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冬の御殿場線1966 [むかし噺(1)]

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pencil-green.gif 今回は、昔噺です。手近なところで国鉄御殿場線・・・・・・1966年・昭和41年1月の事でした。学生時代からの鉄道ファン仲間と伊豆の某所某旅館にて新年会。その翌日、沼津から御殿場線に乗ったのです。降りたのは「足柄駅」でした。ここから、御殿場方面に歩く・・・・結構、疲れたから、かなりの距離だったと思われます。
 カメラは、ミノルタ・レポだったと思うのですが、オリンパスペンだったかもしれません。フィルムはエクタクローム

(1) 沼津から乗ってきた気動車列車が国府津に向けて出て行きます。貫通ドア前の渡り板には1730の文字・・・・キハ17なのでしょう。パートナーはキハ50でしょうか・・・・・。
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(2) 下車したお客さんが散って行きます。この頃の女性は着物の方が多かったですね。
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(3) 出発信号機は関東地方ではあまり見られなかったタイプ。
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pencil-green.gif この、足柄駅は、御殿場線の起点、国府津から28.9km。箱根の山をバックに御殿場線の列車を撮ろうと、同行の同好の士の皆さんと、御殿場に向けて歩き出す。

(4) どの辺りだか地図を見てもサッパリ判りません。右の下は川らしい。向こうの山は箱根。キハ17一族の気動車の2連が来ました。枯野の中、非電化の単線、東京から遠く離れた地に来たような感覚になってしまうような場所でありました。キロポストが読めたら、場所を決定するデータになるのですが・・・ダメです。なにしろ、ハーフサイズ。
 昔風の通信線・・・・電信柱と言う言葉がぴったりですね。
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(5) 気動車部分だけ拡大してみました。ずらりと並んだ電信柱・・・・壮観です。
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(6) 小田急の乗り入れ気動車が来ました。5000でしょうか?5100でしょうか?サイドが写って居ないので、私には判別出来ません・・・・。右下の方には田圃が見えます。
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(7) ヘッドマークは、ブルーに白線で富士山、黄色の文字は「芙蓉」と読めないでもありません。
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coffee.gif データ不足で、何が何だか判らない記述になりました。申し訳ないことです。
 今から44年昔の、のどかな風景をご覧頂きました。


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横浜市電の単線区間1962年 [むかし噺(1)]

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pencil-green.gif 今日は、ちょっと昔のお話です。1962年12月ですから、まあ半世紀・・・・もう立派な『昔』ですね・・・・横浜に市電が走っていた頃の事です。

 横浜駅前から市電の7系統・中央市場行の市電に乗って国道1号線を東へ、~青木通り~神奈川区役所前、そして神奈川公園前です。7系統の電車はここで、生麦方面への3系統とお別れの分岐で右折します。ここから市電の線路は単線となり、貨物線の下をくぐって万代橋を渡ると終点の中央市場です。

 1962年・昭和37年12月、まだ結婚して二年生の私は、神奈川区六角橋・・・・市電の1、9、11、12系統の終点、六角橋電停の奥の方に住んで居りました。
 そんなある冬の日、愛機ミノルタALを持って電車見物。生麦辺りの東海道の踏切から、東海道本線、横須賀線、国電京浜東北の写真など撮りまして、生麦の電停から市電で神奈川会館前まで来たのです。

pen-pc.gif 以前、一回、書いたような気もするけれど、しかも同じ写真かも知れないけれど、もう、書き出したので勢いが止まりません。今回に備えて、写真の加工も改めてやっているし、まあ、ダブってもご勘弁下さい。視点は多少、変わっている筈ですから・・・・・。 

