想い出江ノ電1959年 [小田急・江ノ電・箱根登山]
我が家は家内が中心になって、年末を控え、少しずつ家の中の片づけをしています。私の居る「PCルーム」といえば聞こえがいいが、三畳の3分の2のスペースなんですが、現在「ゴミ屋敷状態」なんです。そこを、私がきちんと片付けることになりました。資料はあるし、パソコンに周辺機器、ソフトのCDなどがありますので・・・・。来年3月までには、PCも入換必至とあらば、機種検討もしなければなりません。タダじゃあ出来ないんですからね。マイクロソフトさん、恨むよ~!!
前回のブログ、「昭和37年の江ノ電」の反応がいいので、ちょっと年代を遡り、1959年・昭和34年11月の「江ノ電写真」を、私のホームページの画像から選んで並べてみました。スキャンした原画像から改めてトリミング・加工したものです。
昭和34年11月といえば、大学4年の終わりごろで、卒論のめども立って割と気楽な時期でした。ブローニー半裁のスプリングカメラ「ミノルタセミ-P」を持って、鎌倉から藤沢まで、撮影にお出掛けです。
そんなフィルムの中から、私の気に入った写真を何枚か並べてみます。
■■■ 想い出江ノ電1959年11月 ■■■
その日・・・・1959年・昭和34年11月30日・月曜日は、いいお天気!!!
(1) 和田塚駅に鎌倉行きの電車が着きました。何人かのお客さんが降り、駅員さんが切符の回収。先日、電車の中からこの和田塚駅を見たんですが、イメージを重ね合わせる事が出来ませんでした。なんたって、半世紀!
(2) 長谷駅での列車交換。
(3) 長谷駅に近い「御霊神社」前。「ごりょうじんじゃ」と読むのだそうです。
(4) 極楽寺駅を出た電車が車庫の脇を稲村ヶ崎駅に向けて坂を下ってゆきます。
(5) 丘の上から「七里ヶ浜駅」を見ています。小動の岬の上には、ぼんやりと富士山。それにしても、この川の荒れ方は半端ではありません。なにか、工事中だったのかもしれませんね。
(6) 同じく、丘の上から、七里ヶ浜を行く江ノ電です。この撮影行で一番気に入った写真でした。この写真と(5)の写真を撮った丘は、いま探しても全く判りません。丘そのものがなくなってしまったのかもしれません。
(7) 江ノ島駅近くの龍口寺前から腰越の商店街を見ています。現在のガッシリした架線柱にビーム、シンプルカテナリーと比べると、サッパリ・スッキリで空がうるさくありませんね。
(8) 江ノ島駅の踏切です。500のお通り!!!踏切の向こうには三輪車、こちら側のクリーニング屋さんの自転車も最近は中々見かけなくなりました。
(9) (8)の右側の「食堂のメニュー看板」が気になる方もいらっしゃると思いますので、部分拡大で・・・。ラーメン40円は、何時も大学近辺で食べていたのが35円でしたから、少々高めの観光地価格かな?「つぼやき」があるのがいかにも江ノ島ですね。
如何でしたでしょう?今週は、お出掛けが出来ず、そんな訳で、「昔写真」と致しました。
・・・・・では、また次回に!!!!!!
パソコンの入れ替えって、滅多にしないから数年前にやったメールソフトの設定だったり、宛名ソフトへの宛名のインポートだったり、保存データの入れ替えだったり、すっかり忘れてるから、また一から四苦八苦ですよね~。会社はウィンドウズXPだったので、先日7のPCにリース替えをしましたが、メールソフトも変わっちゃったし、エクセルやワードのタッチが微妙に変わったし、ホントにマイクロソフトには困ったものです…。
我が家のPCはVISTAなので、もう少し現役続行で行ってもらう予定です。
さて昭和34年と言えば私は7歳でしたが、このくらいの年ごろに、父に連れらtれて片瀬海岸に海水浴に言った記憶がありますが、残念ながら海の記憶しかなく、江ノ電は覚えていません。
(8)の中で歩いている女性は、ほとんど当時のわが母親のイメージです☆
by 水雷艇 (2013-12-04 15:23)
昭和34年の江ノ電の光景、拝見致しました。
(5)と(6)の写真が、「素晴らしい景観」だなと思いました。
何だか、中島みゆきさんのあの名曲を思い出してしまいます・・・。
by 京阪快急3000 (2013-12-04 18:22)
こんにちは。
トロリー・ポールはいいですねェ。写真7の架線もすっきりでいいです。トロリー・ポールの車両は、明治村で乗ったN電くらいしか思い出せません。スピードは出せなくても構造はシンプルそのものですし、まだ使っていてもいいのかな。と思ったりします。
完全に時代の逆行ですね。
ところで、PC変更頑張ってくださいね。私のPCももうそろそろ限界が来そうです。二月前にマザー・ボード上のコイン電池を交換しました。カレンダーと時計が狂っていたので、「もしや?」と思い交換したら直りました。もう5年半使っています。
では、失礼します。
by おおや (2013-12-04 20:42)
まだ単コロが主役の時代ですね。(5)(6)を撮影された丘のあたり、確かパンタ化された頃に切り崩され、今は鎌倉高校(名前は違うかも)が建っています。
by モハメイドペーパー (2013-12-04 23:47)
■■ 水雷艇様:
PCの入換は手間と費用で、まったくエライことです。「マイクロソフトのヤロー・・・!」なんて毒づきながら結局は巻かれちゃう。ま、何とかなるんでしょう。
私の母もそうでしたが、昭和30年代前半くらいまでのお母さんって、着物に割烹着のこんな感じでしたね。お出かけのときは殆どキモノで・・・・。
■■ 京阪快急3000様:
