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SSEの頃:1968年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 今回は、ネタ切れで昔の写真を一枚。これで、お茶を濁しますので、ご容赦下さい。

■■■ 小田急:SSEの頃:1968年 ■■■

icon_odakyu150.gif 小田急です。ただ、一回、このブログに出した事がある筈です。ひょとしたら、MIXIだったかもしれませんが、ダブっていたら、む~さんも、ボケたなあ!と、目をつぶってくださいますよう、お願い致します。
pen-pc.gif 頃は1968年・昭和43年の9月か10月、当時、二歳一寸の長男を連れて小田急を見に行った。

(1) 下りのロマンスカーが来ました。「はこね号」です。8車体連接車だったSE車3000も、この年、1968年・昭和43年に御殿場線乗り入れ対策で、5車体の連接車として、再デビューした頃だったようです。
 ロマンスカーを目で追う息子ですが、この頃は、掘割の上の道路も小田急用地との境の柵が無く、こんなに開放的でしたので、コドモの電車見物には、持って来いでした。この道も、今みたいに車が多く無かったですし。
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(2) 部分拡大してみましょう。現代にも通用すると思われるスマートなSSEですね。編成短縮時に、ずいぶん顔が変わりましたが・・・・。
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(3) 電車部分だけの拡大です。この5車体連接の編成のまま、保存されているのは、とても嬉しい事です。しかも、新旧の前頭部双方つきで・・・・。
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coffee.gif 今回は、鉄道がらみのお出掛けが無かったので、ネタがなくなってしまい、以前、このブログに出した筈なのですが、もう一度、スキャンを行って、新たな気持ちで書いてみました。そんな訳で二重の発表、ご容赦。


タグ:小田急

雑談: 東海道新幹線開業前後 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif こんばんわ、当ブログの管理人む~さんです。

 私はブログ「お出かけ通信:blog版」とともに、昔写真重点のホームページ「む~さんの鉄道風景」もやっているわけなのですが、先般、都電「学習院下電停」を題材に、写真を一寸並べたのみで、最近、どうも更新が滞りがち・・・・・。
 ・・・・・で、反省の日々なんですが、ふと、今まで、当ブログに出した事がある「新幹線画像」を並べてみようと思い立ちました。ともかく、愚図な私なので、ここで一発、宣言しちゃわないと、立ち消えなんて事になるのは、目に見えています。
 何枚かの写真を、予告編みたいに並べて、自分自身を縛っちゃおう・・・・というわけです。

■■■ 雑談: 東海道新幹線開業前後 ■■■

(1) 1962年7月・・・・鴨宮の試験線基地を見学に行きました。新幹線試作車と在来線特急がうまく並んだ写真が撮れました。
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(2) 1964年9月20日、東海道本線の東戸塚駅が出来るあたりに在来線優等列車最後の活躍を撮りに行きました。
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(3) 1964年9月23日・・・・あと一週間で開業です。新横浜駅に行きましたら、下りの試運転列車到着!新幹線ホームも道路も、工事中。
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(4) 1964年10月1日、早起きをして一番列車を見に東京駅へ。国鉄のブラスバンドも賑やかにセレモニーが始まろうとしています。
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(5) 開業直後の1964年10月4日、新横浜駅で・・・・・。
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(6) 開業約9ヶ月経ち、1965年7月・・・・やっと新幹線に乗る事が出来ました。家内と二人、東京~新大阪に初乗りです。
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(7) (6)で新大阪まで行って、高速バスで名古屋、そして新幹線で帰って来ました。ラッキーな事に岐阜羽島IC付近で新幹線に会えました。
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(8) 1970年: 厚木から国道129号線を下ってきたあたりに、長男を連れて見物に・・・・。ちっちゃかった長男君も、いまや40半ば・・・・・。当然、私も歳をとるわけで。
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coffee.gif 如何いう構成にするのかも未だ決めて居ないのですが、テーマごとの写真集みたいにすれば、週に1テーマくらいのペースでアップロードしてゆく方式ならやれそうな気もするので・・・・・。

pen-rei2.gif 4月20日ごろまでに、ともかく、1ページくらいはアップロードしたいなあと思っています。

 ・・・・・では、また!!!!!


