のどかな時代(10):東急・可愛らしいデト [むかし噺(2)]
遅くなりました。半月ぶりの更新です。最近、体感時間がスピードアップし、あっという間に一日が終わってしまいます。そんな所為でしょう、あっという間に半月過ぎてしまいました。申し訳ありません。
今日は、東急に居た可愛らしい電動貨車についてのお話です。戦後の昭和20年代小学生だった私は、東急の御嶽山駅や、御嶽山駅~雪ヶ谷大塚駅間の線路際、雪が谷大塚駅や雪谷の車庫で、友人と一緒に遊んで居たものです。
雪谷の車庫には実に可愛らしい電動無蓋車が居て、それを私たちは、親しみを込めて「デト電」と呼んでおりました。何時も、車庫の外れの、おそらく保線の材料、バラストなどを積み込むためでしょう、小さなプラットホームがありましたが、その辺りに、デト電は休んで居たのです。
■■■ のどかな時代(10) ■■■
■■■ 東急・可愛らしいデト ■■■
「デト電」は形式をデト3010形と称し、雪谷に居たのは3014でした。荷台の真ん中に立てたL字断面の鋼材で組まれた櫓の上にパンタグラフを載せた愛嬌のある姿です。ブレーキはおそらく手ブレーキと思われました。
昭和29年5月、私は高校2年でしたが、兄から借りた35mmカメラ「オリンパス35Ⅳ」を持って、始めて撮影に行ったのです。
(1)カワイイでしょう?!もっとも、私は一度もその走行する姿を見て居ないのです。
(2)顔のあたりを拡大してみましょう。
(3)運転室の背後の位置には小さな配電盤。
(4)これが、枕木と土砂で作られたプラットホーム。ご覧の通り端っこが崩れかけて居ます。
(5)真横からのビューです。右の向こう側にある煙突のある建物は「銭湯」。家に風呂はありましたが、毎日炊くほどの燃料(たいていは廃材ですが)もなく、週に二回程度。その間に、友人と誘い合って銭湯に行ったものです。広い洗い場、大きな浴槽、これは、子供たちにとって別世界でありました。
デト3010形は、車体長=7mほど、自重=8.75屯、600Vの直接制御
(6)台車は「ブリル21E」。サイドにはレールに羽根の東急の社章が光って居ます。素人の16歳のガキの目ですから、いい加減なものですが、なんだか、壊れたところが目につき、走りそうもなく見えたのです。
(7)昭和30年4月、何時の間にか車体も電気品も綺麗になり、如何やら走りそうに見えました。
(8)
そして3年の年月が流れ、昭和33年、元住吉車庫の見学会がありまして参加。思いがけない再会をしたのです。
(9)二両連結の入れ替え機が働いて居りまして、これが、あの「デト電」でありました。手前がデト3015、向こう側がデト3014です。デト3010は600V車でありましたから1500Vに昇圧した東急の線路は走れない訳で、二両を直列接続にして1500Vに対応したのだそうです。さすがに直接制御ではなく間接です。その後、昭和45年に廃車されたとの事です。
(10)デト3014と3015が組んで入れ替えに励む元住吉工場の片隅に、もう一つの電動貨車・・・・有蓋車のデワ3000形3001が休んでおりました。すでにパンタグラフはなくなって居りました。右奥はデキ3020形・電気機関車。
デト3010形は全部で5両が在籍しました。Wikipediaに拠れば、こんな経歴だそうです。
デト3011→江ノ電へ
デト3012→江ノ電へ
デト3013→デワ3002に改造→秋田中央交通へ
デト3014→デト3015と組み合わせて入れ替え機に改造
デト3015→デト3014と組み合わせて入れ替え機に改造
(11)デト3011か3012か分りませんが、江ノ電の極楽寺車庫で昭和34年に写した「デト」です。櫓ではなく運転室から運転室へ梁を渡し、ポールを載せて居ます。そして運転室は長モノを積む必要があるのでしょう、両側を削られ、細面になって居ます。
秋田中央交通に行ったデワは、強烈に思える青と赤に塗られ客車を引いて活躍しました。
では、今回はこれで・・・・・・。
可愛いですね。
角張ったイメージが、どことなく南海軌道線のモ205形を連想させます(特に昭和33年の写真にそれを感じます)。
大手・中小に限らず、昭和30年代頃までは、こんな車両が活躍していたのですね。
その中には「ゲテモノ」が少なからず存在していて、とても楽しい時代だったのでしょう。
む〜さん様のお写真からも時折そんな「ゲテモノ」が登場しますね。阪神の「アレ」などは「ゲテモノ」の極みかもしれません(笑)。
by のり (2015-07-17 08:15)
昔は東急にもこんな車が居たのですね。
昭和38年に秋田中央交通を訪れたときはデワ3003が営業運転を行いデハ3002は休んでいました。
弊HPをご覧ください
http://6.fan-site.net/~haasan55/Akitachuou.htm
デワ3003は元東京横浜電鉄モト4とのことです。むさんの高校2年の頃にはデワ3003になっていたと思いますが、どこにいたのでしょうか??