■■■ 横浜市電の単線区間1962年 ■■■

(1) 高島、桜木町・・・・東横浜でしたっけ?・・・・方面への貨物線の下を、単車500形511が中央市場からやってきました。市電は、いまあmでの下半身ブルー、上半身クリームから、全身クリームに空色の帯に変わっていました。私は、如何も、この、東京都電に似た、お手軽な色が気に入りませんでした。今でも、横浜市電はブルーにクリーム、東京都電はグリーンにクリームと、つぶやいて居るのです。
 グーグルのストリートビューで見たら、この右上の踏み切りも健在でした。もっとも、電化されていますが・・・・。
 あ、そうだ、路面にもご注意ください。角石だか、煉瓦だかが敷き詰められています。
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(2) 電車部分をクロースアップ。そうそう、系統板の下の広告は、「コーエキ」さんが多かったなあ
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(3) ライトバンが気になったので拡大してみました。何でしょう?バックの扉が観音開きです。私にはわからないのでクイズにしてしまいます。(笑)
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(4) 電車はそのまま、神奈川会館前方面に走ってゆきます。昭和30年代の横浜の風景の印象そのままの風景です。私の住んでいた六角橋もこんな感じ。
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(5) 電車部分の拡大です。
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(6) 歩道部分に作られた「屋根」は、私が昭和36年に住むようになった横浜で、もっとも印象付けられたものです。各々の商店が個別で自費で作っていたのではないか?と思っていますが、本当のことは判りません。
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(7) さくら旅館と小林質店の間のビルが神奈川会館だと思われます。この建物は今は無く、神奈川公園という公園となっています。そして、その向こうの国道一号線には高速道路が出来ています。正面の5階建てのビルは何だかわかりません。
 仲良くお尻を並べた軽三輪と軽四輪が可愛いですね。右奥にはオート三輪も居るし、懐かしい自動車風景です。
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coffee_misdo_2.gif こんなところで、今日のブログはオシマイです・・・・では、また!!


タグ:横浜市電
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国鉄・宇高連絡船と宇野線・1959 [むかし噺(1)]

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pencil-green.gif 今回は、昔話です。1959年・昭和34年の8月、国鉄・宇野線のお話です。この年は、7月から8月の二ヶ月間に、四国・高知県に二度行って居ります。一回目は、鉄道探訪の旅、二度目は、老齢の親戚のご婦人を、送っていった、いわば、公用の旅でした。
 今回のお話はその二回目の帰り道です。

■■■ 国鉄・宇高連絡船と宇野線 ■■■

 帰り道は寄り道をせずに、真っ直ぐに帰京するつもりで、宇野からは急行瀬戸号:24列車:宇野発16時16分、6東京着翌朝7時10分、に乗ろうと言うのです。高知駅から高松桟橋駅までは、何に乗ったんでしょう。たぶん、各停の・・・・勿論、客車列車に乗ったようです。瀬戸連絡の連絡船よりも一便早い船に乗りました。

(1) 瀬戸の海です。この山の姿は、本州側と思われます。
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(2) 連絡船は、宇野に到着。接岸作業中。乗客たちは、既にタラップ近くに集まって居ります。
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(3) 一便早く着いたので、余裕で急行瀬戸の最後尾の三等車に座席を確保しました。今日は、連絡船から列車までのマラソン風景を記録しようと、通路で待ちました。次の連絡船が到着し、もう、皆さん、。真剣な表情で早足でやって参ります。いい座席が確保できなかったら、翌朝まで、寝る事だって出来ませんから、みんな真剣です
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(4) 宇野駅構内の風景。樹の少ない白っぽい山には、巨石が置いたように並び、不思議な風景を形作って居ります。
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(5) (4)の入換機関車を拡大してみましょう。8620で、次位に控車・・・・・・・。
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(6) 急行瀬戸号宇野線の田圃の中を行きます。単線の線路を長大客車列車がのんびり行く眺めは、結構なものでした。
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(7) 列車のサイドを拡大してみましょう。友人MO様に教えて頂いたのですが、このときの編成は、機関車~三等車×6~食堂車~三等寝台車×2~特別二等車×2~二等寝台車~三等車~この後に荷物車との事でした。ハネの窓の形状が異様ですが、当時の三等寝台車は冷房が無く、開いた窓のガイド部が陽を浴びて光っているのでしょう。真夏の汽車旅は、窓全開、しかも蒸気機関車牽引、快適どころか、シンダは眼に入るわ、煤で顔が黒くなるわで、かいた汗が乾いてベタベタになるわで、大変なものでした。現代の、各停でもエアコンのある列車で旅が出来る、当時から見たら、嘘みたいです。
 ・・・・・そういえば、この列車の機関車、何だったんでしょうね。