タグ:新幹線

東武22号蒸気機関車大疑問:1954年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 2009年1月11日付の拙ブログ「東武鉄道1954年(中)」で、業平橋のヤードで撮った22号蒸気機関車の写真があります。

pen-ojigi2.gif そのとき、Cedar様より頂いたコメントに、「22号ですが、前面にエアホースが付いていませんね、ひょっとして空制無しでしょうか?」と言う一節がありました。
 最近、その辺りが少々、気になって、気になって、改めてとり上げて皆様のお知恵を拝借いたしたいと思うのです。

■■■ 東武22号蒸気機関車大疑問:1954年 ■■

pen-para.gif 昭和30年代前半くらいまで、東武の貨物列車といえば、蒸気機関車と相場が決まっていました。

(1) 昭和33年5月 東武東上線大和町駅を通過する下り貨物列車。機関車は1898年のピーコック、No.3。大和町駅・・・・畑の真っ只中の駅ですが、1970年・昭和45年に、和光市駅と改名されています。
 まあ、ともかく、当時の東武の貨物列車の牽引機関車は蒸気機関車が思い浮かびます。(電気機関車も居ましたけれど)
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pen-para.gif ・・・・で、これが、問題の東武鉄道22号機。撮影は1954年・昭和29年8月。場所は業平橋のヤード。
 東武鉄道D-1として、1913年、米国ボールドウィン社から輸入した2Bタイプで、ここでは米国式に4-4-0。

(2) ご覧の通り、煙室扉、ドーム、シリンダ、ボイラー・・・・・如何にも米国タイプって感じの機関車。
 少なくとも、こっちサイドには、空気関係の機器は見当たりません。
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(3) 1976年版、機芸出版社の「私鉄電車プロファイル」を見ると、東武鉄道のトップページに、木造客車を牽引するイラストが出て居ります。前後には、ブレーキ用の配管が描かれ、その配管の形は如何にも真空ブレーキを思わせます。シルエットで描かれたキャブの床下には、真空ブレーキのシリンダーらしきものが見えます。
 丁度、この写真のキャブの22の文字の下辺りだったようです。
 発電機がランボード上に乗っています。
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(4) (3)は暗くって良く分からないので、明るさをアップしてみました。ブレーキ関係のバーみたいなものが見えるような気もします。手ブレーキ用なのでしょうか・・・・・。
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(5) 動輪の辺りをアップしました。丁度、燃えきった石炭殻を抜いている場面のようです。
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(6) 煙室、シリンダー、エンドビーム辺りを拡大。ブレーキホースは見えません。
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pen-para.gif 22号機を前から見てみましょう。

(7) 如何にも米国タイプで、他の英国製の蒸気機関車群とは違った顔になって居ます。
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(8) エンドビームの部分を拡大しました。空気関係のホースとかはありません。機関士さんでしょうか・・・・注油中ですね。
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pen-ojigi2.gif 反対側のサイドビュー写真を撮って置けばよかったのですが、この二駒しかありません。それ故、空気関係のパーツの存在が否定できないのです。
 まさか、手ブレーキで運転されていたとは思えませんが、業平橋での入れ替え専用と仮定すれば、「手ブレーキと機関士の運転テクニック」で、用が足りたのかもしれません。それに、東武には、空気制動のついていない、車側の手(脚?)ブレーキしかない貨車が沢山見られました。

pen-para.gif 撮影時期は違いますが、貨物列車を少々・・・・・・。何れの機関車も先頭部のエンドビームに空気制動のエアホースが見えて居ります。

(9) 1959年・昭和34年4月: 北千住駅で・・・・。No.61は、国鉄6250で、1897年Neilson社製。
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(10) 1958年・昭和33年10月: 下板橋駅で・・・・。No.40は1898年のシャープ・スチュアート社製。現在、埼玉県宮代町の町役場傍に静態保存されています。(東武動物公園駅から徒歩)
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pen-ojigi2.gifpen-ojigi2.gif お願い pen-ojigi2.gifpen-ojigi2.gif
 このブログをご覧の方で、22号蒸気機関車のブレーキ関係をご存知の方は、どのようになっていたのか、是非、お教えくださいますようお願い致します。

coffee_doutor.gif では、今回はこれで・・・・・・。


静岡駅で見たE10形蒸気機関車 [むかし噺(2)]

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pen-kotatsu.gif 寒いですね~・・・・早く暖かい季節になって欲しいなあ!
icon_sakura.gif ま、もう少しでサクラが咲いたって話も出ますが・・・・昨年、2月26日には、町田市内鶴川で河津桜の花の写真を撮って、3月25日には、近所の寒緋桜の並木が満開状態でした。もう、ちょっと頑張りましょう(笑)。

pen-pc.gif さて、この1月14日付けの拙ブログにて、特急富士の新大阪ホテルのメニューとか、富士駅での特急富士の写真を並べました。
 1962年・昭和37年10月28日(日)、富士駅で特急富士を撮影した後のお話です。
 私のノートを見ると、そのあと、準急東海に乗り、清水駅で、後続の80系の普通電車に乗り換えて、藤枝駅まで行ったと記されています。
 その時のフィルムには、なんと!E10形蒸気機関車が写っている駒が、二つありました。撮影場所は静岡駅。
 国鉄最後の新製蒸気機関車だとの事ですが、1948年・昭和23年製勾配区間用E形タンク機関車で、最初の配属は、奥羽本線板谷峠、その後、色々あって、1957年・昭和32年、米原へ。そこで、北陸本線の米原~田村間の交直流接続用に使われていたのだそうです。1962年・昭和37年に廃車・・・・と、Wikipediaの受け売りです。