(6)の黒く光る海原と逆光の江ノ電は特に気に入って居ります。丘は実際以上に高く感じられた記憶も残っています。電車から見て、ここだ!と、七里ヶ浜駅でついつい降りてしまいまったようです。
■■ おおや様:
ポール集電の電車は昭和30年代中頃までは結構残っていました。ホイール式のポールは、関東ではここくらいでしたが、関西に行くと、スライダー式のポールを使った京阪京津線の急行(準急だったかも)が、体感速度70kmhくらいで(実速度は知りませんが)ぶっ飛ばしていました。叡電も嵐電もポールでした。関東ではスライダー式はトロバスくらいでした。トロバスは、東京、川崎、横浜にあって、普通の存在でしたっけ。
PCのボードの電池といえば、交換して無いなあ!まだ、このままでいいのか判りませんが、取説を見ると寿命が結構短く3年とありました。6年経って未だ交換していません。取説には交換だけでなく、BIOSが如何の・・・と、面倒みたいで腰が引けちゃってます。あと4ヶ月、なんとかもってほしいです。
■■ モハメイドペーパー様:
社会人になって江ノ電撮影に行ってない時期が長かったので、その間に、丘が消えちゃったようです。地図を見てみると、神奈川県立七里ガ浜高等学校(ガは片仮名)とありました。成る程納得です。教えてくださって有難う御座いました。
4厘ボギーの電車が未だ頑張っていまして、ダブルルーフの木造車も居ました。藤沢駅は地平だったし、いい時代でした。
■■♪♪ tochi様:
■■♪♪ makimaki様:
「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2013-12-05 06:36)
私の生まれた頃の光景、楽しませていただきました。ありがとうございます。
そういえば、テレビドラマ「俺は男だ!」の頃も、こんな感じだったんでしょうね。いつの間に近代的になってしまったんでしょう。
なんとなく淋しい感じもしますが、一時の危機を乗り越えられて、今では観光になくてはならない存在になったのは、嬉しいですね。
by のり (2013-12-05 07:38)
江ノ電らしい(と思い込んでいる)車両たちにももちろん目を瞠るのですが、写真に写り込んだ街のようすが貴重で愛おしくてたまりません。
空が広いな、という印象は、ふつう空を見て思いますが、見下ろしてもやはり空が広いなと思うのですね。
(よく見えるということは遮るものが無いということだから当たり前のことなのでしょうが)
軒すれすれに走る路面電車の姿もいいものですが、広々とした土地を走る姿も好いものだなと思いました。
そうかぁ、あすこは酒場だったんですねえ。
美味しかったんでしょうねえ・・・(笑)
by ぬき (2013-12-05 11:13)
■■ のり様:
今では腰越の併用軌道以外は普通の郊外電車になって居ますが、54年の昔は、家々を掻き分けて路面電車風の電車がポールを振りかざしてやってくる・・・・という感じでした。いまでも、当時の面影が残るところもあって、じつに楽しい電鉄です。
是非、お出でになって、実物を見、、触れてください。
■■ ぬき様:
開けた風景の中を行く七里ヶ浜の電車・・・写真(5)のあたりも、家々が建ち並び、随分感じが変わりました。流石に高層マンションは無いようですが。
「白扇酒場」・・・・現在は何になっているのでしょう?龍口寺前は、いまも何回か行っているのに、如何なっているか注意してみてなかったです。こんど、見て来ようと思います。たしか、珈琲の豆を売ってるお店だったかな?
by む〜さん (2013-12-05 21:43)
(2)の電車は半鋼製ですね。古い写真ではよく見るけれど、木でできている電車があったなんて今ではとても信じられません。(5)の七里ヶ浜駅はまるで仮設ホームのような作りですね。今の狭いホームはこれが原型だったのか(笑)。(7)は腰越の狭い道を行く電車が何も不思議ではなかった時代を物語っています。
半世紀前の写真は直接今につながるので興味深いです。
by Ryo (2014-01-18 20:52)
■■ Ryo様:
(2)の停車中の電車は116と思われ、これは木造車、向こうから駅に入ってくるのは半鋼車でしょうね。
(5)の七里ヶ浜駅、仮設ホームみたいに見えますね。川沿いの空き地、崩れたような法面、なにか大工事が行われていたのでしょうね。
(7)の腰越の通り、現在も同じ幅だと思うのですが、どうも現在とは感じが違いますね。でも、建物の高層化も無いみたいだし、架線柱や、カテナリー化で上空がうるさくなった為かもしれません。トリスバーの白扇酒場はなくなったようですが、このちょっと先の写真館の素晴らしい建物は健在です。
■■♪♪ きゅんぱち様:
■■♪♪ 素人写真様:
「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2014-01-18 22:15)
返コメをいただいて用語を間違って覚えていたことが判明しました。半鋼製というのは内装が木製で外装は鋼板のものを言うのですね。そうすると手前は木造車・・・「木造」の電車なんて、ますます素朴です。
(7)の写真は、何より車があるかどうかが大きいような気がします。
by Ryo (2014-01-19 11:37)
■■ Ryo様:
台枠は鉄製だったようで、その上に木の箱が載ってる構造だったようです。Wikiに「構体 (鉄道車両)」という項目があるのを、いま、発見しました。
腰越の通り・・・・たしかに、クルマが居ませんね。その所為なのでしょう。
by む〜さん (2014-01-19 18:51)