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のどかな時代(7):横浜市電の風景 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 前回は昭和30年代中ごろの川崎市電の写真をお目に掛けましたが、今回は横浜市電です。

 横浜市の市電は1904年・明治37年の開業で、最盛期の昭和35年5月付の運転系統図には15の系統が記されております。東京都電と比べて、単車が4形式もあったり、8形式のボギー車とともに、なんとなくのんびり走っておりました。
 昭和36年、結婚して市内神奈川区六角橋に住むようになり、東神奈川駅、横浜駅、桜木町駅、野毛、関内、伊勢佐木町、大桟橋、本牧三渓園・・・・・市内の何処へ出も行けたような気がします。
 自動車が増えて行き、道路の渋滞が始まると、やがて昭和41年から路線の縮小が始まり、1972年・昭和47年、市電はトロリーバスとともに全廃ということになってしまいました。
 そんな横浜市電のアルバムです。系統だてての展示でなく、ランダムに引き出してきた写真を並べただけですので、「一本、スジガ通って居る」なんて事が無いので、その点、ご容赦ください。

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■■■ のどかな時代(7) ■■■

■■■ 横浜市電の風景 ■■■

(1)昭和30年2月、国鉄横浜機関区脇を走る1500形。
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(2)昭和34年7月、尾上町~馬車道間の1600形1605。左は単車の500形。
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(3)昭和36年7月、馬車道~桜木町駅前間の400形。二軸単車にしてダブルルーフ、しかも半鋼。
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(4)(3)の423ではありませんが、400形の車内風景。二重屋根車の天井の様子が分りますね。中吊り広告のホルダーなど、凝っています。
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(5)昭和36年7月 弘明寺電停にずらりと並んだ市電たち。手前から1000形~1000形~600形。
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(6)昭和37年12月 神奈川会館前~中央市場間の単線区間を行く500形511。
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pen-para.gif  市電で印象に残っているのは、「麦田の隧道」、「杉田付近の海沿い区間」、「打越のアーチ橋」、「久保山の大正遺産」、「桜木町駅前~日本大通県庁前・ビジネス街の銀杏並木」などでありましたが、いつもの悪い癖で、明日、あしたと、言ってる間に市電は無くなってしまいました。
 この中で、山元町の打越橋を撮りに行ったのが、昭和37年11月でした。妙に力んだ感じの写真ばっかり。

(7)昭和37年11月打越橋
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(8)同上: 打越橋上から市中心部のビル街を望む切通を1300の山本町行が上がってきます。
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(9)同上: 打越橋から反対側を見る。右に曲がると山元町終点でした。
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pen-para.gif(10)昭和44年6月: 山元町の電車の反対側の終点は洲崎神社前になっていました。青木橋の勾配を下ったところで、もうこの頃には、この先、中央市場、生麦方面には、電車は行かなくなっており、3系統山元町行も7系統八幡橋も、ここで折り返しました。
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pen-para.gif  7系統の電車は浜松町から山越えをするのですが、その頂上部が久保山電停です。

(11)昭和44年6月の久保山電停です。頭上にかかる霞橋から撮っています。
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(12)久保山電停脇の大正3年の門柱と赤レンガの壁。今でもここにあります。
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(13)これが霞橋で、昭和3年の建造
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pen-para.gif 昭和44年6月29日、翌日には廃止されてしまう洪福寺前へ行きました。

(14)トロバスとトラムそしてバスが並びました。電車の線路は向こうから来て、この交差点を左折してさらに続いて居たのですが、何年か前に廃止となり、レールはアスファルトで埋められたのですが、架線だけが空しく残って居りました。
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(15)ここの市電はこの写真を撮影した翌日、昭和44年6月30日をもって廃止なのです。トロリーバスも例外ではなく昭和47年に廃止。
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pen-para.gif 二年間、横浜に住んで居た割には、撮影した横浜市電の写真は少なく、さらに、ネガの傷みや大変形で使えるものは、ごく僅かになってしまっています。カラー写真となりますと、更に少ないのです。今回は二枚、ご覧ください。

