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江ノ電昭和風景(2)腰越 [むかし噺(1)]

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pencil-green.gif 今日は9月最後の日、いよいよ明日から10月です。今年も残り3ヶ月云う事に・・・・・。
 9月26日付の「再録:江ノ電他昭和風景1959」が、再度使用の画像の部分拡大方式にも関わらず、関心を持っていただけたようで、沢山のコメントを頂戴いたしました。
 で、図に乗って、「柳の下の二尾め、三尾め・・・・」で、「部分拡大方式による江ノ電昭和写真シリーズ」を、お出掛けルポの「お出掛け通信」の間に挟んで、暫くの間、ご覧頂きます。

■■■ 江ノ電昭和風景(2)腰越 ■■■

pencil-green.gif 頃は、1962年・昭和37年9月のある日、鉄道好きの友人たちと、江ノ電撮影会鵠沼、湘南海岸公園、江ノ島、腰越と歩いたわけですが、今回は「腰越編」で、腰越駅辺りで撮影した4駒のネガに残る昭和風景を・・・・・10駒に水増しました。では、どうぞ!!!

(1-0) 神戸橋(確か、『ごうどばし』だったと思います)から、腰越駅を望んでいます。電車の停まって居るところが、ご存知、腰越駅
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(1-1) 腰越駅辺りを拡大してみましょう。電車は501+551。半流線型にしてポール電車・・・・現在の新500よりも、ずっとカッコよかったと思う私。道路・線路に挟まれた突端部分に位置する牛乳屋さんの看板の上に、腰越駅の案内板がみえますね。
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(1-2) 神戸橋と腰越駅に挟まれた、大正か昭和初期の建造と思いますし、現在あるかどうかも判りませんが、素敵な二階家があります。この、神戸橋の現在の姿は、親柱は無くなり、欄干もすっかり様変わりしました。神戸橋の親柱・・・・最近の橋って親柱が無いのが殆どのようです・・・・が自動車の接触でしょうか、大きく壊れております
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(1-3) 神戸橋の親柱の脇には、海岸沿いの有料道路と、旧来の道路との案内標識がありますが、控えめすぎて、ドライバーさんに見えるのか、少々、心配。左へ曲がって、手広、深沢経由で鎌倉へ行くのでしょうか・・・・遠いなあ。海岸に沿った有料道路は、いつの間にか、無料になって居りました。
 このお尻だけ見えてる乗用車ですが、車種は何でしょう? 
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(2) (1)の写真の真ん中に写っていた501+551が発車して、神戸橋を渡る。この電車、確かクロスシートだった記憶があります。そのシートは全車か一部か、忘れましたが・・・・。
 なんと、素敵なデザインでしょう!現代の500も越えられない素晴らしさではないかと私は思うのです。おまけに、ポール集電ですよ!
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(3-0) (2)の後姿です。腰越の商店街の通りは、広さは変わりませんが、雰囲気はかなり変わりました。
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(3-1) 電車部分をクロースアップしてみました。
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(4-0) 腰越駅の眺めです。線路の位置は変わっていないと思いますが、現在はどうなっているのか気になります。近いうちに、調査隊を派遣せねばなりません。
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(4-1) (4-0)の腰越駅を中心とした部分拡大。電車は、たぶん305+355でしょう。
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(4-2) お店の部分を拡大してみました。何だか、懐かしい空気が満ちているようです。
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pencil-green.gif 昭和37年9月、ある日の江ノ電腰越駅辺りのスケッチでありました。

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 現在の腰越駅周辺なのですが、写真を探したのですが、無いのです。なんと、2006年7月が、最後の腰越駅利用。判りにくいのですが、そのときの写真がありましたので、追加致しました。
 警報機が付き、牛乳屋さんがありません。
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coffee.gif 如何でしたでしょうか・・・・・・。次回の昭和風景は江ノ島駅付近「龍口寺前」を予定しております。


タグ:江ノ電

再録:江ノ電他昭和風景1959 [むかし噺(1)]

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pen-pc.gif 9月22日付の当ブログ、お出掛け通信の336号で、三浦海岸からの帰り道、鎌倉から江ノ島まで乗った江ノ電を採り上げたところ、多くのコメントを頂戴致し、読者の皆様、江ノ電をこよなく愛しておられるんだなあ・・・・と、思いました。

