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昭和35年東海道各駅停車の旅(7) [東海道本線各停旅1960年]

5月30日(月曜日)、・・・・何時もの通り翌朝の書きこみなんですが・・・・昨日の仕事は夜だけで、昼間のうちは家事雑用。

って訳で、連載の・・・・・・・

■ 1960年3月 東海道本線各駅停車 ■

東京駅発5時56分大阪行123列車は、特急こだま号に熱海駅で抜かれる為、14分停車ののち8時28分発車、丹那隧道に入り疾走中。

・・・・・で、丹那隧道を抜けました。西側の出口です。
 

函南駅が近づき、おりしも世紀の大事業、大愚行と云われもした東海道新幹線の工事は、すでに始まっておりましたが、ここでは新丹那トンネルが工事中です。この写真の山すその工事基地らしい建物の屋根には『新丹那トンネル』の文字がネガの段階だと読み取れます。

函南駅到着です。


函南駅発8時40分。
 
三島駅8時49分。熱海で同じ客車に乗っていた高校生達が降りて行きました。

  
発車。三島駅の沼津駅寄りの側線には各種の事業用車が置いてありましたが、当時は、こんな古典客車も事業用として生き残っていたのです。

国鉄事業用車博物館というホームページを見ますと、ナヤ9830という車両らしい。1900年代初頭、鉄道作業局製のオハのようです。木造ですが20m車で、丸屋根のお洒落な感じのクルマです。同じようなクルマをその頃、錦糸町の地平にあったヤードでも目撃しています。

左側、出自は判りませんが、元々は電車っぽいですね。右はオハ30のファミリーらしく思われます。

C5079に出迎えられて沼津駅に到着しました。8時56分着、11分停車で9時07分発になります。

  
どういう成り行きだったか全然覚えていませんが、列車のお尻に付いていた、私の大好きなスハ32(丸屋根)とスハフ32(二重屋根)の2両が、このC50ではずされたらしく、最後尾はスハフ42になっておりました。
沼津駅のお弁当屋さんは桃中軒でしたね。この時刻だと朝御飯か・・・・。

『ぬまず食わずで沼津まで・・・・』なんてフレーズも聞かなくなりました。沼津には機関区、客車区もあり構内も広大で鉄道の好きな乗客には一大イベントでありました。

この先は、また次回に・・・・・・・。


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