827:川越市まで行って来ました [お出かけ通信801-850]
2016年・平成28年1月16日・土曜日、さいたま市にお住まいのお友達、MHさんと埼京線の与野本町駅で待ち合わせ、川越市立博物館まで「ギャラリー展示『川越線 開業75周年・電化30周年』」を見に行きました。同展示に、川越線の車両写真や西武鉄道大宮線の遺跡写真を何枚か提供させて頂いたので見学に行ったのです。
■■■ お出かけ通信(827) ■■■
■■■ 川越市まで行って来ました ■■■
与野本町駅での待ち合わせ時刻は10:30でしたから、家を出たのは08:30ごろでした。小田急の町田駅発9時ごろの急行新宿行の8000で新宿へ。何だか矢鱈と揺れて、立って居るのが少々辛かったです。
(1)9:33 新宿に着いたら向こうのホームにEXEが居ました。如何やら「さがみ63号」らしい。
埼京線の快速で与野本町駅には意外と早く到着。待ち合わせの10:30にはまだ時間があるので、ホームで待って居ると、北陸新幹線電車がやって来ました。
(2)10:20 北陸へ向かう新幹線。EかWか分かりませんが良い恰好、良い色だと思います。
(3)10:25 改札口へ向かうと、こんなのが居ました。
まあ、たいしたアイディアマンが居らっしゃったんですね!
無事、MHさんと会えまして、川越まで、載せて行って頂きました。
(4)12:29 「川越線 開業75周年」の展示が行われて居る「川越市立博物館」です。館内は撮影禁止ですので写真はありませんが、JRのご協力もあって、小規模ながら良い展覧会でした。写真を軸にヘッドマークとか、展示されて居ました。
最終日は1月31日(日)です。
(5)A4判8ページの立派な図録
(6)12:40 折角ここまで来たのですから、お隣の川越城本丸御殿を見ました。東日本唯一の本丸御殿遺構だそうで、やっぱりホンモノの貫録があります。1848年建てられたとの事なので、168年前と言う事になりますね。
(7)13:43 川越と言えば、ウナギだそうで、「いちのや」というお店に入りました。ウナギは4年ぶりだと思うけれど・・・・美味しいもんだなあ!
そろそろ、帰る事に・・・・・。
(8)14:37 県道113号で与野へ向かいます。途中の、南古谷駅に近い踏切です。
与野本町駅でMHさんとお別れし埼京線の各停電車で新宿に戻り、小田急の急行・・・またも、8000形・・・で、町田駅へ帰着したのです。
(9)16:41 町田駅・・・特急ロマンスカーVSEが追い掛けてきました。上りの急行8000と並んだところを。
(10)16:41 辺りは薄暗くなって居ました。新宿行急行1000形が入ってきます。
(11)VSEが出て行く。
(12)16:48 折角の夕暮れ時、町田駅の新宿側の踏切「玉川学園前8号踏切」で少し写してゆこう。
(13)もう一枚!
時間に余裕がありましたので、珈琲で一服と、サンマルクカフェで一息ついて、帰宅したのです。一日、たっぷり楽しみました。
では、また!!!!!
列車種別、小田急みたいな指定席ロマンスカー特急を走らせてる線は分かるのですが「急行」が「快速」に押されて価値観 (ありがた味?) 薄れてる気もします。「準急」(急行に準ず)の名も使われなくなってきた観もあります。
京成の大晦日・正月輸送、華やかさが消えて平凡なもんです。本線看板列車不在と時代の流れなんでしょうね。
by KEY坊 (2016-01-19 12:20)
■■ KEY坊様:
一応、小田急では、「特急>快速急行>急行>いろいろ>各停」となっているようです。この「いろいろ」ってのがよくわからいのです。最近は急行・快速急行に立っても乗るか、確定で座ってゆくことが多いので、あんまり研究していないというのが本当のところです。特急は憧れの眼で眺めるだけで、何年も乗っていないのです。
京成は開運号、護摩電の時代には成田山輸送が多かったようですね。最近は、成田さんは車なんでしょうか?成田空港への特急は一度乗りましたが、新ルートをなかなか景気よく飛ばしてくれました。そのかわり、旧ルートの影が薄くなったように見えます。
■■♪♪ makimaki様
■■♪♪ tochi様:
■■♪♪ Cedar様:
■■♪♪ hanamura様:
「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2016-01-21 10:02)
列車の種別は急行を中心に早いのが特急、遅いのが準急だと判りやすいのですが、最近のように長い種別は判りにくいですね。二つの種別を重ねた小田急の快速準急や京急の快速特急デビューの時はびっくりしましたが、その頃から長くなってきましたね。JRの急行はほぼ壊滅ですが、特急はたくさんあります。もう一度原点に立ち返ってほしいです。
by HHP8 (2016-01-21 11:20)
■■ HHP8様:
ほんとにその様に思います。昭和30年代の国鉄は「特急(特別急行)>急行>準急>普通」みたいでしたね。段々細分化され、訳が分らなくなりました。だいたい、昔から見ると停車駅が増え過ぎって感じです。まあ、電車化で加減速が大きくなったので、その分、停車駅が増やせるのかなあ?
昔読んだ内田百閒の随筆に、昔、最大急行と言うのがあったとありまして、記憶に残って居ます。
by む〜さん (2016-01-21 16:30)