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coffee.gif そんなこんなで、翌朝、東京着。旅は終わったようです。MO様、急行瀬戸の情報、感謝です。
 ・・・・・・・では、また!!!


タグ:連絡船 国鉄
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(続)大阪梅田:市電風景1954年 [むかし噺(1)]

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前回の「大阪梅田:市電風景1954年」の続編です。同時に何枚かの大阪市電を撮ってありました。その大阪市電たちを、ご覧下さい。なにせ、世間知らずの16歳少年一人旅ゆえ、広い大阪、大量の市電車輌たちを網羅はおろか、そのほんの一部分だけですので、お許し下さい。

 ホームページで公開中の、1954年・昭和29年8月の関西旅行のときの写真です。一枚を除いて真横からの写真になってしまいました。

■■■ (続) 大阪梅田:市電風景1954年 ■■■

 1954年・昭和29年8月の中ごろの大阪駅前阪急百貨店の前辺りで写して居ります。

(1) 1949年~50年製造の1801形1812
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(2) 2001形2036。1951~52年の製造。
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(3) 1711形の1721です。1947~48年に製造されたとの事です。
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(4) 2101形の2103。窓から外を見ている子供が可愛い。台車が新しいので調べてみたら1951年に製造されたとの事です
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(5) (1)~(4)とは別の日に野田阪神で写しました。781形782が煉瓦積みの坂道を登ってゆきます。
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(以前、当ブログで公開したものと同じ写真です)

(6) オマケの画像は乗用車。右ハンドル。私には何処の何だかわっぱり判りません
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pen-para.gif この「旅」の往路、東海道本線の切符とか、大阪の電車の切符が残っています。私は、切符のコレクターではないし、たまたま、この旅行の一部の切符が残っているだけなのでが、ついでですから、この機にご披露しましょう。・・・・と、そんなに、大袈裟に言うほどの資料じゃあありませんが・・・・・・。ご参考まで。

(7) 目的地・西宮駅の二つ先(当時)の駅、摂津本山駅までの切符です。同じ運賃だったのかしら・・・・・・。
 東海道を急行列車で下ったのは、8月11日ですから、あらかじめ前日、電車だかバスだかで東京駅まで買いに行ったのでしょう。ご苦労な事です。
 そして、何故か大阪駅で途中下車しています。降りたときの記憶は、勿論、ありません。880円で学割ですから当時は半額、440円か・・・・安いっ!もっとも、この二年先、昭和31年夏、大学一年時代にバイトの時給が@37円50銭だった・・・・・。8時間で300円だったのです。現代と較べて如何なのでしょう。
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(8) 西宮について次の日、大阪まで行くのに、今津駅から阪神電車に乗りました。阪急電車との接続駅なのに、急行は停まりません。不思議でした。
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(9) 梅田から、国電の城東線・天満駅まで歩き、城東線で天王寺まで乗り、地下鉄で梅田、阪急で西宮北口へ戻りました。その時の阪急電車の切符です。(8)の阪神も同様ですが、ペラペラの切符で、区間制だったのが、珍しく感じました。
 窓口で、何区とか、何処駅までというと、スタンプを押して、何枚も続いている「切符の素」から千切ってくれました。
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(10) 地下鉄の回数券ですが、日付が無いので、この時のものかどうか判りません。回数券を買うはずはないし、切符のオバサンから買うはずもありません。後年、友人から頂いたものと思われます。
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coffee.gif では、このあたりで、お終いと致しましょう。
 又、次回!!!!!


