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雑談:五月の連休は・・・・ [むかし噺(1)]

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coffee.gif 世間では、5月の2日から6日までの5連休とか、もっと長いとかいうお話になっていますが、私には、連休という意識がないわけで・・・・。
 で、2009年5月4日、月曜日、息子夫婦が孫を連れて、ロマンスカーMSEに乗ってやって来ました。これで、世間並みの連休って感じになってきました。
 2日には、郡山まで藤城清治さんの影絵展を見に行き、3日には、用事もあったけれど、あとの4日~6日の予定は皆無。・・・・・で、
早速、何処かへ行こうという事に。
 近場で、ズーラシアも悪くないと、私がドライバーとなって、軽自動車SUBARU PLEOで出ました。

(1) ちょうど昼時だったので、途中のモスバーガーで、軽く昼食。私は、テリヤキチキンバーガーにコカコーラ
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(2) 思ったとおり、ズーラシアは、道路混雑、駐車場混雑、近寄ることさえ出来ません。しかたなく、そこらを走り回って家に戻って来たのです。まあ、連休なんて、こんなものでしょうね。
 夕食は、孫のリクエストで、マグロとアジの刺身が中心で、鮪のカマと、鮪トロの焼き物、精進揚げ、小松菜の煮びたし、筍・蕗・生揚げの煮物。飲める人はビール。揚げ物の皿の左のブルドック印ウースターソースは、私が精進揚げに掛ける・・・これは、幼い日からの私の慣わし。まあ、大抵の方は賛同してくださいませんね・・・でも、美味いんだ、私には(笑)。
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(3) (2)を少々クロースアップ
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coffee.gif 明けて、今日、午前中で息子夫婦と孫は帰って行きました。掃除だ、洗濯だ、が終わってほっとしたところで、面倒なので昼食は外と言う事に・・・・・・。
 家内と二人、出掛けてゆきました。食事の前に、私の住む町田市内に、薬師池という、市立公園がありますが、その近くに流れる鶴見川・・・・ここまで来ると流れは随分細くなるわけですが、そこに毎年、鯉のぼりを掲げる地元のイベントがあるので、小雨の中を眺めに立ち寄りました。

(4) 9本のワイヤに目刺し状に大小無数の鯉のぼりが、小雨に濡れて、しかも風がないので、ぶら下がっている。快晴にして、そよ風でもあれば見事なんでしょうが、少々、残念。しかし、幼い頃からの鯉のぼりファンの私には、それなりに素敵に感じられ、家内と並んで暫く眺めていました。で、条件は悪いんですが写してみました。予想通り、低コントラストの、薄暗い画像になりましたが・・・・・・。
 車で30分余、相模原市の相模川田名、高田橋の鯉のぼり群に較べれば、スケールは比較にならないくらい小規模なんですが、それなりに、良いものです。なんたって、我が町田市、地元のイベントですもの!
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(5) 種々の幟も立ってる。
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(6) 200mmレンズ(相当)で引っ張ってみる。
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coffee.gif 13時もだいぶ回って、お腹も空いたので、お馴染みのデニーズで昼食と言う事に・・・・何時もの、BLTサンドイッチに、カツサンド、珈琲なので、写真はありません

 ま、そのあと、量販店やら、家具店など、巡回?して帰ってきました。
 そんな訳で、一昨日の3日、昨日4日に今日5日と、鉄道モノの「体験」は無かったのです。やっぱり、物足りない気持ちですね。


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coffee.gif それで、ちょっと昔話を致しましょう。
 静岡鉄道のお話にしましょう。静岡と清水を結ぶインターアーバンで、全線複線、距離11km、現在の所要時間20分、運賃290円、オール1000(Mc)+1500(Tc)の2連が12本あり、全部、各駅停車で運行しているのですが、1991年までは、急行も走っておりました。

 これは、1968年・昭和43年9月、今から40年前、ほぼ中間の駅「運動場前」・・・・現・県総合運動場駅・・・・で写したものです。

(7) 新静岡方面から各停の新清水行が待避線に入りました。クハ22+クモハ22です。
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(8) 新静岡行きの各停が接近してきました。
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(9) (8)を拡大して見ましょう。ポイントは待避線に入れるようになっているようです。電車はMC16で、これは、元・東急デハ3250形
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(10) 新清水行の急行が来ました。この駅は通過になります。クハ302+クモハ302で、カルダン駆動の自社長沼工場の製造。
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(11) 走り去る急行電車
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(12) 私は、新静岡行の各停に乗りまして、西へ向かいました。右上に書かれたナンバーはMC17ですから、MC16とペアを組んでの2両編成。Hポールの開放運転台懐かしの東急池上線!!
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coffee.gif では、今日のブログはここまでです。


タグ:静岡鉄道
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写真展ご案内 &京浜急行の連結器 [むかし噺(1)]