■■■ 静岡駅で見たE10形蒸気機関車 ■■■

 最初は、準急から普通電車に乗り換えた清水駅かと思って居りましたが、ホームの屋根の柱に、はっきりと書かれた「しずおか」の文字、疑いも無く、静岡駅です。

(1) 無蓋貨車コトラ50579の向こうになにやら見慣れない蒸気機関車!
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(2) 拡大してみると、E10 5ではありませんか!これには吃驚。
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(3) サイドタンクの上には、主連棒が固定されて居ります。
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(4) 位置を変えて写したんですが、ミノルタALはレンズシャッターカメラで、レンズはF2の45mm。こんなに小さく写ってしまいました。
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(5) 拡大して横位置にしましたが・・・・・。
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(6) え~い!もう一丁頑張って更に拡大してみました。フィルムそのものは、中々のピントで写っているんですが、スキャナーが少々甘いので、これ以上は無理です。
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pen-para.gif それにしても、何故、静岡駅にE10が居たのでしょう?北陸本線・米原駅・田村駅間の、交直流接続用のお役目が終わったのが、この1962年・昭和37年だそうですから、解体か、何か他の目的で、回送中だったのかも知れません。ネットで、『一寸』ですが調べてみたんですが、E105がどこかに保存展示されているという情報は発見できませんでした。

pen-ojigi2.gifpen-ojigi2.gif 何方か、この辺りの事情につきまして、ご存知でしたら、コメントいただきたく存じます。

pen-pc.gif このE10を写した後、モハ80系の普通電車で藤枝駅まで行った訳ですが、その目的は・・・・。
 ・・・・・静岡鉄道駿遠線でありました。


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 その日・・・・1962年・昭和37年10月28日(日)に撮影した写真の中から、車両ではなく、「構内風景」を少し並べてみます。
 静岡鉄道駿遠線は、一時は最長の軽便と言われ、60km以上もの路線を持っておりましたが、道路事情が良くなって、自動車輸送が盛んに行われ、自家用車の普及とともに衰退してゆき、1970年・昭和45年8月末には廃線となってしまいました。
 この頃は、貨物輸送こそ行われて居りませんでしたが、まだまだ、元気に走っておりました。

pen-para.gif 国鉄東海道本線藤枝駅の本屋を出て直ぐ右側、静岡鉄道駿遠線のターミナル、新藤枝駅。小雨の中の撮影でした。

(7) 新藤枝駅構内は、古いい雰囲気の家々と、国鉄貨物ホームに囲まれ、周囲から隔絶された別天地でありました。
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(8) ホームの向こう側、真正面の四角い建物が新藤枝駅本屋
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(9) 油と雨に濡れたポイント。
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(10) ポイントの矢羽根はこんな形。
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pen-para.gif 新藤枝から気動車で一寸乗れば大手駅。ここには工場があります。

(11) 正面の古い駅舎が素敵でした。右端に見える客車は、草軽電鉄から来たホハで、全部で3両。かなり荒れており、購入はしたものの、そのまま終わるかと思いきや、見事に整備され、結局は、廃線になる1970年・昭和45年8月まで使用されました。
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(12) 工場の片隅に並べられていた輪軸。客車用に機関車用。
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 ・・・・・ちょっと趣向の変わった写真を並べてしまいました。

pen-para.gifpen-para.gif この日の静岡鉄道駿遠線旅行記と写真集は下記URLでご覧いただけますので、どうぞ!!
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link237.html

 最後は、少々私のホームページの宣伝臭くなってしまいました。ごめんなさい! 

coffee.gif 国鉄E10形蒸気機関車に始まり、軽便鉄道に終わるという、変な構成になりました。
 次回は、また、別の趣向で、何か書こうと思っています。では・・・・・。


古いアルバムから:電車特急富士 [むかし噺(2)]

icon_mukashibanashi.gif 今日は、昔話です。

pen-pc.gif このお正月も、息子たちが家族連れで集まってくれて、賑やかなお正月を楽しく過ごせたのですが・・・・・。次男が、書棚から古いアルバムを見つけて開いておりました。何と、私たち夫婦の新婚旅行、1961年・昭和36年ですから、今から50年も昔の写真です。私も、後から覗いておりました。