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大阪梅田:市電風景1954年 [むかし噺(1)]

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pen-para.gif 前回は、東海は静岡県東部、三島の街景色をお目に掛けましたが、今回は関西電車ネタで行きます。写真歴の長いのに反して、たいした枚数も撮っておらず、生来の無精者ゆえ、整理整頓まるでダメなわけで、あした明日で、数十年・・・・と言うわけ・・・・・。

 ホームページで公開中の、1954年・昭和29年8月の関西旅行の際の写真を二駒、抜き出して、例によって「部分拡大」でお目に掛けます。・・・・・私がホームページ製作をはじめた頃の作品である、そのページには、伝送速度の関係で、小さな画像が並んでおり、画像大型化リニューアル計画中な訳です。・・・・・着手~完成は、何時のことやら少々心配(笑)』。

■■■ 大阪梅田:市電風景1954年 ■■■

pencil-red.gif 私が、高校二年だった夏休み、1954年・昭和29年8月の事です。8月11日(水曜日)に、当時の事ですから、東海道本線を急行で朝から夕方まで掛けて、この関西地区にやってきました。これから、約一週間、京阪神の電車巡りをするのです。
 その第一日め8月12日(木曜日)、西宮のベースキャンプから、阪神電車の急行で、ここ「梅田」にやって来たところです。
 地上に上がれば、阪急百貨店の前です。目の前を、市電が盛んに往き来します。その中で、特異な車体で、目を惹いたのが、この1001形です。デビュー時は、1081形と言ったらしいけれど、ま、その辺は、何時もの私がやるように、アバウトに済ませてしまいます。(済みません!!)

(1) 左に阪急百貨店、右に曽根崎警察署、信号待ちの大阪市電1050
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(2) 見慣れぬ造形に吃驚の少年む~さん。丸屋根で妻側が二段になり、屋根に二列に並んだ通風器が不思議な形状、更に「木造」

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(3) 曽根崎署の左側には大路を跨ぐ日タイボクシングの横断幕。左端の時計と、右端の時計の時刻表示が、大きく違いますが、たぶん左が合ってます。
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(4) バスの形も懐かしいけれど、乗用車が外車ぞろいなのに、いまさらながら驚きます。
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(5) 市電の左側、阪急デパートの前ですね。東京から来た鉄道少年、む~さんには東京ではあまり言わない「XX電車」という表現が珍しかったのです。
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pencil-red.gif これは、(1)~(5)の数日後、難波~住吉公園~南海上町線~梅田と回ったときに、梅田の阪急前で写したものです。二度目の大阪市電との遭遇ですが、よほど1001形はインパクトが強かったのか、また写して居ります。
 右奥のほうが大変な人出です。どうやら8月15日(日曜日)かもしれません。

(6) (1)~(5)と同じく、阪急百貨店前の大阪市電1001形1041です。
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(7) 電車一両分をクロースアップしましょう。妻の屋根形状がよく判ります。ベンチレータが、(1)と違って4×2列になっています。
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(9) 中央ドアまわりを拡大します。窓枠、ドア、車体サイドの縦に並んだ細木の「目」が美しい。
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(9) 後部のドアは使用しておらず、2ドア方式で運転していたようです。屋根の『台』は、元・ポール用でしょうか。
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(10) 電車の右側奥、OSミュージック手前の自動車の車種は、何でしょう?右端の映画の看板は、何でしょうね?その道の達人でしたら一発かもしれません。
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coffee.gif では、この辺りで、失礼致します。


タグ:大阪市電
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昭和の街並み:伊豆箱根鉄道軌道線 [むかし噺(1)]