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のお知らせ

 私の住む町田市のお隣の相模原市の交通の要衝、小田急電鉄は「相模大野駅」近くに、この2月25日・水曜日に、文化・自然・仲間の旅の「クラブツーリズム・カフェ相模大野店」が開店します。
 その開店にあわせたイベントとして、開店日から一週間、仁平昌之氏撮影の「塩田平を走る別所線写真展」が下記の通り開催されます。
 下の「案内状葉書」からの画像(A)~(D)を御覧下さい。

(A)
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(B)
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(C)
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(D)
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pen-para.gif 相模大野付近には、小田急以外にも見所は多いので、電車見物に撮影、そして写真展のメニューは如何でしょうか?
 小田急小田原線に江ノ島線、相模鉄道(大和・湘南台・海老名)、横浜市営地下鉄のブルーライン(湘南台)、横浜線も近いので、横浜市営地下鉄グリーンライン(中山)も、東急田園都市線(中央林間)、等々、盛りだくさんのバイキング状態です。頑張ったら江ノ電なんて選択肢もあります。

pen-pc.gif 画像が少々ボケ気味なので、場所情報は、下記の「クラブツーリズムカフェ相模大野店」のリンクから御覧下さい。
http://www.club-t.com/cafe/#sagamiono

 この場所は、ご近所だし、私も立ち寄って見ようと思っています。


pencil-red.gif さて、本日のお題は、連結器のお話です。

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 私の好きな、京浜急行連結器は、ウエスティングハウスの電気栓つきの密着連結器で、小型でスマートなものでした。調べれば、何年だったか判ると思いますが、かなり昔(調べなくってすみません!)、京成・都営地下鉄との相互乗り入れに際し、現在のものに取替えられてゆきました。 

(1) それ以来、現在も密着自動連結器っていうんでしょうか・・・・こんなのです。連結器の地上高も高くなったので、名物、車幅一杯のアンチクライマも、車体の裾も切り取られています。
 撮影場所は、川口市の青木町公園に保存展示されているデハ230のデハ236です。昭和35年撮影の(2)と較べるとかなり手が加えられています。2005年4月5日の撮影です。
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(2) 昭和35年2月京浜川崎駅の電留線で・・・・。デハ230形のデハ285。デハ230は、その成り立ちによって、かなりのバリエーションがありました。
 この頃の連結器が「ウエスティングハウス」の密着連結器です。小型、スマート、電気栓つき。いや全くもうカッコ良いこと・・・・。
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pencil-red.gif 連結器を三方向から写してありました。但し、デハ294のものですが・・・・連結器の規格は同じです。 

(3) これが、ウエスティングハウス密連のクロースアップ。まずは真っ正面から・・・・。斜めに付いた電気栓がお洒落。
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(4) サイドビュー・・・・・左舷側で良いのかなあ?エアーの配管が写っています。
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(5) 反対側には電気ケーブルが見えている。
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 小型で一発連結、スマートで大好きでした。京成・都地下鉄との相互乗り入れに際し、統一のため、(1)のような連結器になってしまいました。特許の所為か価格も高かったそうです。

(6) ウエスティングハウスの密連は消えてしまいました。そして、もう一つ、少数派の連結器が相互乗り入れで消える「らしい」。阪神電車のバンドン形・・・・・これも、小さくてカッコいいんですが。
 これが、Van_Dorn形の密連です。2001年11月19日の撮影です。
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(7) オマケです。デハ294の尾灯・急行灯兼用の切替式灯火機器赤白のレバーが見えますね。こういうのを見て、興奮してしまう若き む~さんでありました。(笑)
 今だって、デハ230+クハ140+デハ230の急行電車の爆走を思い出し、これを書きながら興奮してしまう・・・・程ではないけれど(笑)。
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coffee.gif ・・・・・というところで今日はお終いです。2月16日からの、一時休業まで、あと2日です。当日まで、更新、頑張りますので、またお出でになってくださいね!!


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東急デハ5000:1959年5月 [むかし噺(1)]

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pencil-red.gif ど~も、毎度の、む~さんです。押し詰まりましたね~、何たって、今日を入れて、あと二日しかありません・・・・2008年も。

 一昨日、2008年12月28日・日曜日の夜、家人と知人一人、三人の忘年会でした。近所の、行きつけの韓国料理店『漢江』で、まあ、定番料理を何種か注文、麦酒と水(私だね!)で、質・量ともに堪能しました。これだけですけれど、もうこんな歳になってますので、これで、腹いっぱい。

(1) (左上)海苔・玉子焼き・白菜の和え物、(右上)ナムル、(左下)白菜・胡瓜・大根のキムチ、(右下)野菜チジミ。
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(2) (左上)今回の主菜はカルビ、(右上)カルビを焼いている、(左下)玉葱スライス・・・・カルビ用、(右下)サンチュとエゴマ・・・・カルビ用。
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(3) (左上)石焼ピビムパ攪拌前、(右上)同・・・攪拌中、(左下)ピビムパ完成!、(右下)ユッケジャンスープ。
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 いや、全く、美味かった・・・・・。満腹・満腹


