のどかな時代(5):箱根登山鉄道小田原市内線・昭和29年 [むかし噺(2)]
最近、斬新なデザインの新車、3000形アレグラが入った箱根登山鉄道のお話です。記憶がだいぶ怪しいですが・・・・。
今から59年の昔、昭和31年5月までは、箱根登山鉄道に「小田原市内線」という、路面電車の走る路線がありました。昭和29年の暮れ12月にちょっと覗きに行って居りますので、ご覧下さい。
■■■ のどかな時代(5) ■■■
■■■ 箱根登山鉄道小田原市内線・昭和29年 ■■■
小田原市内線を大雑把にご紹介いたします。Wikipediaに拠りますと、
『国鉄東海道本線・小田原駅前から全線・単線、600V直流電化で、国道一号線をのんびり走り、2.4kmでもう箱根登山鉄道の箱根板橋駅に至るラインでした。ポール集電の木造のボギー車5両が在籍。
・・・・・ま、こんな事が書いてありました。
そんなことは全然知らない、高校2年生の「む~さん」はオリンパス35Ⅳを持って箱根板橋駅にやって参りました。
(1)1,435mmと1,067mmの三線軌条を、小田急の新宿行の急行がやって来ました。セミクロスシート2ドア車、デハ2001-サハ2051-デハ2002の三連でした。
この時点で、「2300形特急車」、「連接構造のSE車3000形」はまだ出て居らず、三本の吊り掛け特急車1700が居たはずですが、撮影は出来なかったようです。
(2)強羅行きの登山電車114が発車して行きます。色はスカイブルーとクリーム色だったと思います。
さて、箱根板橋駅です。改札を入ると直ぐに市内線のホームがあり、その向こうに鉄道線のホームがあります。鉄道線はすでに「三線軌条」化され、箱根湯本まで小田原から小田急が乗り入れて居りました。
(3)可愛らしい車庫もありました。203が休憩中。203は元・東急・玉川線〈玉電)のデハ20でした。
(4)数字が読めないのですが、たぶん205が発車して行きました。これも、3ドアです。
(5)暫くすると、201が到着。201は元・東京都電の100形で2ドアでした。
(6)これが、駅本屋と市内線のホームです。まあ、なんとのどかな風景でしょう!今の箱根板橋とは同じ場所とは思えません、駅から何の障害物もなく、早川から向こうの山の裾まで見通せます。電車は201です。
なお、右の駅本屋は、もしかすると現存するかもしれません。何年か前にはまだありましたから・・・。鉄道線のホームは市内線ホームの更に左側にありました。
たぶん、この201に乗って行ったのでしょう。途中で降りて、たった一コマですが撮影して居ます。
(7)中間駅で列車の交換です。たぶん、「幸町」だと思われます。左が204、右が205で、何れも元・玉電のデハ20。
私はまた市内線の電車に乗って小田原駅まで行き、小田急の線路にに沿ってしばらく歩き、1600とか、1800とか、写しています。ロマンスカーは写していません。よくよく、運の悪い子でした。(笑)
なお、この写真をもとに、当ブログでは一度記事をアップロードして居ります。ちょっと、気になりましたが、読者の皆様の中で、気づかれた方には、大目に見て下さいます様、お願い致します。写真は加工し直し、文章は新たに書いたものですので・・・・。
では、また次号で!!!
