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のどかな時代(22):国鉄稲荷駅1980年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 色々ありまして、なかなかお出かけのチャンスがありません。何かアップロードしないと気が済まないので、「前回の旅の続き」をアップ致します。前回同様、アルバムのL判プリントをスキャンしたものなので画質はあまりよくありません。そして、前回同様、2007年のブログの記事を、コピー、加筆、編集しました。

pen-para.gif 1980年・昭和55年の8月26日(土曜日)~27日(日曜日)の二日間、当時10歳の次男と一緒の「関西電車巡りの旅」。前回書きましたように、「今」、京阪の三条駅に居ります
 今回は、その続き。

■■■ のどかな時代(22) ■■■

■■■ 国鉄奈良線稲荷駅のランプ小屋1980年 ■■■

pen-para.gif さて、京阪電車の三条駅から南へ。コースは、京阪の三条~伏見稲荷~国鉄・稲荷駅~国鉄奈良線~奈良・・・・で奈良へ向かったのです。

(1) 何が何でも京阪特急に乗りたかったのでしょう。七条で下車して次ぎの各停を待っています。三条行きの特急、おなじみの3000系(最後尾は3004)が目の前を通って行きました。向こうの鴨川に掛かる橋は正面橋。こんな素敵な景観の駅も、地下に潜って消えちゃいましたね。
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(2) たぶん、これに乗ったのでしょう。宇治行き普通電車スーパーカー2000系の2016。後続の形式2200、2400と比較して、なんと言っても、この大目玉がチャーミング。
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pen-para.gif これに乗って二つ目の伏見稲荷駅で下車、国鉄奈良線の稲荷駅に向かいます。400mほど歩けば着いちゃいます。
 京都・京阪・三条駅から奈良へ行くのに、少々、変則的ではありますが、伏見稲荷乗換えで国鉄奈良線のルートを採ったのは、国鉄の稲荷駅が見たかったからなのです。
 当時・・・・だったか、もう少し前だったかに、鉄道趣味誌『鉄道ファン』で、東海道本線の旧ルートの話が出ており、徳富蘆花の『不如帰』・・・・山科駅の別れのシーンの事が取り上げられておりました。この小説の時代には、大津から京都へ行くのに、現在よりずっと南を回っていたと言うのです。
 そんな事に、妙に関心を持ち、その当時の東海道線のルートの一部を見てみたかったし、ランプ小屋の話も知り、是非とも・・・・ここへ立ちたかった・・・・・まあ、そんな訳で、ここまで来ました。

(3) 京阪の伏見稲荷駅あたり、京都市電との平面交叉を見たおぼろげな記憶があります。・・・・そんな遺跡も探せば、あったと思うんですが、そっちには当時、関心がなかったのは少々残念。400mほど歩いて、国鉄の稲荷駅に至ります。稲荷駅京都寄りの踏切から眺めた、駅のホーム。こんな写真を撮っているところを見ると、かなり感動していた私のようです。
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(4) 踏切を渡って、右に曲がると、国鉄稲荷駅。途中、雀をまるごと焼いている店があった気がするが、如何なのでしょう。ご存知の方・・・・いらっしゃいますでしょうか。
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(5) この画像をフォトショップで加工中、公衆電話BOXのなかにお坊さんが通話中なのを発見、流石京都と、妙に感心してしまった。(京都→お寺→お坊さんの安易な連想で、すみません!)
 そして、右端の広告看板は、当時あった遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」ですね。
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(6) そう言う訳で、次ぎの画像が『ランプ小屋』。客車の室内灯が石油ランプだった時代の名残。オリジナルの形態なんだか判りませんが何となく感動する私。現在でも、たまに見かける『油庫』でしょうか・・・・。
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(7) こんな説明文を書いた看板が有りました。
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(8) お稲荷さんにお詣りすることもなく、国鉄奈良線で奈良に向かいます。奈良方面行きホームから奈良方面を見ています。駅前の線路に平行な道路が、延びている先が踏切。
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(9) 京都方面行きのホーム。昔は、左端の今は使われて居ない、この踏切で線路を横断して京都行きホームに行ったのでしょうか。上屋のひさしの装飾も良い感じです。
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(10) 奈良行きの列車が来ました。キハ35の系列で、旅人としては、三扉、ロングシートでは、なんだか魅力がありませんでした。関西本線大阪口の通勤輸送用に颯爽と登場したキハ35の一党も、関西本線電化で、方々に散って行きました。
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coffee.gif 非電化でうらぶれた感じの奈良線をキハ35に揺られながら、こんな車窓風景も悪くないなあと思いつつ、奈良に向かったのです。