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pencil-red.gif さて、今日のブログが多分、本年2008年の最終号になりそうです。で、何を書こうかなあ、と思ったんですが、1959年・昭和34年5月東急東横線デハ5000にしました。東急の車輌史を飾る傑作電車。軽量・張殻構造の草色に輝く軽快な電車でした。現在は、渋谷のハチ公前に、車体の一部が展示中。また、遠く、九州の熊本電鉄で、両運に改造されて、頑張って居る筈です。

 昭和34年5月のある日、私は、東急東横線の多摩川園前駅辺りで、愛用のミノルタセミP・・・・廉価版のブローニー・セミ判のスプリングカメラ・・・・を持って、浅間神社の裏とか、多摩川台公園とか、歩き回って、東横線を撮っていました。

(4) 急行の渋谷行多摩川園前駅に差し掛かります。急行なので通過。三両編成でスタートした5000系ですが、この頃には中間電動車を入れて、4両編成になっていました。浅間神社の裏辺りから撮っています。
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(5) (4)の部分拡大・・・・・多摩川園前駅。バックに多摩川園の飛行塔とか、観覧車とかが見えています。
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(6) これも(4)の部分拡大・・・・デハ5000のクロースアップです。
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(7) 線路の反対側、松籟荘という宴会も出来る食事どころがありましたが、その辺りから写しています。架け替えられる前の丸子橋の優美な姿を背景に、多摩川橋梁を急行渋谷行が渡ってきました。
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(8) (7)の川の部分を拡大してみました。川には、ボートが浮かび、四手網船も見えるのどかな風景ですね。この頃から多摩川の汚れが目立ち、昭和30年代末になると、洗剤の影響で泡の塊が飛んだり、臭かったりで、閉口しましたが、この頃は、なにか食べられるお魚も捕れたのでしょうか・・・・。昭和20年代中ごろまでは、ここで、白魚も捕れたのですが・・・・・・。
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(9) 電車の撮影を終えて、以前から気になって居た、石の案内標識を撮りに行きました。浅間様の踏切から東(地図の右)、地図の青い矢印の辺りまでゆくと、(10)~(12)のような石碑があったのです。
 石碑の角を右に曲がり、地図で言うと下のほうに、一寸入ると、長い、高い石段があり、頂上にお稲荷さんがありました。なかなか、見晴らしが良かった。
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(10) 伏見・内福稲荷神社参道・・・とあります。
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(11) 石碑の下の方には、寄進者の社名。曰く、目黒蒲田電鉄㈱、東京横浜電鉄㈱、㈱多摩川園
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(12) 天辺の伏見内福稲荷社の文字。
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pencil-red.gif 昭和34年と言いますと、多摩川園の出来た大正14年から34年経っていますが、まだ、多摩川園にも元気がありました。そして、1979年・昭和54年、多摩川園は54年目にして閉園と言うことになりました。私が子供の時代、1940年代後半から50年頃まで、小学生の私は、中にあった、映画館、動物園、遊戯物で、随分、お世話になりました。勿論、電気で動く、豆汽車もありましたよ。

pen-jump.gif この時の写真は、ホームページ「むーさんの鉄道風景・1953~1965」のこのURLからご覧になれます。あんまり枚数は無いのですが・・・・・下記をクリックしてください。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link151.html

pencil-red.gif 2001年1月16日に、このお稲荷さんを訪ねてみました。山の上にあった神社は新築のマンションの脇に、石段は残って居りましたが、石段の頂上にあった東横電鉄、目蒲電鉄の文字の入った柵や、神社の社殿はありませんでした。勿論、参道の石碑も無かったのです。

coffee.gif 多分、この号が、2008年・平成20年の最終号になりそうです。本年は、このつたないブログ「お出かけ通信:blog版」をご愛読下さいまして、まことに有難う御座居ました。
 来年、2009年・平成21年も、何卒よろしくお願い申し上げます


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1980年代中ごろの上田交通 [むかし噺(1)]

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pencil-red.gif 1985年ごろのお話ですが、一応、『むかし噺』のカテゴリーに入れましょう。取り敢えずは、ふた昔半は経っておりますから(笑)。

pencil-green.gif でも、これは最新のニュースです。今年、2008年4月ごろから、東急池上線に居たデハ1000系ステンレスカーのインバーター電車が、上田電鉄に移籍しました。私が4月に訪問したときは、受け入れの儀式の紙ふぶきが、車庫の床に残っていましたっけ・・・・。その後、未だに、営業運転に就いていないとの話もあって、ローカル私鉄にインバーターは、『回生の相手』の問題もあり、心配していました。
 ・・・・が、友人のKKさんからメールを頂戴し、いよいよ、8月1日(今日です!)から営業運転に入るとのこと、これは、嬉しいニュースです。

pencil-blue.gif ・・・・・で、今回は上田電鉄のお話。とは、云っても、フィルムの整理がテキト~なので、4本ほどあったと思われるフィルムが出てきません。絶対にあるのですが、ま、その内にホームページ化の予定なのですけれど、今日は、以前スキャンしたもので、ブログを作ってみました。
 そして、この画像は、以前、「某SNS」で発表済みのものも含まれて居ます。


 