 そこで、良い機会なので、江ノ電・昭和34年の思い出写真を・・・・と、いっても以前、このブログや更に以前、ホームページで紹介済みの写真ですが、その元画像の部分拡大等で、お楽しみ頂こうと思います。

■■■ 再録:江ノ電他昭和風景1959 ■■■

■■ 江ノ電・江ノ島駅前 ■■

(1) 1959年・昭和34年11月、江ノ電、初乗り。鎌倉を振り出しに、藤沢駅まで。このときの江ノ電江ノ島駅。カメラを構える私の背後方面が江ノ島になります。のどかなもので、ローカル電車の駅前風景ですが、車輌だけは、吊り掛けながら最新式の500形
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(2) 踏切辺りを拡大しました。当時の江ノ電の社名は「江ノ島鎌倉観光㈱」でありました。電車の向こうに火の見櫓が見えます。湘南モノレールの江の島駅辺りになるのでしょうか・・・・・。クリーニング店の配達自転車の布製の大型バッグ。いまでも使っているお店も多いのかもしれませんが、懐かしく感じられます。このタイプのポストは、角型ポストに押されては居ますが、まだまだ各所で見られます。但し、この江ノ電駅前にあるかどうかは、注意力不足の私、よく判りません。
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(3) 右側の食堂の看板です。嘘のようなお値段ですね。当時、私の通ってた大学の近く、御馴染みのラーメン屋さんでは、ラーメンは35円でした。
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pencil-red.gif このツアーの締めくくりの江ノ電・藤沢駅を出て国鉄東海道本線の藤沢駅上り方面に隣接する踏切が閉まりました。列車が来るようです。
 ・・・・・やって来たのは、国鉄の看板特急電車「こだま」でした。私も運が良い!!

■■ 国鉄東海道本線特急こだま号通過 ■■

(4) 上りの特急第一こだまです。現在、この踏み切りはありませんが、場所は判ります。
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(5) 電車の頭の部分を拡大してみましょう。自転車の方が多いですね。このトラックのメーカーは何処でしょう?そういえば、最近、こういうタイプのトラック、あまり見かけません。
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(6) 線路の向こうのアーチは「時宗総本山遊行寺」。ここから遊行寺まで直線距離で1.1km。踏み切りに接して、昔風の建物が・・・・。
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(7) 画像を追加しました。藤沢駅の踏切脇に停めてあるオートバイの拡大画像です。
 
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coffee.gif 昭和34年と言いますと、今を去る50年、まるっきり変わってしまった藤沢駅付近と較べると、江ノ電江ノ島駅辺り、変わったといえば変わってますが、古い建築物もかなり残っている様です。

 では、また!!!!


特急こだま号熱海駅通過1960年 [むかし噺(1)]

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pen-para.gif 今日も昔話を致しましょう。1960年3月、私は東海道本線・東京駅発5時56分の大阪行き普通列車・123列車に乗って「藤枝」「袋井」に、私の好きな軽便鉄道・静岡鉄道駿遠線を撮影に行きました。このとき、東海道本線の各駅のスナップを最低一枚写したのですが、その写真は、このブログがスタートした2006年5月頃に連載しました。このとき、熱海駅で、第一こだま号に追い抜きされたのですが、今回のブログは、そのときの写真を並べましょう。