 1961年10月中旬のある日、横浜駅から、午後の急行列車で出発しました。鉄道ファンでもなんでもない家内にとって、客車時代の国鉄急行列車、名鉄パノラマカー、近鉄ビスタカー(二代目)、大阪市電、準急・・・だったかな?鷲生、宇高連絡船、キハ58ディーゼル急行、で、行き先は、土佐の高知県は、路面電車の走る街、高知市。桂浜の龍馬像も見たんです。まあ、色々あるんですが、それは、まあ、書かなくてもいいや・・・・。
 そのアルバムに、もう10年来、探していたモノが、コーナーで貼り付けてあるではありませんか!!!

 帰り道で、乗った、宇野駅発、東京行の151系電車の特急「富士」の食堂車で貰ってきた、メニューが載っているパンフレットです。東京~宇野間の特急富士は第一と第二があり、運行開始が1961年・昭和36年10月1日で、もう、出来たて、ほやほやの特急電車でした・
 ところが、そんな旅行なので、件の「富士」の「151系電車」の写真はありません。申し訳ありません。

■■■ 古いアルバムから:電車特急富士 ■■■

 私たちは、たぶん、山陽本線に入ってから、食堂車に行ったのでしょう・・・・その時に記念にと貰ってきた「第二富士」の食堂車を担当していた「新大阪ホテル」の「パンフレット」です。

(1) ARSのB5大のアルバムは、台紙が酸化現象でしょうか、茶色に変色して居ります。第一ページ目には、四国周遊券の表紙と、瀬戸内海の「甘食」みたいな大槌島。このアルバムの最後に近いページに、新大阪ホテルのパンフレットが貼り付けてありました。
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(2) これが、私が10年以上に亘って探していた、新大阪ホテルのパンフレットの表紙・・・・って言うか判りませんが、トップは132mm×132mmの正方形で、三つ折になって居ます。パンフレットの特急名は「ふじ」、イラストも「ふじ」です。
 特急富士の詳しい経歴を知りませんので、「ふじ」と「富士」の表示についてはよく分かりません。
 新大阪ホテルは、色々あったのでしょう、現在、大阪・中之島にあるリーガロイヤルホテルです。
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(3) 三つ折を拡げると・・・・・・時刻表と車販案内。
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(4) 時刻表を拡大してみましょう。赤で表示された特急の食堂車を、新大阪ホテルが担当していると言うのでしょう。私たちの乗ったのは、右下の宇野発12:40の「第二ふじ」。
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(5) 車内販売ご案内。
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(6) 当時の従業員のファッションは、こんなタイプだったのでしょうか・・・・そんな気もします。
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(7) 拡げたときの裏面。食堂・ビュッフェのメニューが載っています。下端に特急電車151系の編成のイラストが入っています。11両編成ですが、このイラスト、全面的に正確かどうかは、検証して居りません。
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(8) メニューを左から拡大してみます。私たちが注文したのは、チキンカツレツ@150+ご飯@25でした。食堂車メニューにコーヒーの記載はありませんが、たぶん飲んだのでしょう。
 お客さんは少なかったような記憶があり、隣の席で、かなりお酒を召されたオジサンが、ビーフステーキを切ってくれと、ウエイトレスさんに迫って居たのを思い出しました。
 このページの特急名表示は「第1富士」、「第2富士」となって居ります。
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(9) 真ん中の部分です。「ご定食」の右端が切れちゃいましたが、(10)をご参照下さい。テンダーロイン定食が600円です。当時、ラーメンは40円くらいだったようですし、私の勤務先・・・日本橋室町・・・の近くの食堂のサービスランチは、50円~100円くらいでした。
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(10) ビュッフェのメニュー。
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(11) (8)~(10)で新大阪ホテルの名前が切れちゃってますので、ちゃんとトリミング。
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 そんなこんなで、美味しくお食事。このあと、いろいろエピソードもありますが、全部省略、無事に横浜駅に帰着いたしました。駅から家まで、無理してタクシーを奮発(笑)。 

pen-pc.gif これで、オシマイなんですが、それではあんまりです。電車時代の特急富士の写真が無いものかと、首をひねってましたら、そういえば、静岡鉄道駿遠線に行ったとき、何処かの駅で抜かれたっけ・・・・と、画像データをひっくり返していましたら、出てきました。
 1962年・昭和37年10月の画像が一つあったので、関連のフィルムを探しましたら、さらに2つ出てきました。その三駒を並べましょう。

pen-para.gif 1962年・昭和37年10月・・・・上の新婚旅行から一年経っています。雨の降る日でしたが、行きたいと言う気持ち抑え切れず、「雨の駿遠線も、又、いいものかも・・・・」と、横浜駅から準急東海一号に乗って東海道を下ります。
 途中、富士駅で特急に抜かれたのですが、この特急が「第一富士」でありました。