 上田電鉄:昔と今 

 今年の4月に、信州旅行の帰り道、上田電鉄に立ち寄りました。2001年10月14日以来の訪問なのですが、当時は、社名が上田交通・・・・何時の間に、と思ったら2005年10月からだそうで、上田丸子電鉄なんて呼ばれていたときもあったり、1921年の開業以来、ずいぶん社名が変わりました。合併とか、色々有ったようですが、ま、それは今日は触れません。(ホントは良く解らないからなのですが・・・・)

(1) さて、今年の2008年4月14日に上田電鉄を訪問。電車についていた社章。上田から乗った7200に付いていたものです。車輌につけるにしては、少々、大袈裟だなあと思いました。
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(2) 上田から電車で、下之郷駅に降り、車庫を訪問。庫のなかで休憩中の、元・東急デハ1000系。1001+1101と、1002+1102の二本居ました。試運転の方向幕でした。
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 その後、営業運転に出たという話を聞かないので、少々、心配しておりましたら、愈々、8月1日・・・・今日ですが・・・・から営業に入るとの事。いろいろと有ったと思われる『問題も解決』し『運転の習熟も終わり』、お客さんを乗せる段階に至ったというわけでしょう。先ずは、お目出度い話です。


pen-para.gif で、少々、お古い写真を・・・・・・架線電圧が750ボルトで、まだ、丸窓の電車が活躍していたころ、二度ほど、訪問しています。と、云う事は昇圧が1986年10月だそうですから、それ以前。実際に「ところ、何年だったんだろうと、途方に暮れてしまう私。
 特急白山の食堂車で食事をしながら行った記憶もあるけれど、白山の食堂車廃止は1985年だそうですので、まあ、そんな頃の事だったのでしょう。そのあたりは、フィルムを全部探し出し、もっと、記憶をこねくり回して、同行してくださった友人の話も聞きまして、マシな記事が書けるようになってから、ホームページに発表したいと、思うのですが・・・・・・。

(3) 終点の別所温泉駅の少し手前辺りだったと思われますが、電動車が、気動車改造を思われるトレーラーを引いています。野山の眺めから見ると、11月~3月というところでしょうか。
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(4) これも場所は判りません。途中の、とある、駅員さんも居ない停留所って感じの駅のそばの架線柱この形が好きで、撮って来ました。まず、柱がいい。高圧線も、通信線も、素朴な、私の幼少時の東急池上線で見たような感じ。架線のピン形の碍子も痺れます。
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(5) その、名も忘れてしまった、駅の待合室に有った、広告コエダ時計店「電蓄」には当時でも泣いてしまいましたね。ま、昭和20年代の呼称でしょう。私が、中学時代(昭和25年ごろ)作ったのが、電蓄。高校時代はレコードプレーヤー+ラジオ or アンプ。
 このコエダさんは、昨夜もネットで調べてみましたら、上田の駅付近で盛業中らしく、しかも、音楽ソフトも扱っているようです。電話番号だって、局番はつきましたが、変わっていません。こう云うのって、結構、嬉しかったりします。
 広告の下には、空き缶の灰皿。これも、いい感じですね。
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(6) これは、訪問した季節が違うようです。上田の次の駅・・・・城下駅。ホームの照明用の電灯です。いい感じでしょう?途中でぶった切ったような電柱もまた良し。
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(7) 電灯の部分を拡大してみました。配線を良くご覧下さい。左右から一本ずつ電線がきています。当時、実物を見ていますが、これは、多分、架線の直流で、電球を何個か・・・・7個かな?・・・・直列にして点灯していたのでしょう。
 幼い日に乗っていた、東急池上線も600V時代には車内の電球も、直列方式で点灯していたので、この『街灯』も、きっとその様な仕組みなのでしょう。従業員さんに聞いたわけではないのですが・・・・・。
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(8) この駅、つい先日まで、当時、車庫のあった上田原駅だと思って居ましたが、今年の4月に訪問したとき、どうやら、上田から千曲川を渡って、次の駅「城下」だと、解りました。バックのこんな感じが残って居りましたから・・・・・。
 駅名標が写って居りましたが、木の葉に隠されています。「しろした」の「た」と、「SHIROSHITA」の「S」の文字が見える気がします。
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coffee.gif ・・・・と、いうところで、少々、半端ですが、今日のところはお終いです。


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箱根を越えて三島まで1963年 [むかし噺(1)]

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pencil-red.gif 昭和38年のお話を致しましょう。私も若かったねえ・・・・25歳ですよ。もう、45年も昔の話なんです。ホームページで、以前に公開済みで、現在、引っ込めているページの画像から、ブログ用に再加工して、ご覧頂きます。

pencil-green.gif 結婚して二度目のお正月、まだ、横浜に住んで居りました。兄から車を借りて、家内とともに、西へ走ります。多分。1963年・昭和38年の1月2日の事だったと思います。箱根駅伝をやって居りましたっけ・・・・。

