SSブログ

777:松山・高知:路面電車の旅(5) [お出かけ通信751-800]

icon-odekake.gif
pen-pc.gif 2014年・平成26年9月8日(月)~10日(水)の三日間、息子と二人で、四国の「松山」と「高知」へ、路面電車と観光、うまいもんを食べる旅・・・。
 この旅も二日目に入り、9月9日の朝から、ら、今回の報告は始まります。今日は午前中は、松山市内見物、昼食後、高速バスで高知市に移動いたします。

icon-matsuyama-kochi-2014.gif

■■■ お出かけ通信(777) ■■■

■■■ 松山・高知:路面電車の旅(5) ■■■

pen-para.gif 何時もの様に早朝に目が覚めてもう眠れません。それでも、7時前までベッドの中に居ました。ベッドから出て着替え、カメラを持ってホテルの前の道路に出た。道路の向こう側は、お城の濠で、すぐそこに市内電車の南堀端電停が見えて居る。07:15から07:35までの20分間、電車を眺めたり写したりしていました。その中からの二枚です。

(1)07:28 南堀端電停の2108と2107。バックは松山市役所。
501-140909ode.jpg

(2)07:35 JR松山駅方面を見る。電車は76。
502-140909ode.jpg

icon_fork-knife.gif 朝食の時間になりましたので食堂で食事。例によってバイキング方式。

(3)07:45 もっと、緑のものが入っても良かったと、今になって思う。(笑)じゃこカツとじゃこ天は、ちゃんと押さえてあります。
503-140909ode.jpg

pen-para.gif お出かけ前の身支度で部屋に戻る。窓から眺めると、いい眺めです。

(4)08:36 南堀端の電停に停車中は73です。
504-140909ode.jpg

(5)松山城の天守。200mm相当で撮ったので、かなり大きく写りました。
505-140909ode.jpg

pen-para.gif さて、息子と二人、市内電車で道後温泉へ。電車は通勤客でそこそこの込み具合でしたが、だんだん下車して、道後温泉に着くころには、数人となりました。

(6)09:12 道後温泉駅から商店街を歩くといきなりこの「道後温泉本館」が現れます。建ってから120年になるんだそうで、中々の貫録。まわりが高層ビルばっかりなのに、この小さな建物が逆に目立っています。
506-140909ode.jpg

(7)09:21 息子は「温泉から松山城」へ回るとの事なので、私は「電車見物」です。まずは、道後温泉駅。
507-140909ode.jpg

(8)09:30 道後温泉駅ホーム。2104が到着。
508-140909ode.jpg

(9)09:32 50形後期形。62~69は側板にリブが入って居ます。
509-140909ode.jpg

pen-para.gif 電車に乗って鉄道線との平面交差、大手町まで参ります。

(10)10:00 南堀端交差点。55と、その向こうの空色の電車は2108。
510-140909ode.jpg

pen-para.gif 大手町で下車し、鉄道線と軌道線の平面交差を何枚か写す。

(11)10:26 電車は57。
511-140909ode.jpg

pen-para.gif 高浜行の電車に乗って古町(こまち)へ。古町駅は鉄道線と軌道線が仲良く使っています。

(12)10:35 古町駅の側線で、元・京王井の頭線の3501が休憩中。そのそばを走り抜ける、これまた井の頭線の3000系3506。
512-140909ode.jpg

(13)10:37 京王のスターだった5000形は、かなりの数が、ここで活躍中。
513-140909ode.jpg

(14)10:51 軌道線の工場と車庫。
514-140909ode.jpg

pen-para.gif またも大手町駅にやって来ました。

(15)11:09 2102がJR松山駅に向かっています。
515-140909ode.jpg

(16)11:10 坊っちゃん列車も来ました。
516-140909ode.jpg

(17)11:16 平面交差を渡る3506。
517-140909ode.jpg

pen-para.gif ホテルに戻って、息子と合流し、食事をとろうと大街道へ向かいます。市内電車で三つ目ですから、直ぐに着いてしまいます。

(18)12:12 大街道の電停あたりの風景。ここから歩いてお店探し。「鯛そうめん」、「宇和島鯛めし」の「五志喜」はじきに見つかりました。
518-140909ode.jpg

(19)12:32 「鯛そうめん」・・・豪華なものです。私はこっちを食しました。
519-140909ode.jpg

(20)息子は、「宇和島鯛めし」。そうめんも付いて居ます。
520-140909ode.jpg

pen-para.gif 昼食を済ませたら、高速バスで高知市に移動します。いったん宿に戻って、荷物を持って、伊予鉄・市内線の電車で大街道のバスストップに・・・・。

(21)松山市・大街道発13:44~高知市・はりまや橋着16:03JR四国の高速バスは、順調に走って、ほぼ定刻、高知に到着いたしました。
 好みもあるでしょうが、車窓風景は予讃線~土讃線の方が好きだなあ。特に土讃線の猪ノ鼻トンネルを出たあたりから、土佐山田まで、山の風景、吉野川の渓谷の眺め、何回見たかわかりませんが、素晴らしいものです。バスは二度目ですが、車窓風景は何となく断片的な感じがします。
 写真は16:08、はりまや橋バスストップで下車した時のものです。
521-140909ode.jpg

coffee.gif 無事に高知に到着したところで、今回はお終いと致します。

 次回から、高知でのお話になります。 では、また次回!!!!!