(12) 東京方面から近づいてくる特急第一富士!!用語を知りませんが、オデコのライトのみ点灯しています。
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(13) クロ151を先頭に颯爽とした姿。
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(14) 先頭車両の拡大・・・・クロ151の大窓がよく判ります。
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(15) 目の前を、さあ~っと通過して行きました。新幹線無き時代、東海道本線の特急電車はトップクラスの列車で、憧れの目で見ておりました。後部前照灯に嵌め込まれた赤色硝子がよく判ります。
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 昭和37年と言えば、まだ鉄道が輸送の華であった時代でした。

 (12)~(15)の駅が「富士駅」と同定して下さった、友人MO様に、ここで、御礼申し上げます。じつは、私は清水駅だと思って居たのです。 

coffee.gif では、今回はこれでお終いと致します。また次回!!!


タグ:151系

都電風景・1960年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 今日は朝から雨・・・・ずっと降っています。
 今回は、昔の写真なんですが、一回、ブログに入れたことがあります。2007年9月27日のブログなんですが、ま、4年前の事ですから、ご勘弁頂き、ご覧下さい。

■■■ 都電風景・1960年 ■■■

 1960年と言いますと、昭和も中頃となり、だんだん、世の中、便利になっていた頃です。しかし、今みたいに、何事も高速化し、古いものはどんどん捨てちゃうって感じは無かった気がします。
 そんな、昭和35年、私は、とある商社に入社し、社会人一年生でありました。入社して、見習い仕事。先輩と車に乗って、お客さんのところに、ご注文の品のお届けです。そんな或る日、カメラを持って出社、昼休みとかに、写真を撮ったりする事もあったのです。

 カメラは、昭和34年12月に発売されたオリンパスペン。なんたって、高価なカラーフィルムの駒当りの単価が半額!これは、サラリーマン一年生には大メリットでありました。
 今回は、小西六のサクラカラーでの撮影です。ASA・・・・今のISO感度が10ですから、遅い遅いシャッターを切らねばなりません。

(1) 銀座通り・・・・左端辺りが室町三丁目交差点です。1系統6012の方向幕は「銀座三田」。
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(2) これも同じ場所で、1系統の8108は上野駅行。
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(3) 新常盤橋~室町三丁目の中間あたりの交差点で、右へ入って一寸歩くと神田駅。電車は3094で31系統の「都庁前」から東京駅前を通って来た「三輪橋」行。
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(4) 新常盤橋を出て数寄屋橋へ向う17系統の7084。自動車は少ないし、まあ、のどかなものですね。
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(5) (4)の左端部分を拡大してみました。電車の向こう側の尖塔のある建物は、確か、呉服橋交差点の大和證券だったかな・・・・。
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(6) (4)の電車部分を拡大。
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(7) これは車の助手席からの一枚。目黒近くの、当時、迎賓館があった辺りでの撮影ですが、方向幕が読めないのですが、たぶん、目黒行きのようです。
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(8) 同じく車中から・・・・。御成門から田村町一丁目(今の西新橋)に向っています。
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(9) (8)の電車の左側を拡大。鉄塔のある建物は、NHKの放送会館で、その向こうが富国生命、その向こうが日比谷公園になります。37系統は、三田~日比谷公園~小川町~淡路町~松住町~旅籠町~上野公園~駒込千駄木町で、この電車は、ナンバー(6224と読めるかな?)も方向幕(三田にしてはぐじゃぐじゃですが、状況から三田でしょう)も読めませんが、三田方面に向っていますね。
 オレンジ色の車は、ご存知、日野ルノー4CV。
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coffee.gif ・・・・と言う事で、今回はこれでお終いです。

 また、次回!!!!!


タグ:都電

二枚の有楽町駅写真・1964年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 先般、11月7日付けのブログで、
1964年・昭和39年3月の、京橋の都電5500形5503をお目に掛けましたが、そのフィルムの前に二駒、こんな写真があります。
 都電5503を撮った銀座京橋にどんな用件があったか覚えて居ないのですが、きっと、国電に乗って行き、有楽町駅で下車、そのホームの端っこから写したのでしょう。

■■■ 二枚の有楽町駅写真・1964年 ■■■

pen-para.gif 一枚目の写真がこれ・・・・。1964年・昭和39年3月の、とある日国鉄、有楽町駅の京浜東北北行、山手線内回りホームから、東京駅方面を見ています