(16) 昭和36~8年の撮影と思われる1500形1514。たぶん羽衣町のあたりかと・・・・。
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(17)これまた昭和36~8年。問題は場所で私は浦舟町と思って居るのですが確証がない。新旧の二色が並んだのも良いもんだと思います。
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coffee.gif 17枚の写真で綴った横浜の市電でした。昭和36年からの二年間のヨコハマ四畳半暮らし、思い出多きヨコハマの市電の路線は完全になくなってしまいましたが、滝頭に立派な保存館もあり、種々の形式の電車に会いに行けます。東京都電と比べると数歩先を行ってるなあと思いますね。


のどかな時代(6):川崎市電 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 先月、2月は三回しか更新できず残念な思いをしました。この先、お出かけの予定が立たずに居ります故、昔のお話なんかでお茶を濁そうと・・・・・。
 そんなわけで、今回は「のどかな時代」シリーズの第6回として、「川崎市電」を採り上げました。

 川崎市電の活躍した期間は、昭和19年(1944年)開業、昭和44年(1969年)廃止という25年の短い期間でありました。

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■■■ のどかな時代(6) ■■■

■■■ 昭和34~5年ごろの川崎市電 ■■■

pen-para.gif 川崎市の市電は下の6コマの写真を撮影したころ・・・昭和34年8月・・・は、京浜急行の京浜川崎駅に近い「市電川崎」から 京浜急行・大師線の終点・「塩浜」までの7kmほどの区間を運行しておりました。京浜急行大師線とループになって居りました。
 その後、東京オリンピックの年、昭和39年に川崎駅前~池上新田の5km弱に短縮され、昭和44年(1969年)3月に廃止されてしまいました。

(1)200形207・・・元・東京都電1500形・・・・ダブルルーフ・木造の古典車です。
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(2)300形302・・・元・東京都電(王子電車)の154
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(3)600形607
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(4)700形702
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 このころは、上記のほか500形というのが2両、居た筈なんですが写して居りません。

pen-para.gif それから1年後の昭和35年4月、オリンパスペンにフジのリバーサルカラーフィルムを入れて、ぶらりと出かけて行った時の二駒です。大事に大事に写したようで、川崎市電はこの二駒だけしかありません。

(5)300形302
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(6)600形602・・・このころ、「お色なおし」があったらしく、「新色」のようです。
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coffee.gif 川崎市電は3~4回ほど、撮影に行ったことがあります。その割に写真の点数は少なく、ここに掲げた6枚くらいしか無いのです。

pen-pc.gif この記事を書くにあたってNEKO PUBLISHING刊 RMライブラリ No43「川崎市電」(関田克孝・宮田道一)を参考にいたしました。

では、また次号、お目にかかりましょう!!!!


のどかな時代(5):箱根登山鉄道小田原市内線・昭和29年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 最近、斬新なデザインの新車、3000形アレグラが入った箱根登山鉄道のお話です。記憶がだいぶ怪しいですが・・・・。
 今から59年の昔、昭和31年5月までは、箱根登山鉄道に「小田原市内線」という、路面電車の走る路線がありました。昭和29年の暮れ12月にちょっと覗きに行って居りますので、ご覧下さい。

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■■■ のどかな時代(5) ■■■

■■■ 箱根登山鉄道小田原市内線・昭和29年 ■■■

pen-para.gif 小田原市内線を大雑把にご紹介いたします。Wikipediaに拠りますと、
『国鉄東海道本線・小田原駅前から全線・単線、600V直流電化で、国道一号線をのんびり走り、2.4kmでもう箱根登山鉄道の箱根板橋駅に至るラインでした。ポール集電の木造のボギー車5両が在籍。
・・・・・ま、こんな事が書いてありました。

 そんなことは全然知らない、高校2年生の「む~さん」はオリンパス35Ⅳを持って箱根板橋駅にやって参りました。

(1)1,435mmと1,067mmの三線軌条を、小田急の新宿行の急行がやって来ました。セミクロスシート2ドア車、デハ2001-サハ2051-デハ2002の三連でした。
 この時点で、「2300形特急車」、「連接構造のSE車3000形」はまだ出て居らず、三本の吊り掛け特急車1700が居たはずですが、撮影は出来なかったようです。
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(2)強羅行きの登山電車114が発車して行きます。色はスカイブルーとクリーム色だったと思います。
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pen-para.gif さて、箱根板橋駅です。改札を入ると直ぐに市内線のホームがあり、その向こうに鉄道線のホームがあります。鉄道線はすでに「三線軌条」化され、箱根湯本まで小田原から小田急が乗り入れて居りました。