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pencil-red.gif今日のブログは昔話にしましょう。今を去る、47年の昔1962年・昭和37年1月のお話です。大学を出て社会人になって2年、若かったねえ、私、24歳だよ。
 大学の鉄道研究会の頃からの友人たちと、静岡県三島市と沼津市を結ぶ路面電車、伊豆箱根鉄道の軌道線を見に、乗りに行ったのです。
 この軌道線は、国鉄三島駅から修善寺に至る、伊豆箱根鉄道で次の駅、三島広小路から出ておりました。当時、沼津に近い、国立病院前電停の先、黄瀬川の橋が水害で落ちて、代行バスに連絡していました。

pencil-red.gif この辺りのお話は、ホームページ「む~さんの鉄道風景」に出してあるのですが、このほど、画像の総入れ替え・・・・大型化と、配置換えなどで、見やすくしようと、作業に掛かりました。
 そんなホームページの元画像から、「昭和の街風景」を抜き出してご覧頂きます。

■■■ 伊豆箱根鉄道軌道線:昭和の街並み ■■■

 時は、1962年・昭和37年の1月のことでした。三島広小路駅の辺りの街の眺めをご覧下さい。

(1) 三島広小路駅に近い商店街です。狭い道に面して並ぶ商店、その道路の真ん中を、単線の軌道線電車が行きます。ポール集電の可愛らしい電車、素敵な眺めでしょう?!電車の行先板は、沼津になっています。
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(2) (1)の左部分の拡大です。乗用車の両脇を歩く二人、消防関係の方でしょうか・・・・。
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(3) (1)の右側部分を拡大しました。洋品店、文具店、自転車店、お店の前には、当たり前のように、コンクリート製の「ゴミ箱」
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(4) (1)~(3)と同じ場所の2003年3月の風景です。現在、ここでお店を続けておられる文具店(KOKUYOの看板)の方のお話ですと、(3)の古い建物は、数年前まであったとの事でした。道幅は変わっておりませんでした。
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(5) 沼津方向に一寸歩いた辺りと思われますが、三島広小路方面を見ています。このエリア、商店街という感じではなくなっています。沼津行の202がやって来ました。
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(6) ミシン店、ラジオ店という呼び方も普通だった気もします。
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(7) 同じ場所から、沼津方面の眺めです。電車は同じ202の去ってゆく姿です。
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(8) 電車の左側を拡大してみました。現在の若い方々はご存じないかもしれませんが、当時の、交通標識が立って居ります。そういえば、(4)の2003年も、速度制限30kmhですね。
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(9) 交通標識部分を更に拡大してみました。たしかに、現在の標識は、見やすくなったと思いますね。ここにも、コンクリートのゴミ箱があります。ポリバケツ、ゴミ袋なんて無い時代でした。
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coffee_doutor.gif ほんのちょっぴりですが、昭和の風景をご覧頂きました。

pen-pc.gif 現在、公開中の「伊豆箱根鉄道軌道線1962年1月」は、下記のURLからご覧下さい。

http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link103-izuhakokidou6201.html

 1~2週間くらい掛かるかもしれませんが、近々、リニューアル下ページをご披露出来ると思います。ご期待下さい。こう宣言して、自分自身にプレッシャーを掛けておけば、サボらずに作業する事と思います。(笑)


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 以前、このブログでご紹介した、私の兄、「むーにーさん」の1954年・昭和29年の箱根登山鉄道のアルバムは、私のホームページ「む~さんの鉄道風景」に出してあるのですが、画像が小さく、高速回線の普及した現在では、いかにも見難いものになりました。

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pen-pc.gif そこで、このほど、画像の大型化と部分拡大画像で、リニューアルいたしました。
 下記のURLから、ご覧下さい。

http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link14.html

 お待ちいたして居ります。


coffee_doutor.gif では、また次回!!!