■■■ 特急第一こだま号熱海駅通過 ■■■

(1) 熱海駅着8時14分。発車が8時28分と14分も停車します。東京駅を7時に出てくる特急こだま号に抜かれるのです。向こうに伊東線のクハ76の顔が見えます。
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(2) 伊東線の電車を拡大してみました。オリンパスペンでの撮影ですから、かなり苦しい画像になってしまいました。
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(3) やがて、東京側から、こだま号が現れました。この頃には、クハ26は既にクハ151と呼び名を変えておりました。右側には貨物側線があって、オート三輪で荷役が行われているのが見えます。そんな、時代でありました。
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(4) オート三輪の周辺を拡大してみました。こんな光景は普通に見られたのですが、あっという間に、貨物輸送そのものが大変化してしまいました。
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(5) こだま号の雄姿。このショットだけは、オリンパスペンではなく、ミノルタセミPのブローニーフィルムで撮影してありました。最高速が200分の1秒ですから、手前側はかなりブレました。連結器カバーの突出もなく、キャブの屋根上もすっきりした初期の姿です。
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(6) 熱海駅入口には、伝統的スタイルの信号所があります。
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(7) そして、ポイントは、電気式でも、電空式でもなく、操作レバー、梃子とロッドによる、これまた伝統的な姿でした。現在は、こういうタイプのポイントって、まだ、残っているのでしょうか・・・・・・。
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(8) 通過してゆく、こだま号。編成の最後尾が見えてきました。
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(9) 退避中の123列車を追い抜いて、こだま号は通過してゆきました。後部の前照灯には、事故などの時、後方防護用の赤いフィルタが取り付けられてています。
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(10) 123列車の最後尾、スハフ32。ダブルルーフに、アンチクライマー、そして、暖房用蒸気の排気の白色がたまりませんね。
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pen-pc.gif これは、オマケです。

(11) 何処の駅か忘れましたが、沼津を過ぎ、愛鷹山の向こうに富士の姿が・・・・・この富士の見え方だと、原駅辺りと思われます。写真はブレていますが、シャープネスで誤魔化して・・・・・・・。 このオジサンは、知らない方です。窓ガラスの角が丸いですが、乗っているのはスハフ42です。
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 このときの旅行記は、2006年のブログを再編集し、ホームページ「むーさんの鉄道風景」にて公開しております。お時間が御座いましたらご覧頂くと、1960年の汽車旅の一部ですが、見えます。
pen-pc.gif http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link1211.html

coffee.gif こんなところで、今日のブログはお仕舞いです。またね~!!!


阪急1954年:暗い写真と格闘 [むかし噺(1)]

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pencil-red.gif 今日も昔の関西電車写真です。前回、阪急電車が出ましたが、その旅の時に写した、二駒の暗い環境での写真を二枚。
 時は、1954年・昭和29年8月の事でした。宝塚から国鉄福知山線で大阪に到着。阪急で京都に向かいました。

■■■ 阪急1954年:暗い写真 ■■■

pen-pc.gif 暗い写真と言っても、露出関係で暗いという意味ですけど・・・・。 なんとか、普通っぽく見えるようにならないかと、フォトショップエレメンツ2.0で奮闘努力・・・・結局、敗退してしまいました。「おととい来いっ!」とか「出直しておいで!」と、門前払いの感がありますね。でも、図々しく、ブログのネタにしてしまいました。ゴメンナサイ!!

(1) 木造、ダブルルーフ、三扉の電車が梅田駅に居ました。75形と言うのだそうです。近鉄や京阪に親類が居そうな電車でありました。
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(2) 後半分が暗くってよく見えないので、いじってみました。多少は見えるようになったのですが、かなり汚れた感じになってしまいました。戸袋窓に磨りガラスが入っているのは流石阪急。改めてみる旧梅田駅のドーム屋根の鉄骨がスゴいですね。
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(3) 梅田から乗ってきた急行は、あの、憧れのデイ100でありました。急行運用で、途中、山崎辺りで特急つばめ号を追い抜いたという話を彷彿とさせる走りを体験することも無く、ちょっぴり居眠りなんかもして、終点の京都駅に到着しました。いま、Wikipediaで見るまで、四条大宮駅とか、大宮駅と思っておりましたが、昭和29年と言うと、京阪神京都駅と呼ばれていたようです。・・・・・知らなかった!
 車中で居眠りの習慣は、現在も更に重症化して続いております(笑)。
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(4) ASA感度50のネオパンSか、ASA100のネオパンSSだったと思いますが、F3.5のレンズなので1秒くらい掛けたと思います。手持ちにしては、少年む~さんは、良くやったと思いますが、衝撃の少ないレンズシャッターカメラだったから良かったのでしょう。今だったら、とても出来ませんね。
 この暗さをなんとかしてみようと、頑張った結果は、これまた、無残な敗退。(3)より、もう少しマシになるかと思いましたが、こんあ感じでした。顔だけなら何とかなるかもしれません。
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(5) 顔だけでも・・・・と更に頑張ってはみたものの、こんな程度で終わりました。
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pen-pc.gif 結局は、ノイズを浮き上がらせただけと云う事になりましたね。とほほ・・・ですね。 

coffee.gif では、また、次回お目にかかりましょう。


タグ:阪急

国鉄福知山線1954年 [むかし噺(1)]