by は-さん (2015-07-17 16:10)
1970年頃だったと思いますが、黄色に塗装された姿を元住吉で見かけました。その時の写真では3014に運転室はなく、3015と組んで検査入場中の7205の入れ替えをしてましたが、このような前歴だったのですね。いつもお出かけ通信で勉強させていただいてます。
by HHP8 (2015-07-17 22:39)
(10)と(11)の車両の端梁にあいた丸穴はバッファーの跡でしょうか?600v時代のお写真には穴は無いのですが。
by Cedar (2015-07-18 14:11)
■■ のり様:
確かにモ205の前面の緩いカーブにそれを感じますね。確か阪堺にはボギーですが電動の無害貨車がありましたね。あれも、可愛かったです。
ゲテモノといえばおっしゃる通り阪神で、チキに跨った形で運転室がありました。昭和29年、尼崎の車庫で対面した時には感激に震えましたね。ちょっと、大げさですが(笑)。二軸のポール集電のも居たのですよ。
■■ はーさん様:
秋田中央交通に行ったデワは電気機関車の役割で、混合列車を引いておりました。私の高校時代は昭和20年代後半ですが、東急池上線・雪ケ谷の車庫には可動状態のデワは居ませんでした。
■■ HHP8様:
3015+3014入替機は、その後、黄色に塗られていたのですね。これは、知りませんでした。
黄色のデト・・・・のちに京浜急行で名をはせましたが、東急にも居たのですね。
■■ Cedar様:
端梁のバッファの穴は製造時期に関係があるのかもしれません。デト3010は対象11年から大正15年(昭和元年)にかけて造られました。大正14年の連結器に自動化を考えると、初期のものはバッファ・リンク式、後期のものは自連だったのかもしれません。調査もしていませんし、かなりいい加減な推測ですが。
まあ、少なくとも「600V」とは関係がなさそうです。
■■♪♪ makimaki様:
「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2015-07-18 23:12)
このたび、トミーテックから11月に秋田中央交通軌道線の鉄道コレクション、デワ+ナハフのセットが発売とちょうど告知されました。
かなりマイナーですがこんな車両たちも製品化されるようになったんですねぇ。
by 利きゅう (2015-07-23 01:44)
中央交通のデワは、ワタシが五城目の祖父母の家に遊びに行けば必ず農協倉庫の脇の線路に停まっていました。
凸型とデワとがいて、ワタシはデワが好きでした。
ピンクと水色に塗られたのは最後の数年で、それまでは紺色だか緑色だったか、そんなでした。
小学校四年生の夏休みを控えたある晩、祖母から電話があって、お前が来る日にはもう廃止になってるからガッカリしないでね、と言われたときは心底ガッカリしました(笑)
by no (2015-07-25 13:19)
■■ 利きゅう様:
デワ+ナハフが商品化されるのですか・・・・。ファンにはたまらないプレゼントですね。ナハフは元国鉄の気動車キハ41000だそうですが、貨車の数両も挟んでミキストで楽しめそうです。
■■ no様:
良いお話ですね!お祖母様の電話の話なんか、鉄道ファンの心に沁みますね、涙ですね。ほんとに良い方なんですね。
思えば、東北六県の各所に小規模な私鉄がありました。ほとんどが消えて行ってしまいました。寂しい事です。
by む〜さん (2015-07-26 19:41)
古い写真はもちろん楽しく拝見しましたが、さりげな~く仕掛けをされたむ~さんさまのいたずら、気づいてしまいました!
デワ、今回はこれで・・・・・・。座布団持って参ります。
by Ryo (2015-08-01 19:09)
■■ Ryo様:
え~っ!何でしょうね。無意識に書いたものが、なにやら面白い事になって居る様ですね。巧まずして、そんなになっちゃったのですから、座布団は辞退・・・・いやいや頂いちゃいましょう(笑)
■■♪♪ フジトモ様:
「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2015-08-03 05:17)