(3)可愛らしい車庫もありました。203が休憩中。203は元・東急・玉川線〈玉電)のデハ20でした。
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(4)数字が読めないのですが、たぶん205が発車して行きました。これも、3ドアです。
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(5)暫くすると、201が到着。201は元・東京都電の100形で2ドアでした。
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(6)これが、駅本屋と市内線のホームです。まあ、なんとのどかな風景でしょう!今の箱根板橋とは同じ場所とは思えません、駅から何の障害物もなく、早川から向こうの山の裾まで見通せます。電車は201です。
 なお、右の駅本屋は、もしかすると現存するかもしれません。何年か前にはまだありましたから・・・。鉄道線のホームは市内線ホームの更に左側にありました。
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pen-para.gif たぶん、この201に乗って行ったのでしょう。途中で降りて、たった一コマですが撮影して居ます。

(7)中間駅で列車の交換です。たぶん、「幸町」だと思われます。左が204、右が205で、何れも元・玉電のデハ20。
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pen-para.gif 私はまた市内線の電車に乗って小田原駅まで行き、小田急の線路にに沿ってしばらく歩き、1600とか、1800とか、写しています。ロマンスカーは写していません。よくよく、運の悪い子でした。(笑)

coffee.gif なお、この写真をもとに、当ブログでは一度記事をアップロードして居ります。ちょっと、気になりましたが、読者の皆様の中で、気づかれた方には、大目に見て下さいます様、お願い致します。写真は加工し直し、文章は新たに書いたものですので・・・・。

 では、また次号で!!!


のどかな時代(4):鹿島参宮鉄道龍ヶ崎線・昭和37年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 昭和37年・1962年1月4日・・・・お正月休みの最終日だったと思われますが、家内・・・鉄道ファンというわけではありませんが・・・と二人、茨城県の龍ヶ崎市まで「鹿島参宮鉄道竜ヶ崎線」見物のお出かけとなりました。同鉄道は、昭和33年から何度か訪問している、大好きな鉄道です。

■■■ のどかな時代(4) ■■■

■■■ 鹿島参宮鉄道龍ヶ崎線・昭和37年 ■■■

pen-para.gif 上野から一時間ほどのところに、こんな時代離れした鉄道があるなんて、昭和33年初めて訪れた時思ったものです。それから4年経ち、鹿島参宮鉄道竜ヶ崎線は、あのころと殆ど同じ姿で私たちを迎えてくれたのです。

 上野から401系電車に乗って佐貫駅に到着、改札を通って鹿島参宮のエリアに入ると、そこは異次元でした・・・・は、大げさすぎますが。可愛らしい気動車に乗って4.5km、佐貫駅~入地駅~竜ヶ崎駅で終点です。

(1)構内を見学させて頂きました。駅前の背の高いポプラの木が印象的でした。左=キハ102はエンジンの無い「客車」。右=Cタンクの4号機
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(2)4号Cタンク機です。大正14年・川崎造船所製。引退後、龍ヶ崎市歴史民俗資料館(竜ヶ崎駅より徒歩20分)に保管展示されているとそうで、嬉しい事です。
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(3)キハ40402・みずほ号は元・阿南鉄道の昭和7年製。前面窓配置が面白い。
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(4)明らかに元・気動車と思われる片ボギーのハフ15。左はワム3500形13614。
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(5)オープンデッキのハフ2
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(6)竜ヶ崎駅の構内には古い倉庫もあって、その辺りだけは明治時代みたいでした。
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(7)ホームから佐貫方面を見る。2連の腕木式場内信号機が見えます。
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(8)私たちはキハ40402で帰途につきました。佐貫駅に到着し暫くして、追いかけるように4号蒸気機関車牽引の貨物列車が到着
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(9)鹿島参宮鉄道のホームから、いくらも離れて居ない、国鉄常磐線のホームに入ると、現代に帰って来たような気持ちになりました。新しい交直流両用の401系電車に乗って東京に戻りました。
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pen-para.gifpen-para.gifpen-para.gif なお、私のホームページ「む~さんの鉄道風景」に、大型の写真多数で、この日の詳細なルポがありますのでご覧ください。