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東急大井町線のデハ3500 [むかし噺(1)]

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pencil-green.gif 10月25日・日曜日以来ですから4日ぶりの更新です。ここのところ、ホームページの更新にお熱です。そうは言っても、『新しい古いフィルム』?が出て来たと言う訳ではなく、以前、ダイヤルアップ時代に作ったページのリニューアル工事です。画像を大きくして見やすくしています。
 「1958年の草軽電鉄」、「1954年の大宮界隈」、の二つをアップロード致しました。そして、現在、「1959年の静岡鉄道秋葉線」、「京浜急行電鉄デハ230」を工事中です。これらは近日公開いたすつもりで、その時には、このブログでお知らせいたしますので、ご覧になって頂きたいと思って居ります。

pencil-green.gif 最近、何故か根気が継続しなくなっている私、そんな訳でバタバタしています。しかし、あまり穴は空けたくありませんので、こんな画像は如何でしょうか?

■■■ 東京急行電鉄大井町線のデハ3500:1959年 ■■■

 1959年・昭和34年4月、む~さんは、ブローニー・セミ判のスプリングカメラ、ミノルタセミPを持って、東急大井町線の緑ヶ丘駅にやってきました。学校帰りに立ち寄ったのかもしれません。

(1) 溝の口行の電車が来ました。第一次の更新で窓枠がアルミサッシになったデハ3508です。貫通幌も付いて、なんとなくデハ3450風になりました。2両の3500に挟まれたサハは3350でしたっけ?忘れました・・・・。

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(2) 未更新のデハ3506。中間の車は台車部分を拡大してみたら、どうやらクハ3850のようです。バックに東京工業大学の本館の塔が見えています。
 私が中学生のころ、大学祭・・・・全学祭といってました・・・・を見に行って、頂上まで登ったことがあります。絶景でした。東京タワーは無いし、大体、テレビだって試験放送から本放送になったあたりの時代でした。

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(3) 同じ場所を撮った画像があります。2008年3月31日、新登場の急行運転・デハ6000を見に行ったときのものです。
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(4) 急行二子玉川行が来ました。東京工大のタワーは健在ですね。
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coffee.gif こんなところで、今日はオシマイです。


タグ:東急
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近鉄橿原線1955年(再録) [むかし噺(1)]

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pencil-blue.gif 9月6日以来、ひと月ぶりの「関西ネタ」です。勿論、大昔・・・・昭和30年の春の奈良。間違いなく、このブログに出した写真がメインなんですが、初めてのものもある筈・・・・「筈」ってところが、老人なんでありまして、そのアバウトな辺りは、ご容赦ください。

pencil-blue.gif 奈良と来れば近鉄ですね。当時は奈良電鉄って会社もありました・・・・・現在の近鉄京都線ですが。
 そして、修学旅行といえば、今みたいに、海外なんて思っても見なかった時代でしたから、東京の高校生は京都・奈良ってコースが公立高校では普通だった「らしい」。

pencil-blue.gif そう言う訳で、当時、高校2年のお終い、春休み前、修学旅行で、京都・奈良コース。東京から貸切の客車列車で一日掛けて京都、一泊。次の日は、京都観光、またお泊り。次の日、京都バスって会社の観光バスで奈良に向かいました。そして、如何言う順序だったか忘れましたが、東大寺、薬師寺・唐招提寺、法隆寺。

■■■ 近鉄橿原線1955年(再録・・・・たぶん) ■■■

 1955年・昭和30年3月ある日・・・・私たちの乗った観光バスは、薬師寺・唐招提寺に向かって居りました。どの辺りだったでしょう、バスは踏み切りに差し掛かりつつありました。向こうに見えるのは、近鉄橿原線の線路。来るかなあと思っておりましたら、来た、来た、来ましたよ。電車が・・・・・・