(1) 国電・複々線の内側に、73系のぱっとしない電車が写っており、右手には、この年の10月開業の新幹線の線路が出来上がっているようです。
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(2) 画面の中ほどを一寸引き寄せて見ましょう。背後のビルは何ビルというか忘れてしまいましたが、東京駅八重洲口方面には、大きくても、この程度のビルが並ぶだけで、現在のような摩天楼林立の景色はありませんでした。
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(3) 電車をクロースアップ。サボはネガを見ても読み取れませんが、京浜東北のようです。たしか、この頃には山手線は、カルダンの101か103になっていたような気もしますが、はっきりしません。
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pen-para.gif 二枚目の写真は、電気機関車EF58の牽く列車が写っています。

(4) 二等車・・・・このころは一等車ですか・・・・が組み込まれた、長距離列車なのでしょうか・・・・。
 いま、東京駅を出て西へ下ってゆきます。品川客車区へ入るのかもしれませんが。
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(5) 列車の頭の部分を拡大。EF58、次はスハフ42でしょうが、オハフ45かもしれません。次に一等車が居て・・・・・。
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(6) EF58です。作業員さんは、まだヘルメットではなく、帽子ですね。
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(7) 客車を見てみましょう。スハフ42(オハフ45)~二等車はオロ42~ナハフ11~ナハ11~スハ43(オハ46)と言うところでしょうか・・・・(オロ42につきましては、友人、MTさんに教えて頂きました。)
 線路は南西から北東に走っていますので、太陽の辺り具合から見て、午後2時辺りでしょうか・・・・その辺りから、如何いう種別の列車だったか判りそうですが、あまり追求しない、む~さんでした。
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coffee.gif 現在は、この辺りから、眺めていると、山手線のE231、京浜東北のE233、東海道の211、E231、そして新幹線。
 バックに背の高いビル群と、眺めすっかり変わりました。

 では、また次回!!!!


都電風景・京橋1964年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 
また「昔ばなし」です。と、云う事はネタが無くなっちゃったからなんですが・・・・。

 ・・・・・時は1964年・昭和39年3月。家内と、今は亡き父と、三人の旅・・・・静岡日本平に行ったついでに静岡鉄道駿遠線に一寸だけ乗ってきたんですが、そのフィルムの残り駒に、国電・有楽町駅での二駒の国電スナップと一緒に、二駒の都電写真が、入っているのを発見しました。何をしに、有楽町から銀座に行ったのか、全く覚えておりません。まあ、思い出せるほうが不思議ですが・・・・・。

pen-pc.gif この時期、カメラは、オリンパスペンと、ミノルタALというF2の45mm付きのレンズシャッターカメラを使っていたのですが、35mmフルサイズのフィルムですから、ミノルタALですね。セレンですが露出計連動で、ピンも最高、レンズ大当たり!いいカメラでありました。

 今回は、その都電の写真をネタに、例によって部分拡大で、「京橋」の昔を偲んでみます

■■■ 都電風景・京橋1964年 ■■■

pen-para.gif 今を去ること47年!1964年・昭和39年3月・・・・東京オリンピックの年ですね。東京は華の銀座通り、京橋の橋の上から京橋交差点方面を、見て居ます。
 都電の5500形の5503が満員の客さんを乗せて、やって来ました。

(1) 京橋交差点に建つ第一生命館(名称、正確にはわかりません。アサヒビールの大看板があります。)、クラシックな塔を持つ二階建てのビル、右端の京橋警察署はすでに警察のPRセンターになっていたかもしれません。そんな通りを、1955年製の「ハイテク電車」5500形・5503がやって来ました。大形車体ゆえに、1系統(品川駅前~上野駅前)専用状態でしたが、1967年、1系統廃止とともに、惜しくも引退。(Wikipediaを参考にshました)
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(2) 右バックの建物は京橋警察署(多分)。その左の、二階建ての素敵な古典的建物は、如何いう会社なのか判りませんが、屋上にエバーグレーズという、当時売り出しの夏向きと言われた、米国渡来の技術で、樹脂・エンボス加工した生地の広告看板が乗っかっています。
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(3) いい建物ですね~。そうそう、エバーグレーズには、魔女みたいなキャラクターが付いていました。5501、一両で終わった、PCCカーではないけれど、当時の先進技術を駆使した、路面電車。MSN車と呼ぶ方が居た記憶があり、M-三菱、S=住友金属、N=ナニワ工機のイニシャルを並べたものでっした。
 都電では、パンタグラフも、珍しかったような気がします。Wikipediaに拠りますと、1956年3月Zパンタ化し、1958年6月ビューゲル化とあります。(ドア脇の広告は、大町ソースならぬチキンソース)
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(4) うん、バックの建物は、京橋警察署~けいさつPRセンター~現・警察博物館です。昭和37年当時、警察署だったか、PRセンターだったかは、知りません。
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(5) ずらりと並んだ、当時の自動車たち・・・・懐かしい姿
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(6) 都電の右の木柱の櫓は、高速道路関係でしょうか?確信はありませんが。そう言えば、京橋の親柱が写っていてもいいアングルなんですが・・・・・。
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pen-para.gif 5503は目前を通り過ぎ・・・・・。