鹿島参宮鉄道龍ヶ崎線1962年:前編&後編
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link164a.html

coffee.gif 鹿島参宮鉄道竜ヶ崎線は、社名が関東鉄道に変わって健在です。12年前の2002年、一寸だけ覗いて来ましたが車体の片側にだけドアが付いて居る、風変わりな気動車が乗客を運んでおりました。
 関東鉄道常総線と合わせて見に行ってみたいものだと思っています。

 では、また次回に!!!!!


のどかな時代(3):伊豆箱根鉄道軌道線・昭和37年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 伊豆箱根鉄道軌道線は同鉄道の駿豆線の三島町駅から沼津駅前までの6.5kmほどを結ぶ路面電車でしたが、駿豆線の昇圧や、台風で黄瀬川橋梁が落ちたりしたため、1962年・昭和37年1月、鉄道ファンの友人たちと乗りに行ったときには、駿豆線・三島広小路駅前から、黄瀬川手前の国立病院前までの2.4kmほどになり、国立病院前から沼津までは、バス連絡となって居りました。電車はほぼ旧東海道を併用軌道で走って居たようです。
 その時に撮影した写真と、翌・昭和38年の廃止寸前に訪問した時の写真から9枚ほど選んでご覧頂きます。

■■■ のどかな時代(3) ■■■

■■■ 伊豆箱根鉄道軌道線・昭和37年 ■■■

pen-para.gif 昭和37年1月、三島広小路から国立病院前まで乗車し、公立病院前電停に近い長澤の車庫を見学してから、連絡バスで沼津まで、行きました。

(1)駿豆線・三島広小路駅前:軌道線の電車が発車を待っています。
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(2)(1)の204の車内です。
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(3)発車した204はすぐに直角に曲がって「旧東海道」をゆきます。広小路通という、ちょっと賑やかな通りです。
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(4)三島広小路駅すぐの(3)の場所は2003年に行ってみました。右から三軒目が文具屋さんになってますが、お店の方に伺いましたら、(3)の「三菱鉛筆」の看板のお店と同じでした。
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(5)電車は西へ進みます。三島広小路からそんなには離れてはいないようです。
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(6)これは昭和38年1月の撮影で、「玉井寺前」で交換が行われている場面。道路は未舗装です。
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(7)(6)の電車まわりを拡大してみました。路面や線路状態が分ります。
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(8)これも、昭和38年1月の撮影。旧街道を行く電車って感じですね。
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(9)国立病院前で電車は折り返して三島広小路に戻ります。近くに長澤車庫があります。
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(10)連絡バスに乗って沼津駅前まで行きました。立派な屋根付きの駅には、戻れなくなった電車が二両。左のバスが連絡バス。
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coffee.gif 10枚の写真と、下手な文章で、あの頃の当鉄道を表現することが出来ません。申し訳ない事です。
 私のホームページ「む~さんの鉄道風景」で、写真をもっと大きくして、数も多めにして伊豆箱根鉄道軌道線を紹介して居ますのでご覧ください。

(1)昭和37年版
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link103-izuhakokidou6201.html

(2)昭和38年版
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link021.html

では、また次回!!!!!