 では、今日はこの辺でお終いです。


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Cedar

(1)の写真で、電車の右にダブルクロスが見えてるのが気になりました。一瞬四条から三条方向を見てるのかと錯覚しました。

昭和55年だと国鉄の近代化はまだまだだったのですね。そのころは私鉄ばかり見てたので気がつきませんでした。
by Cedar (2016-09-04 01:34) 

京阪快急3000

京阪特急(旧)3000系と鴨川の地上区間、懐かしいです。

当時たしか、小2の頃に母と弟とで、大文字の送り火を見に行った時に、始めてこの3000系の特急に乗車したのを、今も覚えています。

当時自分は、寝屋川市駅(今もですが)が最寄り駅でした。急行などを尻目に3000系の特急があこがれの的で、「いつか乗りたい」と思っていました。

同車の晩年には、番号は「8000」の30番台でしたが、枚方市や樟葉から同車が来たときは「ラッキー!!」と心のなかで感じていたのも、過去の思い出になりました。

2000系の原型は、これまた小1ぐらいの時に乗車した記憶があります(当時はほとんどが2600に改造されていた)。

あと、奈良線ですが、電化前はこのキハ35系でしたね。

その後、電化して、関東から103系1000番台改造の105系や「春日色」の113系、今はウグイス色の103系や221系に走っています。
by 京阪快急3000 (2016-09-04 10:25) 

H.Kamiya

1980年の奈良線稲荷駅、懐かしいですね。

私は生まれてからずっと首都圏に住んでいたのですが、1978年に京都の某大学に就職して、「関西」に来ました。今は伏見稲荷に歩いて行ける辺りに住んでいます。
当時の奈良線は、もうすぐ廃線になるのではないか、と思われるほど、「みじめ」でしたが、民営化後、息を吹き返しました。1984年に電化、2001年に複線化(一部)と新駅の設置などあり、今は快速も走っています。プラットフォームも昔の面影はほとんど消えました。

「伏見稲荷大社」は数年前から大フィーバーで、今や、外国人観光客の人気スポット2年連続日本1、京都駅から奈良線に乗ると外国人観光客でいっぱいです。稲荷でガラ空きになりますが。

参道にならぶ土産物店のうち、2~3軒で「すずめ焼」と「うづら焼」が売られています。平安時代、ここ深草辺りは、「深草野」と呼ばれる荒れた草原で、うづら(鶉)が多く住み、また、すずめも群生していたそうです。今も「うづらの里」の呼称があり、「うづら保育園」などの名前もあります。また、「すずめのお宿」と言う史跡もあります。丸焼のうづらは1羽700円ぐらい。すずめは300~400円ぐらいですが、外国人観光客がびっくりしています。

小学校の時は、取手にいましたので、常磐線の電車に良く乗りました。中学校からは、この電車で日暮里まで通いましたので、これも、なつかしい写真です。

貴重な画像を有難うございました。
by H.Kamiya (2016-09-04 16:50) 

通りすがり

何のきっかけでこのHPに辿り着いたか記憶が無いのですが、2年前から閲覧してます。古き良きものは好きながら鉄道には全く興味がなかった私が何となく鉄道好きになってしまいました。
転勤で大阪に来てからここの過去の関西の旅をネタに年上の顧客(私は40歳)と会話すると懐かしさで相手もほころび50年前の梅田はこうだったとかで商談が和やかになりますし、私も勉強になります。
このHPは一級品の画像資料です。生涯の趣味があって羨ましいですし後世に大変貴重な資料を残して頂けたと思っています。これからも楽しみにしております。
by 通りすがり (2016-09-04 18:23) 