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pencil-red.gif 今日も、お出掛けルポはありませんので、昔の写真など並べてみましょう。
 ・・・・・その前にちょっと。

(1) 玄関脇に花を楽しむための桃の鉢植えが置いてあるのですが、なっている実が随分大きくなりました。直径5cmはあるでしょう。先端がちょっととんがっています。もうじき色づいて来る事でしょう。以前、うちのパートナーさんが齧ってみたら甘かったとのことですが、私は未体験。上は、今年の3月27日の写真で、下は今朝写したものです。
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(2) そして、ご近所から赤く色づいた唐辛子を頂きました。青いのもあります。あんまり、綺麗なので笊に並べて写真を撮りました。
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pen-pc.gif さて、本題です。久しぶりの関西ネタ・・・・・。

pencil-red.gif 55年も昔のことです・・・・・・・。で、その前にちょっと。この福知山線の写真、以前、このブログに出したような気もします。ひょっとしたら、某SNSかもしれませんが、ホームページ以外のところで、公開した記憶が無いでもない。この、So-netブログのブログ内検索を掛けても出てこないので、「え~い!構わないから出しちゃえ!」と云う事で、発車してしまいます。
 気付いた方がいらっしゃっても、我が記憶力に自信を失いますので、そっとして置いてくださいね(笑)(笑)。

■■■ 国鉄福知山線:1954年 ■■■

pencil-red.gif 時は1954年・昭和29年の夏8月、高校二年生の少年む~さんは、西宮市在住の兄を頼って約10日間の関西電車巡りの旅。三日目の8月13日の事でした。この日は、阪急今津線の西今津駅から宝塚へ向かいました。宝塚駅で数枚写し、ちょっと梅田方向に歩きます。

(3) 阪急宝塚線が国鉄福知山線を越えた辺り、現在の川面3丁目辺りでしょうか、たった一枚、これは、300形ですか・・・・を写しました。丸屋根のお椀形通風器と、ダブルルーフのトレーラーが素敵ですね。
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(4) さて、国鉄の福知山線で大阪に向かおうと、宝塚駅へ。やって来たのは、最新式の液体式気動車キハ45000です。のちのキハ17ですね。実にスマートで素敵に見えたものですが、室内のシートには少々・・・・・狭いし、背摺りは低いし、ビニール貼りだし・・・・。最前部に張り付きます。何駅でしょうか、場内信号機が見えております。
 さあ、皆さん、何処の当たりかお判りですか??クイズのつもりでご覧下さい。田圃の向こうに民家が少々、左奥には山が見えたりします。
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(5) これも何処だか分かりません。日差しからみて後方を見ているようです。これも、クイズのつもりで、考えてみてください。ただ、現在の風景とは、かなり違うと思いますが・・・・・。
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(6) 駅に着きました。ここは川西池田駅だと思います。そうですよね?!だとすると、当時は、能勢電が来ていたはずですが、当時の私は知りませんでした。向こうが宝塚方面です。
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(7) 例によって部分拡大してみましょう。ブリッジの煤で黒くなっているのはお馴染みの眺めですが、跨線橋の親柱というのでしょうか、柱が昔風に見えますね。駅のお客さんのファッションも、昭和20年代末ですね。かなりのお客さんが乗るようです。
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(8) 前方を見てみましょう。蒸気機関車牽引の旅客列車の到着です。(6)・(7)でお客さんが写っているわけです。
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(9) 拡大です。蒸気機関車はC54です。駅員さんの右手が上がっているのは通票を受け取るためでしょうか。日陰からお客さんたちが、乗車のために出て来はじめました。左へ分岐する線路は、どこかの工場への引込み線でしょうか
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(10) そして、私乗った気動車は快走・快走、また快走、無事に大阪着。回送されてゆくキハ45000×5の美しい編成。ブルーとベージュの登場時のいろは、後の、オレンジとベージュ、赤一色よりも、遥かに素敵な色でありました。
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coffee.gif (3)と、(10)の写真はほぼ間違いなくブログに出した記憶があります。ま、ダブったら、笑って見逃してやってくださいね。

 では、また、次回に!!!!