のどかな時代(2):静岡鉄道秋葉線・昭和35年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 「のどかな時代」シリーズの第二回は静岡鉄道秋葉線に致しました。実際のところ私はこの線には乗ったことが無いのです。大好きな静岡鉄道駿遠線を訪問した時に一寸、覗いたっきりなのですが、二者択一となると如何しても駿遠線見学と言う事になって仕舞うのでした。
 1960年・昭和35年3月に訪問した時の写真を一寸ですが並べてみましょう。

■■■ のどかな時代(2) ■■■

■■■ 静岡鉄道秋葉線・昭和35年 ■■■

pen-para.gif 昭和35年3月、国鉄東海道本線の袋井駅で下車するのは二度目でした。「静岡鉄道駿遠線」見学前に、ちょっと見ておこうと、袋井駅の改札を通りました。駅前に出ると、広場の向こうに、可愛い秋葉線の「新袋井」の駅舎が見えて居りました。
 秋葉線は、ここ新袋井から遠州森町までの12.1kmを結ぶ軌道なのです。全線単線。

(1)静岡鉄道秋葉線・新袋井駅です。駅舎の向こうにはブルーと黄色に塗り分けた電車が停まって居りました。
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(2)新袋井駅にはホームは無く、小さな踏み台みたいな、階段みたいなのがあるっきりでした。電車はモハ8です。50年以上も経つと事情は完璧に忘れていますが、(1)の車両とは違うようです。
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(3)「銀座通・一丁目」の通りから新袋井駅を見て居ます。左の商店の向こうにドーンと聳えるのは、駿河銀行(現・スルガ銀行)。モハ8が発車したようです
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(4)目の前を二軸ボギーのモハ8が吊り掛け音を響かせて通り過ぎて行きます。
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(5)銀座通・一丁目の商店街です。パチンコ三楽、豊田金物店、薬局、めがね、菓子舗、戸塚ミシン商会、スワン洋裁店、豆腐・早川商店・・・・・・絵にかいたような昭和中期の商店街でした。現在、ストリートビューで見てみても、この場所を見つける事は出来ませんでした。どうやら、道路の拡幅など、根底から街の格好が変わってしまったようです。
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(6)連結器はバッファーとリンクの古典的なもので、日本国内で、この目で見る事が出来るなんて、夢を見て居るのではないかと思いましたね。モハ8のものではありませんが、クロースアップで写して来ました。
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(7)四輪単車のモハ2が新袋井駅に停まっています。電車のアタマと重なって、駿河銀行の古典的な社屋がちょっぴり見えて居りますが、現在、一寸離れた場所に、銀行は移動、旧社屋も復元されているようです。
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pen-pc.gif 昭和35年の国鉄東海道本線・袋井駅前の「路面電車の走る街」の姿を一寸だけご覧頂きました。

pen-para.gif 私のホームページにこの時のことを、もう少し大きめの写真と、他の写真とともに書いて居ますので、お時間が御座いましたら、ご覧頂きたく存じます。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link17.html

coffee.gif では、また次回!!!!!


のどかな時代(1):茨城交通水戸市内線・昭和34年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 12月6日ごろから体調が悪く、17日にA型インフルエンザと診断され、寝ておりました。20日になってやっと起きだしています。発熱は大したことはなかったのですが、腰痛が一層激しく参りました。

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pen-para.gif 更新のタイミングなんですが、そんな状態に加えてネタがありません。15日ごろから用意してあった記事に手を加えて、昔の写真でもご覧頂きましょうか・・・・・。

pen-para.gif 1959年・昭和34年10月、私は大学の4年生でした。部活の鉄道研究会の仲間たちと訪問した茨城交通。セミ判のカメラの所為か、水戸市内線の機能もある水浜線の写真はたったの三枚しかありません。それをネタに一回分、でっち上げようと・・・・・。

■■■ のどかな時代(1) ■■■

■■■ 茨城交通・水戸市内線 ■■■

pen-para.gif 常磐線の赤塚駅から茨城交通の2両編成の電車で大学前駅まで行き、撮影後、上水戸駅まで引き返したところから始めます。
 ここから、水浜線の水戸駅前行の電車、127に乗りまして、水戸駅前まで参りました。水浜線は「上水戸~水戸駅前~浜田~大洗」間18.0kmを結んでいる線で、全線単線、市街地は「水戸市電風」の併用軌道、町はずれになると専用軌道でした。
 車両は木造車、セミスチールとり混ぜてかなりあるようでしたが、当時の私はフィルムの予備も持って行かなかったようで、ブローニーセミ判16枚で収めようと思っていたらしく、三コマしか写していません。まあ、勿体ないお話で・・・・。