伊豆之国

伏見稲荷大社にお参りしたのは、もう今から40年も昔の正月休みことで、京都駅から国鉄奈良線で稲荷駅で降りたこと、沿道に「雀の焼き鳥」の店があったことは覚えています。この晩は大阪の梅田に宿を取っていたのですが、当時の国鉄奈良線はとにかく本数が少なく、普段は1時間に1~2本程度、初詣で増発されていたのでそれほど待たされはしなかったものの、結局大阪方面の帰りは伏見稲荷駅から京阪電車(淀屋橋まで行ったか、京橋乗換えで環状線だったかはもう忘れましたが)と言うことになったのでした。
奈良線だけでなく、関西線とか片町線の長尾~木津間など、かつての「関西鉄道」関係の路線が長らく複線化・電化もされず冷遇されていたのは、明治期に国鉄と壮絶な客引き合戦を繰り広げていたことへの「怨念」が「国営化」と言う名の「関西鉄道潰し」に出て、それ以降も長年にわたりその「怨念」が尾を引いて、これらの路線を「飼い殺し」状態にした、と言う半ば「作り話交じり」の話は何度か見聞きしたことはあります。かといって、沿線人口は多く、奈良線の場合だと、京都駅から私鉄では一本で行けない宇治を通る、と言うような有利な面もあったこともあり、廃止が取り沙汰されるほど惨めな状況ではもちろんないので、「飼い殺し」にしたままほとんど手をつけなかった、というのも頷けるような気もします。
国鉄奈良線の非電化時代、京都駅から奈良線・桜井線・和歌山線廻りで白浜まで行く、その名も「しらはま」と言う名の急行があり、奈良線内の停車駅は宇治のみだったように記憶しています。「しらはま」は、後に和歌山止まりになって「紀ノ川」と名を変えた後、奈良線の電化前に消え、それ以降JR奈良線には臨時以外には特急・急行が走っていないようです。
関西線(「大和路線」区間)がようやく電化されたのは昭和48年(複線化・ディーゼル化は昭和35年頃)だと記憶しており、奈良線の電化はJRになってからで、その頃に京阪宇治線廻りで伏見、黄檗界隈を見たあと、JR奈良線で木津まで行って、そこからタクシーで南山城地方の古刹めぐりをしたことがあり、このときにはJR奈良線は1時間に4本にまで増発されていたのですが、当時はまだほとんどの区間が単線だったような気がします。JRになって30年近く経ち、快速電車も多数運行されるようになった今でも、まだ単線区間が結構残っており、所要時間でも近鉄特急よりはだいぶ遅く、奈良駅の位置が近鉄に比べ町外れにあって主な神社仏閣からも遠いこともあり、京都~奈良間の利用者数でも依然として差を詰められないままになっているのでしょうか。
by 伊豆之国 (2016-09-04 21:03) 

hideta-o

む〜さんさま
いつも楽しく拝見させていただいております。雀の丸焼きですが、稲荷神社はその名のとおり稲の神様で、稲穂が実ると食べにくる雀は敵であり、その雀を食べるのもお稲荷さんへの信仰の現れということらしいです。稲荷山の参道の茶店では今も売られているようですが、子供の頃、普通の焼き鳥と思って食べて、骨が多くてびっくりした記憶があります。
by hideta-o (2016-09-04 21:49) 

京葉帝都

鴨川べりの京阪電車の写真を見ると、かつての京阪特急のCMソング「天満橋から三条へ」の歌が脳裏をよぎりました。
https://www.youtube.com/watch?v=kwNktX-PtwE
情緒がありましたね。
子どもの頃に京阪伏見稲荷駅から伏見稲荷大社へ向かうべく橋を渡っていると左から奈良線のSL牽引の貨物列車がやってきたことがありました。当時の稲荷駅の貨物ホーム・資材ホームは、参道の踏切を挟んで旅客ホームの反対側にあったのではないかと思います。
DCのロングシート車は乗るのにはあまり好まなかったので、非電化時代の奈良線、桜井線、片町線、八高線に乗車した時は、キハ10や17の狭いクロスシートから車窓を眺めていました。
by 京葉帝都 (2016-09-05 14:15) 

のり

鴨川縁を走る京阪電車、もう遠い想い出になりましたね。
大阪から京阪特急で京都にやってきて、この風景が見えてくると、言葉で表現できないほどの安心感がありました。
激変した風景のこの辺り、もうあの頃の面影を探すのも困難になっています。
by のり (2016-09-05 19:34) 