つばめ号とこだま号1958年 [むかし噺(1)]

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pen-pc.gif 今日は昔話です。1958年・昭和33年の10月と記されているセミ版のネガカバーに入っていたフィルム。カメラはミノルタセミPというブローニーフィルムの廉価版スプリングカメラです。距離合わせは目測で手で前玉を回転させて距離目盛を合わせる。目測の下手な私は接近して写すときなど、しょっちゅうピンボケを作っておりました。

■■■ つばめ号 と こだま号:1958年 ■■■

pencil-red.gif 頃は、1958年10月末、たぶん私は上りの特急つばめ号を撮りに東海道本線、六郷の鉄橋へやってきたようです。夕方でオマケに曇りのようで、多分、F4.5開放で25分の1秒だったと思われます。当時のフィルムはエッジにフィルムの規格など入っていませんでしたから・・・・ま、ネオパンSSか何かだったのでしょう。

(1) 見事な露出不足、普通に焼けば真っ黒け。私の好きだった三菱の月光V4で焼いたりしたのかなあ・・・。
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(2) で、フォトショップでいじってみました。EF58~スハニ35~スハ44・・・・・・・前照灯も点灯されています。
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(3) 列車の前の方を拡大してみました。03-5810_tsubame.jpg

(4) 更に拡大。最初はデッキ付きだったEF58の流線型タイプは、好き好き![揺れるハート]って機関車ではなかったのですが、いま、こうして見ていると、悪くないですね・・・・と、いうか実にいい味です。
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pencil-red.gif さて、同じフィルムに、この写真も入っていました。ビジネス特急こだま号。 1958年11月1日が、こだま号の初日ですから、11月に入って何日も経っていなかったと思います

(5) 特急こだま号・・・・さあ、何処の駅でしょう?格好良いですね~、オデコのライトの両側はマーカーライトがあるだけで、警笛もありません。連結器も飛び出して居らず、じつにいい姿です。
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(6) ここは品川駅みたいです。東海道上りホーム。向こうのホームは京浜東北だと思われます。時計は13時44分を指しています。と云う事は、この「こだま号」は神戸駅を6時30分~大阪7時00分に出てきて、東京駅着13時50分と言う事になるはずです。この頃の途中停車駅は、京都・名古屋・横浜ですから、新幹線スタート時のひかり号みたいですね。
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(7) お母さんと子供が通過を見ています。この子、果たして鉄道ファンになったでしょうか・・・・・(そうあって欲しいですね)。
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pencil-red.gif オマケです。同じフィルムに入っていました。 

(8) 地下鉄丸の内線です。1954年に池袋~御茶ノ水間が開業し、淡路町、東京、西銀座と延びてきた丸の内線。この年、1958年10月には、霞ヶ関まで延長されまして、ここは霞ヶ関駅。電車は、400でしょうか?500でしょうか?ここ霞ヶ関駅、天井が高くって圧迫感が少ないですね。
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coffee.gif ・・・・と言うところで今日のブログはお仕舞いです。今度は何を出そうかなあと考え中で、ちょっとネタ切れしています。ま、今まで何とかなって来たんだし、何とかなるでしょう。
 では、また次回にお目にかかりましょう!!!


今回はクイズ仕立てです [むかし噺(1)]

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pencil-red.gif 「お出かけ通信」が続きました。今日は新鮮ネタがありませんので、古い画像をちょっとご覧下さい。
 ・・・・・で、クイズです

何処でしょう?