 箱根を越えて三島まで・1963年 

(1) 高速道路なんて無かった時代でしたから、横浜から、国道一号線でしょう。横浜バイパスはあったので、そこを抜けていったのでしょう。辻堂の海岸も通りました。何にも無い、広い、もと米軍演習地が広がっていました。小田原から、箱根板橋を過ぎ、右側に箱根登山電車が併走しました。強羅行で「XXX+103」です。
 このときの箱根登山の車体色は何だったのでしょう?金太郎塗りになっているので、スカイブルーと黄色だったのかもしれません。ロマンスカーカラーでは、こうは写らないと思われますが、確かな事はわかりません。みんな、忘れてしまっています。
 左端の乗用車は米国車みたいですが、なんでしょう?トラックも、当時良く見かけたスタイルですが・・・・・。
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icon-tsuika.gif (1-1) 当時の箱根登山電車の車体色に付きまして、お二人の方から、「車体色はロマンスカー色」とコメントを頂戴致しました。有難う御座いました
 そこで、電車の頭の部分を「再加工」致しました。コメント頂いた通り、ロマンスカー色ですね。当時は、小田急ロマンスカーといえば、SE車3000でした。画期的な形、構造、色・・・・箱根登山電車も、それに倣ったようです。この年、1963年3月には、次のロマンスカー・・・・前面展望室のNSE3100が登場するのです。
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(2) 風祭から入生田への線路ですが、多分、風祭交換の小田原行かもしれません(根拠はありません)。もちろん、ナンバーは読み取れません。バックの山には蜜柑の木があったり、のどかなものです。
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(3) この車で行ったのです。三菱500スーパーデラックス・・・・594ccだそうで、ブレーキをかけると車体がつんのめるようなポーズをとる車でした。初代の三菱500(493cc)よりは多少、マシでした。今の軽自動車よりも小さく、車内は狭かったような気がします。色は、なんというか。米軍のジープみたいな色でした。
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(4) この電車・・・伊豆箱根鉄道が、目的地。ここは全線単線で、一応、三島広小路~沼津間を走っていました。狭い道を走って居りました。電車の交換です。バスも見えますね。何処の停留所か判りません。数年前に、この道を走りましたが、まるっきり見当もつきませんでした。
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(5) 道路の脇を遠慮がちに走る電車
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(6) 台風で黄瀬川の鉄橋が落ちて、三島広小路から、鉄橋の手前の国立病院前までで、電車はお仕舞いとなっていました。そして、遂に、沼津駅に行く電車は復活しないままに、この年、1963年2月4日廃止されてしまいました。
 国立病院前電停のそばに、長沢の車庫がありました。車庫で憩う、No.16とNo.206です。行き先は、沼津駅になっていますが、国立病院前から沼津までは、。連絡バスでした。
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pencil-blue.gif 帰りは何処を如何走って帰ってきたのでしょう。東名高速道路なんて無かった時代です。兄にクルマを返して、ちょっと寂しい気持ちで帰宅したのでしょう。(笑)


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 このドライブの一年前、1962年・昭和37年1月に、鉄道ファン仲間とともに、伊豆箱根鉄道軌道線を訪問しています。そのときのアルバムは、私のホームページ「む~さんの鉄道風景」にありますので、下記URLからご覧頂けます

http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link103-izuhakokidou6201.html

coffee.gif では、今日はここまででお仕舞いと致します。


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箱根の登山電車1954年 [むかし噺(1)]

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私には7歳年上の兄が居りますが、やはり鉄道が好きで、「O-ゲージ」の機関車や客車を作ったりしていました。その兄が、1953年・昭和28年にカメラを買いました。それが、私の数々の鉄道写真撮影に使ったカメラなのです。
 今回は、その、
「む~に~さん」1954年・昭和29年に撮影したものです。

pencil-green.gif 小田原駅から箱根登山鉄道の電車に乗りまして、次の駅が箱根板橋駅、その次が「風祭駅」です。その風祭駅で、写した写真です。

 箱根の登山電車・1954年/む~に~さんの作品 

 そのころ、風祭駅の近くに母の知人がお住まいで、たびたび私たち兄弟も母と一緒に行ったりして居りました。そんなシチュエーションだったのでしょう。このとき、私は同行しなかったようで、たぶん、母と兄が一緒だったと思われます。
 前説は、このくらいにして、54年も昔の、箱根登山鉄道の電車をご覧下さい。なお、この写真は、以前から、ホームページ「む~さんの鉄道風景」にて公開中のものですが、今回、ブログ用に加工し直しました。