む〜さん

■■ Cedar様:
 3000形電車のバックに橋が見えて居ますが、四条駅からですと、三条大橋まで橋は無く、七條駅ですと、正面橋があるので七條駅と言う事になるのですが、じつは、私も昔の話なので随分、悩んだり、資料を探したりしました。
奈良線は近代化が遅れて、そのため車窓風景がずいぶん遠くへ来たような感じになって居て好きで、何回か、わざわざ奈良線に乗ることにしたのです。コメント有難うございます。
■■ 京阪快急3000様:
 鴨川べりの地上時代の京阪は、鴨川と琵琶湖疎水のあいだの狭い帯状のところを走って居ました。生垣があり、木が植えられ、京都らしさを増幅して居ました。
 8000も素敵な電車ですが、3000は京阪特急のベストだと思って居ます。大目玉の2000は2200や2400よりも形態的に好きな電車でした。
■■ H.Kamiya様:
 このとき、お稲荷さんにお詣りしなかったのが、今考えると残念でした。今に至るもお参りして居ないのです。
 現在の伏見のお稲荷さんお様子や、すずめ・うづらの焼き物のお話など、新しい情報を有難う御座いました。
■■ 通りすがり様:
 お褒め頂いて嬉しくて照れ臭いです。若い頃、撮影した鉄道の写真を、いまの若い方々にご覧頂きたくて始めたホームページ、ブログです。こんなメールを頂戴すると、ホームページを開設して良かったなあと、思うのです。最近はホームページの更新が3年ほど滞って居ますので、何とかせねばと、自戒して居ます。
■■ 伊豆之国様:
 いつも貴重な情報を書き込んで下さって有難うございます。奈良線沿線は民家も古いのが多く、如何にもローカル風景で、近鉄を使わすに奈良線に乗るという事が、昭和50年代には多かったです。
 あれは、何と言う駅だったでしょうか・・・・桃山駅だったかもしれません、京都の街中で貨物側線があり、貨車の積み下ろしが賑やかに行われて居る風景を見ました。写真に撮りたいなあと思って居る内に、貨物施設がなくなってしまって悔しい思いをしたことがあります。
 あと、奈良線には天井川をトンネルでくぐるところが幾つかあった気がします。奈良線の思い出です。
■■ hideta-o様:
 何時も「nice!」を有難うございます。伏見のお稲荷さんは、未だお参りした事がなく、残念に思って居ます。雀の焼いたのは、店先で見て仰天した思い出です。小鮒のすずめ焼きは、骨まで食べるのですが、鳥の場合はそうは行かないと思われます。お酒の友には良いのかもしれません。私は超下戸ですけれど(笑)。
■■ 京葉帝都様:
 京阪間には、阪急、国鉄(JR)、京阪と三つの速達ルートがありますが、私が関西に行った時は、躊躇うことなく京阪特急なのです。最近は3年ほどご無沙汰して居ますが、新系統の車両の特急もあるようで、転換クロスシートじゃあなくては嫌だなあと思って居ますが、実情は如何なのでしょうか・・・・。
 八高線と言えば、現役時代、寄居に得意先があり、何時も夜遅く、直帰になるのです。そのときキハ35のロングシート、エアコンは無く、開けはなった窓から蛾が飛び込んで来る・・・惨めな気持ちになった思い出があります。現在のキハ100系は中々ですが。
■■ のり様:
 京阪特急は1800の時代、3000の時代、8000の時代、みんな好きでした。1000の特急だって悪くありませんでした。鴨川べりをゆく特急・・・・これは一幅の絵でしたね。現在は地下化で電車はなくなり、疎水も確か暗渠化されたと思います。広い道路は出来ましたが、なんの面白味もない風景となりました。

■■♪♪ hajime様:
 「nice!」有難う御座います。

by む〜さん (2016-09-10 20:46) 

ねこ

滋賀県大津市にかつて存在したオリエント急行を検索しているうちに何故か辿り付き拝見させて頂きました。現在、奈良線『東福寺』で京阪に乗換て伏見の職場まで通勤しております。『稲荷』と『伏見稲荷』両方とも乗降したことがあります。夕方の帰りに奈良線に一区間だけ乗りますが外国人がメチャクチャ多いです。(5割以上は外国人かも)車両は流石に撮影されている車ではありませんが103系が今でも主力です。また城陽あたりまで複線化されておりある程度は高速化もされております。『稲荷駅』はたぶん撮影された駅舎を改装し使っている様な感じです。ホーム・跨線橋も改修されておりますが基本的には同じです。キャッスルランドですが半年ほど前にNHKブラタモリでも登場しましたが城のみ健在です(入れませんが)近鉄丹波橋付近から見えます。
by ねこ (2017-03-26 12:10) 

む〜さん

■ ねこ様:
伏見のお稲荷さんも観光客が沢山居らっしゃって大変な事になって居るようですね。一度はお詣りに行かねばと思って居ますが中々思うようには行きません。
桃山駅だったと思うのですが、建物の間に小規模なヤードがあって、貨車を貨物がごちゃごちゃと見えた記憶があるのですが、何時の間にか無くなってしまいました。
キャッスルランドは営業はしていないけれども、存在はしているんですね。こんど丹波橋を通る時、注意してみてみようと思います。
by む〜さん (2017-03-30 18:48) 

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