(7) 逆光ですが・・・・色々な自動車の中を、銀座一丁目停留所へ・・・・。
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(8) 電車をクロースアップしてみます。
 ビルの煙が気になりますが・・・・・。左端のジープは、ナンバープレートから、どうやら米軍/自衛隊ではないらしい。右のタクシーは、えーと・・・・・思い出せない!まあ、いいや。
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(9) 堂々のマツダ・オート三輪。ネクタイに中折れ帽のおじさんのスクーターは、普通の風景でした。右端の左折しかかっている車は外車っぽいけれど、何だろう?当時、よく見掛けたシボレー・インパラかしら?(シボレーインパラ、ダッジダート・・・・大藪春彦さんの小説によく登場したことを、懐かしく思い出します)
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coffee.gif ・・・・と、云う事で、昭和37年の、京橋・橋上からの眺めでした。

 では、また次回に!!!!!


特急こだま:横浜駅1960年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 「昔ばなし」です
 ・・・・・時は1960年・昭和35年4月24日・日曜日。社会人一年生の、私は買って4ヶ月のオリンパスペンにフジカラー(リバーサル・ASA10)を入れて横浜駅の東海道本線下りホームに立って居りました。

■■■ 特急こだま:横浜駅1960年 ■■■

pen-para.gif 1958年11月1日、走り始めた、東京~大阪間、日帰りがウリのビジネス特急こだま号、当初は8両編成でしたが、この頃には、12両編成・所用6時間40分になっていたようです。 

(1) 「こだま何号」でしょうか・・・・?
 上り列車で、南西から北東に走る線路、背後やや斜めから陽が射していますので、「第一こだま」でしょうか・・・・・。クハ26は、この頃にはクハ151と呼ばれる様になっていたようです。

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(2) 例によって周辺の拡大写真です。高架の東急東横線の横浜駅ホームが見えています。高架下は崎陽軒の工場なのでしょうか・・・・。
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(3) こだま号が東京へ発車して行きます。前照灯に赤色硝子が嵌められています。連結器部分や運転室の上の付属物が違いますね。
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(4) 拡大写真です。背後の丘の斜面には広告が立ち並び、丘の上には集合住宅が何棟も建っています。東横線の背の低いトラス橋も懐かしい。
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pen-para.gif ・・・・・で、この6年前、1954年・昭和29年8月撮影の東海道本線車中からの写真があります。

(5) (3)(4)とは場所が少し違いますが、この写真は同じ丘の100mほど右の方になるはずです。丘の斜面、頂上部は草に覆われ、背の低い木が見えるだけで、見事なほどに何もありません。(3)(4)の写真の辺りにはそんない建物は無かったような気がしますが、如何でしょうか?
 このトラス橋は、新田間川に掛かる(4)のトラスとは違い、青木橋から洪福寺へ続く電車通りに架っています。
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(6) 丘をクロースアップしてみましょう。草木だけが見えています。
 手前のコンクリートの小さな建物は国鉄のものなのでしょう。鉄橋下や、小型トラックの向こう側など、戦後を感じさせる建物ぞろいです。
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(7) (5)の右端部分です。東横線のトンネルが見えて居ります。自動車の少ない道路にはオート三輪が見えます。60年近い年月が流れ、この辺り、この写真を思わせるようなものは、何一つ残っていないのではないでしょうか。
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(8) 東横線の電車を拡大してみましょう。クハ3750形でしょうか・・・・・と、すると電動車はデハ3700でしょう。
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coffee.gif 二駒の35mmハーフサイズのスライドを並べるつもりが、8枚の画像に膨らみました。
 思えば、横浜も、この辺りは・・・・いや、日本中ですが・・・・、60年でがらりと変わりましたね。

 週三回の、更新のペースが、ここのところ少々乱れています。もっと、少ない画像、少ない文章の方が良いのかもしれませんが、私、元々、お喋りなヤツなので、ついつい長くなってしまいます。
 では、また次回!!!!!