(1) やって来たのは、こんな電車。オリンパス35-ⅣのF3.5、40mmレンズには遠すぎました。橿原線といえば、関西の電車に疎い私だって、モ201形、玉子型5枚窓前面の木造車がメインだってことは知って居りましたから、「おおおおおっ!モ201だああ!」と興奮してしまった、と、思われます。そして、数日前まで、モ201形だってことは疑いもしませんでした。
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(2) 今回、このショットをブログに出すのは初めてで、例によって拡大してみたのです。「あれれれ・・・何だか変!」
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(3) もっと拡大してみました。モ201形だったら、サイドの窓配置は「D6D6D」のはずです。ところが、これは「dD6D6Dd」ではありませんか。・・・・と、すると、この電車はモ251のようです。
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(4) 薬師寺に到着、東塔を拝観しまして、当時は再建されていなかった西塔の台座というか、址というか、柱の穴を見た覚えがあります。私は、そのまま、お隣を走る橿原線の線路のほうに行ったのです。何本かの橿原線の電車を写しております。その中に、モ251は居たのです。モ251の三連でした。一両を拡大してみましょう。真っ平らな前面はぶっきらぼうですが、アンチクライマーと窓の上部のR、尾灯もアクセントになって、なかなかいい味です。当時、モ201のみに眼を向けていたのが、申し訳ないくらいカッコ良い。
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(5) モ251三連の全景です。ちょっとシャッターのタイミングが遅れました。
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(6) 折角ですから、以前公開した、モ201形のクロースアップです。たしかに、モ251、カッコ良いと書きましたけれど、やっぱり、近鉄といえば思い出すのは、大阪線モ2200と、これ、モ201ですね。なんて、優美な姿なんでしょう!モ2200が洋装の女王様なら、こちらは、着物のお姫様かもしれません。
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(7) モ201形3連の姿です。
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pen-para.gif このときの私、疲れていたようで、このあとの唐招提寺は拝観せずに、バスに残って居りました。運転手さんの掛けていたカーラジオから、NHKの「お姉さんと一緒」の中村メイコさん演ずる「たっちゃん、お兄ちゃん、おねえさん」の声が流れていたのを覚えておりますから、お昼前だったのでしょう

pen-para.gif このとき、私が写した、近鉄モ201、モ251のアルバム、下記URLからご覧下さい。

http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link10971-kintetsu.html

coffee.gif では、今回はこの辺で・・・・・・・・・。


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江ノ電昭和風景(4・一応終)藤沢駅 [むかし噺(1)]

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台風が来ておりますね。大荒れしそうです。被害の無き事を祈っていますが、今夜から明日・・・・どうなるのでしょう。
 今回は、江ノ電シリーズの、一応・
最終回、1959年・昭和34年と、1962年・昭和37年の、江ノ電・藤沢駅です。
 江ノ電は、当時は江ノ島鎌倉観光株式会社で、江ノ島電鉄株式会社になったのは1981年なんだそうです。

■■■ 江ノ電昭和風景(4・一応終)藤沢駅1954&1962 ■■■

pen-para.gif 1959年・昭和34年11月のある日、江ノ電撮影ツアー、持参のカメラはミノルタセミP。終着の藤沢駅にNo.116で到着

(1) ポールが替わり鎌倉行きになったNo.116です。この日に写した電車の全てに付いている円盤(庫内に居たのは除いて)。如何考えても「続行」と思えない円盤が、この電車にも付いています。ネガを大きく拡大しても、円盤の中心の文字みたいなのの正体がわかりません。ただ、白色円盤ではなく、周辺濃色リング、中心明色(黒白なので白とは言い切れない)の円盤のように見えます。何方か、この「丸の正体」をお教え下さる様、お願い致します。
 藤沢駅のホーム、当時の社名、江ノ島、鎌倉の観光客を見込んでかホームが矢鱈と広い。
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(1-2) 電車部分のクロースアップです。ポールをトロリーにあわせた直後らしく、車掌さんが紐を持ってなにやら・・・・。
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(1-3) お店の看板も、いかにも当時らしく懐かしい。
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(1-4) ホームの水飲み、そして背後には、如何見てもお便所が。
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(2) 改札を出て、ホームを眺めています。両足踏ん張った駅員さんの、こんな姿も今では見られなくなった気がします。
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pen-para.gif 時は流れて、三年。1962年・昭和37年9月、友人たちとの江ノ電撮影ツアーの仕上げは、このときも藤沢駅でした。このとき持って行ったカメラは、ミノルタAL(ロッコールF2、45mm)でした。 

