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2000年:関西電車の旅(4) [2000年の旅]

■ 2000年1月23日&24日、京都と大阪、電車乗りまわし旅の第四回。二日目、1月24日のお話です。

 今日の最初は南海電車 

(1) さて、昨夜、早く寝たおかげで、朝の目覚めは好調でした。シャワーを浴びて、サッパリした気分で、7時半頃、一階に下りてミスタードーナッツで、ドーナッツと珈琲の朝食です。

 ・・・・・右の『オマケ画像』のカエルは難波の地下街で見かけた古雑誌、古新聞用の『かえーるボックス』と称する物件。

 食事をしながら今日の予定をどーしようかと考えたのですが、結局、南海電車の汐見橋駅に行く事にしました。昭和29年、初めて関西に電車に乗りに来て以来、行って見たいなーと思いつつ果たしていなかったのです。
その後は、阪堺電気軌道に何処かから乗って、恵美須町ターミナルを見て、鶴橋で韓国料理でも食って、近鉄アーバンライナーで名古屋へ行き、そして締めは新幹線で新横浜、帰宅と言うスケジュールが出来ました。
チェックアウト後、荷物を難波の近鉄の出札窓口近くのコインロッカーに預け身軽になって、出発です。

(2) 近鉄難波で見かけた近鉄の広告。

(3) 地下鉄千日前線で一駅、桜川駅で下車。この画像は多分、難波駅。しかし、桜川駅の可能性も大。

(4) 桜川駅近辺で寄り道一件後、桜川駅に近い、南海電車の汐見橋駅へ。これがスゴイ駅で、まるで昭和30年代の姿です。

(5) 中に入ると、改札口の上の壁には、昭和30年ごろの南海電車の沿線案内図が、まるで古寺の壁画みたいに古色蒼然とした古び方で架かっています。これは必見の物件です。現在でも有るとの事です。

(6) 駅はプラットフォーム1本のシンプルなもので、古びた駅本屋とともに、これが、あの高野電車のターミナルだったのかと疑ってしまうような雰囲気です。

 やってきたのは2連の2扉車です。ナンバーは2202。この駅には昔風の濃緑色の車体、鉛丹ペイントの屋根、2扉17m車が似合うなあと思いつつ乗車。東京で云えば東武の亀戸線を思わせる沿線風景を眺めながら、岸の里玉出駅まで乗車しました。途中の木津川駅は何本架の貨物側線があり、昔は、例の南海型凸型電機機関車が貨車を引いて出入していたのでは・・・と想像が膨らみました。

・・・・・と、云うわけで岸の里玉出に着きました。南海本線と高野線のホームは、かなり離れていてV字型に配置されています。

(7) 南海、本線ホームの『普通・なんば』行。7000系の7033。

(8) 高野線ホームでの『なんば』行。字が読めないけれど、多分、各停。8000系、もしくは6200系。このころ8000系から6200系に改造改番をしているので、微妙な時期のようです。

(9) 同じく高野線、8200系の8703。『各停・河内長野』行。南海電車の行先表示、『普通』と『各停』が混用されておりました。

 一寸だけ、南海電車の車両を写した後、『阪堺電軌』に乗るために駅を出ます。駅員さんに阪堺の『天神ノ森』駅(停留所かな?)への道を聞いて、歩き出しました。


 以前、9月半ばに『南海電車:汐見橋ターミナル』のルポを、このブログに出しましたので、ご参照下さい。画像は一部重複しています。
http://blog.so-net.ne.jp/mu3rail/2006-09-14


続きは、また次回!!!


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2000年:関西電車の旅(3) [2000年の旅]

■ 2000年1月23日と24日、二日間の京都と大阪、電車を乗りまわしの旅。その第三回です。

 浜大津~京都~大津大谷~京都~大阪 

 浜大津で京阪の京津線、石山坂本線を見物した後、京阪電車に乗りまして、京阪山科で下車します。ここからJRに乗換えて京都に向かうのです。

(1) お目当ての223で京都入りしました。こんな素敵な電車が『JR東日本にも欲しい』と、常々思う私です。E231ばかりでは、あまりにも寂しい電車風景ですものね。まあ、会社、それぞれ事情のあるのは分りますけれど。

(2) 乗ってきた223系姫路行き新快速が出て行ってしまうと、向こう側のホームには、なんと智頭急行の特急が停まっている。
 『スーパーはくと』HOT7000は355PSの機関を各車両に、2台ずつ搭載した強力振り子気動車だそうで、一度、乗ってみたい気もします。

(3) この横顔・・・・ポケモンに出て来ませんでした?

