが出来なくなって居りました。
何の趣向もなく並べただけですが、ご覧下さい。
■■■ 腕木式信号機のある風景(1) ■■■
私のホームページなどから拾ってきた「腕木式信号機のある風景」です。画像は改めて原画から480×360に加工し直しました。
(1) 東武鉄道野田線・大宮駅の出発信号機(1954年・昭和29年3月)
(2) 伊豆箱根鉄道大雄山線・大雄山駅の場内信号機(1964年・昭和39年3月20日)。バックの特徴的な山は金時山。
(3) 国鉄相模線南橋本駅・橋本側(1966年・昭和41年7月)向こうの陸橋は国道16号でバスは神奈中でしょうか・・・・。
(4) 国鉄相模線南橋本駅・橋本側から(1966年・昭和41年7月)朝靄の駅・・・・。
(5) 国鉄相模線南橋本駅の連動装置(1966年・昭和41年7月)
(6) 国鉄相模線南橋本駅の信号操作レバー群(1966年・昭和41年7月)
(7) 国鉄八高線高麗川駅の高崎側・場内信号機のメカ(撮影年月・・・・未確認)。停止・赤表示中。
(8) 国鉄相模線原当麻駅の茅ヶ崎側の場内信号機(1985年・昭和60年4月21日)。色灯式単線自動信号機への工事が始まって居るのに気付いて、慌てて撮影に行ったのを思い出します。
(9) 国鉄成田線佐原駅・成田側の出発信号機。カメラは確か100mm付きのミノルタSR1と思われ、1965年・昭和40年頃の撮影と思われます。
(10) 国鉄土讃線大歩危駅(1959年・昭和34年7月)。高知から高松桟橋行の夜行・普通列車で真夜中の長時間停車中。C58からチョコレート色のDF50に変わった頃でした。100を越すトンネル通過時に窓を閉めなくても良いのは大助かりでした。
腕木式信号機・・・・・メカっぽく、そして人の手で動かしていると言うところが、なんとなく気に入っていました。しかし、単線区間であれば、どこででも見られたのですが、あっという間に無くなってしまいました。ひょっとして、何処かで現役で働いて居たりしたら、嬉しいなと思うのです。
二位式で手動が専らですが、三位式や電動のモノもあったようですが、博物館でしか見たことはありません。
この腕木式信号機、もう一回、書こうと思っています。では、また次回!!!!!
腕木式信号機は懐かしいですね。単線区間の駅には必ずありましたが、これが本線、特に、スイッチバック駅では壮観でした。
群馬県の信越本線松井田駅では信号テコ扱い所が独立してあり
これからの連動装置もワイヤーでなく、パイプでした。
http://6.fan-site.net/~haasan55/Matsuida.htm
広い構内の点在する腕木式信号機と信号扱い所の間のパイプの連動装置が線路のかたわらに延びているのがご覧いただけます。(このURLの上から3枚目の写真)
by はーさん (2013-01-16 11:15)
腕木式信号機…。あまりに見慣れた光景だったので、いったいいつどこで見て、いつから見れなくなったのか、全くわかりません。
これを知らない子供たちは、宮沢賢治の「シグナルとシグナレス」を読んでもイメージがわかないでしょうね…。
by 水雷艇 (2013-01-16 11:22)
うわぁ~、いいですね!