nice!(6)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 6

コメント 6

のら

伊予の鉄旅、お疲れ様でした。
いよいよ土佐路ですね。
土讃線車窓からの峡谷風景、もう50年も前なのにとてもよく覚えています。108個のトンネル(大歩危にトンネルができて短絡されてから数が減ったはずです)と峡谷の水の青さに圧倒されました。
松山から多度津廻り高知行きの「予土」っていう急行があったような…。
たしか予讃線と土讃線を行く急行にそれぞれ併結されて走っていたような記憶があります。
by のら (2014-09-28 07:03) 

む〜さん

■■ のり様:
 今回の旅、愛媛県は1958年以来でした。この時には、松山で数時間だけの滞在でしたので、ほとんど記憶がありません。今回が初めての訪問と言って良いかもしれません。1958年には非電化路線があったりして、今以上に楽しかったです。そhして、現在・・・・予想以上に楽しめました。そして、御馳走も色々頂けて、丸一日の「電車観光」としては120%と評価していいと思います。そして、もう一度行きたくなっております。
 高知から阿波池田~徳島と言うのもあったような・・・・。徳島と言えば、学生時代の夏休みの阿波池田駅、準急南風に合わせて、阿波踊りのデモをやって、観光客誘致を図って居たのを覚えて居ます。
 1958年の伊予鉄の非電化路線です・・・・
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link11.html
by む〜さん (2014-09-28 09:21) 

サットン

松山ー高知間の路線バスというと「なんごく号」を思い出します。
四国山地を地道を経由して縦断する車窓は土讃線にも負けない風光明媚、スリルまんてんの絶景でした。
高速経由になった今はトンネルだらけなんでしょうね。
by サットン (2014-09-28 13:31) 

む〜さん

■■ サットン様:
 私が高知~松山間のバスに乗ったのは昭和33年でしたので、マイクロバスではなく大型の観光バス風のものでした。道路の整備も十分でなく、すれ違い、急カーブ、怖かったことを覚えています。そして、三坂峠、仁淀川の風向は大変結構でした。この時は、高知~松山を日帰りしてしまいました。バスは国鉄バスで松山に着いて、市内電車で道後。公園保存だった坊ちゃん列車を見て、松山市でケイベン風の列車を見て、二駅乗り、高知へ引き返したのです。いま考えても訳のわからない私でした。
 現在の高速バスは「フ」の字コースで、松山IC~川之江JCT~高知ICのコース。川之江~高地は山の中のトンネル続きで面白味がありません。やっぱり土讃線ですね!

■■♪♪ tochi様:
■■♪♪ Cedar様:
■■♪♪ makimaki様:
■■♪♪ フジトモ様:
 「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2014-09-29 06:19) 

あさま55号

いつもお世話になっております。
四国に行ったことがなく、松山や高知の街の雰囲気が何となく掴めた感じですが、行ってみないとホント分からないと思います。
松山は、城下町だったんだと知りました。
街に城があるとある種の文化が栄えているものなんだと思いました。
国鉄からJRになる前後くらいだったかと思いますが、四国の国鉄線は、非電化でしたがそれよりも前に伊予鉄道の郊外線は電化されていたのだと改めて感じました。

京王2線の元エース級がそろって走っている姿を見て、まだまだ頑張ってもらいたいと思います。
チョッパやインバータの電車が主流になりつつありますが、抵抗制御の電車がやがて過去の産物になってきたのも不思議な感じもします。

鯛そーめんおいしそうですね。宇和島鯛めしもおいしそうですが。多分現地行ったら悩むでしょう。
そーめんもうどんと並ぶ瀬戸内海沿岸の文化みたいですが、暑い日のそーめんもいいものですね。

サットン様へのレスに書かれていましたが、昭和33年頃は、全国の国道でもバラス道が多かったと父親から聞いております。
舗装された道が当たり前の世の中になりましたが、つい50年前までは、バラス道が当たり前だったようですね。
by あさま55号 (2014-10-02 07:37) 

む〜さん

■■ あさま55号様:
 松山、高知・・・・城下町ですね!高知は戦災で丸焼けになり、昔の建物はあまり残って居ませんが、おしろだけは、オリジナルの天守があります。
 伊予鉄道の京王電車・・・懐かしさに涙でした。特に5000は、長い間あってませんでしたので・・・。
 旅に出ると各地の名物料理が食べられるので嬉しいですね。今回の旅も、色々と珍しい食体験をしました。出来るだけ写真を撮り、記録に残そうとしたつもりです。
 昭和35年頃から、社用で車に乗り始めましたが、都内の道路は舗装はしてあっても凸凹でした。地方の国道は、砂利道が多く、雨が降ると、泥で車は味噌漬け状態になりました。穴ぼこで跳ねるのでスピードも出せません。
by む〜さん (2014-10-02 21:54) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。