今日の一枚(8)小田急1650形・小田原直前・1954年 [今日の一枚001-100]
台風は鹿児島から宮崎、高知・・・・大雨付きで暴れて居るようです。明日の報道で、数字的なこともわかってくるのでしょうが、農作物への影響が怖いです。
今日の一枚は「小田急1650形」の箱根湯本行・急行が、もう直ぐ小田原駅、ラストスパートと言うところです。高校二年生の昭和29年12月、箱根登山電車を撮りに行った時、小田急らしい写真を撮りたいと、田圃の見えるところまで(たいした距離ではありません)歩きました。昼飯は蜜柑一つと「塩豆」(ご存知ですか?)だけだったのを覚えて居ます。如何にも速そう撮れて、当時はお気に入りでした。
1650は同系の1600とともに、大きな窓の明るい電車で、好きな形式の一つでした。昭和38年のなつから、町田市に引っ越して、通勤に小田急を利用するようになって、毎日のお付き合いになりました。何時の間にか、丸い急行板、長方形の行き先板もなくなって方向幕となり、それも電子表示方式に変わってゆきます。
では、今日はこれでおしまいです!!!
私が高校時代、この世代の電車は次々と走り装置を再利用した4000系に生まれ変わりました。そこで不思議だったのが同じモーターの筈なのに、ずいぶん違う音になったこと。4000系の大きなボディが共鳴箱になったのでしょうか、釣りかけサウンドを響かせながら通り過ぎる4000系の長大編成は、お気に入りでした。
by HHP8 (2017-09-18 11:42)
こんにちは。
空が広いですね。
カーブの曲がり具合が素晴らしいですね。
小田原駅周辺も、マンションだ駅ビルだと
ずいぶんにぎやかになりましたが
ちょっと行くと、この写真と似たような風景です。
塩豆・・・気になります。
あんみつに入ってる『塩エンドウ豆』みたいな
イメージでしょうか?
美味しそうです。
by ぽんた (2017-09-19 10:45)
■■ HHP8様:
4000が出現したころ、丁度、鉄道趣味が薄くなって居たようで、走行音までは覚えて居ません。興味深いお話を、有難う御座います。写真もない有様で、小田急ファンとしては恥ずかしいお話です。
■■ ぽんた様:
小田原から新宿方面に歩いてゆくと刑務所みたいな塀があり、その先に、このカーブ、そして傍に踏切がありました。田圃の向こうに学校みたいな建物が見えて居ました。いまでも、この踏切まで行くと人家も減って、昭和中頃の風景に出会えると思います。最後にここを訪れて10年近くが経過して居ますが。
塩豆は、結構、下司な食べ物で、ビールなどの友として、昔は普通でした。いまでも、売ってます。真ん丸で塩辛いだけみたいな中に豆の風味もあるという、そんな感じの硬い豆です。ここに写真があります。
http://www.kojima-ya.com/fs/kojimaya/c/a02201
■■♪♪ midrinn様:
■■♪♪ Cedar様:
■■♪♪ hanamura様:
「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2017-09-19 23:12)