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今日の一枚(9)京都市電・N電・1954年 [今日の一枚001-100]

icon-ichimai.gif 台風は東京にはたいした影響もなく去って行きました。今日は一日、雑用で走り回って居りましたが、一応元気です。

pen-pc.gif 今日の一枚は「京都市電・狭軌線のN電」です。昭和29年8月、堀川端を走るシーンですが、今になってみると、正確な停留所が分りません。四条堀川から一寸行ったところと思うのですが。

 この頃は、車両番号に「Nの文字」が付けられて居ました。翌年、昭和30年3月、高校の修学旅行で京都へ行った時には、「Nの字は無くなって」居ました。わずかな間に大変化!

009-195408-kyoto-N55.jpg

coffee.gif では、今日はこれでお終いです。また、次回!!!!!

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HHP8

東京の小学生にとって京都のN電は無縁の存在でしたが、1968年に東名高速道路の開通とともに走り始めた東名急行バスに乗って祖母と明治村に行き、遊園地の乗り物のような小さな電車に驚きました。車掌さんに明治の娘さんと言われて気を良くしていた祖母を思い出します。海外でよく見る中央のポールに支えられた架線、空がクモの巣にならなくて好ましいですね。古い景色楽しんでます。ありがとうございます。
by HHP8 (2017-09-20 04:29) 

Cedar

大好きな昭和20年代の日本映画のワンシーンみたいですね。
奥行きと人物・建物の配置が素晴らしい!
by Cedar (2017-09-21 01:38) 

はーさん

N電はこの姿がベストですね。明治村や梅小路の原型に復元したオープンデッキが何となくなじめません。
by はーさん (2017-09-21 11:18) 

む〜さん

■■ HHP8様:
 明治村に復元N電、居りますね。2006年3月に梅小路に行ったのですが、N電は何やら整備中で運休、ポリエチレンのフィルムをかぶって居り、残念な事でした。
 センターポールの架線柱はすっきりした町風景が期待できますね。現代でしたら鹿児島市電の併用軌道区間で見られますね。がっしりした鉄柱でカテナリー架線です。センターラインの部分はコンクリートの帯があって、自動車が転回など出来ないし、芝生を軌道敷に貼ってあります。保守とかお金掛かりそうですが・・・。
 上の写真の場所をストリートビューで見ると、この古い日本家屋は絶滅状態ですね。残念です。
■■ Cedar様:
 お褒めに預かり、光栄です。日本映画といえば、昭和20年代の、しっかり作られた映画は今見ても、感動を呼ぶと同時に当時の町や風俗の記録としても貴重ですね。
■■ はーさん様:
 この翌年に京都に行ったらN電の「N」が無くなって居ました。何故なんでしょうね?標準軌の1形が消滅したのでしょうか。
 オリジナルと比べたら、復元電車の方が似て居るかもしれませんが、「京風の改善工事」が行われているので、不自然さを全く感じません。

■■♪♪ hanamura様:
 「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2017-09-21 16:42) 

デトニ2300

N電には高校入学前の春休みに乗りに行きました。昭和36年の3月末ですから、N電廃止の直前だったと思います。京都に行く目的は奈良電デハボ1200形に乗ることで、当時住んでいた近鉄河内永和から西大寺まで行き、その後奈良電デハボ1200形特急に乗り、京都駅の国鉄口に回って、ちょうど目にとまったN電に乗ったように思います。N電が廃止になることは鉄ピク(だったと思います)で知っていましたので、最後の乗車と思い、往復したような記憶があります。まだ3月で、吹きっ曝しで運転手さんは気の毒だなという感想のみで特別な感情はありませんでした。古稀をすぎて、旧型車両にノスタルジアを感じる今日この頃のですが、当時はノーシル、ノーヘッダーのカルダン車に魅力を感じていたので、特段の思い出もなく、写真も残っていません。今にして思えば惜しいことをしたものだと述懐しています。
by デトニ2300 (2017-09-21 17:12) 

のり

もし、今でもこの場所にこの電車が走っていたら、素晴らしい観光資源になったことでしょう。
復元オープンデッキもよし、ベスチビュールもよし……。

N電は、実際に走っている姿を見ることはかないませんでしたが、明治村で何度か乗りました。当時は、お髭の車掌さんのユーモラスな案内がとても素敵でした。12号機とともに村内交通機関として、今でも走っているのがすごいですね。
by のり (2017-09-21 19:32) 

む〜さん

■■ デトニ2300様:
 私の場合、技術史、鉄王趣味史に残るような車でも、カルダンの新車には勝てなかったです。悔しい尾も出の方がはるかに多いのです。N電に間にあってよかったですね。学生生徒の時代は、行けた関西も、昭和35年、社会人になったら途端に行けなくなりました。子供が生まれて一緒に行く事は多かったのですが、趣味に徹するわけには行きません。
 デハボ1200は昭和32年に奈良電の車中から、新田辺の車庫に居るのを車窓撮影(大ブレ、はみ出し)しただけです。たしか、特急用に改造されたのですね。
■■ のり様:
 観光電車・・・結構人気が出るかも知れません。で、ストリートビューで通りを見てみたら、昭和30年代と、家の感じがまるっきり変わってしまい、高層ビルこそ少ないですが、普通の二階家になって居る家が多く驚きました。おまけに、通りも広くなって居ます。景観と実用、難しい問題ですね。
by む〜さん (2017-09-23 09:58) 

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