電車やとしては、東武、西武などの腕木式には思い出があります。
軌道線が出自の京成や京王にはなかったですが、関西私鉄では京阪の中書島にアメリカの高架電車にあるような小柄な腕木式信号があったそうです。
by Cedar (2013-01-16 13:37)
■■ はーさん様:
昔はポイントの操作は信号扱い所からプーリーに支えられた長いパイプでやっていました。カーブや急角度で方向を変える方法に色々なバリエーションがあって、駅ごとの楽しみでした。
私の育った東急池上線の雪が谷大塚駅にも、小規模なメカのポイントがあり、飽きずに眺めていました。
これらの装置、電動、圧搾空気によるポイントマシンに変わって行きましたね。
■■ 水雷艇様:
宮沢賢治の時代はこの信号機でしたからね。腕木式は、色灯式に変わり、そして、車上信号、ATC/ATOに変わって行きました。まさか、単線区間の通票閉塞方式もなくなるとは思いませんでした。
■■ Cedar様:
小型の腕木式信号機と言えば、東京駅にも小型の入換信号機がありました。操車係員の体に触れても怪我しないように、バネで折れ曲がるようになっていました。万世橋の博物館に展示があったのですが、大宮では展示されていませんでした。所蔵品に入っていると良いのですが。電動三位式の腕木信号も同様です。アームが水平、上方45度、上垂直の三位式表示で、なんとなく、アメリカっぽく感じました。
■■♪♪ tochi様:
■■♪♪ プント様:
「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2013-01-19 20:23)
電子装置ではなく電気と機械の時代を地で行くような仕組みを感じます。いかにも昭和40年頃までの時代印象だよなあ…と思いきや、すでに家庭用パソコンが登場していた昭和60年にもあったのですからね…今思うと信じられません。
また(3)(4)の写真の軽そうなレールと電柱の形がそそります。ちなみに、この電柱を「おいらん電柱」と聞いた覚えがあるのですが、検索しても用例が見当たりません。そんな言葉はお聞きになったことがありませんでしょうか。
by Ryo (2013-01-19 22:03)
■■ Ryo様:
通票閉塞用の引き出しと押し釦の装置、いかにもクラシックなメカには惹かれますね。ポイントだって、重い梃子をエイヤッと体重掛けて動かす・・・・いかにも人間的でした。昭和40年代、つい昨日のようですが、50年近い昔の事になっているのに驚きます。システムそのものが大きく変わるわけですね。
「おいらん車」は建築限界検測車ですが、「おいらん電柱」と呼ぶ方もいらっしゃったかもしれません。「蝿叩き(電柱)」とおっしゃる方もいらっしゃいます。私の生家に近い国鉄品鶴線(貨物線)にもありました。少年む~さんは、そんな電柱を眺めながら貨物列車を待って居たのです。
昭和41年の国鉄相模線・南橋本駅は、工場への引込み線もある、駅員さんも居る大きな駅でした。それが如何でしょう!現在はホーム一本と線路二本だけの小駅です。駅員さんも無配置だった気がします。先だって、そばを通りましたがこの昭和41年の面影は皆無でした。
by む〜さん (2013-01-19 23:20)
こんにちは。
腕木式信号機は、いかにもメカっぽくていいですね。
でも、写真で見るとワイヤーなどがあってメインテナンスも
大変そうです。
10系気動車も大好きです。同じ系列?同じ世代?の55系に通じるものがあってたまりません。
では、失礼します。
by おおや (2013-01-20 22:57)
■■ おおや様:
腕木式信号機をコントロールするワイヤの伸びの問題もありそうですね。日頃のメンテが大変そうです。信号梃子と、信号機の双方に錘があって、ワイヤを引っ張っています。ワイヤの断線は、信号機は赤・停止を表示するようになっています。簡単なメカといっても、考えているなあと思います。それから、遠方信号機など、信号扱い所からの距離が長い場合、ワイヤが往復二本ってのも、子供の頃ですが見たことがあります。
気動車は、キハ41000、42000などの軽快車体の機械式のあと、湘南顔の44000なんてのもでましたが、昭和20年代末にいわゆる10系と呼ばれるものの始祖、キハ45000がデビューしてブレークしました。ただ、見ると乗るとでは大違いで、ビニール張りの背ずりの低い椅子、枕バネがゴムブロックだったりした所為か、乗り心地が悪く、がっかりした思い出があります。その後、キハ20の後期バージョンで、枕バネがコイルバネとなり、大きく前進しました。
気動車についての想い出の詰まった相模線・・・・良い写真はないかと探してみましたが、手近すぎるのか、あんまり無いのです。
by む〜さん (2013-01-23 10:46)