(3-1) (1)の写真の丁度反対側から見ています。両方のホームの屋根の形が少々違う構造ですね。No.352が居ます。
 電車背後の三角屋根はなんでしょう?記憶が全くありません。江ノ電のものかしら?国鉄のものかしら?はたまた・・・・。
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(3-2) 3年経って、ホームも改札も変わっていないようです。水飲みもちゃんとありますね。
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(3-3) この、No352も、円盤付です。
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(3-4) 反対側のホーム、なにやら工事中。なにが出来上がりつつあるのでしょう?カウンターみたいなものも見えます。お心当たりの方はいらっしゃいませんでしょうか?
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coffee.gif 1959年と1962年の江ノ電藤沢駅ホームの画像をお届けいたしました。江ノ電の昔写真は、一応、今回でお終いとし、次回はまた別の画像を選んで見ましょう。

 ・では、また次回!!!!!


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江ノ電昭和風景(3)江ノ島龍口寺前 [むかし噺(1)]

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pencil-red.gif 朝から雨降り・・・・こんな日には、おとなしくしているに限ります。今回は、前回に引き続き、「部分拡大方式による江ノ電昭和写真シリーズ」、その第三回江ノ島龍口寺まえの街路風景
 前回の江ノ島撮影行のとき、1962年・昭和37年9
月・・・・・・・・。

■■■ 江ノ電昭和風景(3)江ノ島竜口寺前1962 ■■■

 頃は、1962年・昭和37年9月のある日のことでありました。

(1-1) 正面に見えているのが龍口寺。現在も健在の二階家の脇から、鎌倉行の電車352が顔を出す。バスが如何言う訳か、変なポジションですが・・・・。
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(1-2) 電車の通過を待つママと子供というより、お祖母ちゃんとお孫さんって雰囲気ですが、71歳の目でこの写真を見ると、何と無く、暖かな気持ちになってしまう。
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(1-3) 自動車部分の拡大。バスは江ノ電バスのようですね。トラックは何処の製品かわかりませんが(トヨタかしら?)、右端の可愛いのは、もう、お判りのことと思います。
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(2-1) (1)のちょっと後のシーンです。Sカーブを行く電車。自動車が掛かってしまったのは惜しいけれど。
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(2-2) そのかわり、自動車のお尻が、ド~ンと写ってしまったわけで・・・・・。電車はチャンとナンバーが写っており、302+352ですが、画面に居る4台の自動車は何処の何でしょう??割とやさしい問題だと思いますが如何でしょうか?・・・・じつは、一台を除いて、私もよく判らないのです。
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(3-1) 階段を一寸登って、龍口寺の中から写しました。いまでも、このアングルで撮れますが、電柱が、かなり障害となります。現在、ここに立つと、同じ場所の筈なのですが、同じに見えないくらい、風景は変わっております。
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(3-2) 電車を中心に拡大しました。何と無く、「賑わい」という言葉が思い浮かぶようなシーンですね。電車は305+355
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(4-1) 商店街をちょっと歩きます。藤沢行の電車が来ました。301+351。私にとって、これこそ、江ノ電って電車です。
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(4-2) 好きな電車ですので、拡大しちゃいます
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 交通標識部分を拡大しました。確かに、電車の集電装置はビューゲルというよりもポールですね。終点でポール回しをしそうですね。
 私の記憶の踏み切りありの標識は、蒸気機関車だった気がしますが、電車もあったような気も・・・・でも、パンタグラフだった気がする。
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coffee.gif ・・・・と、言うところで、今日は、これでオシマイです。次回の江ノ電昭和風景は、藤沢駅の写真を用意しています。


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