(1) いきなり、神社です。これじゃあ殆どの方が???だと思います。時は1962年・昭和37年の11月
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(2) 神社の鳥居をくぐり、階段を登ったところで振り返ると、こんな田園風景が展開しています。4両編成の電車が走っています。分かる方でしたら、ははあ!XXX電鉄、何処の辺り・・・とお判りのことでしょう。
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ya-r1-down.gif 勿体をつけずに、答えを書いてしまいましょう。
 下へスクロールしてください。
 
答えを見たくないと仰る方もいらっしゃいましょう。・・・・・で、こんな形にしました。

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矢印アイコンが多くって申し訳ありませんが、改行がうまく行かないので、煩いでしょうがこんな方式となりました。

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 答えは・・・・・・

 東京急行電鉄・東横線の日吉駅を出た電車が、綱島駅に向かい、坂を下るあたりの右側、諏訪神社です。

(3) 国土地理院の2万5千分の1地形図だと、ここです。赤の矢印!
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(国土地理院二万五千分の1地形図より)


quiz-1sec.gif 此処で、クイズの本番です。問題は、(2)の写真の電車なのです。拡大してみます。

(4) この4両の電車の形式を当ててください。左端の電動車、中の二両の電動車、右端の制御車です。
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(5) 左の二両を更に拡大。一見同じに見えますが、ベンチレータが違いますし、床下もちょっと違うようです。
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お答えは、「コメント欄」にお願いいたします。前回もクイズもそうでしたが、賞品は出ません。(笑)

coffee.gif 実は・・・・・私も分からないのです。XXXX+XXXX+XXXX+XXXXかな?程度しか分からないと言うのが実情でして・・・・。
 すみません!!!! 


私鉄を走った63形電車 [むかし噺(1)]

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pencil-red.gif 今日は、国鉄の63形電車のお話です。終戦間近の1944年から1951年まで、戦中戦後の都市近郊輸送に供するため大量生産されました。物資不足で、電装できない車両があったりしたようですが、何しろ私は、国民学校。小学校の下級生だったので、良くわかりません。
 想い出は、あれは、何年ごろだったのでしょうか、昭和25年ごろだったと思われるのですが、中央線の与瀬駅(今の、相模湖駅)近くの相模湖の発電所の見学に行く父に付いて行きました。ED17の牽く客車列車で行ったような記憶が一寸あります。その帰り道、淺川駅から、中央線電車に乗りました。いまの、高尾駅ですね。そこで乗ったのが、63形電車だったのです。最新式の電車で、三段の窓が珍しかったので、大はしゃぎで、三段窓の上の窓から外を見たり、下の窓から首を出そうとしたりしました。
 そして、あの1951年の、桜木町事件。多数の焼死者を出したこの事故、電車の構造上の問題で発生した火災、そして窓の開口部が小さく脱出不能だったこと、貫通通路の問題もあり、大惨事となりました。小学生だった私に、あの日の、「サン写真新聞」の第一面の現場写真は、未だに忘れられない、悲惨な記憶を残しました。
 直ぐに、大改造が始まり、三年掛かって終了、形式も73形となったそうです。そんな、63形に関しては、Wikipediaの「国鉄63形電車」に詳しいので、ご参照ください。

pencil-red.gif さて、戦後直ぐの事、地方私鉄の車両不足を補うため、大手私鉄から車両を捻出させて地方私鉄にまわし、その代償として、新製のモハ63を優先して供給するという事がありました。1946年頃のことだったようです。

・東武: 6300
・東急→小田急: 1800
・東急→相模鉄道: 3000
・名鉄: 3700
・近鉄→南海: 1501
・山陽: 800

・・・・・なのだそうです。そんな電車たち、私も何枚かを写しております。全てを写していないのが、む~さんらしいと言えば、その通り!名鉄と、山陽の63形の写真はありません。とほほほ・・・です。

■■■ 私鉄に行った国鉄63形電車 ■■■

pencil-red.gif 先ずは、国鉄の63形のその後の姿。 

(1) 国鉄の京浜東北、クハ79を先頭に、鶴見行き電車。東海道本線の急行列車から・・・・。1954年の夏、窓は、ご覧の通り、広く開いています。ケロリンの大看板が妙に懐かしいです。
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(2) 年月は流れ、1966年国鉄横浜線原町田駅で、八王子行きのクモハ73。
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pencil-red.gif  次に私鉄版63形・・・・・・。