(1)水戸駅前です。如何いう運行をしていたか分らないのですが、大洗行の129です。129は昭和26年〈1951年〉新潟鐵工所製の半鋼車。まず目に付くのが、129のサイドに取り付けられた梯子、そして背後の店の大看板
 左端に顔を出しているのが、私たちの乗ってきた127
 
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(2)129のサイドを拡大してみましょう。電鉄で梯子と言えば架線の工事関係と思われますが、架線事故があると、これが出動するのかしら?
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(3)電車の背後は、パチンコ屋さんに食堂。ところどころ、文字がひっくり返してあるところを見ると、パチンコ屋さんと食堂は同じ経営者なんでしょうか。おまけにバーとかミシンの販売会社も同じ建物に入って居るらしいですね。
 見難いですが食堂のメニューで当時の食べ物の価格をご覧ください。「カストリ35円」というのが気になりました。
 水戸駅前も、今行ってみたら当時の面影なんか一かけらもないんだろうなあと思いながら書いて居ます。
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pen-para.gif 話を上水戸駅に戻して、そこにいた電車たちです。

(4)127は昭和17年(1942年)・日立製で、車体は木造。これに乗って水戸駅前に行ったのです。単線ですから、途中、交換があったり、のんびりしたものでした。
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(5)上水戸駅の側線には、4輪単車が4両、休憩中。いずれも大正期末あたりの製造です。ちょっとカワイイので2両ずつ拡大してみましょう。
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(6)(5)の左の2両・・・・113ナンバー読めないが古そうな電車
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(7)(5)の右側の2両。114101(かな?)
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pen-para.gif 当時は路面電車にはあまり興味がなかったのでしょうか?水浜線では、たったの「3駒」しか写した居ません。返す返すも残念でなりません。

coffee.gif では、またそのうちに「のどかな時代(2)」をお届けできるかもしれません。


町田市の風景1966年(Ⅱ) [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 7月5日付のブログで「廉価版のコダックインスタマチックカメラ」で写した、小田急新原町田駅周辺と国鉄原町田駅前のカラー写真をご紹介いたしました。
 同じ年・・・・1966年・昭和41年の、あれは5月頃でしょうか白黒で小田急・新原町田駅付近を写しています。カメラは多分、ミノルタSR-1ではなかったかと思います。
 以前、当ブログで発表済みの画像ですが・・・・・。

■■■ 町田市の風景1966年(Ⅱ) ■■■

pen-pc.gif 小田急・新原町田駅の相模大野駅寄り、だいぶ駅から離れた場所から新原町田駅方向を写して居ります。

(1-1) まだ、8車体連接だったデハ3000・SE車「えのしま号」が新宿に向います。
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(1-2) SE車の右の方を拡大してみましょう。小田急ストアが割りと鮮明に写っています。こっち側が「裏」なのでしょうか、「小田急ストアの大看板」も裏が見えています。右側のカマボコ屋根はスーパーの静岡屋さんで、この土地は、後に大丸百貨店が建つ事になります。大丸の撤退後は丸井のビルになって、現在は「MODI(モディ)」を名乗って居ます。
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(1-3) SE車を拡大してみましょう。オリジナルのSEは思い切った流線型で、旅客機みたいで、今見てもステキだなあと思います。このあと2年、1968年には御殿場線乗り入れに合わせて、5車体の連接車に改造され、SSEと呼ばれるようになります。顔もだいぶ変わりました。
 右側の架線柱の影に電車が居るみたいです。
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(2) フィルムの次の駒に写っていた、デハ2200の2連。たぶん、これが(3)の電車でしょう。オリジナルの2200は方向板方式でしたが、すでに方向幕に改良されています。
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(3-1) 当時は未だ元気だった「むかし風の電車」、クハ1450+デハ1200+デハ1200の江ノ島行きが来ました。
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(3-2) 新原町田駅のホームが写っています。駅は、2ホーム4線で駅本屋・・・・小田急ストアのビル・・・・とは地下道で結ばれていました。大東京火災の大広告塔は結構、目立っていまして、よく覚えています。信号機の背面の板が現在の信号機のそれよりも大きい気がします。
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(3-3) 写真(1-2)よりもシャープに写っていますし、下のほうが良く見えます。交通標識が写っており、その右の方に柵がありますが、たしか、この辺りを国鉄横浜線が通っていた気がします。もちろん、単線。
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(3-4) 1452の顔をクロースアップ。好きだったなあ、デハ1400にクハ1400、デハ1200も・・・・。2ドアの下降窓、車内はニス塗り。土曜なんか、会社の帰りには、新宿で何本か見送って、こんな電車を選び、のんびり帰宅したものです。
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coffee.gif 以前に当ブログで使った画像ではありますが、今回も改めて加工しました。いま、考えると、1960年代の小田急って、じつに面白い、個性的な電車が大活躍しておりました。