 京都では、リーガロイヤルホテルの11階にある回転レストランの『Top of Kyoto』でJRと近鉄の電車なんか眺めながら約一時間で食事をとりました。ここは空からの京都観光に最適で、お奨めです。お食事代は安くは有りません(3,500円+10%サービス料+消費税)が展望台料金と思えば腹は立ちません。

 案内してくれた友人Nさんが、京都市内東山の、とある場所に用事が有るので付き合う事になりました。ここで、約2時間、良い時間を過し、もう夕方です。Nさんが、京津線の大谷駅の附近に美味い鰻屋さんがあるとの話で、そこへ行く事にしてタクシーで三条へ。またもや京阪800に乗車。大谷の駅で降りて、折角ここまで来たのだからと、『蝉丸神社の裏手に有る旧東海道線のトンネル跡の石碑』なんか見てから問題の鰻屋に入った。『2,000円のうな重』は鰻が二階建てで、『う巻(700円)』も食べて大満足しました。嬉しすぎて、何時もなら写す『お料理写真』を忘れました。お店の名前は『かねよ』。店の前の細い道は『東海道の旧道』だそうです。

(4) 京阪京津線・大谷駅のホームにあった鰻屋さんの広告。

(5) これも大谷駅。浜大津行きの800形が停車中。

(6) さて、おなかも一杯なので、京都に戻って、先斗町通とか三条・四条界隈、雨で増水の鴨川端を散策なんかして、何となく京都気分になりました。

・ 三条大橋からの眺め・・・・真っ暗に写ってしまった
・ 同じく三条大橋で
・ 先斗町通り
・ 先斗町通りにあった、くねくね電柱
・ 何処だったか場所は忘れたけど美味しそう

(7) 泊りは大阪の難波ですから、京阪特急。ただ一本残る3000系に又もや乗ることが出来ました。ここは、淀屋橋駅。現在の8000も良いけれど、3000は良い電車だなあと、つくづく思います。

 一緒に写っている爺が、当時62歳の私だけれど、例に拠って恥ずかしがり屋さんなので、ボケ顔にしちゃいました。

(8) 淀屋橋に居た7000です。9000って新車が居た筈ですが、見れなかったのは残念。

 宿泊したホテルは難波にあるビジネスホテル『ホテル南海』。ここまで、Nさんにお付き合い頂いて、1階にあるミスドで暫く今日の反省会をして別れました。Nさんのお陰で、結構な一日を持つ事が出来ました。感謝。


 今夜は、一寸風邪気味でだるいので、風呂にも入らずに23時過ぎにベッドに入りました。
 明日、2000年1月24日の予定は、阪堺電車にでも乗ろうかなあ、程度しか決めて居ないのですが、いろいろ考えてる内に、まあ朝起きてから考えようと、そのまま眠ってしまいました。

 この続きは、また、次回!!!


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2000年:関西電車の旅(2) [2000年の旅]

■ 2000年1月23日と24日、二日間の京都と大阪、電車を乗りまわしに来て居ます。その時のお話、第二回です。

 新大阪から、いきなり浜大津 

 新大阪駅にお出迎え下さり、今日一日、お付き合いくださるNさんと構内の、とあるお店に入り珈琲など飲みながら、久しぶりに会ったご挨拶、そして今日のスケジュールの打ち合わせ。

(1) 地下鉄の御堂筋線で淀屋橋へ、斬新なデザインの地下鉄に、好き嫌いはともかく吃驚。これが、9時半頃でした。

(2) 東京とは新聞のディスプレイが違う平積みの新聞店。

 京都行き京阪電車の特急はラッキーなことに只一本残る3000系、それも、二階席に座れました。京阪の誇る複々線区間をぬけ、枚方遊園では『びわこ号』も見えました。木津川、淀川(かな?)を渡って、淀の車庫には新車9000も。快適に特急は三条駅着。早速、地下鉄・京阪京津線のホームへ急ぐ。時刻は既に10時半ごろになっていました。

