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昭和35年東海道各駅停車の旅(5) [東海道本線各停旅1960年]

早朝5時だけどサーバーが込み合っているため、またあとで・・・・とのコメント。こんな時間帯に込むなんてちょっと不思議。再試行したらつながったので書きこんでます。

5月27日(土曜日)、・・・・またも翌朝、書いてます・・・・午前中、近所の農協のショップに、お野菜の買い物。ついでに行き付けのファミレスで珈琲ブレイク。午後はちょっと昼寝。さしたる出来事も無く、今日も昨日の続きです。

■ 1960年3月 東海道本線各駅停車 ■
文字に色がつけられた!太字体も出来てちょっとだけ、お利口になれました。
 こんなマークも書き込めるんですね。いままで、知らなかった!せいぜい利用しましょう。

東京駅発5時56分の大阪行123列車・・・・客車列車・牽機はたぶんEF58・・・・の一番後の車両、スハフ32のダブルルーフ車に乗っています。小田原を7時43分に発車しました。

早川駅7時48分。いまは、駅前が漁港になっています。当時は如何だったのでしょう?
昭和40年代後半以降に、何度も釣り(港内と舟)に来て、お馴染みになった駅ですが、昭和35年当時は降りた事も無かった。

早川を出て海を見ながら走る区間は子供の頃から好きで、私にとって東海道本線の大イベントでした。このころ、真鶴道路の建設工事をやっていたようで殆ど出来あがっております。・・・・と、今まで思ってましたが、調べたら前年、昭和34年9月の開通とあった。この区間は如何だったのでしょうね?

根府川駅7時55分。

撮影名所の鉄橋を渡る。白糸川って地図には書いてあります。今の様な柵もなくすっきりしています。右下の真鶴道路、開通している様には見えないのですが、如何なのかなあ?とちょっと気になる。

根府川~真鶴間には窓のあるトンネルがありました。赤沢隧道って言ったかな?目がチラチラしてザッザッと風切り音がして好きでしたね。

そのトンネルを抜けたところです。このトンネルの窓のある壁は、海から見ても目立ち、大人になって昭和40年代後半から50年代にかけて釣りに狂っていた頃、早川港から釣り舟に乗ると、よく見えましたっけ。

ここは、崩落が多いらしく現在では新しくトンネルを掘って通らなくなりました。しかし、窓のあるトンネルは未だ残っているはずです。

真鶴駅8時02分。真鶴半島は、釣りとかに、かなり通いました。真鶴港で息子と一緒に寒風の中でのチンチン釣りをしたのは、良い想い出です。しかし年をとるにつれ、だんだん寒さに弱くなりました。ほかにやることも出来て、そっちが忙しくなり、昭和60年ごろから、釣りは一時休止状態になっています。

湯河原駅です。8時07分。

湯河原を出て1キロも走れば千歳川、神奈川県ともお別れです。列車はもうじき、当時は結構メジャーな観光地だった熱海に着きます。新婚旅行と言えば、箱根・熱海の時代でした。

・・・・・では、また明日。 


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