タグ:小田急

町田市の風景1966年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 今回は、リクエストも御座いましたので、以前に発表した写真集ですが、原版から改めて加工してご覧頂きます。
 1966年・昭和41年の、東京都町田市、街の風景。ローカルネタですが・・・・・当時をご存知の方には懐かしい風景かと思います。私も、久しぶりに、この写真を見て、懐かしさに、少しキュンとなりました。そんな訳で、老人の思い出話風に書いてゆきます。

 カメラは、コダックのインスタマチック20というプラスティック製の・・・・レンズも・・・・5千円くらいのシンプルカメラです。エクタクロームを使いました。エクタクロームでも、晴天で順光なら露出計連動で無くっても、なんとか写るものです。エクタクローム、偉大なり!

■■■ 町田市の風景1966年 ■■■

(1-1) 新原町田駅の新宿寄りすぐの踏切、正式には玉川学園前X号踏切って言うのでしょうが、何号か分かりません。新原町田駅を出て、交番の脇から、その踏切を渡ったところで、線路を背中にしています。
 今でもそうですが、バスの停留所ポールが並んでおりました。緑屋の先には、オートマチックのお饅頭屋さんがありまして、面白いので見たいのですが、一応、大人だし、見ていないようなポーズで見ていました。「都まんじゅう」という名の、円筒を切ったようなカステラ饅頭で、何回か買ったけれど、安くて美味しかったのですが、駅の反対側にバスセンターが出来、かなりのバス停がそちらに移動してしまった所為でしょうか、何時の間にか、無くなってしまいました。
 道の両側にはでっかいビルが建ち並び、この写真の感じは無くなって居ります。
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(1-2) (1-1)の真ん中あたりを拡大してみました。これ以上は無理ですが、細かいところまで、なんとか写るものです。パブリカにスバル360、そしてクラウンが懐かしい姿で写っています。
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(2-1) 小田急ストアの南側、鈴木楽器の脇を入ってゆき、いまでもある丸共布団店の前から小田急ストア方向を見ています。
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(2-2) (2-1)の部分拡大。小田急ストア屋上の観覧車です。こんな色だったんですね。
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(3-1) 踏み切りの北側から、新宿方向を見ています。2600形NHE車の新宿行各停が新宿へ向います。現在の小田急電車の、8000みたいな色になる前の、ブルーと黄色の二色の時代です。
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(3-2) (3-1)の電車と踏切警手の小屋・・・・このころ、警手は居たのだろうか?警報機はあったのだろうか?バスの国鉄原町田駅へのルートはなくなっていたのだろうか?全然覚えていません。
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(3-3) 線路の向こう側の風景。この不動産会社の右側には自転車の預り所があったのですが写っていません。もっと右の角には荒物屋さんがあって、いまでもビルの一階にあります。
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(4-1) 国鉄・原町田駅前に勢揃いした神奈川中央交通・・・・神奈中のバスたち。原町田駅の跨線橋の屋根が二連の面白い形をしています。国鉄原町田駅は小田急側に移動し、南口の新しいビルが出来、この頃を偲ぶものは残っていません。
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(4-2) (4-1)の右側のバスです。
 これは、ワンマン仕様ですね。現在も神奈中バスは基本的にはこんな色使いです。当時は「早そうな車輪周りの波型の塗装」や、湘南形の前面の塗り方が他社でもよく見られたような気がします。お臍のところにある神奈中の社章は、いまでは、殆ど無くなって居ますが、運が良ければ、まだ見られます。
 左端の円筒形のポストは、探せばまだ現役のものがあるようです。
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(4-3) (4-1)の左側のバスです。方向幕が歪んでいますが、ほぼ間違いなく「相模原病院」でしょう。右のバスよりも古いタイプのように思います。車掌さんの乗務しているバスなので、一番前まで座席があります。子供は、一番前が大好き。私も同じですが・・・・・。
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(5-1) 小田急・新原町田駅・駅ビル前です。左側、ビルに向かって右側が新原町田駅への入り口、左側に小田急ストアの一階部分、三階までエスカレータがあったような気がしますが、記憶、怪しい・・・・。
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(5-2) (5-1)の真っ正面の看板をクロースアップしてみましょう。
 丸井チハラは現在は無く、たしか親戚関係のマルイ町田店のでっかいビルがJR町田駅脇にあります、自社ビルなのかどうかは知りません。
 病院医院は殆どあるようですが、これまた、調査はしていません。
 映画の看板群・・・・・映画館は、町田には沢山あったんだなあと思います。町田グリーンというのもあったようです。この看板に描かれた映画、みんな判れば、かなりの映画ツウと言っていいんでしょうね。エトアールは、薄暗い坂を下ってゆくと右側?にあって、その先に家具の大正堂、そのさきに横浜線の踏切がありました。それを渡ると、都南自動車教習所?
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(5-3) (5-1)右端部の拡大です。小田急観光は今日は休業みたいですね。画面右端の下のほうに写っている、ここのポストは角型ですね。画面の→端っこに写っている建物の壁は、駅前交番の筈です。
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coffee.gif 今日は、ローカル風景ネタになりました。次回は、電車ネタに戻ります。
 ではまた、次回に!!!!!