琴電志度線1956年 [むかし噺(2)]

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pen-para.gif 秋ですね~、すっかり涼しくなりました。東京エリアでは、半袖の季節も、もう終わりですね。
 親戚の家から、柿が届きました。庭で採れたのだそうで、季節の色と味です。

(1) 笊に並べて記念写真
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 pen-pc.gif さて、本題です。今日の話題は、高松琴平電鉄・・・琴電です。京浜急行や名古屋地下鉄、京王帝都電鉄が沢山走っている最近のお話ではなく、今を去ること55年、1956年・昭和31年7月、私は大学の一年生の夏休みでありました。
 母と四国の高知へ旅しましたが、その途中、高松で連絡船から土讃線に乗り換えるとき、時間に余裕があったので、屋島に行こうということになりました。

■■■ 琴電志度線1956年 ■■■

pen-para.gif 高松築港駅から電車に乗って琴電屋島駅に向います。途中の駅で、交換した高松築港行を見送る。

(2) この駅、駅名がわかりませんでしたが、ホームページに出したこの写真をご覧になった、地元、高松の方から、メールを頂きまして、「春日川駅」と判明しました。向こうが高松築港方面になります。
 例によって、部分拡大でご覧頂きます。
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(3) (2)の高松築港行の電車部分の拡大・・・・80。Wikipediaを見たら、元・山陽の36形とありましたが、それ以上のことは判りません。
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(4) 同じく(2)の右端部分の拡大懐かしい形のトイレがあります。「便所・WASH ROOM」、「手洗い器」。電灯線の引き込みもかなりアバウトで、二本が平行に敷設されていません。ひょっとすると、架線の600Vにつながって、電灯何本かを直列接続していたのかもしれません。写真(2)も参照してください。
 さて、赤と緑の矢印です。赤の矢印は流下式塩田でしょうか、そして、先の地元の方が、緑の矢印部分は、入浜式塩田だと教えて下さいました。昭和31年、丁度、両方式が入れ替わる時期だったのでしょう。

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pen-para.gif ここで、脱線して、流下式塩田の写真をご覧いただきましょう。

(5) 3年後の1959年・昭和34年8月土讃線の車内から写したもので、多分、宇多津駅とか、あの辺りだと思われます。向こうの煙突や建物が製塩関係の物だったかどうかは判りません。
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(6) 枝条架を拡大してみます。材料は竹だったようで、上から塩水を流下させる。下まで落ちる間に、濃縮され、それを繰り返したのでしょう。そして、釜で加熱~水分蒸発で、塩にするのでしょう。詳しいプロセスは判りません。入浜式に比して、上手い事を考えたもんだなあと、当時、感心した記憶があります。効率も良さそうだし、場所も食いませんし・・・。
 しかし、時代は変わって、イオン交換方式で、このシステムも古いものになり、1970年代の頭ごろには、廃止されたそうです。
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pen-para.gif 話は戻って、1956年7月のお話の続きです。

(7) 電車を琴電屋島駅で降りた母と私は、屋島ケーブルに乗ろうと、ケーブル駅まで400m弱を歩いてゆきます。
 左端に写っている和服の女性が母・・・・当時48歳。当時は、女性の一寸したお出掛けは和服が普通でしたね。屋島の山腹にケーブルの線路が見えて居りますね。
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(8) (7)の拡大・・・・ケーブルの車両が、ボケてますが写っています。
 「キリンビール」が左書き、「めし」は右書きが面白いですね。食べ物屋さんは、なんでもアリ。こういう、看板を見ていると、時代を感じて実に楽しくなりますね。
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(9) (7)の右側部分の拡大・・・・旅館ですが、壁の大広告が楽しい。ネット検索して見たんですが「銘菓 三宝」、「珍菓 タヌキばやし」は簡単には見付かりませんでした。
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pen-para.gif ところが、ケーブルの駅まで行って見ると、なんと、かなり待たねばならず、上まで往復すると、土讃線の汽車に乗れない・・・・ということで、断念して、高松築港へ戻る事に。

(10) 帰り道、これは、何処の駅でしょうか・・・多分、今橋駅だろうと思うのですが、クラシックな電車が休んでいました。志度線で活躍した電車たちなのでしょう。
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(11) (10)の真ん中。まるで、路面電車ですが、詳しい事は分かりません。Wikipediaに拠ると、01形のNo.5らしい。
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(12) (10)の左端・・・・同じく、01形のNo.6でしょうか・・・・・。
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(13) (10)の右端・・・・開放式のデッキが密閉型に改造されたのでしょうか、これも01形のNo.3らしい。
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coffee.gif たった二駒のネガから、画像13枚に水増ししてしまいました。ま、手抜きといえばそうかも知れませんが、こんな方式も悪くは無かろうと、やってみました。如何でしょうか・・???

 では、また次回!!!!!


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