(1) 強羅行のNo.107、形式はモハ1。たしか、空色と黄色の塗分け。右側の家の後ろは田圃ですね。サボは「強羅 FOR GORA」です。
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(2) 小田急の急行が来ました。クハ1450形1465ですが、後ろの電動車が良く判りません。拡大してみますと、二両目のパンタが、こっち側にあるようなので、多分、デハ1200形×2と思います。サボはぶれていて読み取り困難ですが「HAKONE YUMOTO 箱根 湯本」ではないかと・・・・・。
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(3) 湯本行のモハ2形No.109です。木造ですね。古い形式名、チキ2の方が似合いますね。大きな水槽、屋根の抵抗器、サイドの床下にはトラス棒。
 ・・・・今回、写真をいじっていて気付いたのですが、電車の右側に二軒の民家。その左側の家なんですが、どうも水車が見えるみたい
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(4) そういう訳で(3)の右側を拡大してみました。
 おおおお!水車だ~
 ・・・・・・やっぱり水車ですね。水車小屋現役のようです。
 もっとも、昭和50年ごろ、小田原市の荻窪あたりで、道端で回っているのを見たことがあります。果たして、現在は如何でしょうか・・・・。
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(5) 場所は変わって小田原駅です。試運転のサボをつけたモハ2形No.110が停まっています。
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(6) (5)のホーム側を拡大してみました。時計は16時10分でしょうか?14時25分でしょうか?冬だし、(5)の光線状態を見ますと。14時25分でしょう。色々苦労してみましたが、改札に建っている案内板。完全読み取りは不能のようです。「御案内 毎度御乗車有難う御座います」は間違いの無いところでしょうが、その後が読めない。東海道線、小田急線は、読めますが・・・・。
 左端は、箱根だか丹沢だかわかりませんが、宮永岳彦画伯のポスターのようです。女性の絵が、そんな感じです。
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pencil-blue.gif このころ、私は高校二年生でありました。54年か・・・・ま、いろいろあったなあ!!感慨だなあ!!

coffee.gif では、今日は此処までです。


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岡山電軌1957年(一枚の写真) [むかし噺(1)]

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pencil-red.gif 今日は、昔噺を少々。1957年・昭和32年の8月、私は某工科系大学の二年生でありました。趣味を生かしたバイト・・・・電子機器組み立て・・・・で費用を作って、九州から四国を旅したのです。九州・福岡では西鉄、山陽本線笠岡では井笠鉄道を一寸見て、岡山から宇野線で四国高知へ行くのですが、宇野線の発車時刻の関係なのでしょう、ちょっとだけ岡山駅の改札を出て、街へ出ました

 岡山電気軌道1957年 

 駅前のゴチャゴチャした商店街を眺めたりしたのですが、岡山電気軌道の電車が一枚だけ写してありました。その一枚を、いろいろいじってみました。

(1) 半鋼車体の四輪単車、350形の352です。重錘を使って押し上げるパンタが特徴的でした。方向幕は東山行になっています。何方か、具体的な撮影場所がお判りの方がいらっしゃいましたら、お教えくださいませんでしょうか?
 もう、記憶は殆ど無く、岡山駅から、そんなに離れていない場所かなあ、と思うのですが・・・・。
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(2) これが、岡山電軌特有のパンタグラフ。この当時から、広告をつけていたのです。「ゼオラ」とあります。記憶に引っ掛かっていたので調べてみたら、薬用歯磨きか、化粧品らしい。玉電砧線の終点の真正面にあった、わかもと製薬の関係会社の製品らしいです。
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(3) 倉敷ビニロンの広告塔があるのは、岡山駅に近いのかなあと思わせます。と、いうと電車は駅から離れていっているようなので、この真正面あたりの、バス?が見える辺りが国鉄岡山駅なのでしょうか・・・・?
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(4) それにしても、高校生だか、中学生だかの生徒たちが沢山歩いています。何か学校の行事でもあったのでしょうか。当時は、みんな学帽をかぶっていましたね。夏用の白いカバーは掛けていませんが・・・・。
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pencil-green.gif 一枚の写真をいろいろといじって見ましたが、あんまり面白い発見はありませんでした。(笑)


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pencil-blue.gif 友人の「はーさんのホームページ」1965年・昭和40年岡山電気軌道の電車の写真があります。
 下の、アイコンをクリックして頂くと、ご覧いただけます。
 私が写してから、8年後なのですが、車輌はそんなに変わっておりません。時間の流れがゆっくりしていた時代なのですね。

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coffee.gif では、今日はこれで・・・・・・。


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横浜・菊名界隈1957年 [むかし噺(1)]

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 今回は、ちょっと息抜きで、昔の写真を少々。

 一昨日まで、6回連載で、三重県桑名への旅のお話をしました。次回からは、3回連載で、同じ三重県の津市に行ったときのお話をするつもりです。 で、今回は、全然関係ない昔噺。
 時は、1957年・昭和32年5月、私が大学2年の時でありました。場所は横浜市港北区にある菊名駅あたり。菊名駅は、国鉄(当時)横浜線と、東急東横線が直交・接続する駅です。
 この時、私は何故か東急のデハ5000を撮りたくなって、のこのこ出かけて行ったのです。カメラは、オリンパス35-Ⅳ。