今ならハーフ判なんだからもっといろいろ撮っておけば…なんて思うけど、その頃はかなり撮りまくったつもりでも、1日に20コマを越えることはなかったですね。
by モハメイドペーパー (2015-01-31 00:16)
約60年前のお話ですね。
素晴らしい風景です。
こういう路面電車は日本各地にあったはずですが、そのほとんどが絶滅してしまいました。
実に勿体無いと感じています。
歳を重ねたせいか、皆様の記事からこういう写真を拝見させていただくにつけ、その思いを特に強く感じているこの頃です。
by のり (2015-01-31 06:53)
駅や車内もやかましいアナウンスが無かったのでしょうね。時間が静かにゆっくり流れる時代は、いろいろな意味でストレスを感じませんでした。
by HHP8 (2015-01-31 08:43)
箱根登山小田原市内線は昭和31年に廃止されましたので
残っている写真は多くありません。むーさんのこの画像は貴重ですね。
元王電。都電の201~205は廃止後、台枠などを使って鋼体化され、長崎電軌の150形になったようです。
スタイルも大きく変わりましたが、遅くまで残ったのですね。
弊HP「長崎電気軌道」(1964年)
http://6.fan-site.net/~haasan55/Nagasaki.htm
に少しその姿があります
by はーさん (2015-01-31 12:37)
箱根登山の市内線があったとは聞いたことがありましたが、
写真を見たのは初めてです。
今の箱根板橋と違うように感じました。
最近は、路面電車を見直されるようになってきています。
こんなのどかな頃の数年後に廃止されるというのは
何だか違和感もあります。
神奈川には横浜市電、川崎市電が有名でしたが、小田原
にもあったことが古い話しなんだなと感じました。
横浜市電も無くなったのは、もう43年前の話しとなりました。
一つ疑問があるのですが、都電や玉電の電車を国鉄や、
小田急の貨車輸送で運んで来たのかどうか気になりました。
by あさま55号 (2015-02-01 19:04)
こんにちは。
お寒うございます。
箱根登山電車は昔から可愛かったのですね。
可愛くてかっこよくて働き者で・・・最高です!
現代の風景に当てはめてみて
「この写真はあのあたりかしら」なんて想像してます。
by ぽんた (2015-02-02 09:54)
■■ モハメイドペーパー様:
最初はカメラがオリンパスペンなんて書きましたがペンの発売は昭和34年の12月あたりでしたから誤りでした。もちろん、カメラはオリンパス35でした。35mmハーフサイズはフィルム価格な半額ですが、無駄な撮影も多く発生しました。「細かいモノ」を撮るには便利でした。昔からビンボー暮らしでしたので、オリンパスペン一台だった時代も長く今、思い返せばずいぶん損をしたものだと思います。そんなフィルムたちは、結局、ビネガー症候群とやらでほとんどがアウトです。とほほほ・・・・。
■■ のり様:
路面電車は自動車との競争に敗れ見事になくなりましたね。世の中の流れが決まると、我も我もと廃止、お蔭で豊橋以東には、路面を走行する電車は、函館市電、札幌市電、東京都電、江ノ電くらいでしょうか・・・。今になってみると、もっと昭和30年代に遠出をしていればよかったんですが。
■■ HHP様:
案内装置による自動案内はなかったのですが、車掌さんは大変でした。切符を売る、回収する、ポールの操作、安全確認・・・・もう、八面六臂の大活躍でした。
■■ はーさん様:
5両の電車たちは長崎に行き、さらに活躍してくれたようですね。凄いことだと思います。東海道本線で国道一号線を渡るとき、1~2回、電車を見たことがあり気になっていたのです。
長崎電軌の昔の写真の掲載されたホームページのURL有難うございます。
■■ あさま55号様:
あの駅本屋はなくなってしまったのですね。残念なことです。箱根登山の場合、道路改修の必要があり軌道を外さねばならないというような事情があったようです。
横浜市電はミナトヨコハマって感じの車両が多かったですね。このシリーズでも取り上げようと思っています。
路面電車の輸送・・・・如何やってんでしょうね。台車を外して、チキに乗せたら限界内に収まるかしら?わかりません。すみません!
■■ ぽんた様:
寒いですね。今年は特に身に沁みます。
登山電車の市内線、単線ながら頑張っており結構お客さんも乗っておりました。
幸町のあたり、登山電車の本社があったらしいのですが・・・・。
■■♪♪ tochi様:
■■♪♪ フジトモ様:
■■♪♪ hideta-o様:
「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2015-02-06 11:06)