(3) 小田急です。1954年、経堂の車庫に居るデハ1809+クハ1859。オデコの通風器がインパクトあります。
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(4) 同じく小田急ですが、1966年です。車体がリニューアルされた、クハ1853+デハ1803+クハ1855+デハ1805・・・・と、推測されます。
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(5) 先日、このブログでもお目に掛けた、東武です。東上線の池袋駅1954年の撮影で、この頃の形式は6300だったか、7300になっていたか、良くわかりません。
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(6) 1962年相模鉄道の3000です。車体は、オデコの通風気も残り、如何にも63形って感じですが、台車は履き換えられています。
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(7) 1954年に関西に行った時の写真。これは、南海電車住吉公園駅のモ1501で、浜寺行きの急行。屋根の「ヘ」の字の水切りが目立ちます。オデコに、羽車に翼の南海マークをつけた写真を見たような気がしますが、記憶違いでしょうか・・・。
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pencil-red.gif このブログ作成に当たって、貴重なアドバイスを頂き、さらに鉄道ピクトリアルなどの資料をご提供くださった、はーさんに感謝の意を表します。有難う御座居ました。

coffee.gif もっと、沢山の「私鉄63形」の写真があると良いのですが、これしかないとは、残念!

 では、次回!!!


出発式東京駅58・60・64年 [むかし噺(1)]

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pencil-red.gif 今回は、日本国有鉄道・JR東京駅で、昔、行われた式典について、既に発表済みの写真ですが、並べようと選んでみました。
 特急の出発式・・・・・・
 1958年・昭和33年、ビジネス特急こだま号
 1960年・昭和35年、電車化特急つばめ号
 1964年・昭和39年、新幹線超特急ひかり号
 ・・・・・・です。


■■■ 出発式・東京駅1958・60・64年 ■■■

pencil-red.gif 最初は、東京~大阪間で日帰り可能のビジネス特急こだま号。 

(1) 1958年・昭和33年11月1日、東京駅15番線。ビジネス特急第一こだま号。20系8両編成の特急電車は、最新鋭。いや~、見ただけで早そう!!!まだ、おおらかな時代で、こんな所まではみ出しても、許された時代。
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(2) ホームではブラスバンドが演奏している。このページに出ているバンドのユニフォームでは一番、凛々しくって好き。
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pencil-red.gif 1960年・昭和35年6月1日EF58牽引の、一等展望車の付いた客車列車だった、つばめ号がこの日から151系電車に・・・・・。 

(3) 「9時00分発 二三等 特別急行 第一つばめ」の発車も近い。電車も付属品が増えて顔つきが変わりました。しかも先頭車両は、二等制御車でコンパートメント付きのパーラーカー。食堂車も付いて最上級列車の装備も完備です。
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(4) 式典の準備中。演奏するバンドの楽員方の制服も一寸変わったみたい・・・・。野次馬も少なく、一般人でも、まだまだ、ここまで入れました。
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(5) 客室サービスの方たちでしょうか・・・・カッコ良いですね~!チーフらしい方の腕章の文字は読み取れませんでした。
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pencil-red.gif 1964年・昭和39年10月1日・・・・東京オリンピック直前でした。夢の超特急、新幹線、東京~新大阪間開業。私でも、カラーフィルムが、普通に使えるようになった時代。

(6) このエリアに、一般人は入れません。まずはお隣のホームから・・・・・。
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(7) 新幹線のホームまでは入れましたが、式典の行われる最前部へは、報道以外は近づけません。愛機、ミノルタALを頭上にかざしてシャッターを切ったようです。
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(8) 出発も近い・・・・ブラスバンドが盛り上げてます。6時00分発、超特急ひかり1号
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(9) ブラスバンド部分を拡大。楽員さんたちのユニホームも明るい色となりました。ビジネス特急こだま号のとき、電車化ツバメ号のときと、同じバンドでしょうか・・・・私は、いまも、国鉄のブラスバンドだと思っているんもですが、よくよく考えたら、外部のバンドかもしれません。何方か、このあたりの事情をご存知でしたら、お教えください。
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 なにしろ、超特急ひかり号だったら、東京駅から新大阪駅まで、たった4時間しかかかりません。ホームには「最高時速200km 世紀の超特急 東京大阪間4時間」という看板がかかっておりました。

icon-tsuika-blink.gificon-tsuika-blink.gif 開業日に撮った東京駅の発車時刻表です。ボケボケですがご容赦ください。

■■■■■ 赤字・RED LETTER=超特急・SUPER EXP. そして、黒字・BLACK LETTER=特急・LTD EXP.と読み取れます。
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pen-pc.gif 超特急ひかり号が走り始めてから、今年で45年、年月の流れは早いものです。

coffee.gif では、今夜はこの辺で失礼致します。


東急1955年急行復活:期待外れ [むかし噺(1)]