 横浜・菊名界隈 1957年 

(1) 東急東横線の菊名を出た桜木町行の電車が横浜線をくぐり、左にカーブを切って所に踏切がありまして、そこで写した、桜木町行の急行白地に赤書き、赤枠、長方形の急行の標識が素敵でした。先頭車はデハ5026
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(2) (1)の電車の後部、カーブの先を拡大してみました。東横線から分岐し、スイッチバックして左に曲がり、横浜線に向かう連絡線が見えます。国鉄線から、貨車が、此処を通って、東横線に入っておりました。土手の上は横浜線ですが、白い横線は、国鉄菊名駅ホームの屋根です。
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(3) 横浜線に沿って東神奈川方面に歩くとトンネルがあります。その手前辺り。横浜線の電車が来ました。この写り具合は手前から向こうへ・・・八王子行だろうと思われます。4両編成です。バックには、農家も残るのどかな風景。今じゃあ、この風景、果たして片鱗でも残っているでしょうか・・・・。
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(4) 電車の部分をを拡大してみました。手前から、モハ60~サハ78・・・・・なんだろう?
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(5) もっと拡大します。 モハ60~サハ78~モハ60~・・・そしてクハニ67です。友人MTさんに拠れば、東神奈川区に居た、クハニ67の900番台・・・・クハ55からの改造であろうとのことです。MTさん有難う!
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coffee.gif この時の帰り道に撮った写真が、フィルムのオシマイに一齣、こんなのが写っていた。

(6) 何処でしょう?
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pen-pc.gif 色々と考えてみた。この電車の形は、紛れもなき、東急の3700のファミリー

(7) 電車を拡大してみました。パンタがないし、アンチクライマもあるし、クハ3750でしょう。
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(8) 車体の腰板部分に37の文字。3750なら辻褄は合います。・・・・が、待てよ!?台車がKS33系ではなく、TR-11です。
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pen-pc.gif ・・・・・で、友人のMMさん、MTさんのお話ですと、台車の修理などのときに、代替にTR-11を使用したこともあるそうで、これで、東急のクハ3750形はキマリでしょう。MMさん、MTさん、アドバイス感謝。

 ・・・・・が、場所が何処だか確信を持って云えません。この景色に見覚えがないのです。まあ、菊名での撮影の帰り道とすると「日吉駅」かなあ?と思います。でも、わざわざ駅から出るかなあ?ひょっとすると、自転車だった可能性もあります。なにしろ、若くってパワーもあったから、はるばる自転車で出かけていったと言う事も、考えられます。結構、時間は掛かりますけれど。また、昔は、五反田から雪ケ谷~丸子橋~日吉~菊名~白楽~横浜なんてバスもあったことだし・・・・。

quiz-1sec.gif ・・・・何方か、この場所をご存知の方、いらっしゃいませんでしょうか?


signal-blink.gif もし、お時間がございましたら、下記のURLから、つい先ほど、画像大型化更新をした、私のホームページの「東急デハ5000のページ」をご覧になって頂きたく存じます。
 
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link118-tkk5000.html



coffee.gif 次回からは、三重県津市まで出掛けて行った時のお話を、三回にわたって連載いたします。


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東急池上線御嶽山駅1960年 [むかし噺(1)]

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pencil-red.gif 今日は、東急電鉄・・・・正式社名は東京急行電鉄㈱のようですが・・・・の池上線「御嶽山(おんたけさん)駅」のお話です。JR山手線に接続する五反田駅から車庫のある雪が谷大塚駅を通りJR京浜東北線に至る10.9kmの路線なのですが、五反田から行くと、雪が谷大塚駅の次(6.4km)の駅が、御嶽山(おんたけさん)駅。初めての方には面白い駅名とお思いになる方もいらっしゃいましょう。
 今日は、その御嶽山駅を話題に致します。1960年(もう、50年近く経ってる・・・・感慨!)に、ハーフサイズのカメラ、オリンパスペンで写した写真を中心にご覧頂きます。最近のものはディジタルカメラでのものですが・・・・・。

 東急池上線御嶽山駅1960年 

(1) 駅名の由来は、駅の直ぐ近くに御嶽神社(おんたけじんじゃ)・・・幼い日、毎日のようにこの神社の境内で遊び、大人になるまで日常的に前の道を歩いていたにしては、詳しいことを知らないのですが、木曽の御嶽神社の分社らしく(紋も同じです)、江戸時代(1831年だそうです)に建てられた立派な本殿があります。駅からこの写真の場所まで僅か120mで、駅名にもなる訳です。(この写真の撮影は2006年12月
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(2) その御嶽山駅の1960年の4~5月ごろの姿です。戦後、1950年よりも前だったと思うけれど建てられた駅舎。いまでも使用されているものです。ご覧の通り、警報機は無く、警手の操作する遮断機があります。この駅舎は五反田行のホームの五反田方にあり、蒲田行ホームへは改札を入って、構内踏切で行くのです。
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(3) 1960年1月のある朝の蒲田行ホームの風景。電車はデハ3450でしょう・・・・。
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(4) (3)の直後ですね。蒲田行電車が来ました。デハ3200形で、たしか中間にサハ3100を二両のデハ3200で挟んで居たと思います。
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(5) これも上と同じ時かな?・・・・・・はっきりしませんが同じフィルムに入ってます。3450×2が、クハ3770を連れて五反田へ向かいます。
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(6) 蒲田行ホームから見下ろす、国鉄貨物線の品鶴線です。EF13だか、EF12だかが貨物列車を引いて下ってゆきます。現在は、複々線になっていて、片方を新幹線、片方を横須賀線、湘南新宿ラインが走っています。この写真から5年経たないうちに新幹線が走っちゃうんですから、驚異的な変貌です。
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(7) 蒲田行ホームの下は道路で、正面の牛乳屋さんの左が(2)の写真の踏切です。パン屋さんの向こうはお蕎麦屋さんで、このお蕎麦屋さんは現在でもあるはずです。
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(8) 駅の蒲田方に接して踏切がありまして、そこから五反田行を写しています。撮影は同じく1960年の4~5月。電車はデハ3400です。私の思い出の中では、この色が一番馴染みのある色です。
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 小学校に通っていた頃は、この駅の内外でしょっちゅう遊んでおりまして、まあ、『近所の公園』って感じでした。ホームで遊んでいても駅員さんに叱られるでもなく、まあ、昭和20年代前半ってのは、そんなのどかな時代でありました。五反田行ホームの屋根の大部分は昭和20年代のものと思われますが、いまでもこのホームに立つと、気持ちが幼い日に帰りますね。