(3) 2本ほど市営の車両をやりすごし、京阪の800に乗り込む。最後尾のクロスシート車です。

 御陵で地上に出て逢坂山の40パーミルの連続勾配も70キロ超で快適に登り、急カーブも難無く抜けて快適に800は併用軌道区間を抜けて浜大津に到着した。雨で、メチャクチャ寒い。ホントに寒い。
 駅周辺で屋根の下から何枚か800・700なんかを撮影するが、やはり雨ではうまく行かない。

(4) 京都方面に出て行く京津線800形。

(5) 石山坂本線の700形。

(6) 石山坂本線の坂本行き600形、601。

(7) もっと条件の良い日の再訪を誓って京都方面行きの800に乗りこみました。京都市役所前行きの800形805。この時点で11時46分。

 京阪電車京津線で逢坂山を越え京阪山科で下車して、JRの山科駅から京都に向かいます。


 それからのお話は又、次回に!!!


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2000年:関西電車の旅(1) [2000年の旅]

■ 前にも、お話致しましたが、2000年から、つい先ごろまで、Outlook ExpressのBCC機能を使っての『個人的メールマガジン』をやってました。名づけて『お出かけ通信』、7年、181号をもって、発展的にお仕舞いと致しまして、ブログに乗換えたのです。その名も先代を引き継いで『お出かけ通信:blog版』とした、という訳。

■ その『メール版:お出かけ通信』に当時書いたものを、ここで再録致します。画像は全て新しく加工し、文章も当時のものに手を入れました。

■ 2000年1月23日と24日の二日間、京都と大阪に、電車を追って旅して参りました。その時のレポートの第1回です。

 旅の始まりは新幹線 

 最初は当時デビューしたてのJASのMD90に乗って大阪入りしようと、すっかりその気になっていたけれど、鉄道愛好者と致しましては、やっぱり新幹線でと、考え直し、新横浜発6時16分の500系のぞみの切符を、予約しました。始めて乗る500系はなかなか結構なスタイルで私は好き。関西に行けるのが余程嬉しかったのか5時40分ごろには新横浜駅に居ました。1月ですから当然、真っ暗。

 シウマイ弁当なんか買って乗りこめば、車内も素敵。走り出せば、快適の極みでありました。

 弁当も美味いし、食後の300円の珈琲を飲みながらの富士山も笠雲掛かって、京・大阪が雨だなんて想像も・・・・・。

 関が原・米原の雪で10分遅れの大阪は雨でした。今日一日、ご案内下さる出迎えの友人、Nさんともうまく会えました。
 新大阪駅プラットホームで、乗ってきた500系のぞみ。

 博多に向けて出て行く『のぞみ1号』。


 新大阪駅! ここから関西の電車を尋ねるツアーの始まりです。な~んて、大袈裟ですね。
 実は、130万画素のデジカメ、オリンパス社のC-830Lで写した画像は、あまり電車が写っておらず、画像も粗っぽく、旅行記としては、かなり気が引けます。まあ、精一杯、頑張ってみます。

 では、次回に続く!!!


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南海電車:汐見橋ターミナル [2000年の旅]

 今日は2000年1月のことを書きます。超弱小個人的メルマガ『お出かけ通信・メール版(現在休刊状態:発行部数20数部)』の部分的再録です。写真は新しくリタッチしました。

 2000年1月23日、1999年春に退職して以来、初めての一泊二日・大阪電車観光に行き、かつては同じ会社に勤めていた事のある、Nさん、大阪在住の超鉄道愛好者の方の案内で京阪などを見物し、難波のホテル南海というビジネスホテルに宿泊。翌日、一人で南海・阪堺とかに、乗っている。

 1月24日、昨夜、早く寝たおかげで、朝の目覚めは好調でした。シャワーを浴びて、サッパリした気分でホテル1階(・・・・だったかなあ?)のミスタードナッツで、ドーナッツと珈琲の朝食です。食事をしながら今日の予定をどーしようかと考えたのですが、結局、南海電車の汐見橋駅に行く事にしました。昭和29年、初めて関西に電車に乗りに来て以来、行って見たいなーと思いつつ果たしていなかったのです。
 そのあとは、阪堺電気軌道に何処かから乗って、恵美須町ターミナルを見て、鶴橋で韓国料理でも食って、近鉄アーバンライナーで名古屋へ行き、そして締めは新幹線で新横浜、帰宅と言うスケジュールが出来ました。