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pen-para.gif 雨の日が続きますね~、冬物は皆仕舞っちゃったし、寒いというほどではありませんが、参ってしまいます。

 東急1955年:急行運転復活の東横線  

 今日も、昔話を致しましょう。1955年・昭和30年4月、私は高校三年生。皆、そんな格好だったんですが、丸坊主の頭に、詰襟の制服・・・・は、良いんだけれど、私はデブでね・・・これがコンプレックス。そんな鉄道少年は、前年の夏には関西電車乗り歩き10日間、この写真の寸前には、修学旅行で京都奈良、自由時間に京阪、阪神、阪急で、神戸まで往復したわけで、
関西の、快速疾走爆走電車に慣れちゃってる。
 速い関東私鉄というと京浜急行しか知らなかった私。そこへ、東京急行電鉄東横線に急行運転復活って話です。私のj記憶では私が中学生の頃、急行運転が戦後初めて始まり、一旦、中止されていたのが、再開ということのようでした、
 それ~っと、オリンパス35-Ⅳを肩に斜めがけにして、自転車で急行通過駅の東横線・新丸子駅にやってきました。
 あ、そうそう、その頃の新丸子駅は地平にありまして、多摩川の砂利採取の側線がありました。渋谷からの当駅折り返しの引き上げ線だった有ったのです。

(1) 桜木町方向から急行電車が来ました。私の作ったイメージでは、高速で、地響きを立てて、抜けるように疾走してゆく筈だったのですが・・・・・ゆっくりと、新丸子駅を通過して、多摩川の鉄橋、渋谷方面へ走ってゆきました。一寸前に体験した、あの素晴らしかった関西の電車たちに、やっと追いつくんだ!と、夢想していた鉄道少年む~さんの落胆をご想像ください。
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(2) (1)の拡大です。
 ・・・・・ま、それはそれとして、最後尾の電車、クハ3670形3672、国電からの改造車で、鉄道ピクトリアル誌によれば、国電モハ30025だったんだそうです。側板は波打って、リベットも並んだクハでした。フォトショップでちょっと、暗めに加工したら、サボも、ナンバーも読めるようになりました。
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(3) これも、(1)の拡大。
 クハ3672の右後方、何軒かの商店、赤ちゃんおんぶのお母さん、孫の手を引くお祖母ちゃん、電柱の看板は、新丸子三業地のものでしょうか、はたまた、温泉マーク(ご存知ですか?)でしょうか・・・・・。
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(4) (1)の左側の拡大。
 急行の前2両は、デハ3700+デハ3700です。当時、私の一番のお気に入り。今回、写真は有りませんがデハ5000の急行もあったのです。
 多摩川橋梁からの坂を下って、桜木町行きの急行がやってくるのが、小さく写っています。先頭はクハ3750、たぶん電動車はデハ3700×2で、美しい編成でした。
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(5) おそらく、(4)の急行電車だったと思われますが、違うかもしれません。桜木町行きの急行で、クハ3750+デハ3700+デハ3700。良いですね~、カッコ良いですね~、こんなのが80~90km/hくらいで通過したら、もっと素敵なのですが・・・・。
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(6) (5)の拡大。
 先頭車はクハ3754ですね。急行のサボは白地に赤枠、赤文字
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(7) さて、多摩川を東京側に渡って、多摩川園前駅のそばの多摩川橋梁です。浅間様の裏あたりですね。
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(8) (7)を拡大してみました。
 デハ3703を先頭にやってくる急行ですが、一番後ろのクハはなんでしょう。床の高さもデハ3700よりも少し高く、厚めの屋根は白っぽく見えます。たぶんこれも(1)と同じ、クハ3670形ではないかと思います。
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pen-pc.gif 三駒のネガから、昭和30年当時の東急東横線の急行電車のスケッチでした。


coffee.gif 今から、現在、20m車の10 8連が走る東横線にも、55年昔には、こんなのどかな頃があったのです。
 では、また次回!!!!


タグ:東急 東横線
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