(9) 御岳山駅から国鉄の品鶴線に沿って、多摩川の方向(西方)に道路距離で400mほどのところに、品鶴線の踏切がありました。そこも、私たちガキどもの『遊園地』でありまして、蒸気機関車や電気機関車に引かれた列車を眺めに通ったものです。子供たちに人気のあったのは、どっちかというと、蒸気機関車よりも電気機関車でしたね。
 その踏切の真ん中に立って、品川(東京)方面を見ています。陸橋には蒸気機関車の吐く煙の煤がついています。赤く見えているのが池上線の鉄橋です。現在は、ご存知の通り、横須賀線と新幹線で、この踏み切りも、線路下の通路となりました。
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pencil-blue.gif 現在の御岳山駅の写真も並べておきましょう。現在とは云っても撮影は2006年12月。 

(10) 右側が駅舎で、昔のままの姿です。向こうのマクドナルドが(7)の牛乳屋さん。
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(11) 五反田行ホームの蒲田方から眺めた蒲田行ホーム。屋根の真中から向こうは昭和20年代のものです。まあ、戦後の『普通の』屋根ですが、やはり懐かしく感じられます。
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coffee.gif ・・・・・・・・この辺で、今日はお終いです。また、次回!!


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京都といえば・・・・N電(続) [むかし噺(1)]

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pencil-red.gif 6月8日付け当ブログの「京都といえば・・・・N電」が好評だったので、続編です。こんどは、あの翌年の1955年・昭和30年3月下旬高校の修学旅行がありました。二年生から三年生への時期になりますね。修学旅行が奈良京都。二泊三日、夜行列車で・・・・もちろん機関車牽引の客車列車で、四日目の朝に東京に戻って来るのです。勉強が出来なかったから、学校生活は結構灰色だったけれど、修学旅行は別。オマケに私鉄大国の関西と来ては、楽しい旅になりました。

pencil-blue.gif 京都見物はお定まりのコースではありましたが、途中に、二条城見学。そこで、少々、脱線。向こうに見える「N電」を写しました。堀川線(北野線)・・・・10系統。

 京都市電堀川線:北野線:N電・1955年3月 

 そんな訳で、二条城まえのN電です。ご覧の通り、前回訪問・・・・たった7ヶ月前に車体に描かれていた車番から「Nの文字」がなくなっている。標準軌にも1形が居て、区別の為のNの字だったようで、それで止めたのかも知れませんし、そうで無いかも知れない。まあ、いいか・・・・と、その辺の探索はやめにします。・・・・ともかく、「Nの無いN電」の写真を少々。

(1) 二条城の前辺りからの眺めなのでしょう。堀川の向こうを電車が行きます。鉄道好きの仲間も、同級に何人か居ましたので、きっと、皆で、大はしゃぎだったと思われます。ナンバーは読めません。手前に砂利の山がありまして、なにやら工事中のようです。
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(2) 堀川ばたまで来て写す。ナンバーは「9」。ダブルルーフ、オープンデッキ、手ブレーキのポールカーが、いかにも「京都」って風景の中を走ります。
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(3) こんどは「10」が北野へ向かう。停留所も近いのでしょう、デッキにはソフトをアタマに乗せた紳士が待機中です。
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(4) 「二条城前」電停に停車中の「23」北野行
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(5) 「23」と「27」・・・・もう何秒か早くシャターを切れば良かったんですが・・・・少々27のアタマが電柱にかかりました。堀川の上流、遠方には山の影が霞み、あぶなっかしい停留所、和服の女性、古い町屋・・・・京都って写真になったのに、惜しい事でした。(笑)
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coffee.gif 前回と、今回、N電写真は、これっきりです。この6年後、1961年・昭和36年7月末で、この堀川線は廃止されてしまいました。何度だって行くチャンスはあったのですが、写しに行きませんでした。今考えると、ほんとに残念だったなあと思うのです。
 これにて、お仕舞いと致します。では、また!!


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