 チェックアウト後、荷物を難波の近鉄の出札窓口近くのコインロッカーに預け身軽になって、出発です。

 退職した勤め先の大阪支店に一寸顔を出し、挨拶の後、地下鉄の桜川駅に近い、南海電車のターミナル、汐見橋駅まで行きました。
 交通量の多い大きな交叉点の、すぐ近くに、ひっそりと、まるで隠れているような駅があって、そこが『汐見橋駅』でした。
 昔は、賑わったのではないかとも思うが、如何なんだろう。たしか、高野山へ行くラインの始発駅だったはず。思い違いかもしれないが。

 汐見橋駅は、まるで昭和30年代の思わせる姿でした。改札口の上の壁には、昭和30年ごろの南海電車の沿線案内図が、まるで古寺の壁画みたいに古色蒼然とした古び方で架かっています。これは必見の物件です。

 駅はプラットフォーム1本のシンプルなもので、古びた駅本屋とともに、これが、本当に、あの高野山ゆき電車のターミナルだったのかと疑ってしまうような雰囲気です。

(1) 順序が滅茶苦茶ですが切り張り写真。左上が汐見橋駅の正面。高速道路がかぶる交叉点の脇にありました。

 何度見ても、この南海の新社標は、なじめません。やっぱり羽車が良かったなあと思うのは、まあ、歳の所為なんでしょう。

(2) ウイークデイの午前中、ホームに人影は無く、寂しい眺めでありました。
 改札口の上に沿線案内地図が掲げられていました。なにしろ130万画素のデジカメ、買った当時は最新式だったけれど、今見ると実に、ひどい画像です。

(3) 地図だけ拡大してみたのですが、何だかぼやけたモノになってしまいました。果たして今でもこの地図は在るのでしょうか? いまだに掲げられているのなら、これはもう、写しなおしに行かねばなりません。

(4) やってきたのは2連の2扉車です。ナンバーは2202ともう一両。この駅には昔風の濃緑色の車体、鉛丹ペイントの屋根、2扉17m車が似合うなあと思いつつ乗車。

(5) (4)のもう一両なのですが、残念ながらナンバーが良く写っていません。

(6) 電車車内。

 電車は出発し、東京で云えば東武の亀戸線を思わせる沿線風景を眺めながら、汐見橋~芦原町~木津川~津守~西天下茶屋~そして岸の里玉出駅までのんびり走ります。途中の木津川駅は何本かの貨物側線があり、昔は、例の南海タイプの凸型電機機関車が貨車を引いて出入していたのでは・・・と想像が膨らみました。

・・・・・・と、云うわけで岸の里玉出に着きました。南海本線と高野線のホー
ムは、かなり離れていてV字型に配置されています。

(7) 南海本線のホームから見た、私の乗って来た編成です。

 私は、その後、阪堺電車に乗るために駅から出る事にしました。駅員さんに道を聞いて阪堺電軌の天神ノ森まで歩きます。細い小路を何とか迷わずに天神ノ森の停留所に着けました。
 このとき訪問した阪堺電軌に付きましては、以前、このブログでご紹介しました。もしよろしかったら、下記のURLから、ご覧下さい。
http://blog.so-net.ne.jp/mu3rail/2006-06-23


 では、また次回!!!!


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故郷離れて・岡山の東武電車 [2000年の旅]

 こんにちわ~、暑い暑いと言いながら一頃よりずっと過ごしやすくなった東京の外れから。今日も『お出かけ通信・blog版』です。
 さて、今回のお話は、岡山市。2000年の4月24日、広島電鉄をたっぷり楽しんだ、む~さんは、各停電車を一回乗り継いで岡山まで来ました。JR岡山駅で、軽く夕食をと、いかにも大阪ってネーミングのお好み焼きのチェーン店にはいり、お好み焼きを食いました。期待はしていませんでしたが、かなり裏切られて、のんびり路面電車に乗ってホテルへ。

 翌朝、早めに宿を出て、取り敢えずJR岡山駅まで電車を撮りながら移動します。そして、朝ご飯。駅のお弁当屋さんで、『祭ずし』を眺めると、普通のバージョン、スペシャルバージョン、ファミリー用の大型バージョンと、バラエティ豊富。もちろん、普通の祭ずしを買い求め、JR宇野線の宇野まで切符を買って電車に乗る。かなりお客さんはいましたが、クロスシートであればお弁当は食べられます。時たま残る車窓の昔風景を愛でながら美味しく朝ご飯をいただきました。宇野に到着したら、おなじ電車ですぐに引き返します。