中央東線キハ58:1963年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 以前・・・・・2007年10月31日付の当ブログで公開した写真なのですが、中央本線の優等列車のスター、急行アルプス号として活躍していたキハ58形の懐かしい姿、再度、登場です。

■■■ 中央東線キハ58:1963年 ■■■

pen-para.gif 1963年・昭和38年11月23日は土曜日で勤労感謝の日。確かTVの宇宙中継の有った日で、早朝のその番組中で米国のJ.F.ケネディ大統領の暗殺された事を聴いた記憶があります。そのTV放送を見て家を出たようですが、その辺は、はっきりしないんです。なんたって、49年も昔のお話です。

 そんな、お天気の良い日の早朝、未だ甲府までしか電化されていない、しかも単線の中央東線に出かけました。急行アルプスは、キハ58を連ねて快走。私は、小淵沢駅で降りました。バスで東京の方角へ戻り、とあるバス停で下車。斜面の道を上がって行くと、線路に出ました。線路の向こうに、大きな枝垂桜の木があって、その向こうに八ヶ岳が見えています。この記事を書きながら調べてみたら、樹齢400年、「神田(しんでん)の大糸桜」という名木との事。その辺りから、長坂駅まで約5km弱、歩きながら、やって来る列車を撮影。

 今回は、そんな写真の中から、キハ58を選んで並べてみました。

(1) キハ58の塗色は、これが一番。
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(2) 尾灯が綺麗に写ってくれました。
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(3) 通信線は勿論、蝿叩き型。
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(4) 掘割の中を行く・・・・。
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(5) たしか、煉瓦積みの水路橋の上からの撮影でした。複線化で、無くなってしまいましたが、いい形でありました。たしか、右の方が八ヶ岳。
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(6) キハ58・・・・なんと言う素敵な車体デザインなんでしょう!!!
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coffee.gif 僅か6枚のキハ58の写真ですが、往時の中央東線を偲んでみました。

pen-pc.gif この日の撮影行の詳細は、私のホームページ「む~さんの鉄道風景」でご覧いただけます。下記URLをクリックして頂きますと、アクセス出来ます。

■■■ 中央東線1963年11月23日 ■■■
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link116-chuo.html

 ・・・・・では、また次回!!!!!!


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