 岡山に戻って、岡山電軌の終点、東山に車庫があると聞いてたので、ひょっとして、元・東武日光軌道線の100形が居るのではないかと、終点まで行きました。途中、一箇所だけですが、短区間だけ古い街並みの残る所がありましたが、撮影はしませんでした。

 東山の車庫の事務室で、許可をとって、中に入って行きますと、一番奥の方に居ました、元・東武の100形、ここでは、3000形。『あ~、これは、今後の期待は無いなあ!』と、思って撮影しました。
 皆様、ご承知のように、この3000形は、復活し、現在運転されています。まことに、お目出度いお話です。

 今回の写真も130万画素のディジタルカメラ、オリンパス830Lですので、かなり画質は落ちます。

 この、3000形の、東武時代の写真。1961年(昭和36年)5月、日光は東照宮前の神橋のしたの河原から写したものです。

 もう、この頃には、自動車の攻勢もはげしく、苦戦していたようですが、まだまだ、元気ではありました。のんびりと、単線で、日光駅前から、馬返まで、のんびりと観光客や地元の人達を運んでおりました。
 当時の画像は、私のホームページの下記URLでご覧頂けます。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link128.html

 岡山電軌は、いろいろと良い撮影場所も有るようで、もう一度、訪問したいものと思っています。
 折角、岡山まで行ったんですから、有名な庭園・後楽園も見物してきましたよ。そして、ひょっとして、後楽園の前にあった、西大寺鉄道の岡山側のターミナル『後楽園駅』が残っているのではないかと、探してみたのですが、残念ながら見つかりませんでした。
 西大寺鉄道は、1958年の姿ですが、こちらからご覧頂けます。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link21.html


 (A)『後楽園』の築山の上から池を見る。
 (B)岡山と言えば『トマト銀行』・・・・盛業中かなあと気になる。
 (C)『祭ずし』のパッケージ。吉田戦車の絵に似た桃太郎さん。
 (D)祭ずしの中身。

・・・・・・と、云う訳で、今回は岡山でのお話でした。
では、次回!!!!


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故郷離れて・広島の三都市電 [2000年の旅]

 東急デハ5000の第二の職場のお話を2回にわたって掲載しましたが、これと、同様のお話です。

 2000年4月24日、広島に行きました。鉄道愛好を60年近くやってきた私でしたが、広島に行ったことがありませんでしたが、ふと、広島方式のお好み焼きが食べたくなり、ふらりと出かけて行きました。早朝の新幹線『のぞみ』は、現在JR東海地域からの引退が持ちあがっている500系でした。10時前に広島に着いてしまう快速。

 広島は路面電車『広島電鉄』が元気でした。いろいろ写してきたのですが、なにしろ、当時持っていたディジタルカメラはオリンパスの130万画素機。いま、みると画像の悪さは相当なものです。

 その時の画像の中から、第二の働き場所を広島に見つけた電車たちを、ご覧頂きます。ただ、上記の理由で画像の悪さは、大目に見てください。
 そして、もう広島訪問後、6年経っていますので、これらの電車たちが、果たして今でも活躍しているのかどうか分りません。

(1) 1156・・・・・元・神戸市電の1150形。カラーも神戸市電の色です。

(2) 904は、大阪市電の2601形でした。色も、1156同様、大阪市電時代のものです。

(3) 同じく、911。

(4) 元・大阪市電の761は、大阪時代の形式は1651形でした。

(5) お次は、京都市電だった1913です。京都時代の形式も1900形。

(6) 上の1913のサイドには広島電鉄と京都市電のマークが付いておりました。

(7) これも京都の市電1915です。

 広島電鉄には広島駅前から西広島までの市内線と、さらに専用軌道を走り、たしか鈴峯女子大前まで乗ったのです。もちろん独逸から空路運ばれてきた5車体連接(・・・・と云うのかなあ?)の5000形、グリーンムーバにも乗りました。さらに新交通システムの『アストラムライン』にも途中までですが乗ったのです。午後遅く、次の目的地、岡山電軌の岡山まで、山陽本線の電車で向かったのです。




 あ、そうそう、お好み焼きは、『お好み村』のとある店で食しました。広島在住の方から教えて頂いた店だったんですが、美味かったですよ~!

 今日はこれでお仕舞いです。また次回!!!(たぶん、明日) 


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